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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

再度、消費税率アップについて考える。

2006-01-11 06:53:25 | 時事ネタ
 1月7日の書き込みに対するコメントに答えると共に、消費税増税についてもうちょっと述べてみたい。

滋さんsaid
>私は直接税を限りなく0にすることと、歳
>出の無駄を乾いたぞうきんをしぼるように
>した上で、消費税率を30%にしたらいい
>のではなかろうかと考えています。
>無謀ですかね?????

 実を言うと私は税制全般については詳しくないので、直接税と間接税、どちらをメインした方が国家財政と国の経済マクロは安定するのか、そういうことを学術的に論ずる資格はない(汗)。ただしこれだけは言える。少なくとも日本の場合、実際的には直接税の比率が高い時期の方が景気は安定していたのである。

 90年から始まったバブルの収束は、最高所得税率を75%から50%へ引き下げ、同時に3%の消費税を導入したことから始まったと考えて良い。さらに98年には最高所得税率が50%から37%にダウンし、それと共に消費税率が5%になった。結果どうなったかは言うまでもないだろう。

 国の経済が安定するにはマクロ的な需要が常時十分存在することが不可欠である。消費税率がアップすると一般ピープルの消費需要は低減する。ならばそれをカバーするように「金持ち層」がバンバン消費を増やすのだろうか。

 ハッキリ言って、金持ちほどケチではないのか(爆)。

 昔、土光臨調なるものが持て囃された。土光会長が贅沢な食生活には縁がなく、メザシを食べる姿にみんな感心していた。ところが実際彼は当時某大企業の会長職に就いており、相当な金持ちであったのだ。金持ちならば金持ちらしく、ハデに消費すればいいと思ったものだが、誰も表だってそういうことは言わなかった。それどころか「あんなに金持ちなのに質素倹約に励むのは、立派なことだ」という論説がまかり通っていたのだ。

 欧米ではどうか知らないが、日本では「金持ちの倹約」が美徳とされるらしい。たとえ本人が「カネ持ってるからハデに使いたい」と思っても、世間が許さない。たぶんテレビの特番で取り上げられる「金持ちの豪邸」なんていうネタに該当する富裕層はごく一部だと思う。

 さて、こういう消費構造で「直接税を限りなく0にして、消費税率を30%に」したらどうなるか。金持ち層は(ケチだから)所得減税で手取りが多くなった分をなかなか消費に回さない。他方、一般ピープルは物価の割高感により消費を減らす。つまりは消費性向の高い貧乏人から消費性向の低い金持ちへゼニが移動するだけだ(そしてそのゼニは金融機関の金庫で眠るだけ)。よって総需要の冷え込みにより景気は低迷するってわけだ。

 ならば一般ピープルがモノを買わないのなら、輸出で儲ければいいという話も出るかもしれない。しかし外需のGDPに占める割合はわずかである。しかも、輸出攻勢をかけ過ぎると中長期的には円高圧力になって跳ね返ってくるというのは国際金融の常識だ。

 マスコミをはじめ、多くの人たちの認識は「財政収支を改善させるには、歳費削減と増税しかない」というものだろう。実はこれが違うのだ。単純に考えればよい。たとえばある企業が経営不振に陥っている時、経営者はどうするか。まっさきに経費削減と販売単価値上げだけを考える者なんていないだろう。まずは売り上げアップを目指すはずだ。経費の削減は次善策。ましてや商品の値上げなんかすればアホと言われるだけだ。財政収支も同様で、最初は売り上げアップ(景気浮揚による税収増)を図るのが本筋ではないのか。中身を考えない(金額面だけに着目した)経費削減はスマートではなく、商品の値上げ(税率を上げる)など愚の骨頂であろう。
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少子化対策より景気対策

2006-01-07 08:09:29 | 時事ネタ
 産経新聞1月3日付社説より引用する。

<引用開始>
 少子高齢化・人口減による経済社会の担い手不足が顕在化する中で、「受益」を抑制・削減し、それに見合う「負担」を広く求める新しい税財政構造への大転換が不可欠なのである。
<引用終了>

