元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「回路」

2013-02-10 21:00:29 | 映画の感想(か行)
 2001年作品。死の世界から浸食してくる不気味なアクシデントに巻き込まれるOLと大学生を描く黒沢清監督作。中盤までは非常に面白い。単に“インターネットが「あの世」に繋がった”という身も蓋もないモチーフを完全に乗り越え、何だかワケのわからない邪悪な雰囲気を画面に充満させることに成功している。

 この“死のサイト”以外にも、「助けて」と呟く携帯電話や赤いテープで封印された開かずの間(これはインパクトあり)などの謎めいたアイテムが次々に登場。しかもそれらがどんな意味を持っているのか全然説明しない点が観客の不安感を増幅させる。



 恐怖描写で突出していたのが、開かずの間の壁から突然幽霊が現れ、こちらにまっすぐ歩いてくる途中で一瞬よろける場面(笑)。「リング」の貞子みたいに最初から這いずって来るのではなく、それまで機械的に歩を進めているのに、なぜか足がもつれて転倒しそうになり、そこをグッと踏ん張ってまた歩いてくるという、この意外性に膝を叩いて喜んでしまった。

 しかし、映画は終盤になって失速。最後まで身近な怪異談でいればいいものを、なぜか“世界の終末がどうのこうの”といった大仰なネタに振ってしまい、結局「カリスマ」(2000年)の姉妹編に終わってしまった。黒沢清監督としては「CURE/キュア」に並ぶ快作かと思われたが、実に残念である。

 麻生久美子は主演のはずだが印象が薄い。対して加藤晴彦は“ただ何となく日常を送っている今時の大学生”をうまく表現していたと思う。滔々と仮説を述べる武田真治はちょっとウザいが、何しに出てきたのかわからない哀川翔がヘンに印象的。
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「アウトロー」

2013-02-09 21:50:37 | 映画の感想(あ行)

 (原題:JACK REACHER)何とも雑なシャシンで、評価できない。これはやはりトム・クルーズが仕切り役を買って出た“俺様映画”であるからだろう。周りの意見も聞かず、ひたすら“ヒーローを演じている俺ってカッコいいだろ”という思い込みで、ゴリ押し的に作ってしまったという印象しか受けない(爆)。

 ピッツバーグで白昼無差別殺人事件が起きる。発射された銃弾は6発で、5人の犠牲者が出てしまった。現場に残された証拠から捜査当局は中東に従軍していた元スナイパーの男を逮捕するが、彼はジャック・リーチャーなる男を呼べと要求するだけで、あとは黙秘を決め込む。リーチャーは軍の捜査官だったが、今は除隊して定職にも就かない一介のアウトローらしい。容疑者が護送中に暴行を受けて昏倒した際に、なぜかリーチャー本人がひょっこりと現れ、身の潔白を主張する。彼は検事の娘である弁護士と協力して捜査に乗り出すが、やがて思いがけない事実が持ち上がってくる・・・・という筋書きだ。原作はリー・チャイルドによるベストセラー。

 意外なことに、このリーチャーという男、考えるより先に行動するハードボイルドなキャラクターなのかと思っていたら、まずは推理力で事に当たろうという姿勢が窺える。トム君にすれば“ただ腕っ節が強いだけの奴じゃないぜ”と言いたいところだが、そんな彼が突き止める“真相”とやらは、かなりいい加減なものだ。

 この事件の裏には企業買収にからむ陰謀があるらしいのだが、当初の銃撃事件はまだしも、それからの敵方の遣り口には釈然としないものが残る。やっていることが大雑把で、すぐに足が付くような所業が目立つ。まあこれは、トム君の推理力に合わせたようなプロットの積み上げ方なのだろうが、観ている側としては鼻白むばかりだ。

 それに、捜査当局に裏切り者がいるような設定に持って行くのはいいが、どうして内通しているのか、その背景が最後まで説明されないのには参った。アクションシーンは大味で、キレもコクもない。さらにはクライマックスになぜか銃器を置いての肉弾戦が展開されるのには失笑した(「エクスペンダブル2」じゃあるまいし ^^;)。

 クリストファー・マッカリーの演出は、単に“脚本通りやりました”という感じで特筆できるようなものはない。ロザムンド・パイクやロバート・デュバルといった脇の面子も精彩を欠く。悪の親玉に何とヴェルナー・ヘルツォーク監督が扮しているのだが、凄んでいるわりにはまったく迫力が無く、何しに出てきたのかも分からない。

