元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ダイ・ハード4.0」

2007-07-13 06:48:32 | 映画の感想(た行)

 (原題:Live Free or Die Hard )観終わってホトホト感心したというか呆れたというか、とにかく“程度”というものをまったく知らない映画だ。全編これアクションと破壊シーンの釣瓶打ち。

 第一作が公開されてから20年近く経つが、その間に進歩したCGをふんだんに使い、観る者に“どうせCGじゃん、どんな映像だって作れるさ”といった斜に構えた態度を取らせるヒマをまったく与えず、これでもかこれでもかと予想を上回る派手な画面を矢継ぎ早に繰り出してくる。特にトンネル内で車が次々と吹き飛んでゆくシーンから、車でヘリコプターを打ち落とすトンデモ場面に繋がるシークエンスは冗談みたいに凄い。監督レン・ワイズマンの馬鹿力は相当なものだ。

 一方、ブラッカイマー&マイケル・ベイによる「バッド・ボーイズ」シリーズみたいに頭がカラッポの主人公たちが動き回って破壊を繰り返すだけの脳天気映画になる愚を回避すべく、老骨にムチ打って頑張るジョン・マックレーン刑事とオタク青年との組み合わせは“アナログ(アナクロ?)&デジタル”といった典型的な凸凹コンビによるバディ・ムービーのルーティンを綴っていて、しかもキャラクターも(いささか図式的とはいえ)適度に掘り下げられている。かように設定の最低限のレベルはクリアしているので観ていて鼻白むことはあまりない。

 もちろん生身の人間ならば百回は死んでいる主人公の浮世離れした活躍の果てに大団円を迎え、観客には満腹感が残るのだが、やはり、傑作である第一作は超えていない。

 これは“第一作の脚本が完璧すぎて、これを超えるのは不可能なので、見た目の派手さばかりに走った(それはそれで正解だ)”という見方も出来る。しかし、マックレーン刑事と同様のロートルである映画ファンとしては(笑)、活劇には存在感たっぷりの悪役とがむしゃらな主人公、そして熱い人間ドラマと巧みな段取り・・・・といったものを期待したいのだ。

 今回のネタがコンピューターがらみだからというわけでもないだろうが、マックレーン以外の面子がデジタルに割り切られすぎている。悪役の連中も線が細すぎて愉快になれない。もうちょっと血の通った筋書きを用意して欲しかった。ブルース・ウィリスは好演だが、作品の性格上、他のキャストはほとんど印象に残らないのは仕方がないのかも(^^;)。
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「祝祭」

2007-07-12 06:42:52 | 映画の感想(さ行)
 96年韓国作品。ソウル在住の人気作家イ・ジュンソプ(アン・ソンギ)は、田舎の母が危篤との連絡を受け、妻と娘を連れて帰郷する。その夜、母は死去。3日間にわたる葬儀の進行役をつとめることになる。韓国版「お葬式」ともいえる題材を取り上げたのは「風の丘を越えて」「春香伝」などでお馴染みのイム・グォンテグ監督。

 何より面白かったのが韓国の葬式(儒教スタイル)の段取りが綿密に描かれていること。3日3晩、村をあげての飲めや歌えの大騒ぎで、中にはバクチを始める連中もいる(しかも、バクチでスッた金はすべて喪主が面倒を見るという!)。遺族は白装束に身をつつみ“親を亡くした者は天を見上げて歩けない親不孝者”ということで極端に短い杖をついて葬列に加わる。何から何まで珍しく、(韓国では火葬ではなく土葬だという事実ぐらいは知っていたが)隣の国なのにこれほど違うとはちょっとしたショックを受けた。

 もちろん、こんな民俗学的な興味だけに終始している作品ではない。母は5年間も痴呆状態で、面倒を見ていた義姉の家庭の負担になっていることを知りつつ、都会で製作活動に没頭していた主人公の忸怩たる思いと、周囲の反感。長兄の不義の子で、家族に冷遇されていた姪のヨンスン(オ・ジョンヘ)と彼女を唯一可愛がっていた亡き母との切ない思い出など、参列者の人間関係をシビアに、あるいは人情豊かに捉えるイム監督の手腕が冴える映画である。葬儀の様子と過去の出来事を平行して描き、名も無き市井の人々の、一見平凡な暮らしの中の少なからぬドラマ性が、葬式というイベントによって浮き彫りにされるプロセスを丁寧に追う。