 要するに、少子高齢化トレンドを見据えた国民の負担増(具体的には、消費税率のアップ)は当然だと言いたいらしい。この論調は産経に限らずどこの新聞でも似たようなものだが、これらは少子化問題の何たるかが全く分かっていない与太話だと断言できる。

 少子化の原因とは何かと聞けば、かなりの割合で「教育費(をはじめとする子供にかかる費用)の高騰化」との答えが返ってくるはずだ。小泉首相のメールマガジンにもそう書いてあるから、政治家がそれを知らないはずもない。この状態で消費税率を上げると、子供に関する出費負担の割高感が大きくなり、若い夫婦はますます子供を作らなくなる。そうやって少子化はスパイラル式に進むってわけだ(タメ息)。

<引用開始>
 もはや増税は不可避である。焦点の社会保障給付を成長率並みに抑制しても、公費負担は消費税12%分に上ると財政制度等審議会は試算している。
<引用終了>

 その「財政制度等審議会」とやらのメンバーは、橋本政権時に消費税率が3%から5%に上昇した際、せっかく上向きかけていた景気がイッキに冷え込み、税収が減って逆に財政赤字が増えたことを忘れたのだろうか。5%から12%といえば税率が2.4倍のアップであり、3%から5%に上がった時の約1.6倍を大幅に上回る。これが経済マクロにどれだけダメージを与えるか、想像したことがないのだろうか。

 平均株価の上昇や(一部の)企業の好況感をもって「これで景気は回復した」と断言することほど愚かなことはない。失業率は高止まりだし、その雇用者も3人に1人が非正規社員である。頑張っても正職員には成れず、人生設計さえ描けない。わずかな稼ぎも消費税率アップで目減りする。そんな社会情勢で、出生率が上がると考える方がおかしい。児童手当が少々増えても焼け石に水だ。

 本気で少子化を食い止めたいのなら、まずは景気を良くすることである。ここでいう「景気」とは日銀短観などの「経営者の感想」を参考にしての「景気」ではない。名目GDPが高率の上昇推移を見せ、国民の所得水準が上昇し、失業率が激減することが、本当の「景気」の回復である。「不景気」では子供は増えない。

 まあ、このまま所得の二極化が進み、上流・下流という呼び方に象徴されるような階層の固定化が極限にまで進んでしまうと、逆の意味で子供は増えるかもしれない。つまりは「貧乏人の子沢山」というケースの「復活」だ。もっとも、そうなれば日本はオシマイなんだけどね(笑)。
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女子フィギュア日本代表の選考について

2005-12-27 06:57:26 | 時事ネタ
 すったもんだの挙げ句、浅田真央選手は五輪に出場しないことが決まった。一部の掲示板などで「やっぱりルールはルール。厳粛に守らないとね」なんていう文章をいくつか目にしたが、ちゃんちゃら可笑しいと言うべきだろう。スポーツの国際組織が決める「ルール」とは真の意味での「ルール」ではない。あれは関係者のパワーバランスによる「落としどころ」を示したものに過ぎないのだ。だから組織内の力関係が変われば勝手にルールも変わる。スキー板の長さの基準が変更になったことなどその代表だ。

 ハッキリ言って、いくら日本の女子フィギュア陣の水準が高いといっても、マジに五輪で優勝を狙えるレベルに達しているのは浅田真央選手しかいない。素人目で見ても、ズバ抜けている。現時点での持ち点もダントツだ。だから、本気で日本スケート連盟が金メダルを取ろうと思っているなら、あらゆる手を使ってでも彼女を出場させるべきだった。その手段とはもちろん“根回し”である。関係者・関係国を巧妙に言いくるめ、バレない程度にカネをばら撒き(笑)、あるいは脅してすかして賛同者を募る。それがスポーツ・ビジネスというものだ(おいおい ^^;)。

 しかし日本スケート連盟は、ISUのチンクワンタ会長に書簡で特例を打診したに過ぎなかった。結果はもちろん却下。正面から“ルールを変更して貰えないでしょうか”と言っても、あっちは“ダメッ”と答えざるを得ない。いわばこれは“日本スケート連盟としては、ひとまず努力はしましたよ”というポーズに過ぎないのだな。ガキの使いと一緒だ。


