元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ファニーゲーム U.S.A.」

2009-01-19 06:35:45 | 映画の感想(は行)

 (原題:FUNNY GAMES U.S.)まるで観客に対してケンカを売っているような映画だ。監督のミヒャエル・ハネケが本国オーストリアで撮った97年製作の“元ネタ”はチェックしていないが、舞台をアメリカに移してのリメイクである本作だけを観てもその屈折ぶりが十二分に窺われる。湖畔の別荘地でバカンスを楽しもうとしていた一家が、突如侵入してきた頭のおかしい若造二人組によって徹底的に蹂躙されるという筋書きの本作、特筆すべきは通常のサスペンス映画のルーティンを一つ一つ丹念にひっくり返して行く極悪なプロットの積み上げだ。

 よくある“こうやれば主人公達は助かるはずだ”とか“やがてストーリーに光明が射すはずだ”とかいった、娯楽映画に付きもののモチーフは一切無し。それどころか、逆転のきっかけになるかと思われた小ネタをすべて不発に終わらせるという徹底ぶりだ。脇目もふらずに、お先真っ暗のバッドエンドに向けて突っ走って行く潔さに呆れつつも感心してしまう。

 残虐描写も堂に入ったもので、直接的な捉え方を廃している代わりに、サウンドと“その後の惨状”だけをクローズアップすることによって、暴力の激しさを暗示させるというイヤらしい手法を採用。前作「隠された記憶」でも開示されたこの監督の外道な資質が全面展開している。

 ただし、これは単に観る者を不愉快にさせることに腐心したゲテモノ映画ではない。ある面“暴力行為の本質”を描出している一種高尚なシャシンとも言える。早い話が、暴力を振るう側には憎悪とか義憤とか銭金の勘定とかいろいろと事情はあるが、暴力を振るわれる側にとってはどれも同じだということだ。さらに、暴力衝動を内に持つ者にとって、相手側の些細な非礼が絶好の暴力行使の口実になることも容赦なく示される。観客は若造二人の狼藉に気分を害しながらも、一方で“こういう悪党が反対に暴力を振るわれる場面”を想像してワクワクしているのも事実なのだ。

 そして本作がアメリカで再映画化されたのにも意義がある。言うまでもなく暴力描写を正義のオブラートに包んで正当化するハリウッドのエンタテインメント業界、自衛のためと称して平然と暴力の道具(銃)を所有する市民、さらには正義の御旗を振りかざして戦争を仕掛けるアメリカ政府などに対する皮肉だ。また昨今は明確な理由のない凶悪な事件が横行している日本の状況にも照らし合わせることは可能である。

 ナオミ・ワッツ、ティム・ロス、敵役にはマイケル・ピットとブラディ・コーベット等、キャスティングは申し分ない。ダリウス・コンジのカメラによる清涼な映像は格調の高さを感じる。悪意に満ちた快作として評価したい。ただケチを付けるとしたら、登場人物が観客の方を向いて話しかけたり、終盤近くの“リモコン操作”のくだりなど、策を弄しすぎた感があるのは残念。また被害者一家の振る舞いが間抜けすぎるのも減点だろう。それらが改善されればもっと点数は上がったはずだ。
コメント
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