元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ラースと、その彼女」

2009-01-13 06:26:08 | 映画の感想(ら行)

 (原題:LARS AND THE REAL GIRL)いまいちピンと来ないのは、主人公の造型に納得できないものがあるからだ。トロント市の郊外に住む独身青年ラースが“これが恋人だよ!”と、同じ敷地内に住む兄夫婦に紹介したのは、等身大のダッチワイフ(リアルドール)だった。このような突飛な設定から、街の人々がラースとその“彼女”との関係を認知する有様を描く本作、このシャシンが説得力を持つためには、ラースのキャラクターが(少々の奇行を帳消しにするほどに)いかに万人に愛されるものであるかをテンション上げて描かなければならないはずだが、それが全く成されていない。

 冒頭近く、老婦人から手渡された一輪の花を、ラースは他の女性が近付いてきた際に照れ隠しのためかポイッと捨ててしまう場面がある。手渡した方はまだ彼の様子を見ているかもしれないのに、何とも無神経な奴だ。はっきり言って、このラースという男は“単に人付き合いが苦手な野郎”にしか見えない。まあ、時折は周囲の者に親切にしてやることもあるが、そんなのは普通のことだ。特別に皆から好感を持って受け入れられている人間とは、とても思えない。

 そんな根の暗い奴がダッチワイフを恋人代わりにしているというのは、どう見たって変態だろう。実際にこんなのが近くにいたら、全員“引いて”しまうに違いない。この映画がおかしいのは、特別に愛されるキャラでもないラースを周りの者達が無理矢理に“良い人間である”と思い込んでいる点だ。これはつまり“主人公が良い人間である”という事柄が作劇の記号でしか扱われていないことを意味する。

 一番大事なモチーフをなおざりにするとは、このクレイグ・ギレスピーなる監督の腕前は大したことがない。それとも、シナリオを書いたナンシー・オリバーの頭の中では“オタクは誤解されているだけで、本当は全員良い人間である”という手前勝手な不文律でも存在しているのだろうか。

 ラースに扮するライアン・ゴズリング、兄のポール・シュナイダー、その妻役のエミリー・モーティマー、皆悪くない演技であるが、映画のシチュエーション自体が愉快になれないので、諸手を挙げて評価するわけにはいかない。カナダの田舎町の美しい風景だけが救いである。
コメント
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