元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「逃げきれた夢」

2023-06-26 06:08:01 | 映画の感想(な行)
 これは良かった。無愛想で洒落っ気もないエクステリアと起伏に乏しいドラマ運び。途中退場者がけっこう出そうな案配だったが、そういう事態にもならず最後まで密度の高さがキープされている。特に中年以上の年代の者に対しては、かなりアピールするのではないか。このような“大人の鑑賞に堪えうる作品”が、今の邦画界には必要なのだと改めて思う。

 北九州市の定時制高校で教頭を務めている末永周平は、定年まであと少しの時間を残すのみになった。ところが最近、記憶が薄れていく症状に見舞われている。元教え子の平賀南が働く定食屋を訪れた際も、勘定を済ませずに店を出てしまう。どうやら病状は思わしくないようで、数年後どうなっているか分からない。気が付けば妻の彰子や娘の由真との仲は冷え切り、旧友の石田とも疎遠になっている。周平は自身の人間関係を今一度仕切り直そうと、自分なりに行動を始める。



 主人公が抱える病気に関して、映画は殊更大仰に扱ったりしない。もちろん、お涙頂戴路線とも無縁だ。病を得たことは、単に自身の境遇を見直す切っ掛けに過ぎない。人間、誰しも年齢を重ねると自分の人生がこれで良かったのかという疑念に駆られることはあるだろう。彼の場合は、それが病気の発覚であっただけの話だ。

 周平は斯様な事態に直面しても、決してイレギュラーな行動に及ばないあたりが共感度が高い。黒澤明の「生きる」の主人公のようなヒロイックな存在とは縁遠いが、それだけ普遍性は高い。粛々と仕事をこなし、家族と敢えて向き合い、友人と旧交を温める。他に何も必要は無いし、何も出来はしない。

 それでも、唯一自分の境遇を打ち明けた南との“逢引き”の場面で心情を吐露するくだりは胸を突かれる。南も屈託を抱えているが、かつての恩師と膝を突き合わせることにより、自身の置かれた立場を認識することが出来る。これが商業デビュー作になった二ノ宮隆太郎の演出は、徹底したストイックな語り口を35ミリ・スタンダードの画面で自在に展開するあたり、かなりの実力を垣間見せる。ラストの処置も鮮やかだ。

 12年ぶりに単独主演を務める光石研のパフォーマンスは万全で、この年代の男が背負う悲哀を的確に表現している。石田を演じる松重豊との“オヤジ臭い会話”は絶品だし、妻に扮する坂井真紀と娘役の工藤遥の仕事ぶりも言うことなし。特筆すべきは南に扮する吉本実憂で、この若い女優はいつからこのような高い演技力を会得したのかと、感心するしかなかった。

 オール北九州市ロケで、主要登場人物は地元出身者中心。遠慮会釈無く方言も飛び交う(笑)。だが、いわゆる“御当地映画”の枠を超えた訴求力を持ち合わせている。なお、第76回カンヌ国際映画祭ACID部門に出品されているが、是枝裕和監督の「怪物」よりも、質的には本作がコンペティション部門のノミネートに相応しいと思った。

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