 つまり、最初から日本スケート連盟は彼女を五輪に出場させる気などなかったのだ。それはなぜか。彼女が出ることによって出られなくなる選手の関係者からの圧力であるとしか考えられない。ちなみに、どう見ても本調子とは思えない安藤選手が五輪に出ることになったのは、彼女のバックに某大手自動車会社が付いていたからと思って良かろう。

 もしも、アメリカに浅田選手みたいに“年齢基準にわずかに達しないけど、凄い実力を持った選手”が現れたとしたら、ありとあらゆる汚い手段を使って「ルール」を変更させ、五輪に出させるに違いない。それはもちろん関係者にとっての“オリンピックでのメダル獲得者”を売り文句にした将来の興行的大儲けに繋がるからだ。それがまた結果的に“国の名誉”にも繋がるのだから、まあ一石二鳥と言えなくもない(笑)。

 対して日本は国内のチマチマとした勢力争いにより、肝心のメダル獲得を遠ざけている。まるで愚の骨頂だ。

 もっとも、たとえ「ルール」が改正されたところで浅田選手自身が“五輪に出る気はない”と主張するのなら、それはそれで個人の意志は尊重されるべきだと思う。ただし、周囲がおだてて、本人に“やっぱり出たい”と思わせるようにすることも“根回し”のひとつには違いないが(爆)。
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消費税率アップには賛成できない

2005-12-14 20:01:44 | 時事ネタ
 12月11日付の毎日新聞紙上で、論説委員の玉置和宏が消費税問題に関して“安普請の「消費税衰亡史」”と題し、持論を展開していた。彼は俗に言う財政再建論者であるらしく、消費税率アップに賛意を表明しているように見える。まあ、何を主張しようと自由だが、ではその論拠はどうなのかというと、これがいささか心許ない。

(引用開始)
 97年4月から5%に税率アップした年の秋以降に金融機関の倒産が相次いだ。これは消費税のせいだと、エコノミストたちが言い立てるものだから、すっかり経済の悪役スターとなった。
 そんなに消費税が景気に悪影響を与えるなら、いま景気が日本より不調なドイツがどうして16%から19%にまで上げようとしているのか聞いてみたらいい。高齢者医療、年金、介護など社会保障の見直しを進めるためと、至極当たり前の答えが返ってくるはずだ。
(引用終了)

 橋本政権時の消費税アップが景気の急降下と国家財政の悪化を招いたことは周知の事実だと思っていたが、ここにそれを認めない識者が存在していることに驚いた。もちろん、それなりに言い分に筋が通っていれば文句はないのだが、彼の意見はすなわち“ドイツではこうだった。だから日本でもこうだ”という上辺だけの単純比較だ。

 このネタを外国と比較するのなら、たとえばドイツ政府の財政構造と税収の推移、および国民の消費性向や貯蓄性向など、数々のファクターについて考察を加えねばなるまい。それをスッポかして社会保障費の見直しという御題目だけを取り上げて税制の在り方を断定してしまう態度はスマートではない。だいたい、たとえば消費税率を3%アップさせるとして、日本のように5%から8%上がるのと、ドイツのように16%が19%に上がるのとでは、上昇率に雲泥の差がある。それを度外視してアップする税率だけをあれこれ言っても仕方がない。

 単純に家計ベースで考えて、消費税がアップして消費が増えることは考えられない。中には“消費税上がったから財政破綻も回避され、将来の不安もなくなった。だから安心してどんどん消費しよう”と思う奇特な人もいるのかもしれないが(笑)、たいていの場合消費税率が上がれば実質的な消費は減る。家計が緊縮になればマクロでの需要も減り、景気も冷え込む。そうなれば税収もダウンしてしまう。これを解決するには国民の所得を消費税率上昇を軽くカバーするぐらいに増加させるしかないが、御存知の通りどこの職場でも給与(≠一時金)は抑えられっぱなしだ。

