goo blog サービス終了のお知らせ 

元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

憲法論議は冷静に。

2006-05-03 09:46:16 | 時事ネタ
 今日は憲法記念日だ。マスコミでは毎年のごとく護憲派と改憲派それぞれの言い分を取り上げているが、最近は改憲が実現性を帯びてきたことから、例年になく盛り上がっているように感じる。

 私のスタンスを明らかにしておくと、憲法改正賛成である。とにかく、あの意味不明の「前文」をはじめとして、浮世離れした空文を排除し、現実に合うように徹底的に作り直して欲しいというのが本音。

 ただし、昨今の改憲論議には諸手をあげて賛成できないというのも、また事実。何やら“憲法を改正すればすべてオッケー”みたいな風潮ではないか。自民党の某有名H議員がテレビで“拉致問題を解決できないのも、不審艦艇が近海をウヨウヨしているのに手を拱いて見ているしかないのも、すべて憲法が原因。だから改正だ”なんてことを言っていたが、そもそも憲法に周辺海域をどうこうしろなんて条文があるわけがないし、今後も入る予定もないだろう。

 我が国には刑法があるし、破防法もある。現行法で出来る限りのことを、やろうと思えばやれる。憲法には“他国に経済制裁をしてはならない”という条文はない。だからその気になれば経済面で北朝鮮を締め上げることも出来る。では、どうしてそれをやらないのか。つまりは政府の怠慢ではないか。だいたい、あのオウム真理教に対して破防法の適用さえ出来なかったほどなのだ。

 私は今の“憲法改正マンセー”という声は、先の選挙の“郵政民営化すればすべてヨシ”といったシュプレヒコールに通じるような気がしてならない。現行法でかなりのところまで追い込めるのに、責任をすべて憲法になすりつけて、責任逃れをしているのではないか。

 “平和憲法を死守しよう。憲法が変われば戦争への道まっしぐら”と唱える左傾政党の主張は世迷い言である。でも、同時に“憲法さえ変われば全部上手くゆく”という物言いも眉唾物であると思う。我々は将来具体的に示されるであろう改正案の一文一文を、そして政府の過去の対応ひとつひとつを冷静に考察し、是々非々で対応すべきだと思う。

 間違っても“護憲VS改憲”の“(中身の精査抜きの)単純二者択一”にしてしまってはならないと思う。そういうのは脳天気に過ぎる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シャープの“お笑い労使交渉”。

2006-04-25 06:46:34 | 時事ネタ
 新聞によると、シャープ(株)における今年の春闘の労使交渉が「35歳の社員だけに限られた500円の賃上げ」というトンデモな内容で妥結していたことが、4月19日に判明したそうだ。つまりはモデル年齢の組合員だけが賃上げされ、他の連中は賃上げゼロってこと。従業員をバカにするのもほどがあるんじゃないか? てゆーか、それ以前にこんなアホな案をよく組合が呑んだものだ(呆)。あまりの非常識ぶりに電機連合も「そんな妥結案は過去に聞いたことがなく、波及する恐れもある」と困惑しているとか。

 まあ、これが三洋電機みたいな経営が左前の会社だったら「あーあ、貧すれば窮すだね」といった感じで部外者は鼻で笑うだけで済むが、薄型液晶テレビの売り上げが絶好調なシャープは2005年度において前年同時期より8%以上もの売上高増を記録し、その点だけ見れば立派な優良企業だ。なのに、労使交渉ではこんな馬鹿なことをやって恥とも思っていない。

 今の若い者はあまり知らないだろうが、昔はシャープの製品といえば「安かろう、悪かろう」の代名詞だった。松下や東芝や日立は「一流」だが、シャープやNECやゼネラルや、そのあたりは(こと家電品に限っては)「三流」と見なされていた。今では確かに液晶では世界トップクラスの座にあるが、一般の家電品では相変わらず「三流」。作りがチャチで、すぐ壊れる。だが、それでも現在は消費者が一目置くような企業にのし上がったのは「ブランド」作りに成功したからだと言える。シャープのAV機器を購入する層は、ほとんどが「指名買い」らしい。シャープという名前だけで、他社との競合に関して大きなアドバンテージが存在している。こうなれば、企業としては強い。

 しかし、逆に言えばその「ブランド」のイメージが少しでも失墜すると、本来製品クォリティの面で足腰が弱い同社はイッキに愉快ならざる状態に追い込まれるのも確かだろう。今回の件はその意味で、シャープにとってかなりやばいのではないか。そういう姑息な労務対応をする会社、大儲けしているのに妙にシミったれた会社、そんな事実が新聞の一面で報道されれば、人件費をケチって浮いた分の金額以上に、「ブランド」イメージ低下による売り上げ減が危惧されるのではないだろうか。

