元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「セブン」

2007-06-24 19:58:33 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Se7en)新作「ゾディアック」が公開中の、デイヴィッド・フィンチャー監督が95年に撮った映画で、同監督の出世作でもある。作品でキリスト教における七つの大罪(大食、憤怒、嫉妬、高慢、肉欲、怠惰、強欲)に基づく連続殺人事件を追う二人の刑事(モーガン・フリーマン、ブラッド・ピット)を中心に映画は続く。

 この映画の前半はめちゃくちゃ面白い。のっけから醜いデブがスパゲッテイの皿に顔突っ込んで死んでいる殺人現場が映し出され、その不気味さと陰惨さに“うわっこれは”と思っていると、無理矢理切腹させられた悪徳弁護士や、鼻をそぎ落とされた女の死体やら、ベッドに一年間縛り付けられてゾンビ同然になった男など、エグいシーンのオンパレード。しかも殺す場面は出さないで、結果だけを追う展開はいっそう観客に残虐な想像を強いることになる。犯人は用意周到で、打つ手がすぐに読まれてしまう。果たして事件は解決するのか。

 どことも特定できないような都市。灰色の憂いの表情を見せる人々。絶えず雨が振りモノクロに近い町並みの風景。ブルージーなハワード・ショアの音楽。「ブレードランナー」の世界を連想させるが、暗鬱さではこっちが上である。自主映画風の冒頭タイトルのカッコ良さ。手持ちカメラを駆使した臨場感あふれる映像。犯人とB・ピットの追いかけシーンはその白眉で、そのスピード感に圧倒されてしまう。小道具やネタの振り方も申し分なく、この異常なスリラー劇には果たしてどんな結末がやってくるのかと、観客は固唾をのんで画面を見守るのだが・・・・。

 意外にも犯人は中盤に姿をあらわす。もちろんそれで終わりではなく、これが終盤の新たな惨劇の引き金となるのだが、ここからイッキに映画は失速する。原因は犯人に過度な自己主張をさせているからである。

 このジャンルの代表作「ありふれた事件」がなぜ衝撃的だったかというと、同じく犯人は饒舌ながら事件の確信に迫るセリフはひとつも吐いていないからだ。軽口を叩きながら娯楽みたいに殺しまくる、その現象面だけを捉え、もっともらしい言い訳はしないしする必要もない。厳然たる殺人の残酷さがあるだけだった。対して「セブン」の犯人はキリスト教の狂信者。いかにもキ○ガイの棲み家みたいな部屋のインテリアがそれを如実に語っているが、逆に言うとそれを見せるだけで観客を納得するのに十分であり、それ以上の説明も言い訳も不要のはずだ。

 ところがこの犯人は“デブは見苦しいから死ね”とか“悪い弁護士を殺すのは当然。反対に感謝状でも貰いたいぐらいだ”などと自説を主演二人に対して延々とまくしたてる。かつてのオウム真理教幹部の主張とほとんど変わらないし、フィクションである分、インパクトは弱い。さらに悪いことに、それによって途中でラストのオチも読めてしまうのである。

 もちろん、頭の悪いアメリカ人観客(あ、暴言だ ゴメン ^^;)に対するフォローとしてそういう説明もないとヒットしないのも当然で、意図はわかるのだ。でも、私としては不満。キレ具合が不足してファウルになった大飛球ってところか。

 それより印象的だったのは“こんな世の中に生まれてこない方がいい”と、恋人に堕胎を迫ったM・フリーマンの刑事の態度だ。はっきり言って理解の外にあり、考えようによっては犯人よりもコワい“思想”かもしれない。

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