(引用開始)
 同じ敗戦国で何かと比較されるドイツの公債依存度は10%前後、日本は40%近い。財政赤字(対GDP比)はドイツが3%強、日本は6%強だ。要するに財政規律は2~3倍ドイツが日本より健全国で、これでは話は逆である。
(引用終了)

 この論説委員は“こういう数字があるから日本はドイツより不健全だ”と言いたいらしいが、ドイツの公債依存度10%を“健全”と位置づけ、40%の日本を“不健全”と断ずる基準は存在しない。国の借金が悪いことだと思うのなら、10%だろうが40%だろうが“不健全”に決まっているではないか(爆)。

 実を言えば多くの資本主義国における国家財政は赤字だ。もちろんその“見かけ上の額”は日本が突出して多いが、だからといって財政破綻で国債のデフォルトが起こったという話も、IMFの監視下に置かれるという話もない。考えてみれば当たり前で、日本はヨソの国から借金しているわけではないのである。対外債務で首が回らなくなったアルゼンチンやトルコとは状況が全く違う。さらに、日本には膨大な政府所有資産がある。

 もちろん、財政赤字は無闇に増えて良いというものではない。しかし、だからといって目先の帳尻を合わせるための安易な増税は、結果的に景気の冷え込みによる税収悪化を招くだけだ。税率を上げたいのなら、完全に景気が回復パターンに乗り、GDPが順調にシフトするようになってからにしてもらいたい。あるいは史上空前の利益を上げた輸出関連の大企業からガッポリと税金を取ったらどうだ。

 で、この論説委員に限らず、どうしてこういう財政再建至上論がマスコミにはびこっているのか。それは、大手マスコミこそが既得権益に守られた高給取りの集まりだからだと思う。彼らにとっては消費税率が少しばかり上がろうが屁でもない。マスコミの消費税率アップ待望論を読んですぐに“そうだ、その通りだっ!”と賛同してしまう人は、貧乏になりたがっているとしか思えないね(暗然)。
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太平洋戦争の“検証”

2005-12-08 18:57:53 | 時事ネタ
 本日12月8日は、日本が先の戦争に関わった日だ。あの戦争を今どう捉えるかというのは、まあいろいろと議論があるわけなんだが、よく見かけるものに「アジアを侵略し、人々に多大な迷惑をかけた悪い戦争だった。我々は反省しなければならない」といったリベラルっぽい意見と、「あの戦争はアジアを欧米列強から解放した正義の戦争だった。我々はそれを誇らなければならない」というタカ派っぽい意見とがあるように思える。でも、正直言って、どっちの意見もピンと来ない。

 戦争に良いも悪いもないだろう。勝ち負けがあるだけだ。ただ、先の戦争では日本は負けて大きく国益を損ねる結果になったのだから、そのへんはしっかり検証して今後に繋げなければならないとは思う。つまり、なぜ勝てる公算の少ない戦争に突入したのか、避ける方法はなかったのか、ひょっとして勝てる方法もあったのではないか・・・・そういうことを考えるのも、無駄ではないんじゃないかな。

 先の戦争が、大陸における日本と欧米諸国との勢力争いに端を発していたことは誰もが認めることだけど、ではどうして日本がわざわざ大陸に進出しなければならなかったのかというと、1930年代末の世界大恐慌により主要資本主義国がそれまでの建前だった“自由貿易主義”を捨てて排他的な経済エリアに各々引き籠もってしまったことによる。で、日本も仕方なく市場を求めて大陸進出を強めたというわけだろう。

 ここで、もし日本が大陸に販路を求めずに、自国内での需要のみで乗り切ってしまっていたらどうなったかと考えてみる。そうなりゃ大陸で外国とケンカせずとも済んだかもしれない。でも、そうなるにはルーズベルトのニューディール政策とか、ヒトラーの積極財政策とか、そういう有効需要創出政策が日本でも必要だったはずだが、そんなのが実現する気配はなかった。それどころかピント外れの金融政策で傷口を広げている間に、軍部の強硬姿勢に押し切られてしまったんだな。

