元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー3」

2014-03-16 06:20:07 | 映画の感想(た行)
 (原題:倩女幽魂III 道、道、道)91年香港作品。当時の人気シリーズの第3弾だが、パート2の続編ではなく、パート1の再映画化という印象が強い。舞台はパート1から百年後、舌の長い妖怪の封印が解け、古寺に訪れた人々を次々と襲う。妖怪の手下として働くのが、成仏できない女の幽霊たちで、その一人が寺に泊まった若い僧侶を好きになってしまったところから、妖怪と人間たちの大々的バトルに発展する。

 パート2で人間役だったジョイ・ウォンが幽霊役に復帰(というのもおかしいけど)。今回は三人姉妹の一人という設定だが、やっぱり彼女の人間離れした妖艶さは超現実的な役の方が似合う。ただ、パート1よりは少々下世話でひょうきんになったところがおかしい。前作までの相手役レスリー・チャンは出ていないが、トニー・レオンが純情な青年を好演している。



 さて、このシリーズの目玉である特殊効果は好調。香港映画の専売特許となった感があるワイヤー・アクションがほとんどの場面で導入され、おなじみのクンフー、さらにCGも取り入れ、賑々しい幻想世界が展開している。人間を人間とも思わず、完全にSFXの素材の一つとして酷使しまくるという香港アクション映画の俳優に対する割り切った考え方(これはホメているのだ)が実によくあらわれている一篇だ。

 さらに、全篇を彩る独特の美意識がアクション一辺倒の作品群とは一線を画している。ブルーがかった夜の場面で登場人物たちがふわっふわっと飛び回る様子は本当にきれいだし、古寺に迷い込んだ男たちをプールの中に誘い込む女幽霊の薄い着衣がひらひらと風になびくシーンは美しい。濃厚なラヴ・シーン(女幽霊が主人公の口に舌を挿入してのディープ・キスのエロティックさは、裸体を見せないにもかかわらずそこらへんのAVをはるかに上回る)も用意されており、作者のサービス精神は旺盛である。

 衝撃度では第一作に負けるが、これはこれで楽しめる作品だ。製作のツイ・ハーク、監督のチン・シュウタンらの才能にいつもながら感心してしまう。
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「エージェント:ライアン」

2014-03-15 06:33:50 | 映画の感想(あ行)

 (原題:JACK RYAN:SHADOW RECRUIT)つまらない出来。観なくても良い映画だ。トム・クランシー原作の人気キャラクター、ジャック・ライアンの若い頃を描く本作はキレもコクもない展開に終始し、(たぶん作られるであろう)次回作もチェックしようという気には全くならない。

 ウォール街で働くジャック・ライアンは、かつて中東に従軍した際に大ケガをして除隊、今ではCIAの分析官として金融マンを装いながら各国の経済情報の収集を担当している。ある日彼は、上官のハーパーからロシアの投資会社チェレヴィン・グループの不審な動きを監視せよとの業務命令を受ける。モスクワに出向いたライアン待っていたものは、殺し屋の襲撃であった。何とか難を逃れるが、やがて彼は世界中を巻き込む経済テロの陰謀に対峙することになる。

 そもそも彼はエージェントとしてCIAに入ったわけではなく、ただの事務官だ。それがどうしていきなり剣呑な世界に放り込まれるのか、さっぱり分からない。訓練も積んでいないはずの彼はなぜか次々と危機を突破するが、その理由が“海兵隊だったから”という安直なものであるのには失笑してしまう。

 ロシアの連中は徹頭徹尾悪で、アメリカとしてはそれに鉄槌を下すという設定も、いつの時代の話なのかと困惑するばかりだ。鳴り物入りで紹介される“国際的な陰謀”とやらは切迫感が希薄で、アクション場面にはさほど特色もなく、どこかの映画で観たようなモチーフばかり。

 ならばサスペンスは盛り上がるのかというと、これも段取りが上手くなく、シラケてしまう。ジェームズ・ボンド映画にはもちろん、マット・デイモン主演の「ジェイソン・ボーン」シリーズにも大きく水をあけられる体たらくだ。

 だいたいジャック・ライアンは、原作では順調に出世の階段を上っていく頭脳派エリートなのである。それをいくら映画オリジナルの脚本とはいえ、考えるよりも先に(あまりスマートではない)行動に移ってしまうキャラクターの造形は、いかがなものかと思う。

