元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ナイトクローラー」

2015-11-01 06:48:44 | 映画の感想(な行)

 (原題:Nightcrawler)これは面白い。かなりインモラルな内容ながら、最後まで観客を引っ張っていく強い求心力がある。このような外道な筋書きをアカデミー賞の脚本賞候補にまで押し上げてしまう彼の国の“(映画を取り巻く)環境”というものには、改めて一目を置かざるを得ない。

 ロスアンジェルスの裏町でケチなコソ泥稼業に身をやつしているルイスは、ある日交通事故の現場でカメラを回す奇妙な男を見つける。その男は事故のエゲツない映像を撮ってマスコミに売りつけるパパラッチだった。それがけっこうなカネになると知ったルイスは、早速自分でもやってみることにする。そうすると意外にその方面の“才能”があることが分かり、助手を雇って本格的に“事業”に乗り出し、地元のテレビ局にも食い込むようになる。やがて彼の行動はエスカレート。事実を無視した演出も平気でおこない、やがて重大な事件にも関与するようになる。

 シドニー・ルメット監督の「ネットワーク」や滝田洋二郎監督の「コミック雑誌なんかいらない!」など、マスコミの狂態を糾弾した映画は多々あるが、本作はそれに荷担する者の立場から描いている点が目新しい。つまり、無軌道なマスコミの実態に“適性”を持った人間というのはどういう者なのかを突き詰めると同時に、そんな状況を演出した世相をも撃つという、かなり野心的なスタンスを示しているのだ。

 主人公ルイスの“生態”が実に興味深い。彼には家族はもちろん、友人も知人もいない。住む部屋の中には一冊の本も見当たらない。ただ、情報をネットから入手することだけは熱心である。言うまでもなく、ネット上には人間性や体系的な知識なんてものは存在しない。あるのは断片的なデータだけだ。人間関係や教養から無縁の場所に置かれると、およそ人間味というものを感じさせないルイスみたいな者が出来上がる。

 ならばそれは社会にとって無益な存在かというと、そうではないのだ。常識や感情を捨て去って物事を損得勘定でしか見られない人間というのは、実は今の世の中をうまく渡れるようになっている。視聴率至上主義のテレビ局はもちろん、実業界では取引先や従業員を“物”扱いして平気で切り捨てられる“能力”こそが求められているのだ。

 ルイスにとって権利を主張し始める助手や、泣き言ばかり並べる事件の被害者、そして同業他社なんてのは邪魔な存在でしかない。自身の利益のために容赦なくこれらを潰してこそ、成功への道が開かれると言わんばかりだ。これでデビュー作になるダン・ギルロイの演出は終盤まで緩みが見られず、足腰の強さが印象付けられる。

 そして主演のジェイク・ギレンホールのパフォーマンスは驚くべきものだ。痩せて貧相だが、目だけは獲物を追う野獣のようにギラギラとしている。ワザとらしいとも言える造形ながら、卓越した演技力で観る者をねじ伏せてしまう。テレビ局の女プロデューサーを演じるレネ・ルッソの屈折演技も相当なものだ。アクションやサスペンスも満載で、これは観る価値は十分あるピカレスク・ロマンである。
コメント
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