元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「母と暮せば」

2015-12-28 06:02:08 | 映画の感想(は行)

 出来が悪い。その大きな原因は、主演の吉永小百合にあると思う。彼女が出ていた映画は過去に何十本も観ているが、一度たりとも演技が上手いと思ったことは無い。有り体に言えば、大根なのだ。ところが、若い頃のアイドル的人気が高すぎたせいか、今でも彼女を“神格化”する向きが多いらしく、必然性も無いのに主役級に押し上げてしまっている。これは日本映画界にとっても、彼女自身にとっても、不幸なことだと思う。

 井上ひさしが書いた、広島を舞台にした戯曲「父と暮せば」と対になる作品として、山田洋次が作り上げた映画だ。昭和20年8月9日に長崎市に投下された原子爆弾により、助産師として働く伸子の息子・浩二は死んでしまう。それから3年後、伸子のもとに浩二が幽霊になってひょっこりと現れる。それから彼はたびたび姿を現し、伸子の近況やかつての恋人だった町子のことについて聞き出すと、もしも今でも生きていたならどう振る舞ったかとか、そんな話をしていくのであった。

 黒木和雄監督による「父と暮せば」(2004年)よりも大幅に落ちる出来。何より吉永演じる伸子と、二宮和也扮する浩二とのやり取りが、観ていて恥ずかしくなるほどぎこちない。終戦直後は相当難儀したと思われるが、その苦労の跡がほとんど見えない伸子と、死後も母親に甘えっぱなしで、やたら饒舌で調子の良い浩二が、どうでもいい絵空事のような内容の会話を延々と続ける。

 そのなかで大きなウェイトを占めるのが何かと伸子をフォローし続けている町子についてだが、これはもう“成るようにしか成らない話”を反芻しているに過ぎず、鼻白むばかりだ。

 終盤は伸子は体調を崩していくのだが、それについての伏線が無いばかりか、少しも弱っていく様子がうかがえない。さらにはヘタクソなSFXや妙にB級ホラーじみた場面が散見され、ラストなんかまるで“丹波哲郎の大霊界”みたいな有様で脱力した。

 ハッキリ言って、ここは町子とその新たな婚約者(浅野忠信)を主人公にすべきだったと思う。伸子と浩二は、しょせん“去って行く者たち”でしかない。戦後の苦難にめげず、懸命に生きてゆく町子たちを中心に描いた方が、よっぽど希望が持てる。町子を演じる黒木華は、本作の出演者の中でダントツの演技力を見せているだけに、余計にその思いが募るのだ。

 セット中心の撮影では長崎の街の魅力が出ておらず、方言の扱いも万全とは言えない。近森眞史のカメラによる映像も、何やら奥行き感に欠ける。スタッフで良かったのは音楽担当の坂本龍一だけだった。

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