 さらに面白いのは、主人公が初めて手掛ける絵本----それは老母と孫との関係をメルヘンチックな童話にしたもの----を映像化したエピソードが随所に挿入されることだ。ここに葬式を題材としているにもかかわらず「祝祭」という場違いなタイトルをつけた作者の意図が見える。“人間が老いるのは皆に知恵と年齢を分け与えていった結果であり、最後には身体は消滅するが、誰かに転生する”との思想を元に、葬式は転生に向けての“祝祭”であるという考え方が無理なく観客に伝わってくる。

才気走った伊丹十三「お葬式」とはアプローチは違うが、これもなかなかの秀作だと思う。撮影・音楽とも良好で、キャストも頑張っているが、特に蓮っ葉でケバい感じのオ・ジョンヘが「風の丘を越えて」と違った魅力を見せている(実はこれが地だったりしてね ^^;)。
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「アイスケーキ」

2007-07-11 06:46:45 | 映画の感想(あ行)

 (英題:Ice Bar )第21回福岡アジア映画祭出品作品。1969年の韓国の漁師町を舞台に、とうの昔に亡くなったと聞かされていた父親がソウルに住んでいることを知って、ソウルまでの旅費を稼ぐためにアイスキャンディーを売り始める10歳の少年と、その家族・友人たちの人間模様を描くヨ・イングァン監督作。

 有り体に言えば“お涙頂戴映画”なのだが、筋書きは決して荒っぽくなく、まあまあ安心して観ていられる。生活のためにヤミ商品を売り歩き、しかし主人公のことを心から想っている母親、この親子関係がしっかりと押さえられており、大仰な“泣かせ”にあまり走ることもなく、的確な描写が続く。特に息子が親に内緒でアイスキャンディー売りをやっていたことがバレるあたりのシーンは、キャストの好演もあって盛り上がる。

 さらに、アイスキャンディーを扱う会社で働く北朝鮮出身の若い男の扱いは秀逸。当然、周囲との確執があり、ぬるま湯的な展開になりがちな題材をうまく引き締めるモチーフになっていたと思う。60年代の風俗表現は万全で、ノスタルジックな気分に浸れるし、暖色系を上手く使った映像も作品の雰囲気によくマッチしている。

 ヨ・イングァンの演出は手堅く、作劇を淡々と進めるかと思うと、主人公の友人が鉄道事故に遭う場面のドラマティックな描写など、ここ一番の求心力で盛り上げ、メリハリのつけ方はけっこう上手だ。こうしたウェルメイドぶりが評価されてか、本作はこの映画祭でグランプリを受賞している。

 ただし、欠点もある。母親と別れざるを得なかった父親の事情が説明不足だ。セリフで御丁寧に解説する必要はないが、真相が想像できるような暗示を振っておいた方が良かった。そして、理不尽な事故に遭う主人公の友人をはじめ、子供に対する扱いが厳しすぎるのは気になった。主人公が大人からボカスカ殴られるのは、見ていて実に不快だ。まあ“韓国ではこんなものだ”と開き直られると何も言えないが・・・・。
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「僕の彼女のボーイフレンド」

2007-07-10 06:46:48 | 映画の感想(は行)

 (英題:Cheaters)第21回福岡アジア映画祭出品作品。自称プレイボーイの会社員が、なかなか煮え切らないガールフレンドの女子大生に対して苛ついているエピソードをきっかけに、実は彼女は二股かけていて、彼も結婚していて・・・・といった、四角関係どころか六角関係にまで発展する複雑な恋愛模様を描くパク・ソンボム監督作。