 とにかく、トム君だけが自己満足に浸っているという印象しか受けない映画であり、観る価値はあまりない。この調子でシリーズ化するなんてことは、頼むからやめていただきたいものだ。
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「スチームボーイ」

2013-02-08 06:30:36 | 映画の感想(さ行)
 2003年作品。19世紀のロンドンを舞台に、莫大なエネルギーをもたらす謎の金属製球体“スチームボール”をめぐる争奪戦に巻き込まれた少年の活躍を描くアニメーション。監督は大友克洋。

 まず驚いたのは、大友克洋らしい無理矢理に捻ったプロットや斜に構えた世界観などがほとんどないことだ。それどころか、作品コンセプトにおいて手塚治虫作品(タイトルが「アストロボーイ」を連想させる)や以前の宮崎駿作品(特に「天空の城ラピュタ」)に通じるものを感じてしまうほど。誰が観ても“普通に”面白く、後味サッパリの良質な娯楽アニメーション作品に仕上がっている。



 昔からのコアな大友ファン(?)ならば不満を持つのかもしれないが、私はこれはこれで評価したいと思う。

 舞台となる19世紀半ばの英国を上手く映像で再現しており、メカ・デザインも申し分ない。色調を抑えた繊細かつ大胆な画面造形は印象的だし、主人公のレイ少年や大富豪令嬢スカーレットをはじめとするキャラクター設定も破綻がない。アクション場面も手慣れたもので、パワフルな展開は最後まで観客の目をスクリーンに釘付けにする。

 鈴木杏や小西真奈美、中村嘉葎雄、児玉清、寺島進といった“声の出演”も悪くない。エンドタイトルのバックで、主人公達の“その後の活躍”が示されるが、このあたりを膨らませてテレビシリーズを作成しても面白かったかもしれない。
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「二郎は鮨の夢を見る」

2013-02-04 06:47:40 | 映画の感想(さ行)
 (原題:JIRO DREAMS OF SUSHI)描き方が表層的であり、鑑賞後の満足感は著しく低い。ドキュメンタリー映画はいかに作者が対象に関して深い洞察を試みるかが最大のポイントになるはずだが、本作はそのあたりがまったく練られていない。覚束ない足取りで対象の周りをうろついているだけならば、最初からドキュメンタリーなんか撮るなと言いたい。

 本作の題材は、5年連続でミシュランの3つ星を獲得している銀座の鮨屋「すきやばし次郎」の店主、小野二郎である。この店のロケーションは普通のビルの地下で、座席はカウンターのみの10席。手洗いも店の中には無い。どう見ても大衆路線だが、実は世界中の食通たちを唸らせる高級店で、予約を入れると一ヶ月も待たされ、メニューも鮨のみで酒類は置いていない。しかも料金が“おまかせコースが3万円から”という破格のものだ。



 このような店を仕切る小野はカリスマ的な存在感を発揮しているはずだが、映画ではそのあたりは全然描かれない。彼が持ち合わせているであろう食に対する狂気にも似た思い入れも、まったく画面から伝わってこない。日本中どこにでもあるような、鮨屋のオヤジにしか見えないのだ。

 店のスタッフが握る鮨は確かに美味そうだが、ヨソの店とどう違うのかと聞かれると、何も答えられない。美味しさの秘訣はもちろん“企業秘密”だから教えてくれるはずもないが、観客にそれを暗示させるようなモチーフぐらい引っ張り出しても良いのに、そのあたりもまるで不発。小野自身にも“鮨はネタとシャリとのコンビネーションが大事”だとか何とかいう、鮨職人ならば誰でも口にするようなことしか語らせていない。

 そもそもこの店の鮨が美味いというのはミシュランだのグルメ記者だの金回りの良い顧客だのが勝手に語っているに過ぎず、どういう風に美味いのかを映像で見せてくれる場面に最後までお目にかかれないとは、手抜き以外の何物でもない。わずかに興味深かったのは築地市場の場面ぐらいだ。



 この映画はデイヴィッド・ゲルブなるアメリカ人が撮ったシャシンなのだが、来日中に味わった鮨がことのほか美味しかったということだけで、ほんの一ヶ月程度小野に密着して、それらしいシロモノをデッチ上げたという印象しか持てない。つまりは欧米人向けの“観光グルメガイド”であり、その程度の価値しかない映画だと思う。果ては“最近は良いネタが手に入らない”という関係者の嘆きを引用して環境問題にまで(御為ごかし的に)色目を使うという、恥ずかしいマネまでやってのける。

