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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ジュゼップ 戦場の画家」

2021-10-17 06:58:08 | 映画の感想(さ行)
 (原題:JOSEP )一応、フランスとスペイン、そしてベルギーの合作映画ということだが、風刺画家でもある監督のオーレルはフランスで活動していることもあり、実質的にはフランス映画と言っても良い。だから、映画の題材は徹底してフランス側から描かれることになる。結果としてそれが良かったのかどうかは、意見の分かれるところだろう。

 1939年2月、内戦後のスペインから多数の共和党員がフランコの独裁から逃れるため、国境を越えてフランスにやってくる。ところがフランス政府は、彼らをさながら囚人のように収容所に押し込めて冷遇する。その中に、画家志望のジュゼップ・バルトリがいた。彼は生き別れになった婚約者を探すため、フランスにやってきたのだった。



 収容所に勤務する憲兵セルジュはひょんなことからジュゼップと知り合い、友情を深めていく。やがて彼は、ジュゼップを逃亡させるために危ない橋を渡ることを決心する。1910年にバルセロナで生まれ、後にアメリカに移住して成功した、実在の画家ジュゼップ・バルトリを題材にした長編アニメーションだ。

 映画は戦後数十年が経過し、老境のセルジュが訪ねてきた孫に当時のことを話す場面を中心に展開する。だから、ストーリーはセルジュの体験談がメインであり、ジュゼップの人柄や芸術観などは重要視されていない。彼がメキシコに渡ってフリーダ・カーロに出会うくだりも、他人事のように描かれる。そのあたりは不満だが、作品の狙いが隣国に対するフランスおよびフランス国民のかつての態度を描出するものだと割り切れば、ある程度は納得出来る。

 セルジュのように亡命者の立場を理解した者は、おそらく少数だったのだろう。第二次大戦中に、ナチスの傀儡であったヴィシー政権を唯々諾々と受け入れた国民性をも暗示している。オーレルの作風は独特のもので、ジュゼップの作品をトレースするような手書きの作画を採用。スムーズな動きには欠けるが、殺伐とした時代の空気と暗さを上手く表現している。

 上映時間が74分と短いのも、これが初監督になるオーレルのスキルと凝った画面構成を考えれば最適だったと思われる。また、舞台が現代になるラストの扱いも、けっこう秀逸だった。第73回カンヌ国際映画祭のオフィシャルセレクション作品。日本では“東京アニメアワードフェスティバル2021”に出品され、長編グランプリを受賞している。
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「スイング・ステート」

2021-10-10 06:58:20 | 映画の感想(さ行)
 (原題:IRRESISTIBLE)題材は面白い。しかし、映画は面白くない。もっとも、アメリカ人が観れば楽しめるのかもしれない。際どいジョークの連発は、あちらの観客を喜ばせること間違いなしだろう。でも、我々ヨソの国の者にとっては関係ない。さらに言えば、本作の展開はかなり平板で盛り上がりに欠ける。結果的に、観ている間は眠気との戦いに終始してしまった。

 2016年のアメリカ大統領選挙での敗北を境に、民主党の選挙参謀ゲイリー・ジマーは失意の中にあった。そんな時、スタッフが持って来たウィスコンシン州の田舎町ディアラーケンでの住民集会で熱弁を振るう中年男の動画を視聴した彼は、一気に目の色が変わる。農村部の票を取り戻す切っ掛けになると信じたゲイリーは意気揚々と現地に乗り込み、くだんの男である退役軍人ジャック・ヘイスティングス大佐を来るべき町長選挙に民主党候補として立候補させる了解を取り付ける。



 さっそく大佐の娘ダイアナや住民のボランティアたちと選挙事務所を立ち上げる彼だが、対立候補の現役町長ブラウンに共和党の選挙参謀であるフェイス・ブルースターが荷担。事態は民主党対共和党の、巨額を投じた代理戦争の様相を呈してくる。

 ディアラーケンは軍基地が撤廃されてから人口が大幅に減り、財政危機で破綻寸前だ。めぼしい産業も無い、ラストベルトの代表みたいな土地である。そんな町で二大政党のバトルが巻き起こるという構図は、なるほどナンセンスで興味を惹かれる。実はこの珍事の裏には思いがけない“真相”が隠されていたというオチも、まあ悪くないだろう。

 しかし、日本人としては笑えない内輪のギャグの連発と起伏に欠けるストーリーが、鑑賞意欲をかなり阻害する。ジョン・スチュワートの演出は手ぬるく、メリハリに欠ける。聞けばこの監督は本来バラエティ番組を手掛けていたプロデューサー兼コメディアンとのことで、本作を観る限り映画向けの人材ではないことは確かだ。主演のスティーヴ・カレルは“お笑い系”であることは承知していたものの、ここでは微妙なくすぐりに終始していて感心しない。