 観終わって呆れた。あまりにもレベルの低い映画である。序盤の、会社員と女子大生のアヴァンチュールの場面からして、今どき香港映画でも恥ずかしくてやらないようなクサい芝居とわざとらしい展開に閉口。演出のリズムも思いっきり悪い。さらに登場人物が増えるにしたがって、このクサさは幾何級数的に増大してゆく。

 中盤より、彼らが別のパートナーと付き合っていることを、前の画面を別の角度から描くことによって繰り返して描くが、これが映画技法的に面白いかと言われれば“まあ、面白くなることもあるだろうね”と答えるしかない(脱力)。しかし、これが見事なほど面白くないのだから(爆)、製作陣は何をやっているのかと文句の一つも言いたくなった。

 これは作劇上の工夫でも何でもなく、単なる“過剰説明”だ。暗示や伏線をまったく無視したバカ丁寧な“種明かし”を漫然とやっているから、四角関係でいいところを六角関係のような奇を衒っただけのネタも考え無しに挿入して恥とも思わないのだろう。

 キャストも最悪で、もはや各俳優の名前も挙げる気にならないが、どいつもこいつも魅力のカケラもない。特に女性陣は、全員が“あまり仕事の来ないAV女優”みたいな品の無さだ。いつから韓国映画界はかくも若手女優の質が落ちたのかと、暗澹とした気分になってきた。

 その代わりと言っては何だが、ベッドシーンだけはやたら多い。一般公開ならばR15とR18との境目ぐらいの扇情度だ。映画祭のホームページにはレイティングの記載がなかったが、少し考えて欲しいと思う。
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「図鑑に載ってない虫」

2007-07-07 07:51:28 | 映画の感想(さ行)

 本作がまったく面白くない理由は、三木聡監督の前作「亀は意外と速く泳ぐ」と比べればすぐに分かる。あの映画の玄妙なところは、平凡な主婦が“スパイ募集”の広告を見たことがきっかけになり“異世界”に足を突っ込むことになるという、つまり“日常”と“非日常”とのギャップが明確に描かれていた点だ。物語のベースをはじめに“日常”の方に置いていたからこそ“非日常”の奇天烈さが強調され、ナンセンスな笑いを大いに生み出したと言える。

 対してこの新作は、最初から“非日常”の側にどっぷりハマり込んでいる。これでは“日常”との乖離うんぬんなど関係なく、全編これバカバカしい設定の中で常軌を逸した登場人物たちがアホなマネを延々と繰り返すだけという、まるで売れないアングラ芝居のような展開を示すしかない(だいたい“煎じて飲めば死後の世界を体験できる虫”などというモチーフからして“非日常”の極みである)。作劇にリズムを持たせるためロードムービーという形式を取ってはいるが、あまり効果があがっていない。

 それでも、個々のギャグが“非日常”の括りを突破してしまうほどのヴォルテージの高いものだったら許せるが、どれもこれも安易なくすぐりに終始するだけの、ほとんど笑えないシロモノばかり。はっきり言って、そのへんの宴会芸よりも落ちる。

 出演者陣もパッとしない。さすがの自然体ボケ(?)を発揮する松尾スズキや三木作品の常連の岩松了とふせえりは手堅いパフォーマンスだとは言えるが、主役の伊勢谷友介はいただけない。何やっても“常識人臭さ”が鼻につき、それを払拭しようと頑張ってはいるが、気負いばかりが空回りだ。

 ヒロイン役の菊地凛子はもっとダメ。おちゃらけ演技がまるで上滑りだ。「バベル」などを観ても分かるが、彼女は完全な“熱演型”の俳優である。努力によって役を引き寄せようとしている。だが、逆に役柄の方からスッと演じる側に寄り添ってくるような姿勢を作り上げないと、大成は覚束ないと思う。

 その点「亀は意外と~」の上野樹里は並はずれた“天然ボケ”でアッという間に役柄にハマっていたし、共演の蒼井優もノンシャランな(?)柔軟性で登場人物になり切っていた。これが女優としての資質の違いかと大いに感じ入ったものだ。
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「沙羅双樹」

