元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ジュディ 虹の彼方に」

2020-03-21 06:56:57 | 映画の感想(さ行)
 (原題:JUDY)かなりの力作で、キャストも熱演だ。見応えはある。しかしながら、物足りなさも感じた。それはひとえに、肝心な部分を描いていないことに尽きるだろう。米アカデミー賞では主演女優賞以外はノミネートされていない理由も、案外そんなところにあるのかもしれない。

 1968年。かつてミュージカル映画の大スターとして名声をほしいままにしたジュディ・ガーランドだったが、問題行動を重ねるあまり仕事が激減し、住む家も無いまま巡業で食い繋ぐ日々を送っていた。そんな中、ロンドンでの興行の話が舞い込む。ハリウッドでは“過去の人”扱いだが、英国ではまだ人気があったのだ。



 元のダンナに幼い娘と息子を預けて渡英するジュディだが、プレッシャーでステージになかなか上がれない。それでもひとたび舞台に立てば、素晴らしいパフォーマンスを発揮して観客を魅了。ショーは大盛況で、新しい恋人も出来て彼女の人生は久々に上向いたように思われたが、子供と離れていることによる心労で徐々に酒とクスリに溺れ、ついには舞台でも取り返しの付かないミスを犯してしまう。

 冒頭、少女時代のジュディが事務所関係者らによって芸能人としての“カタにハメられる”様子が描かれる。このモチーフは劇中何度か出てきて、彼女は十代の頃から私生活など無いに等しい状況だったことが示される。しかも、当時は合法だった薬物によって心身共にボロボロだ。作者は、若い時分から酷使されたことによってジュデイは不遇な晩年を送る羽目になったと言いたいようだが、残念ながらそれだけでは不十分なのだ。

 この頃のハリウッドスターは、程度の差こそあれ若手時代は皆ジュデイと似たような境遇ではなかったのか。彼女が落ちぶれたのは、自身が元々メンタル面で不安要素があったと思われること、そして親との関係が正常ではなかったこと、さらにはアカデミー賞で本命視されていたにも関わらずオスカーを獲得できなかったことなど、いくつもの要因が重なった結果だろう。にも関わらず映画はデビュー当時と晩年しか描いておらず、その間がスッポリと抜けている。

 だから、ロンドン公演での彼女の言動には共感できないのだ。これでは、周囲を困らせるただのオバサンではないか。いくらステージ上ではカリスマ性を発揮しようと、役柄の上では魅力を欠く。そもそも本作は、ピーター・キルターによる舞台劇の映画化であり、正攻法の伝記映画ではないことも影響していると思われる。

 主役のレネー・ゼルウィガーはさすがの演技で、本人による歌唱も堂に入ったものだ。ジェシー・バックリーやルーファス・シーウェル、ロイス・ピアソン、マイケル・ガンボンなどの脇の面子も万全。そして、少女時代のジュディを演じるダーシー・ショウのフレッシュな魅力も忘れ難い。だが、作劇面で踏み込みが足りないため、全体的にいまひとつ訴求力が高まらない。なお、劇中のナンバーのほかにもオリジナルスコアを提供したガブリエル・ヤレドの仕事ぶりも印象的だ。
コメント
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