 あと、法律的な整備はどうなっていたか、その解釈はどうか・・・・とか、ハル・ノートを突きつけられて開戦やむなしになった時点での、具体的戦略はどうなっていたか・・・・とか、いろいろと突っ込むべき事柄はあると思う。しかし、先に挙げたような「侵略戦争だから徹頭徹尾ダメ」「聖戦だから何が何でも正しい」といった情緒的なアプローチは遠慮したいな。ある意味、先の戦争に性急に駆り立てたのは、鬼畜米英という情緒的スローガンが一人歩きして(それを煽ったのはマスコミ)冷静な認識を脇に追いやったためだ・・・・との見方も出来るかもしれないし。
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構造改革と“姉歯マンション”

2005-12-05 19:01:51 | 時事ネタ
 例の“姉歯謹製マンション”について、国交省は、建築主に最大限の費用を払わせたうえで、居住者が負担せざるをえない分の一部を国が補助する方針で検討しており、また各自治体では住民に対する税の減免に向けた動きも広がりそうだという(12/4 朝日新聞)。

 このニュースについて“国や自治体がある程度面倒を見るのは、合理的な対応だ”と賛意を示す人は少なくないだろうが、もしもその中に先の総選挙で小泉自民党に投票した人がいるとすれば、一種の自己矛盾だと言える。

 「小さな政府こそ王道だ。官から民は時代の流れだ。規制緩和と構造改革が何よりも優先だ。郵政民営化はその第一歩だ」という選挙時の自民党の主張に賛成するのなら、当然住民に国や自治体が補助することに対して異議を唱えなければならない。そしてこう言うべきなのだ。「構造改革のトレンドに乗って低価格物件を供給したヒューザーや木村建設の行動は、(確かに法律違反だが)そう非難されるべきではない。一番悪いのは、ロクに下調べもせずにマンションを買った住民だ。こんなトラブルは売り手と買い手の間だけの話であり、民事でカタをつければ良いのだ。国や自治体がカネを出すのは“小さな政府”の原則に反する!」・・・・という具合に(笑)。

 ヒューザー小嶋社長も小泉首相の向こうを張って「この程度の違反は大したことじゃない!」とでもブチ上げれば大いにウケただろう(爆)。

 根本の問題はヒューザーだの総合経営研究所だのといった胡散臭い業者が跳梁跋扈できるようなステージを国が作ってしまったことにある。つまりは規制緩和・構造改革に名を借りた法律改悪。当局側が国民の生命・財産を守るという「公」の任務を放棄し、しょせんは「私」でしかない民間に業務は丸投げ。でも、そこで生じる利権だけはしっかりいただき、バカを見るのは国民だけという構図を規制緩和と称しているだけだ。テレビの報道特集ではキャスターが「今後は国は性善説を捨てて性悪説に立って業者を指導して欲しいものですね」などとしたり顔で述べているが、本当は民間業者が「性善(説)」ではないのを一番よく知っているのは当の国・政府ではなかったのか。単に自分達の利権の幅が広がることを狙って、それを規制緩和という口当たりの良い言葉で誤魔化しただけではないのか。


 前にも言ったが、規制緩和や構造改革や「小さな政府」路線なんてのは単なるスローガンに過ぎない。構造改革でトクをした国民なんてごく一部。規制緩和で景気は回復しない。構造改革路線を支持していながら、いざ自分がトラブルに巻き込まれると「何とかしてください!」と慌てふためいている住民をせせら笑っているのは「政・財・官」のお偉方だけだろう。
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果たして、女系天皇でいいのか?

2005-11-30 18:49:35 | 時事ネタ
 皇室ネタ、もうちょっと続けます。前回(11/23)書き込んでからいろいろと考えたのだが、あの胡散臭い「皇室典範に関する有識者会議の概要報告書」通りに典範が書き改められたとして、そもそも「女性皇族と結婚して自らも皇族になる男」とはどういうプロフィールを持つ人物になるのだろうか。

 皇族には名誉はあるが自由はない。確かに食いっぱぐれはないが(笑)、自分の考えを公にすること自体が制限される(第一、参政権もないし)。そういう地位に、今まで自分が積み上げてきた社会的キャリアを投げ出してでも成りたがる男っていったい・・・・。