 ただし、よく考えてみると、今回のシャープみたいにマスコミから取り上げられて顰蹙を買っているケースは、まだマシなのかもしれない。巨額の黒字を出しながら「500円のベースアップ」さえもやらない大企業があっちにもこっちにも・・・・。

 マスコミは少し前まで「ライブドアは欺瞞的な企業体だ!」みたいにバッシングに励んでいたが、ライブドアにしろイーホームズにしろ総合経営研究所にしろ、実体のハッキリしない「虚業」じみたところがあるのは間違いない。「虚業」である限り、胡散臭い面があるのも、まあおかしくもないわけで・・・・。でも、「阿漕な遣り口を展開しているあの企業やこの企業」の中にシャープをはじめとする立派な「実業」の会社が数多く含まれているのはどういうことか・・・・。

 要するにこういうことかな。今や「実業」だろうと「虚業」だろうと、目先の利益のために阿漕な稼業に勤しむのは当然で、ヘタ打って叩かれているいくつかの「虚業」の会社は脇が甘いだけであり、かつまたそれが現状に不満を持っている一般ピープルにとっての「ガス抜き」として機能している・・・・。「プロジェクトX」に出てきたような高い理想と矜持を併せ持った往年の経営者たちが退場した後、いまの「景気回復」とやらを支えているのは自分のカネのことしか考えていない「株主受けの良い」経営者だけになってしまったと・・・・。前にも書いたけど、ホリエモンだけが悪いんじゃないんだよね。

 いずれにしろ、シャープの製品はもう買いたくないな。一時は奮発して同社のデジタルアンプを購入しようかとも考えていたけど、今回の件で気分が萎えた。いつまでも液晶テレビが持て囃されるわけもなく(次々と新しい方式が提案されているしね)、昔の「安かろう、悪かろう」のシャープに戻る日も、そう遠くはなかったりして・・・・(爆)。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これが民主党の「生きる道」。

2006-04-09 07:21:30 | 時事ネタ
 民主党の新代表に小沢一郎が決まった。頭がカラッポの前原とか、頭がカチカチに固かった岡田と比べると、随分と安定感があることは確かだ。もちろん彼の過去のワンマンぶりを懸念する声もあるだろうが、それでも今の民主党の中に彼を凌ぐキャラクターはいないと思う。

 さて、そんな彼に何をやって欲しいか。それはズバリ“景気回復”をお願いしたい。

 ・・・・こんなことを書くと“マスコミでは景気は回復したと言ってるじゃないか!”という突っ込みが入るかもしれない。だが、国民のどれだけが景気の回復基調を実感しているのだろうか。ここ数年の間に給料が増えた層はどの程度いるのか。私が知っている複数の某大企業は、会社は大儲けなのにベースアップはおろかボーナスもビタ一文アップさせていない。景気が回復したと言ってるのは、企業の経営陣だけではないのか。

 ちなみに、先頃発表された2005年の暦年ベースの名目GDPの伸び率は1.4%でしかない。これぐらいで景気が良くなったと言えるのか。さらにはデフレ脱却の判断の一つであるGDPデフレーターはなおマイナスだ。国民生活基礎調査では一世帯当たりの平均所得が7年連続で減少したことが示されている。国民の半数以上が「生活が苦しい」と感じているのだ。貯蓄がゼロの世帯は増え、スーパーやコンビニの売り上げは減少し、失業率は少しは好転したといっても正職員の比率は確実に減っている。地方の経済的疲弊もヒドいものだ。

 「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるように、庶民の生活が苦しいと、人々の心は荒んでくる。昨今常軌を逸した犯罪が増えていないか。世界一治安の良い国であったはずの日本で、今や父兄が子供の通学路をパトロールしなければならない。規律の良さを身上とすべき自衛隊でも企業との癒着汚職事件が頻発している始末。

 国会はどうかといえば、国の予算を審議するはずの予算委員会で偽メール事件みたいな低次元のネタが延々と続き、そうこうしている間に肝心の予算案は通過してしまった。これは民主党の姿勢が小泉政権の亜流みたいな“改革路線”と、野党として相変わらずの“スキャンダル頼み”であることが与党に見透かされてしまったせいである。

 局面によっては改革のメソッドを競うこともいいだろう、確実なネタなら与党のスキャンダルを追求してもかまわない。でも、その前に小泉自民党と一線を画す確固としたスタンスが必要ではないのか。“改革”の名のもとに政財官の癒着を昂進させた自民党の“エセ改革”に敢然と異議を唱え、国民主体の“真の改革”を提言すること。つまりは国民生活をメインに置いた“本当の国益”を追い求める健全な保守政党路線こそが野党第一党の生きる道だと思うし、そういう具合に今の自民党との差別化を図っていかなければ、永遠に政権は取れないだろう。