2007-07-06 07:01:16 | 映画の感想(さ行)
 2003年作品。第60回カンヌ国際映画祭にて「殯(もがり)の森」で審査員特別賞を受賞した河瀬直美監督の、ひとつ前の映画だ。残念ながら出来としてはまことにくだらない。

 奈良の旧市街「ならまち」を舞台にした家族ドラマ。河瀬直美は長編デビュー作「萌の朱雀」でカンヌ映画祭のカメラドール賞を受賞している。「萌の朱雀」も家族劇だったが、登場人物の複雑な関係が整理されていないという欠点を補って余りある映像の喚起力に圧倒されたものだ。あの映画を観て私は“河瀬監督は映像主導の癒し系作家なのだろう”と思った。この作品でも映像派作品を印象付けるためか冒頭クレジットに撮影監督の名前を一番に持ってきているが、映画自体の出来は実に低調。

 結論から言うと「映像でカバーできないほどドラマ部分が脆弱である」そして「ドラマをフォローできないほど映像も凡庸である」ことに尽きるのだ。たとえば、双子の兄弟の片方が子供の頃に行方不明になり、10年後に警察から「見つかった」との連絡が入るのだが、いったい彼がどうなったのか映画の中では全く説明されない。そして、一家の主がどういう職業に就いているのかも不明だ。このあたりを作者は「観る者の想像にまかせる」と割り切っているのかもしれないが、作劇上重要なプロットを省略してどうするのだろう。何やらこの作家には「ストーリーを語る」という映画作りにおける基本を恣意的にネグレクトしているようなフシがある。

 自己満足の長回し映像の垂れ流しだけでは観客に何もアピールできるわけがない。そしてその映像も、昔のNHK「新日本紀行」の二番煎じとしか思えない低レベルなもの。さらに重要な役で「監督自身」が涼しい顔で出演し、大して上手くもない演技を堂々と披露しているに至っては、「恥知らず」という言葉で形容するしかない醜態だ。まあ、これよりヒドい映画はそうないので、話題の「殯(もがり)の森」は少しはマシになっていると期待したい・・・・と思っているのだが・・・・(汗 ^^;)。
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「サイドカーに犬」

2007-07-05 07:11:50 | 映画の感想(さ行)

 怪しげな中古車ディーラーを営む中年男(古田新太)の愛人となった奔放な若い女に扮する竹内結子の演技が評判らしいが、私はまったく良いとは思わない。柄にもなく蓮っ葉に振る舞い、全編これ“アタシって、こういう演技もできるのよ”といった気取った雰囲気が全開である。

 でも、そんな態度とは裏腹に、これは“好演”どころか“熱演”でさえなく、言うなれば“普通の演技”だ。それが思いがけなくウケたのは、普段の彼女の仕事ぶりが“普通以下”であり、今回少しは演技力が要求される役を振られたおかげで、いつもとの“落差”が強調されたに過ぎないと思う(中年男の本妻を演じた鈴木砂羽の方が、出番が少ないにもかかわらず潔癖性で気難しい女を上手く表現していてずっと印象的だ)。それにしても、竹内をはじめとする20代後半の女優にまともな人材がごく少数しかいないのには困ったものだ。それより若い世代、特に22歳以下には多くの才能があふれているのと比べれば対照的である。

 さて、長嶋有の同名小説を映画化したのは根岸吉太郎だが、前作「雪に願うこと」や、かつての出世作「遠雷」に代表されるような、気ままに生きる者と地に足が付いた生き方をする者との対比という、同監督のおなじみの図式はここでも提示されている。ただし、今回はそのコントラストが弱い。いつもならば地道に生きる者をポジティヴに描ききって終わるのだが、“比較対象”としての根無し草の生活を送る者の捉え方もそれほどシニカルではない。

 もちろん、実生活ではそんな明確な二者択一で押し切れるものではなく、竹内演じる若い女に“影響”されてほんの少し積極的に生きるようになる少女の成長した姿も、やっぱり快活な女性とは言い難い。人生なんて互いが微妙に影響し合ってまったりと進む、そんなものだ。