 さて、私自身はもしも資金があればこの「すきやばし次郎」で鮨を食べたいかと聞かれたら、ノーと答えたい。求道的な店主を目の前にして鮨のみを淡々とパクつくというのは、どうも性に合わない。鮨を食べるときぐらいリラックスして楽しみたいものだ。
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KEFのLS50を購入した(その2)。

2013-02-03 06:44:03 | プア・オーディオへの招待
 新たに導入したスピーカー、英国KEF社のLS50はバスレフダクトが後方に開いている。バスレフダクトというのは、早い話が音(特に低域)が出る穴のことであり、当然のことながらこの穴の近くに障害物があると音出しに悪影響を及ぼす。以前使っていたスピーカーはダクトが前面に開いているものばかりだったが、LS50のように後方にダクトがあると、壁にあまり近づけて置くと良い結果には繋がらない。

 特にLS50は13cmの小振りな口径のユニットでも十分な低音を出せるように、バスレフダクトに大きな役割を与えている。よって、壁との距離が重要なポイントになってくる(壁に近すぎると低音が不明瞭になり、離すとタイトになる)。

 とはいっても、部屋の構造上あまりスピーカーを壁から離せない。壁から1メートル以上ものインターバルを置けるような大きなリスニングルームで聴いているわけではないのだ(笑)。とりあえず、あまり邪魔にならない程度に壁から離した位置に落ち着かせたが、今後も調整が必要になるだろう。



 また、よく“スピーカーは聴き手の耳の高さにユニットが来るようにセッティングするのが良い”と言われるが、このスピーカーの場合、特にセットする高さにシビアに反応する。腰を落として耳の高さに来るように聴くと音場は拡大するが、通常は椅子に腰掛けて聴くので、このままでは万全ではない。

 ディーラーのスタッフが“インシュレーターを使用してスピーカーを上方に傾ければ良い結果が得られる”ということを言っていたので、いずれ試してみるつもりだ。

 導入時に繋げたスピーカーケーブルはウェスタンエレクトリックのWE16GAだが、これを手持ちのBeldenの8470に替えてみると音はけっこう変わる。やや甘口でウォームなWEに対し、マッシヴな音像の縁取りを演出する辛口のBeldenといったところで、この変化量は前に使っていたB&Wの685よりも大きいと感じた。



 アンプとCDプレーヤーとを繋ぐRCAケーブルの付け替えはまだ実行していないが、おそらく個々のケーブルの持ち味をよく出してくるのだろう。ヒマがあれば換装してみたい。

 なお、このスピーカーはケーブルを左右2本ずつ使うバイワイヤリング形式にはなっていない。昔ながらのシングルである。実はこれは有り難い。ケーブル代が倍にならずに済むし(爆)、何よりアンプのスピーカー端子に苦労して芯線を二組ねじ込んだり、シングルで繋ぐ場合のジャンパーケーブルの処理に気を遣ったりといった余計な作業が省かれる。

 使用しているアンプはSOULNOTEのsa1.0だが、これは出力が10W×2しかない。B&Wの685よりもさらに能率が低いLS50に繋げると、音圧面で後退している印象を受ける。まあ、その分ヴォリュームを上げればいいのだが、駆動力を勘案すると将来的にアンプのグレードアップも想定した方が良いかもしれない。

 LS50はドライヴするアンプはもちろん、セッティングやケーブルによって音がフレキシブルに変化する。それでも“使いこなしに難があると聴くに耐えない音になる”ということはないようで、どんなシステムでもある程度のレベルでの音出しは保証されているという強味があると思う。これから末永く付き合っていきたい。

(この項おわり)
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KEFのLS50を購入した(その1)。

2013-02-02 06:54:53 | プア・オーディオへの招待
 スピーカーを買い換えた。以前試聴会で接してからずっと気になっていた、英国KEF社のLS50だ。別にそれまで使っていたB&W社の685の音が嫌いになったというわけでもない。しかし店頭で聴いた印象では、買い換えたくなるだけの魅力がLS50にはあったことは確か。また理由として、当機はKEF社創立50周年を記念して作られており、ほぼ一年間だけの限定生産であったことも大きい。

 使用ユニットは13cm口径の一発だけ。振動板は低音用と高音用の2つが重ね合わされている、いわゆる同軸形式の2ウェイだ。元々はニアフィールドで使われる業務用モニター機器として開発されているためか、サランネットはない。黒い筐体に赤銅色のユニットが埋め込まれているエクステリアはなかなかインパクトがある。