 主演のクリス・パインをはじめ、キーラ・ナイトレイ、ケヴィン・コスナーと多彩なキャストを配しているのに、個性を発揮するような見せ場もない。監督はケネス・ブラナーだが、前作「マイティ・ソー」を観ても分かるとおり、若い頃は輝いていた才能が(今のところ)枯れ果てているような印象だ。チェレヴィン役として出演もしているが、大した演技もしていない。この悪役のバックグラウンドを描き込むと少しは興味を持てる内容になったのかもしれないが、監督自身が演じるキャラクターも練り上げられないようでは話にならないだろう。
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「ワイアット・アープ」

2014-03-14 06:40:56 | 映画の感想(わ行)

 (原題:WYATTE ARP)94年作品。全然面白くない。ご存知“OK牧場の決闘事件”を扱った映画は「荒野の決闘」(46年)はじめ多数作られているが、今回は中心人物のワイアット・アープの伝記として仕上げられているのが目新しい。冒頭、ワイオミングの果てしない大地をシネスコの画面でとらえたショットは素晴らしい。少年の頃のワイアットと厳格な父親(ジーン・ハックマン)や南北戦争から帰還した兄たちとの触れ合いを描く導入部分は、大河ドラマの序章としては的確で、それからの展開に期待を持たせる。

 “血は水よりも濃い。他人は他人でしかない”“法は正義であり、それを破る者は容赦なく殺せ”というこの保守的かつ高圧的な父親の主張が、民衆を守る保安官という立場に微妙に影響して、ディレンマに悩むワイアットを描くとともに、何が正義で何が法かといった今日的なテーマを盛り込んでドラマティックに展開していくのだろうと思った。

 しかし、期待は裏切られる。最初の妻と死別したワイアットは、偏狭で自分勝手な野郎となる。保安官である自分の側近はすべて身内でかため、長年付き合った娼婦あがりの女をいとも簡単に捨てる。クラントン一家との抗争も実は住民にとってはどうでもよく、単にメンツをかけての意地の張り合いに終始する。

 ちっともワクワクしない“OK牧場の決闘”。やたら暗い撃ち合いの場面(アクション場面の段取りの悪さは目を覆うばかり)。無法者が釈放される法秩序の矛盾。身内以外は冷遇する主人公のエゴイズム。勝手に言い伝えられる、“ワイアット伝説”のウソ臭さ。やはりこれも「許されざる者」以後のウエスタンらしい。ただ、問題は作品自体の焦点がボケまくっている点である。雰囲気だけで全然主題が浮き上がってこない。

 監督はローレンス・カスダンだが、薄っぺらな愚作「シルバラード」(85年)を見てもわかる通り、この人の西部劇は中身がない。いくつかのテーマを散らつかせながらも、少しも観客に迫って来ないのは明かな力量不足。

 加えてケヴィン・コスナーという、その頃の大人気スター兼超大根役者を主演に据えているため、いったいこの主人公は何だったのかいよいよわからない(どうでもいいけど、G・ハックマンを除いて、西部劇らしいツラ構えをした俳優は一人もいない)。いつもの優柔不断を通り越して、これじゃ単なるバカではないか。少しは自分のキャラクターを観客にわからせる努力をしてみろと言いたい。デニス・クェード扮するドク・ホリデイも何しに出てきたのかわからない。

 そしてこれがなんとアナタ、上映時間が3時間11分だ。観終わって、くだらない映画に貴重な時間を取られた不快感だけが残った。観る価値なし。
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「ハロー!純一」

2014-03-10 06:35:05 | 映画の感想(は行)

 児童映画だが、そこは石井克人監督、しっかりと作家性を打ち出している。特に各キャラクターの濃さには感心。笑わせてシンミリさせて、最後にはホノボノとした気分に浸れる佳作だ。

 千葉県の田舎町に住む小学生の純一は、性格は内気ながら個性豊かな仲間たちに囲まれ、けっこう楽しい学校生活を送っている。そんなある日、彼らのクラスに教育実習生のアンナ先生がやって来る。派手な髪型にミニスカート、ピンヒールという場違いな格好で授業中も無駄話ばかり。しかも校舎の裏では煙草まで吹かす彼女に呆気にとられる純一たちだが、どこか憎めないキャラクターのアンナ先生に次第に懐いていく。

 一方、仲間の一人である倉本の父親はギャンブル狂いで家計は火の車。母親は何とか内職で食いつないでいるが、それも限界が近い。母親の誕生日に彼女を励まそうと、純一たちはあるイベントを決行するべく立ちあがる。

