元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「グレイマン」

2022-09-11 06:11:25 | 映画の感想(か行)
 (原題:THE GRAY MAN)2022年7月よりNetflixにて配信されているが、私は劇場公開されたものを鑑賞した。このコンテンツ製作会社のオリジナル作品としては最高金額を投入しただけあって、大作感は見事に出ている。スパイ・アクションとしても現在の007シリーズよりもヴォルテージは高い。観て損はしない出来かと思う。

 服役していたコート・ジェントリーはCIAにリクルートされ、凄腕の暗殺者シエラ・シックスとして数々のミッションをこなす。18年後、彼はバンコクで“仕事”を遂行した際に、ターゲットは本来仲間であるシエラ・フォーであることを知ってしまう。どうやらCIAが裏切って配下のヒットマンの“リストラ”を始めたらしく、シックスはフォーから手渡された機密データが入ったデータチップと共に行方をくらます。



 彼は信頼する元上司フィッツロイを頼るが、姪のクレアを人質に取られているため全面的な協力は得られない。本部長カーマイケルは、札付きのワルであるロイド・ハンセンとその一派を起用してシックスを追い詰めようとする。シックスはCIAエージェントのダニ・ミランダと共闘し、次々に襲いかかる敵の刺客を片付けながら、クレアを救出するため奔走する。

 雇われ工作員が当局側の裏切りに遭って命を狙われるという筋書きは、過去に何度となく取り上げられたので新味は無い。だが、圧倒的な物量投入と賑々しい演出、そしてワールドワイドに展開する舞台設定により、観ていてリッチな気分になってくる。マーベル映画お馴染みのアンソニー&ジョー・ルッソ兄弟監督の仕事ぶりは抜かりは無く、活劇シーンの盛り上げ方は並々ならぬものがある。特にウィーンの街で展開する大々的なカーチェイスは目を見張るばかりだ。

 主演のライアン・ゴズリングと敵役のクリス・エヴァンスは絶好調で、普通に考えれば2人合わせて百回は死んでいると思われるシチュエーションも軽々とくぐり抜け(笑)、傍若無人なバトルを繰り広げる。ミランダにアナ・デ・アルマスが扮しているのも嬉しい。「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」ではチョイ役だったが、今回は八面六臂の大活躍を見せる。

 ジェシカ・ヘンウィックにレジ=ジーン・ペイジ、アルフレ・ウッダード。ビリー・ボブ・ソーントンなど他の面子も万全だし、子役のジュリア・バターズも「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」に続いて存在感を発揮している。続編およびスピンオフの企画が進行中とかで、けっこう楽しみだ。
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「ハウ」

2022-09-10 06:18:28 | 映画の感想(は行)
 観終わって印象に残ったのは、本作の“主人公”であるハウに扮した俳優犬ベックの“名演技”と、ヒロイン役の池田エライザの美脚のみ(笑)。それ以外はどうでもいい映画だ。とにかく、筋立てが良くない。辻褄の合わないシークエンスが目立ち、ドラマの決着の付け方もまったく気勢が上がらない。動物に頼り切りの作劇では、求心力なんか期待できないのだ。

 横浜市職員の赤西民夫は交際相手から婚約を破棄され、失意のどん底にあった。見かねた上司の鍋島は、彼に保護犬を飼うことを奨める。この犬は元の飼い主に声帯を切られたらしく“ハウッ”としか啼けない。民夫はハウと名付けたこの大型犬と絆を深めるうちに、落ち込んだ気分も次第に上向いてくる。そんなある日、突然ハウが姿を消す。ハウは運命のいたずらにより、遠く離れた青森まで運ばれてしまったのだ。ハウは民夫の元に帰るため、そこから横浜まで約800キロの道のりを歩く。斉藤ひろしによる同名小説の映画化だ。

 まず、新婚生活用に家まで購入した民夫が、簡単に婚約破棄に泣き寝入りしてしまうのは納得できない。これは損害賠償の訴訟案件であり、安易にスルーして良いものではない。さらに彼の上司が“犬でも飼わせれば立ち直るだろう”みたいなノリでハウをあてがうのも愉快になれない。ハウがいなくなったのは民夫の凡ミスであり、遠方からどうやってハウが横浜を目指すのかも分からない。

 ハウが道中で出会う人々は登校拒否の女子中学生だったり、シャッター街で孤独に過ごす老婦人だったりと、それぞれヘヴィな境遇だが、この手の映画で扱うようなネタとは思えない。極めつけは修道院での大立ち回りで、屋上屋を重ねるがごとき絵空事のモチーフが乱立。途中でいい加減面倒臭くなってきた。そもそも民夫の後ろ向きのキャラクターには共感できず、同僚の足立桃子の現実感希薄な“良い子”ぶりには閉口するばかり。