 小沢の内政に関する力量は未知数である。しかし、彼のような海千山千の手練れが表舞台に立ったことで、ナガタ議員だのタイゾーだのといった“お子ちゃま政治家”の出番は少なくなるに違いない。国会をワイドショーのレベルから引き上げるきっかけが見えてきただけでも、彼の登板は意義があると思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

間違いだらけの“ビンテージ製品リスト”(PSE関連)

2006-04-01 07:55:38 | 時事ネタ
(音元出版Phile-web オーディオ・ニュースより大意引用)

 経済産業省は4月1日に本格施行する電気用品安全法についてPSEマークを付けなくても販売できるビンテージ機器の製品リストを公開した。(中略)対策の具体化を図るため、大手楽器店からの情報をもとに作成した「特別承認に係る電気楽器等一覧」を発表。対象製品を販売する場合、事業者は簡単な手続きで特別承認の申請を行える。

 同省では、事業者からの意見などをもとに、一覧を逐次更新するとしている。また、事業者が一度承認を受けた場合には、再度の申請をしなくても、更新後の「楽器等一覧」に掲載される製品の全てをPSEマーク無しで販売することができる。

 対象リストは、「電気楽器等一覧」という名称の通り、そのほとんどが楽器機器。オーディオ機器はほとんど含まれていない。また、デノンやパイオニアの最近発売されたDJ用プレーヤーなども含まれており、一般的な「ビンテージ」のイメージとかけ離れた製品もリストアップされている。

 さらに、デノンのアナログプレーヤー「DP-26F」など、それほど古くもない機器が入っているなど、対象製品の選定をかなり荒っぽく行った形跡が伺える。リストをめぐってまた新たな論争が起こりそうだ。

(引用終了)

 私もこの「特別承認に係る電気楽器等一覧」なるものを見てみたが、楽器のことはよく分からないものの、オーディオ機器だけチェックしても相当いい加減であることが一目瞭然だ。

 たとえばDJにも使われるテクニクスのSL-1200シリーズがエントリーされているのは当然として、なぜか名前が挙がっているのはMK2以降の製品だけ。無印は除外されている。そして何より、放送局でも使われたターンテーブルSP-10がリストに載っていないのは噴飯ものである。マッキントッシュや旧マランツの製品もなく、オープンリール型のテープデッキやPCMデコーダーも見あたらない。私も実家で愛用しているヤマハのアナログプレーヤーGT-2000なんて商品価値から言えば「ビンテージ」の末席を汚しても当然だと思うのだが、それもなし。

 フォステクスのVF160EXがリストに載っているが、これは現行製品ではないか。現時点でディーラーから新品で買えるものが、どうして「ビンテージ」なのか首を傾げるばかりである。

 これはたぶん、経産省の役人達は業者が提出してきた資料を、何のチェックもせずに漫然とリストアップしたのであろう。その理由は簡単だ。「チェック作業そのものに前例がない」からである。役人の世界では、目新しい仕事をしようとすれば、それ相応の内規や部署が必要になる。今回の場合、そんなのを作る時間的・物理的余裕はなかったと思われる。だからチェックしようにも「その根拠」がない以上、何もできないのである(まあ、それ以前に官庁のお偉方には音楽を聴くという趣味はないのだろうけど)。

 だいたい、この電気用品安全法ってのは製品の安全性を確保するという名目で作られたものではなかったか。今回ビンテージ製品に例外措置を設けたということは、ビンテージに限っては「安全性確立に関して軽い措置でOK」という筋書きが正当化してしまったわけだが、ビンテージ製品とビンテージ以外の中古品と「安全性」の査定について格差をつけてしまったということは、いったいこの法律の正当性はどこにあるのか。経産省が認識する「安全性」が「その程度」であるなら、最初から同省にこのネタを扱える資格がなかったとは言えないか。

 本当にくだらない。マジに、バカげている。

 そのうち「ビンテージであるかどうかを鑑定する特殊法人」なんてものが各都道府県ごとに出来たりしてね(爆)。建築基準法の「改悪」のときと同じく、またしても天下り天国が出現するってことだ(汗)。茶番はもうたくさんである。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“機会の均等”なんて幻想だ。

