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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

祝! ブログ開設10周年。\(^o^)/

2015-11-17 06:25:55 | その他
 このブログを始めたのが2005年の11月17日。早いもので、あれから本日で10年経ったことになる。自分でもこれだけ長期間続くとは思っていなかったが、日頃の努力というよりも惰性で続けてきたことが大きいのであろう。

 開設当初の“読者”の数は十数名。当然のことながら全員身内だった(笑)。それが3年足らずで百人を超え、今では数百人になっている。もっとも、数年前から増えてはいない。これは私が他の関連ブログにトラックバック攻勢をかけたり、ヨソの掲示板で露骨な“宣伝”などをしていないためだろう。元よりズボラな性格のせいもあるが、案外この程度の“読者”数で丁度良いのではと、勝手に納得している(爆)。

 それにしても、ブログを始めたときには私は“おっさん”の年代であったが、今でも“おっさん”である。具体的に何歳までが“おっさん”と呼ばれるのかというと、何かの本に“65歳まで”と書かれてあった(65歳を超えると“ジジイ”になるらしい)。その年齢に達するのはまだまだ先の話なので、当分“おっさん”のままでいられるようだ(苦笑)。

 映画の感想文としては新作はもちろん、過去に観た旧作もカバーしているが、私は無駄に映画鑑賞歴が長いので、ネタには困らない。ただし、年々感想文を仕上げるのが億劫になりつつあるので、ある日を境に“ただの日記帳ブログ”になるかもしれない(^^;)。

 それでは、今後ともどうかよろしくお願いします。->ALL。
コメント (4)
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「新宿純愛物語」

2015-11-16 06:58:22 | 映画の感想(さ行)
 87年東映作品。これを観た時は、後世にカルト映画として語り継がれるかもしれないと思ったものだ。決して出来の良い映画ではない。それどころかドラマツルギーもへったくれもない無茶苦茶な作りで、監督もキャストもヤケクソになったとしか思えない惨状だ。しかしながら、何とも言えない高揚感と吸引力がある。こんな企画が罷り通ったのも、80年代という時代性を感じさせる。

 17歳のマリは友人のユミと一緒に学校をサボって、新宿のペット美容室に愛猫チャコを連れて行く。そこでマリは文麿というヤバそうな若造と知り合う。3人で食事をしようとレストランに入るが、マリは財布を紛失。すると文麿はレストランの支配人に殴る蹴るの暴行をはたらき、そのままマリを連れて逃走する。



 その途中で刑事二人組と遭遇するが、マリにちょっかいを出そうとした刑事をシバしいてしまい、警察に追われる身になる。資金を調達するために入ったサラ金は暴力団経営のヤミ金融で、そこで文麿と組員達との大立ち回りが勃発。こうしてヤクザにも追われるようになった文麿だが、なぜか拳銃とナイフを手にすることが出来、刺客集団を蹴散らしながらマリとの逃避行を続ける。

 レストランでのトラブルから、アッという間に騒ぎが幾何級数的に大きくなり、ついには新宿を舞台に大掛かりな“市街戦”が展開する。ストーリー運びに何の合理的な説明も無く、やたら暴力を振るう主人公は中身がカラッポで、ヤクザも警察も立場を考えずに暴れ回るばかり。何かの冗談ではないかと思うほどの非日常的な出来事の連続は、しかし全てを放り投げてしまったようなカタルシスがある。人を食ったラストも(良い意味での)脱力感が横溢している。こんな映画もあっていいのではないか。

 那須博之の演出はどこか具合が悪かったのではないかと心配するほど、過度の“前のめり”に徹している(笑)。主演の仲村トオルも引きつった顔で有り得ない場面展開をこなしており、五十嵐いづみや松井哲也、大地康雄、安岡力也、阿藤快、江夏豊といった意味も無く多彩なキャストが場を盛り上げる。ヒロイン役の一条寺美奈は凄く可愛いが、このあとすぐに引退してしまったのが残念だ。
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「ヴィジット」

2015-11-15 06:32:25 | 映画の感想(あ行)

 (原題:THE VISIT )内容云々よりも、どうしてこの監督(M・ナイト・シャマラン)が十数年間にも渡ってハリウッドの第一線で仕事が出来るのか、そっちの方が興味がある。よほど強力なコネでも持っているのか。あるいはお偉い連中の何か“弱み”でも握っているのか。そういう裏の事情の存在を疑わないと、到底承伏出来るようなものではない。