 まず考えられるのは貧乏な野郎だ。あるいは、たとえ親が金持ちでもグータラで定職があるのかどうかも分からない奴。そう、あの杉村太蔵みたいな男だ。彼ならば「皇室ってカネ持ってるんだって、ラッキー」とか言って皇族に成りたがるだろう。でも、実際はそういう奴は政治家にはなれても「品格」が必要とされる皇族には縁遠い。または成り上がりのIT長者みたいなのが“カネは儲けた。次は名誉だ”ってな具合に女性皇族に近づくのだろうか。でも、実際結婚してしまうと大好きな金儲けが出来なくなる。浮気でもしようものなら国賊扱いだ。

 ひょっとして「皇室典範に関する有識者会議」のメンバーの中に、将来自分の一族から“皇族”を輩出させようと画策している者がいるのかもしれない。だが、いくら自分がそう思っていても、実際に結婚させられる自分の孫や曾孫の立場ならば“勝手に親族が決めてんじゃねーよ!”と憤慨するのが当然。“現代の平清盛”を気取ろうとしても、上手くいくはずもない。

 だいたい、今の皇太子夫妻を見てみればいい。御両人が結婚にこぎつけるまでどれでけの紆余曲折があったことか。男性である皇太子が民間から女性をめとるのにあれだけ苦労しているのだ。いくら“食いっぱぐれのない、名誉のある地位だ”といっても、皇太子妃候補になるような女性は世間から一目置かれるようなキャリアを積んでいるのは当然で、それを放棄するだけでも大変だ。ましてや将来、女性皇族と結婚するため自由な身分とキャリアを捨て去ってでも名誉に生きる“男性”が現れる可能性は極小だとは言えないか。

 “このままでは皇位消滅である。だから女系天皇にしよう”という「皇室典範に関する有識者会議」の主張は“天皇制の維持”の観点からは一見もっともらしいように思えるが、実際問題として女系になった方が皇位継承は危うくなるとも言えるのだ。こんないい加減な意見をゴリ押しする「有識者会議」は、裏に別の意図があると思われても仕方がないね。
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“造反県連”への締め付け

2005-11-30 06:58:33 | 時事ネタ
 新聞によれば、自民党本部の自民党地方組織への締め付けが強くなっているという。特に先の選挙で「造反議員」を支援した県連への「攻撃」は激しいとか。岐阜県連に対しては役員の離党、佐賀や大分など5つの県連には会長の辞任を迫っている。言うことを聞かない場合は党規委員会による処分が待っているらしい。

 まあ、先の選挙が自民党サイドで「郵政民営化」というワンポイントの政策を掲げていた以上、それに反対した県連がオトシマエを付けられるのは仕方がない。

 だが、しょせんは国民生活に直結しておらず単なるスローガンに過ぎない「郵政民営化」に造反したの何だのという理由だけで地方組織をねじ伏せていいものか。しかも都道府県議選挙の公認まで党本部で行う案すらあるとか。そうなると地方の声を封じ込めることにはならないか。自由な議論が出来なくなりはしないか。党執行部および小泉総裁の地盤は首都圏だ。だから第一義的に彼らは都市部しか見ていない。でも、中央では合理的な政策に見えても、地方ではまったくそうではないケースだって多々あるはずだ。


 党本部としては「小さな政府」「官から民へ」というスタンスで挙党態勢を作り上げるつもりだろうが、そういう「上から下まで単一のイデオロギーで染め上げる」ことは危険ではないだろうか。与党が「異論を許さぬ、硬直的な組織」になってしまっては、国民のためにならないのは言うまでもない。
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耐震強度偽装事件と規制緩和

2005-11-25 06:55:43 | 時事ネタ
 マスコミを賑わせている一連の「耐震強度偽装事件」。私の知り合いがついこの間まで泊まっていたホテルが“設計元:姉歯建築事務所の物件”であった。何でも“いくら新築といっても、ちょっと「家鳴り」が大き過ぎるんじゃねーの”と思ったほど、夜中にギシギシいってたとか(爆)。