 犬童一心の演出は精彩が無く、単にストーリーを追っているだけ。民夫役の田中圭をはじめ、桃子に扮する池田に野間口徹、渡辺真起子、モトーラ世理奈、長澤樹(新人)、田中要次、利重剛、市川実和子、田畑智子、そして石橋蓮司に宮本信子と悪くない顔ぶれを揃えてはいるが、上手く機能させているとは思えない。ナレーターに石田ゆり子、主題歌にGReeeeNを起用しているのも単なる話題作りに感じてしまう。
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「マドンナのスーザンを探して」

2022-09-09 06:22:00 | 映画の感想(ま行)
 (原題:Desperately Seeking Susan )85年作品。マドンナが大ヒットアルバム「ライク・ア・ヴァージン」を発表して人気絶頂だった頃の出演作だが、邦題とは違って彼女は助演クラス。出番もそう多くはない。中身も時代を感じさせるもので、今から考えると古さは否めないだろう。だが、当時のトレンドの一番勢いのある側面を掬い取ったようなパワーは感じる。

 ニュージャージー州の地方都市に住む28歳の平凡な主婦ロバータ・グラスは、ある日美容院で読んでいた新聞に“スーザンを探している”という尋ね人広告を見つける。スーザンのプロフィールも判然としない妙な記事だが、倦怠期に突入した夫ゲイリーとの生活から逃れたかった彼女は、勝手にスーザンを探すことを決意する。



 そのスーザンは無軌道な女で、行きずりで関係を持った男のバッグからイヤリングを拝借する。しかし、その男は泥棒でイヤリングは盗品だった。一方、転倒して頭を打ち自分が誰だか分からなくなってしまったロバータは、ひょんなことでスーザンと間違われ、イヤリングを取り戻そうとする悪者どもから追われるハメになる。

 主人公の一時的な記憶喪失をネタにして、周囲の人間関係が錯綜するという話だ。ストーリーだけを追えば面白くなりそうなのだが、監督のスーザン・シーデルマンの腕前がそれほどでもなく、サスペンスどころかコメディ風味もうまく醸成されていない。もっと上手い演出家が手掛ければ、それ相応の成果は残せたはずだ。

 しかしながら、あまり嫌いにはなれない。それは、明るくポップな雰囲気が作劇の不備を巧みにカバーしているからだ。ロバータとスーザンが身につける衣装はかなりダサいが、実に楽しそうに着こなしているので気にならない。それどころか、この時代に対するノスタルジアも感じさせて好印象だ。使われている楽曲の数々は過剰にライトで深みは無いのだが、映画のカラーとよく合っている。またマドンナ自身が歌う「イントゥ・ザ・グルーヴ」もナイスなナンバーだ。

 主演はロザンナ・アークエットで、意外な(?)好演。彼女は本作で第39回英国アカデミー賞で助演女優賞を受賞している。エイダン・クインにマーク・ブラム、ウィル・パットン、ジョン・タトゥーロという濃い面々に加え、ジョン・ルーリーとリチャード・ヘルが顔を見せるのも嬉しい。トーマス・ニューマンによるメイン・スコアも悪くない。
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「ジュラシック・ワールド 新たなる支配者」

2022-09-05 06:20:57 | 映画の感想(さ行)
 (原題:JURASSIC WORLD: DOMINION)概ね納得できる内容だと思う。もちろん、突っ込みどころは多々あり、ウェルメイドな出来とは言えないだろう。しかし、長きに渡って続いたこのシリーズの完結編としては容認できる。今までの辻褄をすべて合わせようとすれば、一本の映画ではカバーできない。かといって、今さら別の方向にストーリーラインを変えて目新しさを狙うのもリスクが高い。だから、今回のようなレベルで丁度いいのだ。

 4年前、かつてジュラシック・ワールドがあったイスラ・ヌブラル島が噴火で壊滅し、救出された恐竜たちは逃げ出して世界各地で繁殖するようになってしまった。ジュラシック・ワールドの元恐竜監視員のオーウェン・グレイディと同ワールドの管理者であったクレア・ディアリングは、パークの創設者ロックウッドの孫娘(実はロックウッドの死亡した娘のクローン)メイジーを守りながら、シエラネバダ山脈の人里離れた山小屋で暮らしていた。



 ある日、オーウェンは子連れのヴェロキラプトルのブルーと再会。しかし、その子供とメイジーが何者かに誘拐され、オーウェンはクレアと共に救出に向かう。一方、恐竜の研究を総合的に引き受けている巨大バイオテクノロジー企業のバイオシンに関する醜聞を追うエリー・サトラー博士は、旧友のアラン・グラント博士の協力を得て、同社の研究所に乗り込む。そこにすでに勤務していたイアン・マルコム博士は2人に手を貸すが、バイオシン社のCEOであるルイス・ドジスンは、それを妨害する。