 冒頭、純一とその仲間たちが川辺で言い合いをする場面が描かれるが、クローズアップとロングショットを交互に切り替え、臨場感を出しているのは面白い。子供たちの自然体の演技も合わせて、子供向けの説明過多なドラマツルギーを廃している点は好感が持てる。

 純一は優等生女子の前田さんに片思い中で、彼女から借りた消しゴムを返すタイミングを掴めないまま悶々とする中、その消しゴムをアンナ先生に取られてしまうが、このサブ・プロットが最後まで活きている。そして純一の仲間である町田は大人に混じって役者の仕事をしており、やたらマセているのには笑わせてくれるが、イベントの当日に彼のCM録りがバッティングしてしまい、どう折り合いを付けるのかも興味深い。

 アンナ先生の元カレに関するエピソードも含め、イベントを実行するプロセスは型どおりで目新しさは無い分、こういった脇の話の面白さでストーリーを引っ張っていこうとするのは、悪くない手法である。

 子供たちは性格がハッキリと描き分けられているが、大人のキャストも万全だ。アンナ先生を演じるのは満島ひかりで、前作「夏の終り」とは打って変わったギャル系の出で立ちながら、かなり可愛く撮られている。担任のアチキタ先生に扮する森下能幸は、型破りな怪演で盛り上げてくれる。

 純一の祖父を演じているのが石井監督作ではお馴染みの我修院達也(若人あきら)で、今回の“変態度(?)”はそれほどでもないが、やっぱり一筋縄ではいかないクセ者ぶりを見せる。個人的には純一が家の前で良く出くわす、自転車に乗った黒人と若い女の二人連れ(マンスール&牧野愛)が妙に印象に残った(笑)。全登場人物が踊るエンドタイトルも楽しいが、エンディングテーマを歌っているのは満島自身で、金子修介監督の「プライド」以来の歌唱力を披露している。
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「苺とチョコレート」

2014-03-09 06:46:19 | 映画の感想(あ行)
 (原題:Presa Y Chocolate)93年作品。珍しいキューバの映画だ。国家元首だったカストロは映画マニアであり、大規模な映画の専門学校も設立しているし、首都ハバナは新ラテン・アメリカ映画祭の開催地でもある。こういった映画に対するバックアップがあるので、社会主義国の作品といってもガチガチの国威掲揚映画の連発はなく、多彩な題材を扱っているはず・・・・と思う(よく知らないけど ^^;)。この映画の素材はなんとゲイ。こんなテーマを堂々と扱えるということは、けっこう自由に映画人に撮らせているのではないだろうか。

 共産党員でもある大学生のダビドは恋人もいるが、イマイチ煮えきらない。優柔不断な態度を見せているうちに、彼女は他の男に取られてしまう。傷心のダビドが出会ったのが、インテリで人当たりもいい同性愛者のディエゴ。



 当初は“ナンパ”しようという下心見え見えのディエゴの態度に嫌悪感を覚えるが、紳士的で頭のいい彼に自分にないものを感じたダビドは、次第に彼とその仲間たちと打ち解けてくる。しかし、先鋭的な美術展を主催しようとしているディエゴを危険分子と見なす当局側は、ダビドに彼をスパイするように強要するのだが・・・・。

 公開当時に某雑誌で淀川長治が言ってたように、この映画は突っ込みが甘い。同性愛者の屈託、残酷さ、切実さが不足している。ダビドを裏切る恋人、ディエゴの友人で自殺願望があるナンシー、女の描き方も通りいっぺんだ。赤裸々なホモ場面もなく、そのテのマニア(どういうマニアだそれは)にも不満だろう。

 でも、けっこう私は好きな映画なのだ。それは、まっとうな青春映画のルーティンを誠実に守っているためである。主人公の二人はホモとノーマルだが、今回たまたまそうであっただけで、これは立場や主義信条のまるで違う世界にいる二人が、何とか理解し合い、真の友情が芽生えるという、明朗な青春ドラマのパターンと同じだ。リアリストからは反発くらう内容ではあっても、これはこれで面白いと思う。主演の二人は、ラテン系だから顔が濃いのは仕方がないけど、なかなか爽やかな好演で、特にディアゴを演じるホルヘ・ペルゴリアの存在感が光る。

 ラテン世界では苺は女らしさを象徴する食べ物、対してチョコレートは男らしさを表し、男が唯一人前で食べていいお菓子だという。監督は地元の映画界では名の知れたベテラン、トマス・グティエレス・アレア。各地の映画祭で好評を博した作品である。
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「スノーピアサー」

