元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「大いなる不在」

2024-08-03 06:30:46 | 映画の感想(あ行)
 全体に漂うアングラ臭が何とも言えない違和感を醸し出している。もっとも、監督の近浦啓が“そっち方面”の演劇畑出身であるわけでもないようだ。しかし、序盤の舞台稽古のシーンから浮世離れした空気が充満しており、中盤以降のドラマツルギーを無視したフリーハンド過ぎる展開を見せつけられるに及んでは、通常の劇映画に対する鑑賞態度とはひとまず距離を置かざるを得ない。

 東京で舞台俳優として働く卓(たかし)は、幼い頃に自分と母を捨てた父の陽二が事件を起こして警察の御厄介になったという知らせを受け、久しぶりに故郷の北九州市に戻ってくる。父は認知症を患っていて同市八幡西区にある介護施設に収容されていたが、父の再婚相手である直美が行方不明になっていた。彼女の居所を探す卓だったが、直美の息子と名乗る男が現われたり、彼女の妹が陽二の面倒を見ていたという話が出てきたりと、父親の私生活の実相は杳として知れない。



 冒頭の、陽二が“検挙”されるシーンから、卓が打ち込む一般ウケしないような芝居(イヨネスコの「瀕死の王」)のエクステリアを経て、元気な頃の陽二のスノッブな生活様式が紹介されると、すでに映画に真正面から対峙しようという意欲は失せてくる。これは当方との接点を見出せないシャシンだ。

 陽二は大学教授として功績を残し、それなりのプライドは残ってはいるものの、実態は妻と息子を見放して別の女と懇ろになり、挙げ句の果ては加齢により前後不覚になって周囲に迷惑を掛けている困ったオヤジだ。こういう人物は共感できない。とはいえ息子の方も要領を得ない描写に終始しており、直美の消息も知れない。こんな雲を掴むような話のどこに感情移入すれば良いのやらさっぱり分からず、観ていてストレスが溜まるばかりだ。

 近浦の演出は、斯様な筋立てのハナシを唯我独尊的なタッチで進めているようにしか思えない。陽二役の藤竜也は付き合いきれない年寄りを巧みに演じ、卓に扮する森山未來や直美を演じる原日出子も万全。卓の妻に扮する真木よう子は無難なパフォーマンスで、三浦誠己に神野三鈴、利重剛といった顔ぶれも悪くない。しかし、肝心のストーリーがこれでは評価する気にはなれない。

 ただし、山崎裕のカメラによる清澄な映像は見応えがある。北九州市の風景はもとより、終盤に映し出される熊本県宇土市の有明海の景色は美しい。それだけは観て良かったと思った。

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