 母親がバカンスに出掛けている間に、休暇を利用して祖父母のいるペンシルバニア州の田舎町メイソンビルへと赴いたベッカとタイラーの中学生の姉弟。実は母親は家を出て一度も帰省しておらず、もちろんこの二人も祖父母とは初対面だ。祖父は優しく、祖母は料理上手で、姉弟にとって楽しい一週間になるはずだった。しかし、なぜか“夜9時半以降は部屋から絶対に出ないこと”を約束させられてしまう。そうは言っても、禁じられると実行したくなるのが人情。2人が絶対に開けてはいけないと言われた部屋のドアを開けてしまうと、そこで異様な光景を目撃する。

 主人公の姉弟がビデオカメラを持参していて、自分たちの映像作品を作成するという設定になっている。要するにPOV形式のホラー編だ。一時期さんざん流行って今では手垢にまみれた感のある手法を、今ごろ得意満面で採用していること自体がまず痛々しい。

 祖父母はどうやら認知症気味で、その常軌を逸した行動をカメラは映し出すのだが、いくらアブナい言動を見せつけられてもベッカとタイラーは家から逃げ出さないばかりか警察にも駆け込まないし、近所の大人に助けを求めることもしない。愚直なまでに“一週間の滞在”という当初の予定を守っている。

 ベッカには鏡恐怖症があり、タイラーは度を超した潔癖症なのだが、それがドラマに上手く絡んでこないという芸の無さ。相手が体力で劣る年寄りなのだから、いくらこちらが中学生とはいえ、マトモにやり合えば負ける気はしないのだが、その機会を与えられても実行しないというのだから呆れる。

 ホラー演出もすべて空振りで、ちっとも怖くない。この監督は“観客を本当に怖がらせること”と、“(大きな音を立てたりして)驚かすこと”との見分けがつかないらしい。だいたい、子供達を15年間も音信不通だった祖父母に軽い気持ちで預けるという母親の愚かさには脱力する。まずは自分が両親に会って話を付ける方が先だろう。そんな体たらくだからダンナに逃げられるのだ・・・・と文句の一つも言いたくなる。

 キャスリン・ハーンやディアナ・デュナガン、ピーター・マクロビー、オリビア・デヨングとかいったキャストも馴染みがなく、それ以前に大して魅力も無い。それにしても、エンドクレジットで披露されるタイラーのラップには失笑した。結局この騒動は何だったのだろうか(爆)。シャマラン監督はもう映画を撮らないでよろしい。
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国東半島に行ってきた。

2015-11-14 06:40:59 | その他
 先日、大分県の国東半島に行ってきた。私は若い頃に一度訪れたことがあるが、その時は海岸沿いのコースを取って磯遊びに興じたものだ(笑)。今回は内陸部の寺を巡ってみた。なお、同行した嫁御は国東半島自体に行くのは初めてらしい。

 周防灘に丸く突き出した国東半島は、奈良時代から平安時代にかけて六郷満山と呼ばれる仏教文化が栄え、やたら寺が多い。今回はその中で3か所をチョイスした。まず足を運んだのは半島のほぼ中央の文殊山の山腹にある文殊仙寺である。何でも、日本三大文殊の一つで“3人寄れば文殊の知恵”の諺の発祥地らしい。



 とにかく本堂に達するまでの約300段の石段がキツく、しかも当日は雨上がりだったこともあって、よく滑る。何とか登り切ったところで、“知恵の水”として崇められている湧き水を飲み干し、やっと一息付いた。境内および付近の奇岩の風景が珍しく、耶馬渓になぞらえて文殊耶馬とも呼ばれているということだ。

 次に行ったのは、国東半島で一番高い両子山(標高721m)の中腹にある天台宗の名刹・両子寺だ。ここは大きな仁王像が目を引くが、それよりも本堂の周囲に植えられたカエデの紅葉が見事だった。まだ十分に色付いているとは言えなかったが、それでも目覚ましい美しさを見せつけていた。

 大きめの駐車場には各地からの観光バスが停まっており、観光客がひっきりなしに吐き出されてくる。境内には巡礼の参拝者も多かったが、ここは九州西国三十三箇所の札所でもあるという。



 最後は、平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれたという富貴寺である。ここの目玉は、九州最古の木造建築である阿弥陀堂だ。京都の平等院の鳳凰堂、岩手の中尊寺の金色堂と並ぶ日本三大阿弥陀堂に数えられていて、国宝にも指定されている。