2006-03-28 06:52:23 | 時事ネタ
 小泉首相は2月1日の参院予算委員会で、小泉改革に伴う社会格差拡大などの「光と影」論議について「格差が出るのは悪いことではない。能力を生かせる機会が提供されることが大事」と述べた。また、今をときめくUSENの宇野社長の持論は「努力した人間が成果(金銭、地位他)を得るのが公平な社会である」というものらしい。

 なるほど「努力した者が報われる社会こそが望ましい」というフレーズそのものに異議を唱える者はいないだろう。だが、その「努力」の具体的中身は一体何だと問われれば、誰しも言葉に詰まってしまうのではないだろうか。

 たとえば、小さな町工場を切り盛りし、寝る間も惜しんで働く中小企業のオヤジがいたとしよう。たぶん彼の「努力」は相当なものだ。しかし、そんな「努力」も取引先の勝手な都合によりアッという間に水泡に帰してしまうという例は数知れない。あるいは駅前商店街の各商店主は地元の顧客を繋ぎ止めるためにかなりの「努力」をしているだろう。だが、近くに大型ショッピングセンターでも出来ようものなら、そんな「努力」など消し飛んでしまう。

 反対に、ネット取引により一日で巨額の株売買益を得た若者は、いったいどれだけの「努力」をしたのだろう。株分割で利益を大きく見せかけてM&Aの足がかりにした新興ファンドは、その件に関してどの程度の「努力」を払ったのか。さらにUSENの宇野社長は二代目である。彼が今の地位を手に入れるための「努力」と、裸一貫から企業を立ち上げた経営者の「努力」とは、いったいどちらが大きいのか。小泉首相だって親が政治家であり、地盤と看板とカバンは生まれながらにして約束されている。彼が政治家になるために払った「努力」と、元手がなく地方議員の秘書から成り上がった叩き上げの政治家の「努力」とは、どっちが上か。

 卑近な例を出すと、膨大な量の書類の整理に追われて日々残業ばかりのサラリーマンと、ハッタリと舌先三寸で雑事を他人に押しつけて、オイシイ仕事だけしかやらないサラリーマンとは、どっちが「努力」の量が多いのか。

 こう考えると、しょせん「努力」なんてのは抽象的な言葉に過ぎず、その「努力」の中身と方向性は、各個人が置かれたケースによってまったく異なることが分かる。場合によっては、無駄な努力をしない方が上手くゆくこともあろう。要するに「成果(金銭、地位他)を得た人間」すなわち「勝ち組」と「負け組」との「格差」は、「努力の量の多寡」だけで片づけられるものではないのだ。そこには「努力」以外に「才覚」や「運」というものが大きくモノを言う。「努力」をするだけで許されたのは、せいぜい学生時代までだ。

 小泉の言う「誰にでも能力を生かせる機会が提供されること」つまりは「機会の平等」というのもスローガンに過ぎない。どこの世界に「誰しも機会を均等に与える」みたいなスキームを達成した国があるのか。人間ひとりひとりは持って生まれた能力も違えば、環境も違う。もちろん個々のケースにおける「運不運」も厳然と存在する。それでも「機会を誰にでも均等に与えるのがベストな方法だ」というのなら、共産主義みたいなのに移行するしかない。

 あえて言ってしまおう。社会をマクロで見た場合、大事なのは「機会の均等」ではなく「結果の均等」である。

 もちろん、社会主義国家みたいに「すべての結果を均等にする」というテーゼはナンセンスだし、いくら「努力」の中身が千差万別だと言っても、あまり「努力」をしない人間にある程度の「結果」をタダで進呈してやる筋合いはない。私が言いたいのは、まっとうな社会人としてまっとうに生き、それなりの「努力」を怠らない人間に対して、最低限の「結果」は保証するような社会が望ましいってことだ。

 そこそこの学歴でそこそこの実力を持っていれば、誰しもそこそこの人生が送れる・・・・それが王道だ。この「そこそこの人生」ってやつこそ有り難いものはない。何しろ世の中のほとんどの人間は「そこそこ」のクラスなのだから(爆)。いくら頑張っても「成果主義」の名のもとに各人の経済状況を勘案せずにリストラされ、あるいはまっとうな大学を出ても就職もできず、「そこそこの人生」でさえ送れないような社会・・・・そういうのはダメだ。

 最近はフリーターやニートの連中に向かって「しっかりしろ!」と叱咤激励するような風潮があるようだが、まっとうな社会人が「そこそこの人生」からも見放される例が後を絶たない今、どこにフリーターやニートや「負け組」が「努力目標」を見出す余地があるのか。まずは「努力すれば手に入れられるカタギの働き口」のパイを大きくすることから始めるべきではないのか。