2014-03-08 06:33:31 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Snowpiercer )変な映画だ。原作はフランスのグラフィックノベルらしいが、こういうネタを取り上げたこと自体が、そもそも常軌を逸していると思う。どこでどう盛り上がれば良いのか分からないままエンドマークを迎え、映画として存在価値があるのか疑わしい。

 地球温暖化を阻止するために散布された薬剤の副作用により、世界中の気温が急降下。ついには全球凍結に至る。ほとんどの生命が失われたが、凍り付いた大地を一年掛けて世界一周する列車“スノーピアサー”に乗り込むことが出来た人々だけが、かろうじて生き残る。

 ところが列車内は完全な階級社会が成立しており、列車の前方は一握りの上流階級が支配し、昔と変わらない生活を送る一方、後方車両には貧しい人々がひしめき合っていた。そういう状態が17年も続いたが、下層階級のリーダーであるカーティスは義勇軍を募り、自由を求めて前方車両に向かって攻め込んでゆく。

 例によって、突っ込みどころが満載だ。この列車の動力は一体何なのか。保線部門も無しで列車を正常走行させられるのか。四六時中列車に揺られて、乗り物酔いしないのだろうか(笑)。だいたいどうして列車なのか。巨大な建物とか地下都市とか、そういうものじゃダメだったのか。とにかく、この題材で上映時間が2時間を超えちゃダメだろう。

 もちろん、それらの欠点をカバーしてしまえるほどストーリーが面白ければ文句は無いのだが、残念ながらそうではない。主人公達がいくら反乱を起こしても、しょせんは“列車の中の話”に過ぎないのだ。たとえ勝利を収めても、先が見えない状況には変わりない。それを知ってか終盤にはちゃぶ台をひっくり返したような展開が待っているが、それで何か解決するのかというと、まったくそうではないのだ。

 監督は韓国のポン・ジュノだが、彼の代表作と言われる「殺人の追憶」や「母なる証明」と同様、ここでも無理筋のプロットを積み上げた挙げ句にドラマが瓦解している。要となるはずのSFXの出来も、水準には達していない。

 ただし、キャストは多彩だ。カーティス役のクリス・エバンスは大したことはないが、ティルダ・スウィントンやオクタビア・スペンサー、ジェイミー・ベル、エド・ハリス、ジョン・ハートといった脇の顔ぶれが個性を発揮している。特に憎々しい悪役を賑やかに演じるスウィントンは儲け役だ。韓国映画界からはソン・ガンホが選出されているが、傍若無人のゴーマンさが光る。常人ならばとっくの昔に死んでいるような厄災に見舞われても、ケロリとしているのはアッパレかもしれない。なお、マルコ・ベルトラミの音楽は手堅い出来だ。
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「ウディ・アレンの重罪と軽罪」

2014-03-07 06:23:33 | 映画の感想(あ行)

 (原題:Crimes and Misdemeanors )89年作品。ウディ・アレンの監督作で彼自身が出演もしている。でもどちらかというと、彼はワキ役だ。これは主演者として画面のまん中にあの顔が出て来るのはイヤだけど、彼が出ていた方が話がコミカルになって良いという映画ファンの意見をうまく取り入れた賢い選択だと思う。

 映画は二つのストーリーが並行して描かれる。一つ目がマーティン・ランドー扮する高名な眼科医ジュダの話。もう一つがドキュメンタリー番組を作っているクリフという男のエピソードで、これがアレンが演じている。でも、どちらかというとジュダの話がメインだ。

 二人は一応面識があるんだけど、あまりストーリー的にからまない。ジュダは社会的名声はあるが、実は長い間妻以外の女とつき合っていて、その女が煮えきらない彼に対して嫌がらせを始め、さらに彼の弱みも握っているから別れるに別れられない。

 一方クリフは妻からとっくにアイソをつかされていて、離婚寸前。だけど彼は反省の色がなく、助手の女性(ミア・ファーロー)にちょっかいを出している。彼女は何とも思ってないのだが、クリフは彼女も自分が好きだと思い込んでいる。いかにもアレンのキャラクターにぴったりの自分中心型の人間だ(笑)。

 ジュダは悩んだ挙げ句に彼はヤクザな弟にそのことを打ち明ける。と、弟は殺し屋を雇ってさっさと女を始末してしまう。そこでジュダはショックを受ける。何しろ彼は熱心なユダヤ教徒で“神はいつも見ている”ということを信じているから、いつか天罰が下ると思って、それからはメシもノドに通らない毎日だ。