 残念ながら内装のほとんどは長い年月によって剥落しているが、外観は立派なもので、荘厳ささえ醸し出している。内部には重要文化財である本尊の阿弥陀如来座像もあり、寺巡りが好きな者ならばチェックしておきたいスポットだ。

 あと、熊野磨崖仏や長安寺にも足を伸ばしたかったが、日帰りの旅だったので断念した。半島の付け根には杵築市という古い街並みが有名な観光地があるが、そこも併せて改めて足を向けたいエリアである。
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「バクマン。」

2015-11-13 06:23:28 | 映画の感想(は行)

 とても面白い。漫画家という、地味でスクリーンに映えそうもない題材を思い切ったスペクタクルに仕上げてしまう、その切り口と巧みなストーリーテリングに感服した。しかも、一時的にでも少年マンガに親しんだことのある観客ならば、確実にその琴線に触れるような仕掛けも用意されている。

 高校生の真城最高は絵は上手いが、それを活かした道に進もうなどとは夢にも思っていなかった。ある日、同じクラスの秀才・高木秋人から一緒に漫画家になろうと誘われる。文才はあるが絵心がまるで無い秋人は、作画を担当してくれる人材を探していたのだ。プロの漫画家だった叔父を過労で亡くしていた最高は、当初は秋人のオファーを断る。だが、憎からず思っていた声優志望のクラスメイト・亜豆美保と交わした約束をきっかけに、最高は漫画家を目指すことになる。

 どうせやるならば、最高の発行部数を誇る週刊少年ジャンプでの連載を実現させようと、最高と秋人は漫画作りに勤しむ。ジャンプ編集部の服部に才能を認められ、手塚賞の準入選も果たし、いよいよプロデビューしようとした矢先、同年代の天才漫画家・新妻エイジが2人の前に立ちはだかる。

 大場つぐみと小畑健による原作漫画は読んだことはないが、かなりの長編らしい。おそらくは漫画家の仕事ぶりを丹念に追っているであろう原作を大きく逸脱し、映画ではケレン味たっぷりの映像ギミックが仕掛けられている。これが意外にも功を奏しているのは、漫画家の内面で起きている葛藤を見事に表現しているからだ。

 もちろん観客のほとんどはプロの漫画家の製作現場なんか知らないが、表現者が作品を生み出していく過程とはこのようなものであることを納得させるだけの映像の喚起力がある。青春映画のルーティンもしっかりと守られていて、主人公達は苦労を重ねて成長する。そのプロセスにも無理がない。

 漫画が雑誌に掲載されるまでの過程も、いくぶん駆け足だがシッカリと説明されているのも嬉しい。監督の大根仁は前作「モテキ」でも賑やかなヴィジュアルで観客の目を引きつけたが、脚本の不備もあって後半は息切れしていた。ところか本作では演出に粘りが見られ、最後まで緩みが無い。

 主人公役の佐藤健と神木隆之介は健闘しており、演技にハマり込んでいる。エイジに扮した染谷将大はまさに怪演で、この俳優の実力を再確認した。ヒロイン役の小松菜奈は「渇き。」の頃とは打って変わって魅力的に撮られているし、山田孝之やリリー・フランキー、宮藤官九郎、桐谷健太ら脇の面子も万全だ。

 そして、この映画の一つのハイライトがエンド・クレジットであろう。少年ジャンプの単行本の背表紙にスタッフ名が書かれているという、少年マンガ好きならば泣けてくるような仕掛けが施されている。サカナクションによるエンディング・テーマ曲も好調だ。
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「ワンダラーズ」

2015-11-09 06:25:13 | 映画の感想(わ行)
 (原題:The Wanderers )79年作品。この頃一時的に流行った“不良少年映画”(?)の一本で、出来としては大したことはないのだが、いくつか興味深い箇所がある。その意味では“観る価値は無し”と片付けたくはない。

 63年のニューヨークのブロンクス。若造どもはそれぞれの人種ごとにグループを作り、互いに張り合っていた。その中でもイタリア系の“ワンダラーズ”は、誰しも一目置く存在だった。リーダーのリッチーは17歳ながら頭が切れて統率力があり、しかも二枚目だ。ある日、メンバーのジョーイとターキーが全員坊主頭の狂的な集団“フォルダム・ボルディーズ”に絡まれてピンチに陥ってしまう。絶体絶命の危機から二人を救ったのが、ペリーという大男だった。それがきっかけで、ペリーはワンダラーズの一員になる。