 小泉および宇野をはじめとする一部の「勝ち組」が唱える「機会の平等」「努力した者が報われる社会」というのは、現在の「勝ち組」の「特権」を限りなく認め、その他の連中に「努力不足」のレッテルを貼って永遠に「下流」のレベルに押し込めようという、極めてエゴイスティックなものでしかないと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

財政再建至上主義には愉快になれない

2006-03-15 06:46:43 | 時事ネタ
 “もういいよ!”と言われるかもしれないが(爆)、再び財政赤字について述べてみたい。去年の選挙の前にテレビのニュース番組でキャスターの古館某が“あふれる財政赤字! まさにニッポン崖っぷち!”と煽っていたが、そう言ってる本人はたぶん財政赤字と財政危機と財政破綻との違いも分かっていなかったんだろう。

 国家財政が赤字・・・・確かに褒められたことではない・・・・ように思える。だが“赤字が膨大だ。このままでは破綻だ。ああ大変だ大変だ”と嘆いている奴に対し、こう言ってみればどうだろう。

 “財政赤字が700兆だか800兆だか、財政赤字額の対GDP比はかなりのもので、この数字だけ見たら確かに大変だね。でも、今のところ国債のデフォルトも大恐慌も起こる気配はないんだよね。そもそもアナタは「このままじゃ破綻だ」と言うけど、いったい財政赤字がどのぐらいになれば、国家財政は「破綻」するのかな?”

 かなりの確率で、相手は黙ってしまうはずだ。ほとんどの一般ピープル及びマスコミの認識も、たぶん「その程度」である。つまりは莫大な財政赤字の額だけを提示されて、単純にビビって浮き足立ち右往左往してしまうのだ。少しでも冷静に“そんなに財政赤字額が大きいのに、現時点でどうして国家財政は破綻しないんだろうか・・・・”と考えればいいのだが、一般ピープルにとって、この“冷静な考察”ってやつが最も苦手らしい。

 財政赤字額に驚く前に、これだけの赤字がありながら今でも国債を出し続けていられる日本の“国力”ってものに少しは想いを馳せたらどうなのか。ハッキリ言って、財政赤字ばかり気にするのは“自国を貶めている”という意味で、所謂“自虐史観”と根が一緒である。山のような対外債権と政府所有資産があり、財政破綻とは縁のないはずの我が国の状況には目もくれず、ひたすら“赤字を出す日本の財政構造は問題だァ!”と勝手に自虐している連中が何と多いことか。そういう本人達に限ってロクな額の税金を払っていなかったりするのだから、お笑いぐさだ。

 どこぞの学者が“自虐史観というのは、正確には「自虐したふり史観」だ”と喝破したように、自虐史観論者は“日本はヒドい国でした”と嘆く一方で“日本の過去を断罪しているオレってエラい!”ってな感じで自己満足に浸るという歪な精神構造を持っている。それと同様、財政赤字を憂えている連中は“国家のことを考えている我々は素晴らしい!”とでも言いたいのだろう。だが“自虐したふり”だろうが“憂国したふり”だろうが、テメエらの精神世界で自己完結している点は同じだ。私はこの“実社会を無視した精神論”ってやつが大嫌いである。

 時事ネタに言及する上で“精神論”なんて百害あって一利無しだ。そんなことより大事なのは冷徹な“損得勘定”であり“現実論”である。財政赤字に関して国民サイドからの“損得勘定”で言わせてもらうと、我が国の財政が簡単に財政破綻するほどヤワな構造でない以上、一般ピープルが“国家の借金が増えているのは大変だ!”と狼狽えるのは禁物である。そういう“実社会を無視した精神論”に囚われると、小狡い官僚や政治家やマスコミにつけ込まれ、あとは増税か緊縮財政かの“憂鬱な二者択一”を押しつけられるだけ。国民にとっては“損”である。

 もっと国民は“損得勘定”について執心すべきではないのか。もっと我が侭になったっていいのではないか。単純に“給料上げろー、職よこせー、税金安くしろー、犯罪を減らせー、福祉も充実させろー”と、自分達にとって“得”になることばかり言っていればオッケーなのであり、また我が国にはそれを実現させる元手もスキルも存在するのである。我慢なんかする必要はない。そもそも国民が“現実無視の精神論”に囚われてピント外れの我慢をするとロクなことはない。先の戦争の「前夜」がそうだったじゃないか。

 今のところ、真に“損得勘定”に長けているのは一部の(輸出関連)大企業の幹部であり、官僚であり、政治家だ。もちろん、自分達の“得”のためには、一般ピープルにくだらない“精神論”を吹き込んでババを掴むように仕向けるなんてのは日常茶飯事。もちろん、そんな構図は以前からあったのだが、小泉政権時代になってから露骨になってきたように感じる今日この頃である(^^;)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