 しかしながら、根岸作品としては(肌触りは良いが)物足りないのも確か。もうちょっとドラマティックな展開があってもいいし、特に中盤の冗長さも気になった。原作との兼ね合いでそれが無理ならば、資質の合った監督が別にいると思う。主な舞台となる80年代の風俗は確かに懐かしいが、どうも表面的に終わっているような感じがしてならない。

 あと、関係ないのだが、大人になったヒロインをミムラが演じているのはどうかと思う。物語の設定は30歳だが、彼女は女子大生ぐらいにしか見えない(実年齢も20代前半だ)。何を考えてキャスティングしたのか、まったくもって謎である。
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「バグジー」

2007-07-04 07:01:06 | 映画の感想(は行)
 (原題:Bugsy )91年作品。「ラッキー・ユー」の舞台はラスベガスだったが、もともとここは沙漠であり、現在の礎が出来たのは1940年代である。そのあたりを描いたのが本作。愛する女のためにラスベガスの街を築き上げた男、ベンジャミン・“バグジー”・シーゲル。実在のギャングをモデルに、ハリウッドの女優ヴァージニア・ヒルとの運命的な出会いと激しい恋、ギャング同士の抗争、などのエピソードを散りばめながら、沙漠でしかなかったラスベガスにフラミンゴ・ホテルを建てるまでを描くドラマ。監督は「レインマン」などのバリー・レビンソン。

 正直言って、それほど面白くなかった。大変にカネをかけた映画であることはわかる。当時の風俗をそっくりそのまま再現したセットは見ものだし、衣装も使用されている楽曲も素晴らしいもので、加えてアラン・タヴィオーによる撮影は暖色系を中心にノスタルジックな雰囲気を醸し出すことに成功。きわめてゴージャスな映画で、その意味では観て損はない。

 しかし、ドラマとしては物足りないのは、主人公のキャラクター設定が甘いからだろう。競争相手のギャングや裏切り者に見せる凶暴さと、家族や惚れた女に対する優しさ、という二面性を持っていることはわかる。自分の夢のためならすべてを投げ打つロマンチストだというのもわかる。実在の人物としては映画として描くに足る面白い個性であるのは納得できる。ただそれが映画の面白さには反映されていない。

 実績や性格をストーリー上で説明するだけではなく、プラスアルファの人間的魅力をスクリーン上に結実しなければ伝記映画は成功しない。主演のウォーレン・ビーティは軽いタッチで主人公の憎めないキャラクターを強調しているようだが、何となく薄っぺらで底の浅い人物にしか見えない。少しは悩んだり、考え込んだりしたらどうなのか。行きあたりばったりの行動が多く、これでよくマフィアのボスになれたものだと感心してしまう。

 相手役のアネット・ベニングにしても然り。美しいけど中身がなく、わがままで可愛げのない女で、最後はバグジーのために改心(?)するものの、主人公の運命を変える役どころとしては貫禄不足だ。ハーベイ・カイテルはじめとするわき役が健闘しているだけに、主役二人が浮いているような印象を受ける。ギャング映画御用達のエンニオ・モリコーネ音楽も今回は不発。
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「ラッキー・ユー」

2007-07-03 06:48:41 | 映画の感想(ら行)

 (原題:Lucky You )カーティス・ハンソン監督の旧作「8 mile」とほとんど同じプロットであるのには面食らった。ラップ大会がポーカー大会に変わっただけである。正直“自己二番煎じ(?)”と言っていい。もうちょっと別のネタで勝負すべきではなかったか。

 もっとも、本作単体で見ればけっこうウェルメイドではある。舞台はラスベガス。プロのポーカープレーヤーである主人公は、対戦時の“読み”は深いが、肝心なときに感情的になり損ばかりしている。何しろ大会の参加費でさえつまらぬ賭でスッてしまうほど。だから見かけとは裏腹に困窮状態から抜け出せない。