 ワンダラーズの面々は学校でも黒人グループと対立。あわや流血騒ぎになるところを、リッチーはギャングのボスに取りなしてくれるように依頼し、ケンカの代わりにフットボールの試合が行なわれることになったが、事はそう上手くは運ばなかった。

 監督は何本か秀作・快作を撮ったフィリップ・カウフマンだが、この映画での演出は平凡だ。キャラクターの描き方は奥行きが浅く、ドラマ展開もスムーズではない。活劇場面が優れているわけでもなく、各シークエンスは間延びしている。それでも観て損はないと思ったのは、まず当時のブロンクスの雰囲気が良く出ていたことだ。もちろんリアルタイムで知るはずもないが(笑)、たぶんこういう場所だったのだろうと納得させるだけのエクステリアを備えている。

 そして音楽の使い方の上手さ。お馴染みのディオンのヒット曲をはじめ、当時の楽曲が効果的に流れている。主演のケン・ウォールはなかなか良い面構えで、これ以後出演作が続くのだが、あるトラブルからキャリアが停滞してしまったのは残念である。ヒロイン役にカレン・アレンが出てくるが、この頃は初々しい。

 それにしても、後半にボルディーズの連中が海兵隊にスカウトされてしまうのには、何とも言えない気持ちになった。貧富の差が激しくなり、社会の底辺を這いつくばるしかない若造どもに用意されたのは兵役であったという不条理。これはいわば“経済的徴兵制”ではないだろうか。今も彼の国では似たような状況だろうし、この日本にもその構図は現出しようとしている。現政権の掲げる“一億総活躍社会”とは、ある意味これなのかもしれない。
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「キングスマン」

2015-11-08 07:01:46 | 映画の感想(か行)

 (原題:KINGSMAN:THE SECRET SERVICE )さすがマシュー・ヴォーン監督。期待を裏切らない出来映えである。しかも、米英の“王道”のスパイ映画大作が公開される時期に、極端な“変化球”を放って存在感を見せつけるという気合の入り具合には感服するしかない。今年度屈指の活劇編である。

 ロンドンのサヴィル・ロウにある高級紳士服店“キングスマン”の実体は、どこの国にも属さない超エリートスパイ組織。古い歴史を誇り、国際社会のバランサーとして長らく機能していた。ある日、組織の一員が何者かに殺されてしまい、急遽人員を補充する必要性が生じる。凄腕エージェントのハリーは、かつて命を助けてもらった恩人の息子であるエグジーをキングスマンの候補生に抜擢。エグジーは厳しい選抜試験を乗り越えて、正式採用まであと一歩のところに漕ぎ着ける。

 その頃、世界的な科学者が次々と失踪する事件が発生。黒幕はアメリカのIT業界の大物ヴァレンタインで、彼は前代未聞の人類抹殺計画を企てていた。果たしてキングスマンはこの陰謀を阻止することが出来るのか。

 まず、世界の平和を守っているのが英国紳士だというのが面白い。彼らは高級スーツを身に纏い、常に沈着冷静でスマートに敵を撃破する。大仰な出で立ちや汗臭さとは無縁だ。しかしながら、意外性の塊であるエグジーを加入させることによる組織の活性化も忘れてはいない。おそらくはそのようなやり方で長年維持されてきたのであろう。

 対するヴァレンタインは“英国人から見た(お下品な)アメリカの成金”というスタイルを踏襲しているのが面白い。モデルは明らかに“あの人物”だが(笑)、その遣り口は歴史と伝統から離れたところで建国されたアメリカの象徴として設定されている。

 コリン・ファース扮するハリーの造形は素晴らしい。ジェントルマンらしい立ち振る舞いで、エゲツないことを平気でやり、しかもそれが全てサマになっている。キレの良いアクションも披露して、ファースとしても役の幅を広げたと言えよう。エグジー役の新鋭タロン・エガートンも健闘している。ヤンチャな若造が紳士として成長していく過程を、無理なく表現。ルックスも良いので人気が出るはずだ。

 敵役をサミュエル・L・ジャクソンが楽しそうに演じ、キングスマンの首領として登場するマイケル・ケインも貫禄を見せる。また、義足に刃物を仕込んだ女殺し屋に扮したソフィア・ブテラは儲け役。本家の007からオファーが来そうなキャラクターだ。

