元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「博士と狂人」

2020-11-09 06:28:33 | 映画の感想(は行)

 (原題:THE PROFESSOR AND THE MADMAN)堂々とした風格のある映画で、見応えがある。手際良くまとまった脚本と、揺るぎない演出。キャストの的確な仕事に、見事な映像と美術。扱う題材も興味深いが、それ以上に観る者の内面を触発する示唆に富んだモチーフの積み上げに感心した。今年度の外国映画を代表する秀作だ。

 19世紀末のイギリス。オックスフォード大学出版局は世界最高峰の英語辞典の製作に着手していた。その責任者に任命されたのが在野の言語学のエキスパートである、スコットランド人のジェームズ・マレーだった。ところが大量のデータを処理する必要のある編纂作業は困難を極め、進捗は芳しくない。そこにマレー充てに有用な資料を送ってくる謎の協力者が現れる。その正体は、アメリカ人の元軍医で精神を病んだ殺人犯のウィリアム・チェスター・マイナーだった。オックスフォード英語大辞典の誕生秘話を描いたサイモン・ウィンチェスターによるノンフィクションの映画化だ。

 叩き上げの研究者と、精神病院に収監された異能の才人という組み合わせは興味深いが、それ以上に2人のキャラクターは良く掘り下げられており、容赦ない内面描写には圧倒される。コンプレックスを抱えたまま、家族にも負担をかけて苦行に挑もうとするマレーの決意には感服するしかない。

 対して、南北戦争で大きなトラウマを抱え錯乱した挙げ句に殺人を犯したマイナーの苦悩もまた、観ていて身を切られるほどに厳しい。犠牲者の未亡人イライザに対する想い、罪の意識と赦し、身を挺して使命を貫徹しようとするマイナーの生き様には、大いなる映画的趣向が創出される。もちろん、世界一の辞書の製作という題材の面白さも十分に表現されていて、特に言葉の持つ奥深さや魔力の表現には端倪すべからざるものがある。

 特に文字を読めなかったイライザが、マイナーから単語を一つ一つ教わるたびに、視野と語彙をどんどん広げていく様子の描写は効果的だ。そしてマレーに対しては出版側や論壇からの圧力、マイナーには無謀な“治療法”を強いる病院側と、度重なる逆境に置かれる2人の苦闘とそれらの克服を粘り強く追う作劇は申し分ない。

 これが初監督作品になるP・B・シェムランの仕事は的確で、弛緩した部分が無い。キャストでは何といってもマレー役のメル・ギブソンと、マイナーに扮したショーン・ペンとの演技合戦が見ものだ。特にペンは彼にとって最良の演技の一つである。イライザを演じるナタリー・ドーマーとマレーの妻役のジェニファー・イーリーのパフォーマンスも申し分ないが、看守のマンシーに扮したエディ・マーサンが儲け役だ。音楽担当のベア・マクレアリーとカメラマンのキャスパー・タクセンはあまり聞かない名前だが、とても上質の仕事をしていて感心した。
コメント
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