元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「海よりもまだ深く」

2016-05-28 05:36:00 | 映画の感想(あ行)

 丁寧に撮られた秀作だと思う。少なくとも是枝裕和監督の前作「海街diary」(2015年)より、遙かに良い映画だ。やはり前回のように、よく知られた原作の映画化ではフリーハンドで仕事をすることが難しい面があったのだろう。オリジナル脚本による今回は演出に余裕が出てきて、安心してスクリーンに対峙できる。

 主人公の良多は15年前に文学賞を一度獲ったことがあるが、それからは何も書けず、今は“小説の取材だ”と自分に言い訳しつつ探偵事務所に勤めて糊口を凌ぐ毎日だ。妻の響子はそんな良多に愛想を尽かし、早々に離婚している。ギャンブル好きでもある良多は11歳になる息子の真悟の養育費にも事欠く有様だが、別れた妻に対して未練たらたらで、仕事のついでに彼女を張り込み、その挙句彼女に新しい彼氏が出来たことを知ってショックを受ける。ある日、団地で一人暮らしをしている母の淑子の家にやってきた良多と真悟、そして息子を迎えにきた響子は台風で帰れなくなり、久々にひと晩を共に過ごすことになる。

 とにかく、淑子が口にする格言めいたセリフの数々が最高だ。もちろん映画のセオリーとしては、主題を登場人物に語らせることは得策ではない。しかしながら、人生の酸いも甘いも噛み分けた淑子というキャラクターを、これまた長いキャリアで日本映画を支えてきた樹木希林が演じると、たとえ発するセリフに教訓めいたニュアンスが感じられようと、全て許したくなる。

 本作のタイトルは、テレサ・テンの代表作「別れの予感」の歌詞からの引用だ。別れた相手を忘れられない気持ちを歌い上げたものだが、この曲がラジオから流れる場面で淑子は“海より深く人を好きになったことなんてないから生きていける”という名言(笑)を吐く。さらに“幸せってのはね、何かを諦めないと手に出来ないもんなのよ”というセリフに至っては、深く感じ入った。

 主人公は自らの文才で一度は脚光を浴びるが、その勢いで“人生の密度は濃くあらねばならない”と勝手に合点していたのだろう。しかし、現状は家族をも失ってしまうダメな中年男でしかない。考えてみれば、我々のほとんどは娯楽小説の登場人物のようなジェットコースター的な人生を送れるはずもないのだ。

 皆そこそこの幸せと、そこそこの諦念と、そこそこの屈託を抱きながら毎日に折り合いを付けて暮らしている。台風一過の朝にそれに気づく良多はほんの少し成長するのだが、そんな“人生の極意”を巧妙な語り口で提示される観客の側も、大いに納得してしまう。

 主役の阿部寛をはじめ、真木よう子、小林聡美、リリー・フランキー、池松壮亮、橋爪功とキャスティングは万全。舞台になる団地は是枝監督が若い頃に住んでいた清瀬市の旭が丘団地が使われたが、同じく団地住まいが長かった私にとっては、この雰囲気には心惹かれるものがある。明色系を活かした山崎裕のカメラによる映像と、ハナレグミの音楽も要チェックだ。

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