 活劇場面のアイデアは以前ヴォーン監督が手掛けた「キック・アス」よりも豊富で、先の読めない展開に手に汗を握らされる。そしてクライマックスの“大爆発”には思わず吹き出した(これはすでに石井輝男監督の境地に足を踏み込んでいる)。当然のことながら続編の製作が決定。次はどういう手を使ってくるのか、実に楽しみだ。
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北九州市のオーディオフェアのリポート。

2015-11-07 06:36:00 | プア・オーディオへの招待
 去る11月1日から3日にかけて北九州市小倉北区にあるAIMビルにおいて開催された、第29回オーディオ&ヴィジュアル展示即売会に行ってきた。とはいえ足を運べたのは1日だけであり、試聴出来た機器の数は大したことはないのだが、とりあえず印象に残った点だけリポートしたい。

 まず特筆すべきは、3月に福岡市で開催されたフェアでも目立っていた“アナログ回帰”が今回のイベントではますます顕著になり、試聴にレコードが使われるケースが実に多くなったことだ。会場では計28台ものアナログプレーヤーが展示・実装され、対照的にCDプレーヤーの出番は少なくなっている。



 さらに地元ラジオのDJであるTOGGY(トギー)を司会に迎えてのレコード鑑賞会まで催されていた。3月のフェアでも彼は呼ばれていたが、前回はハイレゾ音源の特集で今回はアナログと、トレンドに乗っかろうという主催者側の思惑が透けて見えるようである(笑)。

 しかしながら、会場に詰めかけたのは年配者ばかりだというのは、何となく気勢を削がれる感じがする。せっかく若い世代も興味を持ち始めたアナログをもっと幅広く紹介すべく、それなりの段取りを整えるべきだろう。そういえば同じビル内で大学生対象のシンポジウムが行われていたが、そちらの参加者をこちらに引っ張ってくるほどのアピール度を望みたいところだ。



 TOGGYのコメントで面白かったのは“これから中古レコードが数多く市場に出回ってくる可能性があります。なぜなら、御高齢のレコード収集家の皆さんがどんどん亡くなられるからです”というくだりだ。まことに失礼ながら、笑ってしまった。そうなのだ。最近では新譜もけっこうリリースされているようだが、持ち主がいなくなったレコードも、これからは市販ソフトの主要な供給元になる。半ば皮肉な話だが“アナログには興味があるが、ソフトの数が足りない”というユーザーの悩みは次第に解消されてゆくのだろう。

 展示されていたレコードプレーヤーの中で興味深かったのは、Pear Audio社のKID THOMASという機種である。80万円もするので一般ピープル向けではないが、何とスロベニアのメーカーらしい。東欧はオーディオ業界にとって縁が無いと思われていた地域だが、その中でも地道に製品を提供し続けているメーカーがあるようだ。



 今回出品されていたスピーカーの中で最も注目を浴びていたのが、英国B&W社の新しい800シリーズである。ユニットの材質が変更になり、正直言って前のデザインの方が良かったとは思うが、チラッと聴いただけでもその高いパフォーマンスが垣間見える。ただし、価格は上昇。庶民にとってますます縁遠い存在になりつつある。

 値の張る製品ばかりの展示の中で、比較的低価格で楽しい音を出してくれるスピーカーがあった。AIR TIGHTのAL-05だ。ユニットは10センチのフルレンジのみだが、レンジ感や音像の堅牢さは申し分ない。値段は10万円台半ばで、質の良いコンパクト型スピーカーを探しているユーザーにとっては有力候補と成り得るだろう。

 関係ない話だが、某ブースで折りたたみ傘を粗品として配っていた。ちょうど夕刻から雨模様になり、帰宅時にさっそくブランドのロゴが入ったその傘を使わせてもらった。こういう施策は、実にありがたい(^^)。
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「さよなら、人類」

2015-11-06 06:23:08 | 映画の感想(さ行)

 (原題:En duva satt pa en gren och funderade pa tillvaron)少しも面白くない映画である。聞けば第71回のヴェネツィア国際映画祭で大賞を獲得したらしいが、有名アワードを取った作品が必ずしも良い映画ではないことを、今回も痛感することになってしまった(←こんなこと何度も書いている気もするが ^^;)。

 中年セールスマンのサム(ニルス・ウェストブロム)とヨナタン(ホルガー・アンダーソン)は、パーティグッズを売って国中を歩き回っている。どう考えても売れるはずのない商品で、いつまで経ってもうだつの上がらない二人だが、行く先々でいろいろと変わったことに遭遇する。レストランの中がいつの間にか戦時中にタイムスリップしたり、立ち寄った店には18世紀のスウェーデン国王・カール12世率いる軍隊がやってくる。それでも冴えない二人の旅は続く。

