元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」

2020-11-07 07:02:10 | 映画の感想(ら行)

 (原題:THE LAST BLACK MAN IN SAN FRANCISCO )面白そうな場面はあるのだが、全体的に薄味かつ散漫な印象で求心力があまり感じられない。かと思えば、時折取って付けたようなメッセージ性が強調されて、観ていて居心地が悪い。聞けば2019年のサンダンス映画祭の監督賞と審査員特別賞を受賞したとのことだが、それほどのシャシンとは思えない。

 サンフランシスコで生まれ育った黒人青年のジミーは、介護士をしながら親友で脚本家志望のモントの家に居候している。彼の興味の対象は、山の手にあるヴィクトリア様式の美しい邸宅だ。かつてこの家でジミーは両親と暮らしていたが、父親は経済的に維持できずに家を手放してしまった。それ以来、いつかこの家を取り戻そうと心に誓っている。ある日、ジミーは現在の家主が売りに出したことを知る。早速彼はモントと共にその家に忍び込み、家具を持ち込んで勝手に暮らし始める。だが、この物件の持ち主である不動産屋は、ジミーたちの思惑には関係なくドライに仕事を進めるのだった。

 冒頭、防護服に身を包んだ者たちが、海岸で廃棄物を撤去しているシーンが映し出される。そして、近くには環境保護を訴えて演説している男がいる。また、劇中では件の邸宅周辺は今はブルジョワの白人しか住んでいないことが示される。要するに“昔は良かったが、現在は環境が悪化した世知辛い街になってしまった”という懐古趣味を前面に出しているわけで、そんな後ろ向きのスタンスにまず脱力してしまう。

 そもそも、ジミーはどうしてモントと親友になったのかが推察できないし、この2人が罪の意識も無く他人の家に不法侵入するあたりもまったく共感できない。ジミーがこの家に執着するのは“以前住んでいたから。その頃は幸せだったから”という感傷以外に理由は見当たらず、自らの境遇を改善しようという意思が見受けられない。

 誰だって過去のノスタルジーに浸ることはあるが、それだけに拘泥するのは愚かでしかない。何しろ父親は別の場所に住んでいてあの家には未練はないし、母親に至っては偶然ジミーと会うまでどこに暮らしているか分からない始末だ。モントは劇作家を目指しているというが、ラスト近くでの“仕事の成果”を見る限り、大して才能があるとは思えない。こんな2人が見果てぬ夢を追っても、ドラマ的な興趣は生まれない。

 ただし、サンフランシスコの町は効果的に描かれている。金門橋や市電などの観光名所の風景はカラリとした明るさは無く、主人公たちの姿を象徴するかのように灰色に沈んでいる。2人が坂道をスケートボードで移動するシーンの絵面は面白い。ジョー・タルボットの演出はメリハリが不足していて平板だ。主演のジミー・フェイルズとジョナサン・メジャースはどうもパッとしない。ただ、ダニー・グローヴァーが久々に元気な姿を見せてくれたのは嬉しかった。
コメント
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