納得できない「電気用品安全法」関連

2006-03-12 17:09:54 | 時事ネタ
 オーディオねたに関連するわけでもないのだが、現在使っているアンプを買い換えるとして、今後は古い方を下取りに出せないし、中古屋に売ることも出来なくなる。そう、昨今話題の「電気用品安全法」とやらが4月より完全施行されるからだ。この法律、社会全体に及ぼす悪影響は計り知れないものがある。

 まず、家電品を扱っているリサイクルショップの多くは困り果ててしまうだろう。もしも続けたかったら経済産業省に申請して面倒くさい検査手続きを経た上で当該機関から「PSEマーク」をもらってようやく販売ができるらしいが、その費用と手間は販売業者の負担。当然、その商品に対する全責任をも(製造業者でもないのに)負うことになり、そんな悪条件で商売をやれという方が無理である。

 そして、家電品の修理なんかで日銭を稼いでいる零細電器屋も打撃を受ける。古い家電品は修理したくても出来ないのだ。新品を売ろうとしても値引率や品揃えでは大手電器店に対抗出来るはずもない。結果、多くの廃業者を出すことになろう。

 払い下げの電気機械を使用している町工場も深刻だ。もしも使用している製造機械が故障したらアウトなのである。これでは大口の注文も取れないどころか、事業計画さえ組めなくなる。まさに死活問題。

 消費者側も実に困る。電化製品の新しい機能なんて覚えられないし覚える気もない年寄りはどうするのか。長年使い慣れた製品がちょっと壊れたから修理して貰おうと思っても、それが出来なくなる。なけなしの年金から新品電器製品を買う費用を捻出させ、老体にムチ打たせて使い方を一から覚えさせて、いったい何になるというのか。

 新品家電品を買えない貧乏社会人や日用品を安く調達したい貧乏学生はどうするんだ。音楽をやりたい貧乏な若造連中はどうやって電気楽器を調達するのか。ヴィンテージもののエレキギターや電子オルガンもほとんどが売買禁止だ。“名器”と呼ばれるオーディオ製品も手に入らなくなる。ムーグだのアープだのといった古いシンセサイザーも使えなくなるというのでミュージシャン達が抗議の声を上げているが、それも当然だ。

 だいたい“壊れたら修理して長く使う”“要らなくなったら欲しい人に譲る”という正常な庶民の在り方を破壊しようとしているのが気にくわない。「もったいない」(by環境省)というスローガンが聞いて呆れる。この法律は国民に“モノを大事にせずに、使い捨てる”という非道な生活様式を強要するものである。

 で、この法律でトクをするのは誰か。言うまでもなく大手電器メーカーの幹部だ。消費者にコンスタントに新品を買わせて無駄な出費を強制し、自分達だけウハウハである。そして、どうせ買う側は使い捨てにしか出来ないので、製品の耐久性などについてはどんどん手を抜いてくる。堅牢で動作確実性の高い製品より、保証期間過ぎたらすぐに壊れる製品こそがメーカーにとって望ましくなるのだ。そんな製品は国内で作る必要はない。人件費の安い中国にすべて丸投げだ。よって国内の製造拠点はリストラされ、産業空洞化は進み、ますますデフレ圧力は高まるというわけだ。

 さらにはこの「PSEマーク」を付与する検査機関とやらもすべて官僚の天下りになることが予想されているという。何のことはない。例の建築基準法改悪による姉歯系マンションの続出と構図は全く一緒ではないか。

 そして最近知ったのだが、経済産業省は松下電器産業が製造した石油温風機のトラブルを受けて、購入から一定期間がたつと製品が作動しなくなる「タイムスタンプ」機能を商品に付けるような方向で制度整備を検討しているという(唖然)。これが実現したら、我々国民は生活財の使用様式まで“お上”に規制されることになる。不具合が見つかったら今回松下がやったようにマスメディアで周知して回収すればいい話。製品の瑕疵を隠蔽するがごとく最初から自爆装置つけて定期的に買い換えてもらおうなど、まさに愚の骨頂だ。いったい、いつから日本は社会主義国になったのだろう。

 改革の名を借りた生活破壊・文化破壊はとどまることを知らず、“官から民へ”なんてのは口当たりが良いだけのスローガンであり、実のところ「政・官・財」の利権支配を助長するだけの現政権の欺瞞性にまだ多くの国民が気づいていないとは、ほとほと困った状況であると、改めて思う。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長期金利と名目経済成長率