 監督はスウェーデンの奇才と呼ばれるロイ・アンダーソンだが、私は彼の作品を観るのは初めて。なるほど、異能と言われるだけあって作風はかなりユニークだ。寒々とした画面の中に、過度にカリカチュアライズされた登場人物達が無愛想に寸劇みたいなものを演じるエピソードが脈絡無く積み重ねられている。しかも、その中には大元のストーリーとは関係の無いものも散見される。

 全部で39のパートに分かれているが、いずれもワンカットで撮られていて、しかもカメラはほとんど動かずクローズアップも無い。まあ、別にこのようなスタイルを採用してはイケナイとは言わないが、それが映画としての興趣にまったく貢献していないのだから呆れる。

 意味が分からず、ちっとも笑えず、まともなメッセージも無く、大向こうを唸らせるような映像的喚起力もないシークエンスの積み重ねでは、1時間40分の上映時間が途轍もなく長く感じられるばかりだ。映画が始まってから早々にイビキをかいている者も少なからずいたようだが(笑)、それも当然だろう。しかも、こんなシロモノを撮るのに4年もの時間を費やしているというのだから呆れる。

 絶賛している評も少なからずあるが、どれも“どこが面白いのか”について具体的に語っていないように思える。奇を衒った映画のエクステリアだけを見て勝手に盛り上がっているだけのようだ。シュールな作品を持ち上げて何某かインテリになったような気分が味わいたい層に相応しい映画だと言えそうである。
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「インテリア」

2015-11-02 06:22:27 | 映画の感想(あ行)
 (原題:Interiors )78年作品。ウディ・アレン作品としては自身が出演していない初のシリアス・ドラマで、しかも成功作「アニー・ホール」の次に撮った映画ということから、一般ウケは良くなかった。中には“ベルイマンのモノマネに過ぎない”という評もあったほどだ。しかし、出来としては確実に水準を超えており、もちろんベルイマン作品とも全然違う。アレンのこの時期の代表作ともいえる。

 ニューヨークの山の手であるロングアイランドに瀟洒な家を構える実業家アーサーは、妻イヴとの結婚30周年を迎えていた。3人の娘はすでに独立していて、これから夫婦だけの悠々自適な生活が待っていたはずだが、ある日彼は娘たちの前で“離婚したい”と告げる。実はスノッブでプライドの高すぎるイヴに辟易していたのだ。



 彼女が出て行った後、アーサーはパールという新しい女を連れて来る。イヴとは正反対のくだけた性格の彼女に娘たちの配偶者連中は好感を覚えるが、三姉妹はその俗物ぶりに嫌悪感を隠さない。やがてイヴの自殺未遂騒ぎをきっかけに、一家は思わぬ事態に向き合うことになる。

 アレンの映画には大抵インテリぶって講釈ばかり垂れる人物が出てくるが、本作ではそのキャラクターが一家全体に横溢している。正確にはイヴこそがその雰囲気を醸し出している張本人であり、アーサーは尻に敷かれてばかりで、娘たちは母親の影響下にあるのだが、それらがまとめてドラスティックな現実の前に価値観の転換を余儀なくされるという構図は、普段のアレン映画と一緒だ。

 しかしながら描き方次第で他の作品のような喜劇になることもあれば、本作のように重厚なドラマに成り得るという、いつもながらアレンの提示する図式のフレキシビリティには感心する。

 3人の娘はそれぞれの分野で腕を振るっているように見えて、本当はすべて三流だ。それでも母親から受け継いだプライドによって現実を直視出来ない。この寒々とした状況を打破するのが、ハイ・ブロウな生き方とは縁の無さそうなパールである。彼女の出現によって、無機的だった彼らの人生にうっすらと色が付いてくることを暗示させる終盤の扱いは、作者のポジティヴな姿勢が窺われて心地良い。

 アーサーを演じるE・G・マーシャルとイヴに扮するジェラルディン・ペイジ、そしてパール役のモーリン・スティプルトン、いずれも力のこもった演技だ。ダイアン・キートン、メアリー・ベス・ハード、クリスティン・グリフィスの三姉妹も実に芸達者である。ゴードン・ウィリスのカメラによる静謐な映像、隅々まで磨き抜かれた見事な画面構成にも感服する。
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