 クリフはイヤな性格の売れっ子プロデューサーを主役においたドキュメンタリー番組を作ることになるが、くだんの女性がそのプロデューサーに好意を持っていることを知って、トコトン主役をコケにしまくった番組を作って彼の評判を落とそうとするものの、結局彼女をそいつに取られてしまう。でもやっぱり自分の負けを認めない。

 終盤、クリフとジュダがパーティで出くわす場面がある。片や人を殺したものの、死ぬほど悩んだ男。片やケチな小細工をして彼女に逃げられても、全く反省の色がない男。この対比がなんとも言えずシビアだ。ここでタイトルの「重罪と軽罪」が効いてくる。罪深いことにかけては二人とも一緒なのだが、人間の持つ二面性をよく描けている。

 カメラワーク、色彩、言うことない。当時のアレンは脂が乗っていて、この作品をはじめ、面白く考えさせられる良質の作品をコンスタントに発表していた。しかも現在でも監督のヴォルテージはそれほど落ちていないことを考え合わせると、やはり不世出の作家であることを再認識する。
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「ハーフ」

2014-03-03 06:27:44 | 映画の感想(は行)

 とても興味深いドキュメンタリー作品だ。冒頭、厚生労働省の統計によれば、日本の新生児の49人に1人が日本人と外国人との間に生まれていることが提示される。いつの間にか、日本は多様性を含んだ社会へと変質してきているのだ。こういう事実は知るだけでも、本作を観て良かったと思える。

 映画は親の国籍がそれぞれ異なる5組のハーフたちを追う。オーストラリアで生まれ育ったが、自らのルーツを探求するため東京に住むことになった若い女。ガーナ人の母親と日本人の父親の間に生まれたが、主に日本で育ったため母親の故国をよく知らず、成人後に一念発起してガーナを訪ねた若い男。

 メキシコ人と日本人の夫婦とその子供達が味わう、何かと屈託の多い日々。小さい頃は自分を純粋な日本人だと思っていたが、15歳になって初めて自分の戸籍を見た際、日本に帰化した韓国人の父親と日本人の母親の間に生まれたことを知った女。ベネズエラ人と日本人を両親に持つ男は、疎外感を感じつつも何とか居場所を見つけようと奮闘する。

 境遇は様々ながら、彼らに共通して言えるのは、生まれながらに2つの文化を背負っていることだ。好むと好まざるとにかかわらず、彼らはその2つの文化とどう折り合いを付けるのか、それを決定しなくてはならない“宿命”を負っている。たとえそれがスムーズに実行出来なくても、一方の国の文化は自分に要らないと勝手に決め付けても、その出自は一生付いて回る。そんな状況の者達は、確実に国内に増えているのだ。

 登場人物の中で最も印象深かったのが、ガーナ人と日本人との間に生まれたデイビッドである。彼がバーテンをやっていた頃、ある日客に“君は母親の故国のことを良く知らないのか。ダメじゃないか”と言われ、すぐさまガーナに旅立ったという。そして故国の教育環境がよろしくないことを知り、今はガーナに学校を建てる基金集めの運動に参加している。

 何より感心したのは“僕は日本で一年に千回は自己紹介をしている。でもそれを面倒くさいとは全然思わない”と断言していることだ。自分のルーツを知り、それを他人に対して表明することを苦にしていない。むしろ、そこからコミュニケーションを立ち上げられるのだと信じている。こういう人材こそが、多様性が高まるこれからの日本には不可欠なのだと実感した。

 また、映画は多彩な文化への関心を高めるために設立されたミックスルーツ関西なるサークルを紹介している。この集まりが具体的にどういう成果を上げているのかは示されていないが、日本に住むハーフ達のポジションの確保のため、いろいろな方策が試されていることは理解出来る。監督は西倉めぐみと高木ララの若手女流二人で、ケレン味のない穏やかな展開には好感が持てる。なお、この二人もハーフであり、しかも美人だ(笑)。
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「摩天楼を夢みて」

2014-03-02 06:37:06 | 映画の感想(ま行)
 (原題:GLENGARRY GLEN ROSS )92年作品。落ちぶれた不動産セールスマン、シェリー・レビーン(ジャック・レモン)。逆に今トップを走るリッキー・ローマ(アル・パチーノ)。成績のいい者には優良顧客情報が与えられるが、ダメな奴にはいつまでもクズのようなネタしか入って来ない。ある日本社から若手役員(アレック・ボールドウィン)がやって来て、月間成績最下位の者をクビにすると言い、グレンガリー高原の優良ネタを見せつけた。顎然となるセールスマン達は、雨の夜の中をアテのないセールスに出ていく。

 デイヴィッド・マメットの戯曲の映画化だが、これほど厳しいアメリカ映画は珍しい。弱肉強食のアメリカのビジネス界。勝者には富がもたらされるが、敗者はプライドのかけらさえ残されない。マメットの脚本は、リアリズムに基づいた口語体の台詞をテンポよく構成しているところが特徴。とうとうと水をたたえた川の流れのように、よどみないそのダイアローグは、現代のアメリカ社会の矛盾や問題点を浮かび上がらせる。



 ドラマを一晩の出来事に集約し、画面展開が極端に少ない。ジェームズ・フォーリーの演出は舞台の雰囲気をほぼ再現しているが、寒色系を多用した画面構成や、登場人物の表情を何気なく捉えるカメラワークやライティングに映画ならではの工夫が見られる。ジェームズ・ニュートン・ハワードの音楽はいつもとは違ってジャズを主体にしたクールなもの。作品のタッチに実に良く合っている。

 それにしても一点の救いもないストーリーながら、このわくわくするような映画的高揚。芸達者のキャストの火の出るような演技合戦はどうだ。ギリギリの境遇で生きる男たちが醸し出す独特のエロティシズム。特にレモンとパチーノの存在感には圧倒された。パチーノは「セント・オブ・ウーマン」みたいなワンマン映画ではなく、この作品でオスカーを取るべきだったと思う。
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「ウルフ・オブ・ウォールストリート」

2014-03-01 06:37:22 | 映画の感想(あ行)

 (原題:The Wolf of Wall Street )ひたすら疲れる3時間である。ハリウッドでこの映画の主人公のような銭ゲバを描く際、どうしてこうもワンパターンの扱い方しかできないのだろうか。若くして成り上がり、酒と女とクスリに溺れた挙げ句、あえなく自滅。本作もまったく目新しさはない。

 実在の株式ブローカーであるジョーダン・ベルフォートの半生を描いている。22歳でウォール街の証券会社に勤めるが、その会社は間もなく破綻。その後小口取引の専門会社に潜り込み、たちまち頭角を現す。26歳で起業し、圧倒的な成功を収め、その派手な言動で“ウォール街の狼”と呼ばれるようになる。だが、急激な成長の裏には阿漕な商売は付きもので、マネーロンダリングなどの悪事をFBIが放っておくはずもなく、ジョーダンは次第に窮地に追い込まれる。

 主人公がどうしてこのような口八丁手八丁の遣り口を身に付けるようになったのか、なぜ“カネこそすべてだ!”という価値観を信奉するようになったのか、そういう背景に関しては全然言及されていない。つまり映画の中のジョーダンは、ひたすら薄っぺらで狂騒的な人物に過ぎない。そんな奴を追って、3時間も保つはずがないのだ。

 しかも、ジョーダンが経営する会社にダマされ、財産を持って行かれた顧客達も描かれない。ここで“この映画は株屋の生態を扱っているのであり、顧客の側をフォローする必要は無い”とかいう突っ込みが入るのかもしれないが、それは的外れだろう。証券会社だって客商売だ。このような得体の知れない会社が大儲け出来たのも、取引する者が大勢いたからである。そのあたりの構図を浮き彫りにすればドラマに深みが増したはずだが、作者はそんなことに考えも及ばないらしい。

 マーティン・スコセッシ監督と主演のレオナルド・ディカプリオとのコンビは、何やらヤケクソになったように全編これ下品な悪ノリの限りを尽くす。社会風刺も金融ネタもスッ飛ばし、スタッフとキャストは全員ヤクでもキメていたのではと思わせるほどの狂態だ。繰り返すが、こんな有様では長い上映時間を見せきることは出来ない。鑑賞後の印象は実に虚しく、はっきり言って何のために作ったのか分からない映画である。

 ただ一つ興味を惹かれたのが、ジョーダンの会社で毎朝展開される彼の“ワンマンショー”である。下ネタ満載の仰々しいスピーチで社員を鼓舞。それを見た社員達は、熱に浮かされたように突撃セールスに邁進する。まるでカルト宗教だ。某ワタミや某クロスカンパニーの社長が観たら、早速自社の取り組みとして採用するかもしれない(爆)。しかし、ジョーダンの会社は従業員にはそれなりの給与を払っていたようで、そこが日本のブラック企業とは違うところだろう。
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