 振動板の材質はアルミとマグネシウム。全体のサイズは前に使っていた685よりも一回り小さいが、逆に重量は大きい。それもそのはずで、厚い補強板が内部で十の字に交わっており、それがドライバーのマグネットやフレームに直結されている。そのためにボティの堅牢度はかなりのもので、叩いても無駄に響いた音が出ず、まるで岩のように固い。



 実際に音を出してみると、まず聴感上での歪みの少なさには感心させられる。中高域がうるさくないのだ。前の685も比較的フラットでクセの少ないスピーカーだと思っていたが、演奏中にリスニングルーム内で話をしようとすると、再生音が耳障りに感じて演奏を中断することが多かった。しかしLS50の音は(大音量時は別にして)会話を妨げることがない。数年前に国内ハイエンドのスピーカーメーカーG.T.Soundの製品を試聴した際、そこの社長が“良いスピーカーは低歪率であることが必須条件。鳴っている時に側で話をしても邪魔にならないくらいのクリアな音出しが望ましい”みたいなことを言っていたが、LS50はそれに通じるパフォーマンスを見せてくれる。

 ネット上ではこのスピーカーに対しての“音がこもっている”というインプレッションがけっこうあるらしいが、事実、導入して最初に音を出したときは私もそう思った。しかし、そういう傾向があることは店頭での試聴で織り込み済みだ。このモデルは“寝起きの悪い製品”なのであろう。ある程度アンプが温まらないと万全な状態にならない。

 おそらくはその“寝起きの悪さ”はエージング(鳴らし込み)にも言えることで、前に使っていた同社のiQ3のエージングもかなりの日数を必要としたが、LS50も同様だろう。とはいえ、導入から一週間経って随分と“こもり”も取れてきたように思う。

 本機はモニター用ながら、音色自体は明るくウォームな傾向にある。刺々しいところは見当たらない。ハイファイ度を強調するような高域のケレン味はないので所謂“ドンシャリ好き”なリスナーには合わないが、その分中域はとても充実していて、ヴォーカルには血が通う。

 同軸型ユニットを採用しているためか、音像の定位は確かなものがある。音場はスピーカーの前と後ろに立体的に展開する。美音とも思えるような暖色系ながら、音楽ソフトのクォリティ(出来不出来)をしっかりと表現しているところはモニター機器としての役割もこなしていると言えるだろう。それに鳴らすジャンルはまったく選ばず、聴き疲れもしない。

 LS50はB&Wの685とは定価ベースで2万円しか違わない。しかし質感は大きく上回っている。私はあまり機器の外観を気にするタイプではないのだが、ピアノ鏡面仕上げの筐体はやはり高級感があり、買って良かったと思う。

 なお、このスピーカーはセッティングなどの“使いこなし”が大きくモノを言う製品でもある。購入してからあまり時間が経っていないのでまだ十分な“使いこなし”には取り掛かっていないが、次のアーティクルではその“途中経過”をリポートしたい。

(この項つづく)
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「サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS」

2013-02-01 06:45:03 | 映画の感想(さ行)
 2001年作品。乖離性意志伝播過剰障害者、通称“サトラレ”と呼ばれる、自分が思っていることを周りの人々に思念で伝えてしまう特異能力の持ち主が一千万人に一人という確率で存在するという設定。しかも、例外なく高い知能を持つ彼らを、国家は保護している。その中の一人である若い男を監視するために派遣された女性自衛官が、意外な出来事に直面するという話だ。佐藤マコトによる同名漫画の映画化。

 突っ込みどころ満載の話である。“サトラレは自分がサトラレであることは知らない”なんて、そんなすぐバレるようなウソには笑うしかないし、主人公二人がバカンスに出かけた無人島に思わぬ人物がいた・・・・なんて展開には超脱力。上映時間もちょっと長い。



 でも、観る価値はないのかというと、さにあらず。国家戦略が云々というネタをバックにしながら、話を主人公と祖母との関係に絞ったところが高得点。しかも、何のためらいもなく“お涙頂戴路線”に邁進しているのも実に賢明。つまり“ポイントはここなのですよ”という意識がハッキリしており、他のウソっぽい設定を小道具扱いしている割り切り方だ。

 もとより本広克行監督はテンポのいい演出だけが身上の“軽い奴”ではなく、実は“泣かせ”が大好きなオーソドックスなプログラム・ピクチュア派であることを考え合わせると、今回の作り方はまことに納得できるものがある。主演の安藤政信をはじめ、鈴木京香、八千草薫、寺尾聰といった出演陣もソツのない好演だ。
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