2006-02-09 20:45:23 | 時事ネタ
 2005年末の経済財政諮問会議で、長期金利より名目経済成長率を高めに見通している従来の政府見解に対して「楽観的すぎる」との異論が相次いだらしい。これまでより成長率を厳しく見れば歳入の伸びは鈍り、金利を高く見れば国債の利払いによる歳出はより増える。このため、異論に沿って見解を見直すと、財政再建の見通しも厳しくはじく必要がある。(2006年1月4日 朝日新聞)

 たぶんマスコミとしては、関係者をこの「長期金利が名目GDP成長率より高くなる派」と「同、低くなる派」とに単純分割して“さて、どちらが勝つかなァ”と高みの見物を決め込むつもりだろうが、ハッキリ言ってマスコミも経済財政諮問会議のメンバーの連中も脳天気に過ぎるスタンスである。

 彼らはそもそも問題の意味すら分かっていないのだろう。確かに長期的スパンで見れば、長期金利は名目成長率にインフレ率が上乗せされた水準にあり、よって物価水準がプラスにシフトしてゆく限り長期金利のほうが名目成長率よりも高くなる。対して実際の成長率が高く見込まれた高度経済成長期などには、名目成長率が長期金利を上回る局面があった。しかし、こんなのは単なる「結果論」あるいは「現象面」での話でしかない。当事者としてそれを“どっちが高くなるのかなァ”と“予想”しているだけで果たして良いのか。

 “予想”なんてのは評論家に任せておけばいい。経済財政諮問会議のメンバーがやるべきことは、長期金利と名目成長率を“予想”することではなく、実際に“どうするか”、つまりは、名目GDP成長率をどうやって上げるかを提案しなければ話にならない。

 竹中平蔵は“4%は伸びるんじゃないか”と寝ぼけたことを言ってるが、名目GDP成長率をアップさせる具体的施策を何も実施せず、デフレ基調を放置して名目成長率がそんなに上向くはずがないではないか(注:名目成長率=実質成長率+インフレ率)。まさか構造改革の促進とやらで何とかなると思っているんじゃないだろうな。竹中の脳内で構築された“サプライサイド経済学”ではそうなるのかもしれんが、実体経済において構造改革(生産性向上)が国の経済マクロを押し上げた事例など(少なくとも我が国では)存在しない。

 本気で名目GDP成長率を上げようと思うのなら、やるべきことは“過去の歴史”が証明している。だが、政治家もマスコミも(意識的か無意識的かは知らないが)それを完全に無視している。“長期金利が名目GDP成長率より高くなるのかなァ。ならば増税も仕方ないなァ”という“予想”の世界で遊んでいるうちに、国民生活は苦しくなる一方だ。いい加減、茶番はやめてもらいたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホリエモンだけが悪いのか?

2006-01-30 19:03:17 | 時事ネタ
 ライブドアをめぐる騒ぎが連日マスコミを賑わせている。でも、ライブドアの所業が、日々大仰に報道されなければならないネタなのか? そんなに一大事なのか? ハッキリ言って、程度の差こそあれ「不正」あるいは「非道義的なこと」が行われている会社も少なくないのでは? ライブドア以外がすべて清廉潔白ならば、税務署も国税庁も要らないはずだ(笑)。

 ライブドアの若造社長を毛嫌いする向きも多いようだが、逮捕される前までは私はそれほどイヤな奴だとは思っていなかった(まあ、それほど好きでもなかったけどね ^^;)。彼が「株転がし」やら何やらで会社を大きくしようと、それは資本主義のルールにのっとってやっただけの話だ。また、彼がいなければプロ野球の「縮小均衡」を阻止出来なかったのも事実。たとえその意図が「名前を売って株価をつり上げる」というものであろうとも、結果的にはチーム数が少なくなってショボくれたプロ野球を見ずに済んだのだ。

 もちろん選挙に出馬したときは「なんだコイツは!」と思ったが、それは政治家候補として不信感を持ったに過ぎず、選挙が終われば「タダの企業人」であり、それ以上でも以下でもない。彼が率いる会社も「単なる一企業体」に過ぎない。しかもライブドアは某豊田商事みたいに一般ピープルのカネをかすめ取るようなこともしていない。この騒ぎで損をした投資家もいるだろうが、言うまでもなくそれは「自己責任」である。

 どう考えても「一企業体の失態ぶり」でしかないライブドア関連のネタに対し、これほど大騒ぎする合理的根拠は存在しない。そんなことより、世の中にはもっと糾弾すべき「不正」はいっぱい存在しているではないか。たとえば、一昨年に政府が「目先の円安」を達成するために為替市場に投じたカネは30兆円を超える。それにより一部の輸出関連大企業は大儲けしたが、日頃やれ「財政赤字が深刻だぁー、増税もやむなしだぁー」と言い募っているマスコミが、この「30兆円以上の無駄遣い」について何も指摘しないのはどういうわけだ。