 オーウェンが設立を目指している恐竜保護区が、とても恐竜の生存に適しているとは言えないエリアだったり、彼が恐竜を捕獲するシーンも違和感満載だ。バイオシン社の目的(悪だくみ)は“誰でも考え付くようなレベル”でしかない。そもそも、途中で一時的にクリーチャーの“主役”が恐竜からバイオシン社謹製の巨大イナゴに置き換わるという筋書きも、完全に無理筋である。

 しかしながら、少なくない欠点があることを承知の上で本作を認めたい。それは、恐竜をあえて“脇役”に据え、生身の人間中心のアクション編に徹しているからだ。恐竜の造形などは前作までにアイデアが出尽くしていて、今さら重要視しても第一作(93年)のインパクトには及ばない。その意味で、この割り切り方は賢明だ。



 世界を股にかけて(?)飛び回るオーウェンとクレア、そして謎の研究所に潜入するエリーとアランの描き方は、まるでジェームズ・ボンド映画のノリだ。特にマルタ島でのチェイス・シーンはかなり盛り上がる。クライマックスの大炎上も、007シリーズでよく見かけるバターンだ。ラストはSDGsを意識したと思われる処置だが(笑)、これで良いと思う。

 コリン・トレボロウの演出は突出したものは感じられないが、147分という尺を退屈させずに乗り切っている。キャスト面で嬉しいのは、前回から引き続き登板のクリス・プラットとブライス・ダラス・ハワードをはじめ、ローラ・ダーン、ジェフ・ゴールドブラム、サム・ニール、B・D・ウォンと、今までのシリーズの出演陣がカーテンコールのように顔を揃えていること。最終作に相応しい扱いだ。ディワンダ・ワイズにマムドゥ・アチー、イザベラ・サーモン、キャンベル・スコット等の他の面子も悪くない。
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「アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台」

2022-09-04 06:50:57 | 映画の感想(か行)
 (原題:UN TRIOMPHE )題材は面白そうなのだが、困ったことに似たようなネタを採用した作品にヴィットリオ&パオロ・タヴィアーニ兄弟監督による「塀の中のジュリアス・シーザー」(2012年)という突出した前例があり、それに比べれば本作はかなり見劣りがする。実話という条件を勘案しても、ヴォルテージの低さは否めない。

 主人公エチエンヌはベテランの俳優だが、風采が上がらず未だに大きな仕事を任せられたことは無い。そんな彼に、刑務所の囚人たちを対象とした演劇の指南役を依頼される。刑務所側としては知識豊富だがギャラは安くて済む彼の起用は好都合だったのだが、そんな境遇にもめげずエチエンヌは情熱的にミッションを遂行しようとする。



 彼はサミュエル・ベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」を演目に選び、日々囚人たちを指導するのだが、その努力が実り彼らの舞台は評判を呼び再演を重ねることになる。そしてついにはパリ・オデオン座から公演依頼が届く。スウェーデンの俳優ヤン・ジョンソンの実体験を元にしたシャシンだ。

 最大の不満点が、囚人たちがどうして演劇に興味を持ったのか、それが描けていないことだ。ここに出て来る囚人たちは、どう見ても演劇に興味を持つような教養を持ち合わせてはいない。単なる犯罪者だ。それが本職の俳優が指導したぐらいで演技に目覚めるものなのか、甚だ疑問である。前述の「塀の中のジュリアス・シーザー」では、生まれて初めて真の芸術に触れた囚人たちのカルチャー・ショックとそれに向き合う姿勢を鮮明に描出していたが、本作にはそのような興趣は無い。

 では何があるのかというと、エチエンヌの身の上話である。うだつの上がらない自身の役者人生と、家族に対する複雑な思いなどが切々と語られる。しかし、それが面白いかと言われると、賛同できない。冴えないオッサンの独白よりも、囚人たちを物語の真ん中に置く方が、数段興味を惹かれる展開が期待される。ラストの処理は事実に基づいているのだろうが、見ようによっては“結局、何だったんだ”というような気勢の上がらない感想しか持てなくなる。

 エマニュエル・クールコルの演出は可も無く不可も無し。少なくとも、タヴィアーニ兄弟のような才気は望むべくもない。主演のカド・メラッドをはじめ、ダビッド・アヤラにラミネ・シソコ、ソフィアン・カーム、ピエール・ロッタンなどのキャストはキャラクターとして弱い。ニーナ・シモンによる主題歌だけは良かった。
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「長崎の郵便配達」

