元・副会長のCinema Days

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「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」

2015-04-25 06:16:01 | 映画の感想(は行)

 (原題:BIRDMAN OR(THE UNEXPECTED VIRTUE OF IGNORANCE))本作の勝因は主演にマイケル・キートンを据えたことであり、それ以外はハッキリ言ってどうでもいい。過去に特別な役を振られて見事に応えた俳優だけが持つカリスマ性を、改めて認識することが出来た。

 昔「バードマン」というヒーロー物のシリーズに主演して一世を風靡したリーガン・トムソンは、その後は役に恵まれずに年齢ばかりを重ねてしまった。何とか新境地を開拓するべく、彼はブロードウェイの舞台に挑む。

 出し物はレイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」の舞台化で、自ら脚色し、演出も主演も兼ねて一世一代の大勝負に臨もうとした矢先、出演俳優がリハーサル中に大怪我をしてしまう。代役に実力派との呼び声が高いマイク・シャイナーを起用するが、マイクの才能は降板した俳優より上であるばかりか、リーガンをも脅かすほどのものだった。主役が食われることを恐れたリーガンは、次第に精神的に追い詰められていく。

 図式としては、大して珍しくもない。切羽詰まった業界人の内面を現実と幻想を交えてニューロティックに描くというやり方は、ボブ・フォッシー監督の「オール・ザット・ジャズ」をはじめ過去に何回か見たことがあるような気がするし、ストーリーの根幹にある“家族や周囲に対する人間関係の回復”といったテーマも“何を今さら”と言いたくなる。

 エマニュエル・ルベツキのカメラによる全編ワンカット風の長回しや、主人公の内面を代弁するかのように出現するバードマンの造形も、さほどインパクトのある仕掛けだとは思えない。そして金儲け一辺倒のハリウッドに対する皮肉や、好き勝手に苦言と賞賛とを使い分けるジャーナリズム批判なども、あまり目新しいものではないだろう。

 しかし、崖っぷちに追いやられて右往左往する主人公をマイケル・キートンが演ずると、俄然映画的興趣は増してくる。言うまでもなく彼はティム・バートン監督版「バットマン」のタイトル・ロールであり、これが稀代の当たり役でもあった。ところが以後は話題作や高評価の作品には起用されず、当然のことながら賞レースにも縁が無いまま初老の域に達してしまった。そんな彼とリーガンは絶妙にダブってしまう。

 リーガンが舞台で反転攻勢に出ようとするように、キートンも本作で役者魂を掛けて懸命のパフォーマンスを披露する。特に後半でダイナミックな飛行アクションを(心の中で)演じてしまうあたりは、目頭が熱くなってしまった。

 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの演出は前作「BIUTIFUL ビューティフル」ほどの求心力は無いが、及第点には達している。主役以外のキャストではマイクに扮するエドワード・ノートンの憎々しさや、蓮っ葉なようで実は健気な娘を演じるエマ・ストーン、トシは取ったが相変わらず魅力的なナオミ・ワッツ等が印象に残る。そして、バックに流れるドラムのソロがとても効果的だ。
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