 気になるのは今回の騒ぎが「単なるガス抜き」になりはしないかって事。ライブドアの若造社長は確かにヘタを打ったが、彼が「諸悪の根元」であるわけもない。彼を批判したいのなら、その前に彼みたいな男がのさばるようになった「背景」を考えるべきだ。言うまでもなくそれは「構造改革マンセー」なる風潮それ自体であるが、各マスコミはその点完全に及び腰だ。責任を全てホリエモンにおっかぶせて自分達は知らぬ振り・・・・なんていう雰囲気は不愉快極まりない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公務員は、増やすべきだ。

2006-01-23 06:50:39 | 時事ネタ
 国会が始まり、政府は昨年6月に概要が固められた国の経済政策の指針「骨太の方針」のスタンスで国政に臨む様だが、言うまでもなく「骨太の方針」の中では経済財政諮問会議によって公務員の削減について純減目標の策定が指示されている。

 「骨太の方針」自体には問題点は山積しているが、この公務員削減に関して異論を差し挟む向きはほとんどない。それどころか、どのマスコミも「公務員を減らして財政再建の一助とせよ!」の一点張りだ。一般市民レベルでも「公務員みたいなラクして給料もらっている連中は減らすべきだ」との意見が大勢を占めている。

 しかし「子供に一番就かせたい職業」も「学生が将来一番就きたい職業」も依然として公務員であり、巷には公務員試験の専門予備校があふれかえっている。公務員人気に翳りが見えたのはバブル全盛期ぐらいじゃなかったろうか。いわば皆「公務員はラクして給料もらいやがって!」と表面上は嫌いながらも、その実「ラクして給料もらえる公務員」になりたくて仕方がないのだろう。いわば一般庶民の「表面的な公務員嫌い」は、自分たちが公務員になれなかったことに対する僻みの部分が大きいと思う。

 断っておくが、その「ラクして給料もらえる公務員」なんてのは、公務員全体で見れば、そう大きな割合は占めていない。私の知り合いの市職員も県職員も、残業時間は私よりずっと多く、年度末あたりには徹夜状態が続く(それでいて、安月給)。これが官僚になってくると、ほとんど「24時間営業」だ。でも、その「ラクして給料もらえるボンクラ公務員」も確実に存在するし、たとえ多少仕事がハードでも、少なくともリストラの心配はない。逆に言えば、いかに皆「リストラの心配のない職種」を欲しているかということだ。

 さて、私の意見はこの「骨太の方針」とは正反対で、いささか暴論ながら、公務員は増やすべきだと考える。もちろん、役所の窓口で横柄な口を叩いている「単なる下っ端事務屋」は極力減らせばいいと思うが、本当に人手の足りない「公的な職種」は少なくない。

 たとえば警察官だ。不法滞在の外国人を取り締まろうにも人が足りない。これで多様化する犯罪・テロに対して対応できるのだろうか。日本版のFBIぐらい出来てもいい。消防官だってそうだ。地震や大型災害で一番頼りになるのが彼らだが、その数は万全ではないだろう。近くに「テロ国家」が存在している以上自衛官も増やした方が良いし、激動する国際情勢を見据えるためには情報機関の創設も急務で、そのためにも数多くの人員が必要になる。

 また、事務系であっても、民間会社で実務を積んでいながら理不尽なリストラに遭った人材を多数公務員として採用すべきだとも考える。役所の業務効率化と失業対策の一石二鳥だし、何より「リストラされても、最終的には国や自治体が面倒を見てくれるかもしれない」という安心感は、どれだけ社会に安寧を与えることか。経済苦による自殺にも歯止めがかかるはずだ。そして、若年層に対しても、そんなに劣ったところがないのに職が見つからない者については、期間限定で公務員にしてやってもいいではないか(もちろん、勤務態度優秀ならば継続採用)。

 実を言えば、人口あたりの公務員数では、先進国の間では日本はかなり下位だ。アメリカやフランスと比べればずっと少ないのである。公務員削減による経費縮小よりも、公務員増員による個人消費テコ入れに伴う税収増の方がはるかに健全ではないか。だいたい、採用されなかった者が僻むほど、我が国では公務員が人気職業であるならば、その「人気職業」のパイを多くしてやっても罪になるまい。ともあれ、他人(公務員など)に対するルサンチマンによる縮小均衡指向など、まっぴら御免である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする