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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

安倍政権は日本経済を救えるか?

2013-01-13 06:45:27 | 時事ネタ
 2012年の12月に行われた総選挙では大方の予想通り自民党の圧勝となった。理由は民主党が勝手にコケたから・・・・というのも大きいが(笑)、何と言っても大半の国民の関心事であった景気対策に言及したからだと思う。ちなみに民主党をはじめとする他党の公約は、このあたりが実に貧弱であった。

 発足した安倍政権は、さっそく総額20兆円規模の緊急経済対策を打ち出した。さて、果たしてこの政策、本当に日本経済を活性化させることが出来るのだろうか。

 何でも、公共事業(財政政策)、金融政策、成長戦略を「3本の矢」として推進していくらしい。まあ、成長戦略は別としても財政政策と金融政策は教科書通りの景気対策であるし、これらを実施することには異存は無い。アホなマスコミの中には「そんなのはカビの生えた古い手法に過ぎない」と論難する向きもあるらしいが、古かろうが何だろうがこれらしか方法はない。今までずっと日本経済が低空飛行を続けていたのは、この「古い手法」を効果的にやっていなかったからだ。

 じゃあ、安倍政権の政策で景気が刺激されて経済が上向くのかというと、そう簡単に事は運ばないと思う。

 まず、金融緩和は結果的にあまり大きな効果は望めないと思う。何しろ現時点での超低金利でも投資額は増えないのだ。なぜなら市場に消費需要が無く、当然のことながら投資の需要も無いからである。金融政策による景気の拡大というのは、あまりデフレが深化していない時点では有効かもしれないが、今のような慢性的な需要不足で不況が長引いている状態ではさほど意味は無い。まあ“やらないよりはマシかもしれない”というレベルの話だろう。

 そもそも経済マクロ的に「景気が良い」というのはどういう状況を示すのかというと、早い話がGDPが順調にシフトアップしていくことであろう。そのGDPの6割程度を占めるのが個人消費だ。つまりは個人消費を増大させることが景気回復の重要事項の一つなのである。では、安倍政権の政策で個人消費は増えるのだろうか。

 金融政策については前述の通りだが、財政政策はどうか。確かに公共事業のテコ入れでマクロの投資額は増えるから、GDPの総額は大きくなるはずだ。ならば、公共工事の発注で潤った各企業は従業員にその分を還元してくれるのだろうか。

 昔の高度成長時代には“企業が儲かり、それと平行して所得水準も上がる”という構図があったらしいが、今はそうではない。いくら企業の利益が大きくなっても、人件費には反映せずに内部留保で貯め込むだけだろう。これに対して安倍政権は、企業が給料や雇用を増やすとその人件費増加分の10%を法人税から差し引くという税制を打ち出すという話だ。しかし、人件費アップ分と法人税減額分とを天秤に掛けた結果、人件費増額の方を切り捨てる企業だって出てくるはずだ。つまりは各企業の事情によって結果はまちまちになり、確実なマクロ的所得水準の向上には結びつかない。

 所得が増えなければ個人消費がアップするわけはなく、GDPの上昇も一時的なものになる。最初に確実な個人消費の増大を狙うのならば、減税あるいは(麻生政権下で行ったような)給付金を大規模にやるべきだ。なお、こういうことを言うと“いくら減税しても国民は貯め込むだけで消費に回らない”という突っ込みが入るかもしれないが、国民の懐がいくらか暖かくなればそれを狙って企業活動も活発化するはずだから、その分経済波及効果を生む。

 それから安倍政権の政策に対して危惧することをもう一つあげると、消費税率のアップが予定されていることだ。景気が回復すれば消費税増税を実施する(回復しなかったら取りやめる)という条項はあるが、もしも財政政策でいくらかGDPの伸び率が好転して“さあ、これで景気は持ち直した。次は増税だ”という筋書きになってしまうと、上向きかけていた景気は一気に冷え込む可能性が大きい。

 麻生政権時には麻生首相は“日本経済は全治3年だ”と言っていたが、3年ではなく1年足らずで回復基調にあるのかどうかを早々とチェックして増税に持って行くというのは、拙速に過ぎる。一時的な景気好転ではなく、恒常的な経済成長を見極めた上で増税を検討すべきではないのか。

 なるほど安倍政権の経済政策は、民主政権時の政策や小泉構造改革路線に比べれば遙かにマシかもしれない。しかし、国民の所得水準上昇に関しての明確なスキームが提示されていないこと、そして消費税増税が控えていること、この2点が大きなネックとなって諸手を挙げての賛同は出来ない。

 まあ、2013年には参院選もあることだから、国民は政府に対する注文があるならばその時に意思表示すべきだろう。今後の推移を見守りたい。
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親は何をしていたのか(イジメについて)。

2012-07-16 07:09:10 | 時事ネタ
 滋賀県大津市で中学2年の男子生徒がイジメを受けて自殺した事件、イジメの非道さに加え、事実を隠蔽しようとした学校当局や教育委員会、あるいは被害届を門前払いした警察などの杜撰な姿勢が明るみに出つつある。これらは徹底的に究明しなければならないことは、言うまでもないだろう。

 しかし、この事件について個人的にはどうも腑に落ちぬところがある。それは、被害者の親はいったい何をやっていたのか・・・・ということだ。

 息子が自殺を考えるほど追い込まれまで悩んでいることに、どうして気が付かなかったのか。聞けば、事件の3日前にイジメっ子どもが家にまで押しかけ、部屋の中を荒らして金品を奪ったらしい。これは立派な“犯罪”ではないか。最低でもこの時点で親が何らかのアクションを起こしていれば、悲劇は防げたのではないか。子供が犠牲になってから被害届を出しても遅い。

 よく“最近のイジメは質が悪い”というセリフを口にする大人がいるが、イジメなんてものは古今東西あったわけで、今更“イジメは犯罪だから良くない!”というシュプレヒコールを上げるだけでは何もならない。学校のセンセイなんて昔からイジメに対しては無力だし、教育委員会や警察はもっとアテにならない。結局、イジメに対峙しなければならないのは、本人と親なのである。

 ひょっとして、今回の被害者とその親には“イジメに遭うのは(自分が弱いことが明らかになるという意味で)恥ずかしい”という意識があったのではないだろうか。本人はその“恥ずかしいこと”を家族に打ち明けられず、親は子供が“恥ずかしいこと”に遭遇しているとは思いたくはなく、事実を正面から見据えないままに取り返しの付かない事態になってしまったのではないか。

 普段から親が“誰だってイジメの被害には遭う。恥ずかしいことではない。だからイジメられたら遠慮無く打ち明けろ”とでも言っておけば違った結果になったのかもしれない。子供が“イジメられていて辛い”と言えば“本当に辛かったら学校に行く必要は無い”とアドバイスできるような姿勢を親が見せておくべきだったと思う。

 もちろん、子供がイジメに苦しんでいることに気がつくような、親としての洞察力が不可欠であることは言うまでもない。

 繰り返すが、今回イジメに荷担した奴をはじめ、事なかれ主義の教師連中や教育委員会、警察の及び腰などは糾弾されなくてはならない。ただし、そんな“加害者側に対する非難”ばかりが先行しても、イジメ問題は解決しないのだ。大切なのは、現時点で手酷いイジメに遭遇している生徒達を救うことである。その役目を担うのは学校でも警察でもなく、親なのだ。
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人間は「小さな目的」のために生きている。

2012-01-08 07:13:27 | 時事ネタ
 最近読んだ小説の中に「人間は大きな目的のために生きているんじゃない。もっと小さな目的のために生きている」という一文があった。正直、かなり印象に残ったフレーズだが、よく考えてみれば当たり前の話なのだ。我々のほとんどが目の前にあることが気になり、それらを何とか片付けながら日々を送っている。そして最終的な目的は何かというと、家族の安寧であったり、自己の健康であったり、ちょっとした所得の確保であったり、そういうささやかなものだったりする。常に天下国家のことばかり考えて生きている人間なんていない。

 とはいっても、世の中には少数だが「大きな目的も考慮しながら生きなくてはならない人間」も存在する。それは、社会を動かす役目を負った者であり、言うまでもなく政治家とか官僚とか財界のトップとか、そういう肩書きを持つ人間だ。彼らが卑近な「小さな目的」にばかり拘泥してもらっては困る。大多数の「小さな目的のために生きている人間」のために、粉骨砕身してもらわなくてはならない。

 しかし、憂慮すべきことに「大きな目的も考慮しながら生きなくてはならない人間」が、人一倍「小さな目的のために生きる」ことに邁進しているのが実状だ。対して、多くの「小さな目的のために生きている人間」には分不相応な「大きな目的」を押しつけようとしている。まさに「あべこべの構図」が罷り通っている。

 最近の時事ネタで言えば、政府・与党社会保障改革本部が取りまとめている「税と社会保障の一体改革」とかいう案件など、その最たるものだ。要するにこれは、少子高齢化などを理由にドンドン増税しようという施策なのだが、将来の人口減少を見据えた税制のグランドデザイン構築それ自体は「大きな目的」以外の何物でもなく、一般庶民のあずかり知るところではない。ただし我々の視点からすれば、増税は確実に手持ちの「使える金」を低減させて「小さな目的」の達成を阻害することになるのは確実なのだ。

 それでもこの「税と社会保障の一体改革」が国家財政の状況を好転させて、個々の国民が目指す「小さな目的」に手っ取り早く貢献するのならば文句はない。しかし、不況時あるいは景気が安定していない時期における増税は、税収増には結びつかない。それは以前の橋本政権下で行われた3%から5%への消費税率アップの結果を見ても明らかだ。消費税1%は2兆5千億円に相当するので、単純計算すると税収は5兆円増えるはずだったが、実際には景気状況が急降下して税収減に陥り、今日に至るまで増税前の税収を上回ったことは一度もないのだ。もちろん、社会保障体制の充実も絵空事になってしまった

 今回の政府案の通り消費税率が10%に引き上げられれば、上昇率としては橋本政権時を上回ることになる。景気に対するダメージは前回の比ではなく、消費減退による税収減で国家財政がますます逼迫することは目に見えている。

 このような結末になることは、少し経済を分かっていれば誰だって予想できる。ましてや頭の良い官僚どもにとっては「自明の理」であることは言うまでもない。ならばどうして、わざわざ財政赤字が増えるようなことをするのか。それはつまり、権限増強による省益に他ならない。そして突き詰めて言えば、消費税適用の軽減措置を活用した自分たちの天下り先の確保である。

 私が接したことのある官僚の数など取るに足りないが、それでも彼らの頭の中にあるのは「天下り」のことばかりだというのは見て取れる。そして特に財務官僚などは、インフレを蛇蝎のごとく嫌っている。彼らが好きなのは(大多数の国民にとっては有害な)デフレだ。そもそも天下りだけで毎年12兆円以上が浪費されている。官僚は国民のことなど何も考えていない。自分たちの利権や省益しか頭にはない。つまりは自己の利益の追求という「小さな目的」のためだけに生きている。

 政治家にしても、現政権を担う者たちは確固たるヴイジョンなどは持ち合わせておらず、官僚の言い分に反論できない。挙げ句の果ては「どうやって政権の座に長くいるられか」という「小さな目的」だけに執心する始末。財界の連中も、法人税減税という「小さな目的」にしか興味がないようだ。

 一方、国民には「財政の健全化」と「社会保障の機能強化(の可能性)」という、日常生活レベルからすればさほど関係のない、曖昧なスローガンじみたものを押しつけて増税を正当化しようとしている。いうまでもなくこれらは、国の方向性を示そうとする「大きな目的」であり、日々「小さな目的」のために生きている一般ピープルにとって縁遠いシロモノである。

 我々が国家財政の帳簿を付けているわけではない。大事なのは、国家の財政ではなく「我が家の財政」だ。いくら御大層な謳い文句を示されても、とどのつまりは「増税」であり「家計圧迫」でしかなく、国民が重視する「小さな目的」の実現を妨害するものでしかない。どこぞの後進国ならともかく、大きな経済規模を持つ我が国の構成員に対して、それぞれが人生の最大目標である「小さな目的」の達成を邪魔する施策など、存在価値はない。

 歴史を紐解いてみても、国民が自分たちの「小さな目的」を捨象して御立派なスローガンが先行する「大きな目的」を重要視するようになると、ロクなことは起こらない。先の戦争だってそうだったじゃないか。

 とにかく、国民にとって大事なのは「小さな目的」の成就だ。まずはそれを実現しやすいようなマクロ的な環境を形成させることが為政者や官僚の役目であり、それこそが国民が政府に要求すべきことなのだ。大上段に振りかぶるように天下国家を論じる「大きな目的」なんてのは、二の次・三の次で良い。国民は「小さな目的」を阻害する施策に対しては、徹底して拒絶すべきである。
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石原都知事の「天罰発言」について。

2011-03-20 13:30:31 | 時事ネタ
 去る3月14日、石原慎太郎都知事が今回の大震災について「津波は天罰」などという発言をし、大顰蹙を買った。さすがに後日謝罪したが、謝れば済む問題ではないと思う。政治家、それも首長という地位にある者が、いくら口が滑ったとはいえ斯様な暴言を吐くこと自体、適性を欠いていると判断されても仕方がない。

 マスコミ等は「天罰とは被災者に対して失礼だ!」との論調でこの発言を批判しているようだが、石原の言い分の不適切な部分はそれだけではない。むしろ別の箇所にある。それは「日本人のアイデンティティーは我欲になった」というくだりだ。

 あれだけの大災害に遭遇しても、現地では略奪や暴動のひとつも起こらず、整然と救助を待つ姿勢に各国のメディアが驚きと賞賛を持って報じている。こうした被災者たちのどこに「我欲」があるのだろうか。また、普段は社会問題に無関心に思えた若年層が、積極的に募金や献血に応じている。彼らが「我欲」にまみれているなどとは、断じて言わせない。

 石原は「アメリカの国家的アイデンティティーは『自由』。フランスは『自由と博愛と平等』。日本は無い」と強調しているが、何を眠たいことをほざいているのか。日本にはそれらに匹敵する共助の精神がある。自国を貶めるのもいい加減にして欲しい。

 それと「減税という耳障りのいい言葉で釣られて国民が歓迎するという心情が、今の政治を曲げている」という物言いに至っては、あまりの馬鹿っぷりに脱力するしかない。今日本経済に一体何が必要なのか。それは、不況を克服するにはマクロ経済政策である。具体的には減税を含む財政政策だ。減税は「耳障りがいいだけの言葉」ではない。今最も必要とされている施策なのだ。

 名古屋市で既成政党が負けたのは、減税を掲げた新興勢力の主張に対抗出来なかったからだ。つまりは市民の視点で政治を行っていない連中に対する鉄槌が下ったわけである。

 石原は都民の視点で政治に臨んでいるのか・・・・都民ではない私が迂闊なことは言えないが、少なくともオリンピックの誘致や新銀行の運営など、あまり役にも立たないことに執心していたようにしか見えない。

 日本人ほど「我欲」から遠い民族はいないと思う。結局「我欲」に拘泥しているのは一般国民ではなく、石原をはじめとする為政者や財界や官界のお偉方だけではないのか。天罰が下るべきは今回の地震で被害を受けた人々ではない。石原を筆頭とする「奴ら」である。

 さて、震災の復興の財源として、またぞろ増税論が出てくる気配がある。この期に及んで消費税増税案なんかを採用したら「被災した人たちは困窮しています。だからみんなも一緒に困窮しましょう」というアホっぽい結果にしかならない。だいたい、税金というのは徴収するまで時間が掛かる。税率をアップさせて、いろいろとシステムや段取りを整えて、それから徴税して復興に回すのでは間に合わない。政府貨幣発行や日銀の国債買い入れなどで資金を手っ取り早く調達し、早急に施策に投入するのがベストである。

 とにかく今回の石原の発言により、完全に「上から目線」の政治家が存在していることが明らかになった。石原は次の知事選にも出るらしいが、今回の失言(本音?)をリカバリーするような態度(被災地への具体的な積極支援など)を直ちに表明しない限り、当選は覚束ないと言って良いだろう。
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今こそ「防災国家」への脱皮を!

2011-03-12 06:43:41 | 時事ネタ
 3月11日に起こった観測史上最大と言われる大地震が、東北・関東地方を中心にかなりの惨禍をもたらしている。被害の全貌は今後明らかになるだろうが、95年の阪神・淡路大震災に匹敵する(あるいはそれ以上の)ダメージを残すかもしれない。本当に痛ましいことだ。

 さて、今回の災害における重要ポイントの一つに、首都圏に被害が及んだことが挙げられる。震度5で斯様な大混乱だ。これがもしも震度6の直下型でも起こったら、我が国の機能は停止してしまう恐れがある。

 日本は地震大国だと誰でも分かっているのに、漫然と東京に一極集中させ、しかもそこでは大した震災対策も実施されていなかった。霞ヶ関や永田町の連中も今回ばかりは事の重大さが身に染みて分かったはずだから、災害対策のためのインフラ作りに邁進するだけのモチベーションが出来上がったと思いたい。

 景気対策も兼ねて、100兆円ぐらい都市部の災害対策のために財政出動させたらどうなのか。財源なんていくらでも捻出できる。たとえば、政府貨幣でも発行すればスグにでも資金調達は完了だ。

 人が多く集まる学校の耐震化なんか急務だろう。前の自民党政権はその方針を立てていたようだが、民主党に政権が移ってからは、例の「事業仕分け」なる底の浅いパフォーマンスにより、公立小中学校など約5千棟の耐震化工事について、文部科学省の関連予算が約63%も削減されている。

 「高校授業料無償化」とかいうバラマキ政策の財源をひねり出すために、大事な予算が削られたらしい。先の中国の四川大地震やニュージーランドの地震のように、学校あるいはそれに準じる建物が倒壊して大惨事になってからでは遅いのだが。

 もちろん、地震のための対策だけではなく、ほぼ毎年襲ってくる台風や豪雨による災害を食い止めるための有用な公共投資も推し進めるべきだろう。よく「公共事業なんかムダだ!」との意見を耳にするが、防災のための公共工事は決して「ムダ」ではない。「子や孫に借金を背負わせるな!」といった意見もナンセンス。災害に弱いプアな社会的インフラを放置したまま子や孫の世代に丸投げする方が、よっぽど無責任だ。

 ともあれ、くだらない帳尻合わせに終始するよりも、災害に強い国家のグランドデザインを描くことこそ重要だ。為政者は今回の惨事の教訓として肝に銘じて欲しい。
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大事なのは、経済対策だ。

2010-05-19 06:48:17 | 時事ネタ
 今のマスコミが主に取り上げる政治ネタは、首相と民主党幹部の“政治とカネの問題”であり、あるいは普天間基地移転問題に対する政府のもたつきを糾弾するといった、いわば一種扇情的なものばかりだ。そうでなければ来るべき参院選に向けての新党ラッシュに関する“政局”の話ぐらいか。国民の興味の方もそれに準拠しているように思う。

 しかしよく考えて欲しい。首相が幾ら小遣いを貰おうが、幹事長がどれほど後ろ暗いカネを扱おうが、国民にとっては何の関係もない。どうせヨソ様のカネだ。普天間の話だって、地元民以外の者にとってはしょせん“他人事”である。いずれにしろ首相の無能ぶりを論って溜飲を下げるには丁度良いかもしれないが、日々マスコミが大々的に報道するようなことではない。

 現時点で最も国民が関心を持たなければならないこと、それは経済政策だ。少なくとも政治家の持ち金や米軍基地の行方よりは一般ピープルにとってはるかに切実な問題である。最近では“景気はリーマンショックの時点よりは幾分持ち直した”という報道も目立つが、それは単に“最悪の事態を脱した”ということに過ぎず、順調な回復とは言い難い。しかも、その景気回復とやらは外需主導である。つまりは必死になって経済を立て直した諸外国の“需要のおこぼれ”を拾っているだけなのだ。

 外需ほど先行き不安定なものはない。しかも、輸出攻勢をかけると将来的には円高圧力になって跳ね返って来るというのが国際金融の常識だ。ハッキリ言って、外需しか景気回復要因が見つからないということは、日本政府が何もやっていないということである。

 いくらマスコミが“不況は一段落した”と言おうと、失業率は相変わらず高い水準にあり、若年層は就職難に喘ぎ、中高年は賃金カットやリストラに怯えるばかり。労働組合系のシンクタンク「連合総合生活開発研究所」が4月に発表したデータによると、世帯収支が赤字の家庭が約4割に達し、400万円未満の収入では6割が赤字になるという。労働者にとって景気回復なんて関係のない話だ。

 そうでなくてもGDPの伸び率は低迷し、平均株価も10年前の水準からはほど遠い状態だ。この危機的状況で呑気に政治とカネの問題や基地問題ばかりを論じているヒマがあるのか。ましてや消費税率アップなんかトンでもない話だ。

 今一番大事なことは、経済問題である。どうすればデフレを脱却できるか・・・・国民の興味の対象はそうでなければならない。経済オンチの政治家など不要だ。次回の選挙の焦点は経済政策に尽きると思う。
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ポール・クルーグマンのノーベル賞受賞について。

2008-10-17 06:58:29 | 時事ネタ
 日本人の科学者4人の賞獲得(正確には南部博士は米国籍なので3人だが)で盛り上がった今年度のノーベル賞だが、私はそれよりもポール・クルーグマンがノーベル経済学賞を受賞したことが実に意義深いと思う。

 私は彼の受賞の理由となった「貿易の形態と経済活動の配置に関する分析」というものは知らない。だから“文献も読んでいないのに偉そうな口を叩くな!”と言われることは承知の上で述べたいが、彼がノーベル賞を取るに至ったのは、その研究成果よりも彼の言説のスタンスが評価されたからではないかと思う。つまり、それまで“主流”と見なされてきた新しい古典派経済学(ニュークラシカル)をはじめとする既存の経済学に対して敢然と異議を唱えたことがノーベル財団の構成員達の琴線に触れたから・・・・という見方も出来ると思う。

 ニュークラシカル及びマネタリズム等の主張に基づいた施策の数々が、いかに世界経済を歪めてきたか、クルーグマンは舌鋒鋭くそれを批判する。すべての個人・法人などの経済主体が、常に合理的な行動(つまり、一番金銭的に有利になるように振る舞うこと)で合理的期待を形成する・・・・などという前提のオカルト理論を信奉し、そんな机上の猿知恵をグローバリズムの大義名分によって世界中に吹聴してきた連中のおかげで、アジア金融危機をはじめとする数々の不祥事が引き起こされた。昨今のサブプライムローン問題に端を発する騒ぎもその一環だろう。クルーグマンは経済学者や各国の経済政策担当の為政者(特にブッシュ政権)の“ここがこうなるから、結果的にこうなるはずだ。結果が違うのは、現実の方がおかしいのだ”といった原理主義者みたいな物言いを、遠慮会釈なく切って捨てた。そのため一部で顰蹙を買ったようだが、彼の主張が的を射ていたことは、すでに実証済だと言って良い。

 マネタリストは“量的緩和で資金をジャブジャブ供給すれば景気は回復する”と言った。でも実際はそうならなかった。ニュークラシカル派の経済学者は“生産性を向上するための構造改革により経済は活性化する”と述べた。しかしそんなことは起こらなかった。それどころか格差が拡大して社会不安が増し、マネー資本主義が暴走してサブプライムローンごときの底の浅いバブルが破裂しただけで金融危機を招いてしまうような脆弱な体制が広まってしまった。

 かつてノーベル財団はデリバティヴという危険なバクチの道具を発明した米シカゴ学派の経済学者に賞をくれてやったことがある。今回のクルーグマンの受賞は、その反省に立って決定されたのかもしれない。彼のインフレ・ターゲット論が実際的に有効かどうかは別にして(ちなみに、私はあまり信用していないが ^^;)、とにかく世界経済に対する論説のトレンドが転換期を迎えたことを象徴する出来事であるのは間違いない。

 さて、クルーグマンは日本経済に対しても折を見て言及している。曰く“有効需要が不足しているデフレ期においては、いくら量的緩和をしても無駄である”、曰く“景気低迷期に不良債権処理を優先しても何もならない”。しかし、これらの正しい指摘に対し、日本政府はまったく耳を傾けなかった。竹中平蔵のような現実離れのサプライサイドおたくや財務省の木っ端役人や私腹を肥やすことしか考えていない日本経団連の連中の言い分ばかりを受け入れ、デフレ促進路線を驀進。ようやくその弊害が格差問題などの形で現れて政府は方針を転換したかに見えるが、景気回復を掲げた麻生政権にしても焼け石に水みたいな財政政策しか提示できないし、相も変わらず構造改革に色目を使うことを忘れてはいない。

 物理学賞や化学賞での成果を喜ぶのも良いが、日本政府が肝に銘じるべきはクルーグマンの受賞だ。そして構造改革路線との完全なる決別を明言すべきだ。
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九州新幹線は必要か?

2008-08-23 06:40:56 | 時事ネタ
 3年後になるのだろうか。九州新幹線が鹿児島中央駅から博多駅まで開通する。そのため博多駅ビルは改築中で、いずれ阪急デパートや東急ハンズ、映画館のT-Joy(東映系)などを伴って賑々しくオープンする予定である。

 私が十代の頃に鹿児島市に住んでいたことは以前述べたが、当時は父親の実家のある福岡市まで特急でおそらくは6時間近くかかっていた。当然、長期の休みの時でないと足を運べない。それが今では鹿児島と八代まで新幹線が部分開通しただけで大幅な時間の短縮が実現できた。これが全線開通すると、熊本市は完全に福岡市への通勤圏になり、鹿児島からも気軽に福岡市へ週末の買い物に出てこられるようになる。・・・・しかし単純に“便利になる、喜ばしい”とは言っていられない現実があるのだ。

 たとえば福岡県の筑後地方の中核都市である久留米市。かつての繁華街は完全なシャッター通りへと変貌している。郊外型のショッピングセンターに客を奪われた結果だ。九州新幹線が完全開通すると、全九州的に同じ事が起きる。仕事も買い物もすべて福岡市へ一極集中。鹿児島市の天文館も、熊本市の下通・上通も、シャッター街になってしまわないと誰が断言できるだろうか。

 新幹線は地方から人と産業を大都市へと吸い上げるストローの役目を果たすのではないか。便利さばかりに気を取られ、気が付けば都市部ばかりが発展して地方が疲弊するシビアな現実だけが横たわる公算は強い。さらに新幹線は在来線を阻害する。着工が取り沙汰されている新幹線長崎ルートだが、これが開通すると佐賀市より西の地区の在来線は不採算路線として冷や飯を食わされる。地域に密着した交通機関が疲弊化すれば、地方の衰退は昂進するだろう。

 同じ事は高速道路にも言える。確かに九州東地区など高速道路が絶対的に必要な地域はある。しかし、高速道路だけ作ればそれでいいとする考え方では、大都市への集中を招くだけで地方の衰退は免れない。

 公共事業は景気対策の柱である。新幹線も高速道路も“財政支出をやらないよりはマシ”という意味では悪いことではない。しかし、ただカネを出せばいいというのは大間違いだ。高速道路よりも地方の国道を整備を、新幹線を引っ張るカネがあれば地方のインフラ整備や災害対策に向けた方が、中長期的には有益ではないのか。地方は地方なりの、利便性は大都市に劣るとしても若者を惹きつけるだけの個性溢れる町作りを推進出来るような、そんな明確なヴィジョンが必要だ。手っ取り早くカネが落ちてくるのを期待するだけの新幹線や高速道路の建設誘導は、将来的に大きな禍根を残すことになる。
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福岡空港の移転には賛成だ。

2008-05-01 06:32:00 | 時事ネタ
 福岡市博多区板付にある福岡空港を移転する案が地元の財界から出ているが、私は「条件付きで」賛成である。確かに福岡空港は、他の主要都市の空港に比べて格段に便利の良い場所にある。何しろ地下鉄で行けば、博多駅の二駅先なのだ。都心へのアクセスやJR・新幹線との乗り換えに関しても、実にスムーズである。しかし、滑走路は一本のみで、これ以上発着回数を増やすのは困難だ。拡張するにしても、土地買収だけで何年掛かるか分からない。よって、福岡空港の将来像について地元経済界で検討している新福岡空港促進協議会による「福岡県新宮町周辺の沖合に海上空港を新設するのが最も望ましい」という主張は、評価に値すると思う。

 まず移転するメリットとして、空港が近くにあることによる「都心のビルの高さ制限」が撤廃されることが大きい。現在は天神地区でも14階より高いビルは存在しない。この規制が緩和されるといくらでも高いビルが建てられることになり、建築需要が大幅に伸びる。地域経済の活性にも繋がるのは言うまでもない。

 そして、離着陸時の経路にあり騒音に悩まされている福岡市東区箱崎・貝塚方面が格段に住みやすくなる。また現空港の跡地として広大な空き地が出現することになり、ここを副都心として開発すれば莫大な需要が生まれる。さらに、住宅地から離れた場所に建設される新空港は24時間営業が可能であり、上海や仁川とタメを張れるハブ空港として機能させることも出来る・・・・かもしれない。

 もちろん、反対意見もある。その代表的なものは共産党などが主張している“協議会による福岡空港の需要増加の見通しは甘い。事実、ここ数年は利用量は横這いだ。よって、新空港なんか作る必要はない”という意見だ。一見もっともらしいが、よく考えれば本末転倒である。要するに彼らの言い分は“縮小均衡の是認”だ。需要が伸びないという現状をもって、新規投資する必要はないと断じている。思いっ切り後ろ向きのスタンスだ。通常のビジネス感覚を持っていれば、新規投資によって需要を掘り起こすことを第一義的に想定するものだが、彼らにはそういった能動的な考え方には縁がないと見える。

 一方で“福岡空港の移転・拡充よりも、北九州空港や佐賀空港との連携を考えるべきだ”との意見もある(一部の市議などが主張しているようだ)。これも上手い話のように思えて、実はナンセンスだ。もしもそうなれば、現行の福岡空港の離発着便のかなりの部分を北九州空港や佐賀空港に振り分けることになるが、そうなると利用者は飛行機に乗るのにわざわざ隣県まで出かけなければならなくなり、大幅なサービス低下だ。さらに、3つの空港を提携させるには交通網の整備が不可欠である。いったい何で繋ごうというのか。まさか現行のJR線や西鉄の路線を活用しようなんて思ってんじゃないだろうな。たとえば線路も通じていない佐賀空港からどうやってJR線に接続するのだろうか。新たに線路を引く? ならば土地買収に膨大な年月がかかるだろう(脱力)。

 ただし私も冒頭で“条件付きで賛成”と述べたように、推進派の意見を一から十まで鵜呑みにして移転建設マンセーというわけではない。その“条件”は三つある。一つは、言うまでもなく環境問題の克服だ。玄界灘は有数の漁場であるが、水質汚濁なんか起こってしまうと取り返しの付かない事態になる。二つ目は工事の工程である。建設が予定されている新宮沖は、関空のような内海ではなく波の荒い外海だ。水深もかなりある。予定通りに竣工させられるのか、徹底的な精査が必要だ。

 そして第三の“条件”は、新空港までの交通アクセスを確保することだ。大前研一なんぞは“新宮沖に空港を作ると、空港から市街地・商業地への所要時間はゆうに1時間はかかるだろう”などという寝言をほざいているが(まあ、少なくとも博多駅までは絶対に1時間も掛からないとは思うけど ^^;)、大前は“空港までの交通機関は整備しない”という手前勝手な前提でモノ言ってるあたりが痛々しい。----まったく、大前という奴は経営コンサルタントとしては優秀だが、実体経済に関しては無知蒙昧である。コンサルタントの世界に引き籠もっていてもらいたい----。工夫次第で鉄道ラインを中心に盤石の構えにすることは可能なはずだ。逆に言えば、それを考えないで推進側が“空港だけ作ればいい”という筋道しか提示できないのならば、私は反対に回りたい。

 それにしても、こういう公共事業の話になってくると決まって“予算の無駄だ”とか“土建屋への利益誘導だ”とか“そんなカネがあったら福祉に回せ!”なんていうナイーヴ過ぎる意見が頻発するのには失笑を禁じ得ない。予算の無駄? 予算というのは使うためにある。特に経済波及効果が高い施策に予算を使わないで、いったい何に使うのか。使い道に対する代替意見でも出したらどうだ。土建屋への贔屓? 我が国において土建業に携わる人員の数を知った上での物言いだろうか。土建屋と取引のある企業の多さも考え合わせれば、公共事業に対する財政支出は有効な景気対策だということが分かるはずだ。福祉に回せ? 実際に回せるのだろうか。公共投資を取りやめて福祉に回せる実際的なスキームを提示してから意見を言って欲しい。そもそも公共事業による雇用の増大も立派な広義の福祉政策だろう。

 もちろん、今後はどうなるのか分からないが、とりあえずは何が何でも移転建設反対という政治家は信用したくない。反対だけなら誰でも出来る。反対表明だけで、このプロジェクトに替わる具体的な地域活性化策を提案しないような輩は為政者の器ではないと思う。
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朝日新聞の“おとぼけ社説”(^^;)。

2007-12-14 07:22:45 | 時事ネタ
 12年9日(日)付の朝日新聞の社説には笑わせてもらった。お題は「希望社会への提言(7) 消費増税なしに安心は買えぬ」といったもの。

(引用開始)
福祉水準を維持していくと、国と地方を合わせた財政負担が、25年度には06年度より20兆円前後も増えるだろうと大まかに試算できる。(中略)歳出削減で借金漬けの財政を立て直し、国債がこれ以上増えないようにするのは難事業だ。できるだけ経済の成長力を高めて税収を増やしても、福祉の「安心勘定」へ回せる財源は多くを期待できまい。将来を見通せば、増税による負担増は避けられない。そう覚悟を決め、あえて大胆に発想を転換しないことには、社会保障の基盤を固めて希望社会への道筋を描いていくことはできないだろう。(中略)いずれは消費税が10%台になることを覚悟するしかあるまい。
(引用終了)

 この文章のおかしな点は、まず“経済成長による増収を福祉財源に回せるはずもない”と頭から決めてかかっていることだ。回すか回さないのかは朝日新聞が決めることではない。国会で議論して方向性を確定すればいい話であり、何をこの新聞は思い上がったことを書いているのか(爆)。それ以前に、経済成長による税収の伸びを過小評価していることが問題だ。

 国家財政を企業の財務状態に喩えるとすると、朝日新聞はちょうど“資金繰りが苦しければ、商品(またはサービス)を値上げすればいい”と言い切っているのと同じ事だ。どんな無能な経営者でも、自分のとこの会社が左前だった場合、真っ先に値上げを考えることはあり得ない。では何を一番に実行しなければならないか。それは“売り上げを伸ばすこと”に決まっている。では、どうやってセールス高をアップさせるか。それは魅力的な商品(またはサービス)を開発したり、人材を育成あるいは投入したり、キャンペーンを張るなどの積極的なマーケティングが必須である。いずれにしても“元手”が必要で、それ相応の予算を投入しなければならない。

 これを国の財政に置き換えると、売り上げ(税収)を伸ばすには、積極的なマーケティング等の営業努力(景気対策)が必要だと言うことだ。営業努力を怠ったままスグに値上げ(税率アップ)に踏み切っても、顧客は逃げて行って売り上げはズンドコになる。

 朝日新聞は橋本政権の失敗を知らないのだろうか。96年6月、景気が浮上の傾向を見せていたとき、財政健全化とやらを目指した橋本政権は消費税率を5%にアップさせた。その結果株価は急落。国家財政が好転した気配はなかった。これもさらなる営業努力(景気対策)なしに安易に値上げ(税率アップ)に踏み切った結果だったのではないか。単純に考えれば分かる話で、税率が上がって可処分資金が減れば、消費がダウンするのが当たり前ではないか。どこの誰が“消費税率が上がって日本の将来も安心。だから消費や投資を増やそう”と考えるのか(笑)。

 まあ、実を言うと新聞社をはじめとする大手マスコミが“消費税を上げろ!”と主張する理由はおおよそ察しが付く。我が国の税制には“輸出戻し税”なるものがある。この“輸出戻し税”とは、輸出品を作っている企業が商品を作るための材料などにかかった消費税は、その企業が申請すれば、国が返してくれるというシロモノだ。要するに消費税率がアップするほど“輸出戻し税”がその分上昇し、輸出関連大企業の幹部は儲かるってことだ。その輸出関連大企業およびその取引先になっている他の多くの大企業は、大手マスコミのスポンサーである。だからマスコミはスポンサーの思惑通りのことしか言わない・・・・と、こういう図式かもしれないな。

 とにかく「○○が安心・好転するためには、国民にはこういう痛み(負担増加)が必要」という筋書きは、少なくとも我が国においては成り立たない。何しろ赤字なのは「役所の帳簿」だけであり、日本全体としては黒字なのだ。それを無視して「痛みに耐えて何とやら」というくだらない精神論もどきを吹き込む朝日新聞は、嘘っぱちの大本営発表を垂れ流していた戦時中とまったく体質が変わらない。この新聞は何かというと“日本は(先の戦争に対する)反省が足りない”と主張するが、当の自分達はまったく“戦時中の反省”をしていないのだ(暗然)。
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