 さて、読売新聞が例の姉歯建築設計事務所関連のマンション2棟の構造計算書について専門家に分析を依頼したところ「巧妙どころかあからさまな偽装。検査機関などの専門家が気付かないはずがない!」と切って捨てられたらしい。見る人が見ればすぐさま違和感を持つのが当然の「インチキ設計」が、どうしてまかり通ってしまったのか。この背景には98年の建築基準法改正があるという。

 この改正は、阪神・淡路大震災で倒壊した建物があまりにも多かったことを教訓に、検査業務を民間機関に開放したものだ。でもちょっと待ってほしい。地震ですぐに崩れる建物が多かったということは、普通に考えれば「検査業務をキッチリやるべく、自治体の建築確認・完了検査体制を見直して充実させるべきだ」という結論になるはずだ。これがどうして「民間機関への規制緩和」という次元に勝手にシフトしてしまうのか。

 たぶんそれは当時の「政・財・官」の癒着による妥協の産物なのだろう。おかげでその「民間検査機関」とやらは不動産業者や建設業者の子会社みたいなところでも運営可能になり、当然の事ながら自分達に都合の良いような「手抜き検査」もオッケーになる。もちろん、消費者(入居者)のことなんか考えない。自分達だけ儲ければそれでヨシ。

 「官から民へ」「規制緩和」というのがトレンドの昨今だが、「官」から仕事を移管された「民」が、すべてのケースにおいて「官」よりも優れている・・・・と思ったら大間違い。族議員と官僚と財界人だけがニコニコで、肝心の国民は泣きを見るという場合だって多々ある。大事なのはそのへんを是々非々で見極めることであり、単なるスローガンに過ぎない「規制緩和」を金科玉条のごとく奉ることほど愚かなことはないと思う。
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皇室典範に関する有識者会議

2005-11-23 08:00:38 | 時事ネタ
 時事ネタいきます。

 新聞によると、小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(座長=吉川弘之・元東大学長)は11月21日の第16回会合で、皇室典範の改正に関する報告書の概要を決めたらしい。懸案になっていた女性・女系天皇を認めるとともに、皇位継承順位は男女を問わず出生順に「長子優先」とすることで一致したとか。また、女性の皇族が結婚後も皇室に残り、宮家を創設できるようになるという内容とか。早ければ政府は来年の通常国会に皇室典範の改正案を提出するという。

 単純に考えても、この案はおかしいと思う。

 そもそもこの諮問機関は、現在の皇室に次の次の代の「男子のお世継ぎ」がいないことから、それをどうするのかという問題があったから立ち上げたのかと思っていたが、どうやら違うようだ。彼らは皇室の伝統を根本から壊そうとしているらしい。今でも「男系」に確固とした合理性があるかどうかは別にして、過去1000年以上も守ってきたその「しきたり」を簡単に反故にしてよいものか。

 しかも「長子優先」とはいったい何だ。新聞によれば、その理由は「国民が(長子を)将来の天皇として、幼少のころから期待を込めて見守ることができる。安定性も優れている」ということらしいが、抽象的すぎて説得力に欠ける。従来の「兄弟姉妹間での男子優先」は「(女子が先に生まれた場合)皇位継承者が不確定な期間が長くなる。不安定な制度は好ましくない」と結論づけたとのことだが、何が「不安定」なのかさっぱり分からない。だいたい、この概要通りに皇室典範が改正された場合、秋篠宮殿下の皇位継承権は小さくなってしまうが、それこそ今まで認知されていた「継承権」が揺らぐことになって別の意味で「不安定」になるのではないか。

 それに結婚した女性皇族が皇室に残って宮家を創設することが可能で、女性皇族と結婚した男性も皇族となるという。別に私は普段皇室には興味はないのだが、何だかこれは胡散臭い。「伝統」よりも「ジェンダーフリー」あたりの価値観が紛れ込んでいるようで愉快になれない。

 しかしまあ、小泉が「コレに決めたっ!」と言うのならば、そうなってしまうのだろう。何せ先の選挙では国民は現政権に「白紙委任」してしまったんだから。国の伝統文化がどうなろうと、後の祭りなのだ。
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