 堪え性がないのは名プレーヤーである父親への反発からきていると本人は思っているが、実は単に未熟なだけである。物語は定石通り、彼がそのことを自覚し、大会で活躍するまでを描くが、名人芸的な演出および二枚目だけど頼りない感じが良く出ているエリック・バナをはじめ、父親役のロバート・デュバル、恋人に扮するドリュー・バリモアなど、キャストの頑張りで説得力のある展開になっている。

 観客が“これで上手くいくだろう”と思っても(例:ゴルフの賭の場面など)なかなかそうならない山あり谷ありの筋書きが見事だ。そして主人公にとっての亡き母、父親にとっては亡き妻の指輪を効果的な小道具として使っているあたりも見逃せない。もちろん、ラスベガスの観光映画として見ても十分楽しめるだろう。

 だが、かえすがえすも残念だったのはポーカーのルールが観客にとって分かりにくいこと。基本的な“役”のランキングぐらいは誰でも知っていると思うが、これがディーラーが加わっての多人数参加の対戦となると、途端に段取りが複雑になる。一応ルールの説明らしき物も挿入されるが、短い上に門外漢にとってはチンプンカンプンである。この題材で思い出すのが、スティーヴ・マックイーン主演の「シンシナティ・キッド」だ。たぶん対戦の段取りは本作と一緒ながら、あっちの方が数段スリリングだったし、痛切なラストも効果的だった。つまりこの映画の対戦場面は、ルール説明の不足が指摘されるような作劇では、とても合格点はあげられないということだ。

 そして、超ポーカーフェイスの不気味な男が大会に参加するが、この扱いも中途半端。私としてはこの男の意外な内面がどうのこうの・・・・という展開を期待していたが、引き際があっさりしすぎていたのは不満だ。まあ、その分“ネット専門で対人の試合は初めて”というオタク野郎のキャラクターが引き立っていたからヨシとしよう。まあまあ観て損はない映画だ。
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「就職戦線異状なし」

2007-07-02 06:44:47 | 映画の感想(さ行)
 91年作品。製作当時はバブル経済のピークは過ぎていたが、その“余韻”は残っていて、大学生の就職事情は完全に“売り手市場”だったのだ。今から考えると信じられない。で、この作品はその頃の世相をバックに作られた“世の中迎合映画”である。早稲田大学の4年生たちが主人公。難関のエフテレビ(ちなみに、製作はフジテレビ)に誰が入れるかという下級生のトトカルチョにノセられて就職活動に奮闘する姿を描く。

 いかにもトレンディ・ドラマ風の設定、配役もTVドラマそのもの。無視して当然の映画だが、監督が金子修介なので観てしまった。結果は、これが意外と面白く観ていられた。最初はノリが軽すぎてヤバイかなと思ったが、後半から金子監督得意のパロディ精神が発揮され、フジテレビ・・・・じゃなかった、エフテレビ以外のマスコミを完全にバカにしているあたり面白い。特にNH×に対する冗談のキツさには大笑いだ。×HK関係者の感想を聞きたいと思ったりする。

 映画は予想に反してマジメに終わる。初めは就職をナメていた大学生たちが次第に就職の何たるかを真剣に考えるようになり、織田裕二扮する主人公がエフテレビの最終面接でそれまでのマニュアル通りの受け答えを捨て、自分なりの考えを述べるシーンにはちょっと感心したし、的場浩二演ずる学生が“なりたいものじゃなくて、なれるものを探し始めたら、もう大人なんです”と言うくだりも、ナルホドな、と思った。

 この頃に就職した連中も今や中堅どころになっている。あの時以来日本経済は低迷し、マスコミの“景気は回復した!”との言説にもかかわらず、実体は庶民レベルでズンドコ状態だ。以前も書いたが、今の若い者は“本当に景気が良い状態”を知らない。バブルで浮かれるのも困るが、好況の何たるかを体験していない層が増えるのはもっとヤバい。そうなりゃ縮小均衡に向かってまっしぐらだ。何とかしなくてはね・・・・と思いつつ、来たる参院選のことにも想いを馳せる今日この頃なのである(^^;)。
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