2022-09-03 06:55:31 | 映画の感想(な行)
 肌触りの良い映画で、反戦平和のメッセージも頷けるのだが、困ったことに(?)私が本作を観て一番印象に残ったのは長崎の町並みである。前にも書いたが、私は福岡県出身ながら子供の頃から転勤族だった親に連れられて各地を転々としている。長崎市は幼少時に3年あまりを過ごしたが、とても思い出深い地だ。坂の多い港町で、異国情緒があふれていることはよく知られているが、個人的には大らかで開放的な地域性が気に入っていた。特に、古くから異文化との交流が盛んなせいか、排他的な風潮がほとんど無いのが有り難かった。

 この映画は「ローマの休日」のモデルになったと言われるイギリスのタウンゼンド大佐と、長崎で被ばくした少年との交流を中心的なモチーフに設定し、大佐の娘で女優のイザベル・タウンゼンドが家族と一緒に2018年に長崎を訪れ、父親の著書とボイスメモを頼りに父とその少年との思いを追体験するという筋書きで進む。



 監督はドキュメンタリー作品には定評のある川瀬美香で、戦争の惨禍をリアルに強調するような描写は控え、タウンゼンド大佐と少年との関係性を丹念に追っているのは好感が持てる。そして大佐と娘イザベルとの確執を追い込むような方向には作劇を振らせない。イザベルの家族の描き方もあっさりしたものだ。しかしながら、彼女が父親の思慮深い別の面を発見したり、戦時中の出来事を題材にした演劇の監修を引き受けたりと、ドラマとして盛り上がる箇所も網羅されている。

 映し出される長崎の風景はどれも味わい深いが、個人的には昔私が住んでいた地域が出てきたのには感激した。周りの建造物はあれからほとんど建て替わっているが、“そういえば、この道をこう行けばあの通りに出るんだった”とか“この路地を曲がればクラスメートの家に行き着いたものだ”とかいった思い出がよみがえり、何とも甘酸っぱい気分に浸ることが出来た。音楽は橋口亮輔監督の「ぐるりのこと。」(2008年)などで知られる明星/Akeboshiが担当しており、ここでも流麗なスコアを提供している。
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「フォクシー・レディ」

2022-09-02 06:25:51 | 映画の感想(は行)
 (原題:FOXES )80年作品。ハッキリ言って映画の質としては大したことはないのだが、興味深いキャスティングとスタイリッシュな映像で飽きさせずに最後まで見せてしまう。また、青春映画のスタイルが従来(70年代まで)とは変わっていく様態を目撃できるだけでも、観る価値はあるかもしれない。

 南カリフォルニアのサンフェルナンド・バレーに住む16歳のジーニーは、同世代のアニー、マッジ、ディアドルといつも行動を共にしていた。一見屈託無く毎日を過ごしている4人だが、実はそれぞれ家族と折り合いが付かず悩んでおり、家を出て皆で一緒に暮らしたいと思っていた。アニーは重度の麻薬中毒に陥っており、警察官である彼女の父親はアニーを入院させようとする。しかし、彼女は逃亡。ジーニーたちはアニーの行方を探し回り、不良どもと一緒にいた彼女を何とか救出する。だがチンピラグループとの軋轢は続き、パーティ会場での大乱闘に発展してしまう。



 それまでの登場人物を至近距離で捉えたような若者映画とは違い、ストーリーがハードな割には描き方は突き放したようにクールである。一応ジーニーが主人公なのだが、狂言回しの役目しか担っていない。監督はこれがデビュー作であったエイドリアン・ラインで、後に「フラッシュダンス」(83年)や「危険な情事」(87年)などでブレイクを果たす彼も、この頃の演出はぎこちない。登場人物たちから距離を取ろうと腐心しているせいか、盛り上がりに欠けて平板な印象を受ける。ジェラルド・エアーズによる脚本も上等とは言えず、特にアニーの扱いはもう少し工夫した方が良いと思った。

 とはいえ、ライン監督の持ち味である垢抜けた映像表現はここでも印象的で、透き通るように美しい映像と、絶妙な各キャラクターの身のこなしには見入ってしまった。撮影監督のレオン・ビジューとマイケル・セレシンの腕は確かである。ジーニーに扮しているのはジョディ・フォスターで、当時はまだ十代だったが、出てくるだけで絵になる存在感はさすがだ。

 アニー役には「ザ・ランナウェイズ」のヴォーカルだったシェリー・カーリーが担当し、ロックスターのやさぐれた生き方を投影しているようで面白い。サリー・ケラーマンやランディ・クエイドの演技も良いが、この頃は無名だったローラ・ダーンが顔を見せているのも要チェックだ。なお音楽はジョルジオ・モロダーで、さすがの小洒落たサウンドを提供している。
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