 クリス・クーパーにマッケンジー・デイヴィス、ナターシャ・リオン、ローズ・バーンといった面々は良くやっているとは思うが、コメディらしい真にハジけたようなパフォーマンスは見られなかった。ブライス・デスナーの音楽はあまり印象に残らないが、ラジオから流れる昔のポップスには心惹かれるものがある。特にグレン・キャンベルの「ラインストーン・カウボーイ」は懐かしく思えた。
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「先生、私の隣に座っていただけませんか?」

2021-10-03 06:56:52 | 映画の感想(さ行)
 演技の下手な役者は一人も出ていないし、当然彼らのパフォーマンス自体には問題は無い。しかしながら、話は全然面白くない。ただの思い付き程度で書き飛ばしたような脚本を、求心力に欠ける演出がトレースしているだけのように感じる。映画館で公開するより、テレビの単発ドラマとして夜10時以降にオンエアするぐらいで丁度良い。

 漫画家の早川佐和子は、連載中の作品の最終回をやっと描き上げたところだ。その夫の俊夫も以前は名の知られたコミック作家だったが、彼は数年前からスランプに陥っており、今は佐和子の作画を手伝うのみである。実は俊夫は出版社の女子社員の千佳と浮気しているのだが、佐和子はそれに気付いていた。

 ある日、佐和子の母親が足をケガしたという知らせが入る。一人暮らしの母親をケガが完治するまでケアするという名目で、佐和子と俊夫は彼女の実家がある茨城県の地方都市に夏の間に住むことになる。佐和子は長年の懸案だった自動車運転免許を取るため県内の教習所に通い始めるが、若くハンサムな担当教官の新谷に心惹かれるようになる。そして何と、それをネタに新作を描き始めるのだった。

 ヒロインが旦那の浮気の仕返しに自分も不倫に走り、それを漫画にするというアイデアは悪くない。だが、俊夫はそんな事態に対してオロオロしているだけというのは情けない。自分も漫画家ならば、どうして言いたいことを漫画にして張り合わないのか。互いの漫画が交錯し、やがて現実とフィクションとの境目が曖昧になって異様な世界に突入するという展開になれば映画的興趣は大いに高まったところだが、本作の送り手にはそこまで思い切ることは出来なかったようだ。

 中盤では佐和子が突然失踪するというネタが披露されるが、これは“真相”がスグに分かるので盛り上がらない。終盤の扱いと幕切れも、まあ予想通りだ。そもそも、メジャー誌に連載を持っているという佐和子が俊夫以外にアシスタントを採用していないというのも変な話で、しかも住まいは安価な賃貸アパートだ。ひょっとして佐和子はあまり売れていないのかもしれないが、そのあたりの説明も無い。

 監督の堀江貴大の仕事ぶりは映画らしい仕掛けは見せず、テレビ的な展開に終始。主演の黒木華のパフォーマンスは、相変わらず見事だ。微妙な表情の動きで、登場人物の内面を浮き彫りにする。柄本佑の演技も悪くないし、金子大地に奈緒、風吹ジュンといった顔ぶれも申し分ない。だが、ストーリーが低調なので演技は映えない。ただ、平野礼のカメラによる映像は非凡だった。
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「シャン・チー テン・リングスの伝説」

2021-10-01 06:24:11 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SHANG-CHI AND THE LEGEND OF THE TEN RINGS )まず、主人公を演じるシム・リウとかいう俳優がダメだ。どう見てもヒーロー物の主役とは思えない、かなり難のある御面相。このキャスティングだけで鑑賞意欲が9割ほど減退した(笑)。しかも彼の父親として出演しているのはトニー・レオンという、中華圏きっての二枚目だ。いったいどこでどう間違えば、トニー・レオンの息子がこんなにパッとしない野郎になるのか、まるで意味不明である。

 ミラクルなパワーを秘めた“テン・リングス”を手に入れた中世の武人ウェンウーは、不老不死の肉体を得ると共に現代に至るまで歴史の裏で暗躍する犯罪組織を作り上げる。その息子シャン・チーは幼い頃から最強の暗殺者になるため激しい訓練を受けていたが、父の態度に疑問を感じた彼は家出し、サンフランシスコで平凡なホテルマンのショーンとして暮らしていた。ところがある日、ウェンウーの放った殺し屋たちが襲い掛かってくる。何とか難を逃れたシャン・チーだったが、やがて父親の“ある企み”を知り、友人のケイティと連れ立って中国に渡る。

 マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の新展開と位置付けられる一作だ。シム・リウは見た目がアレだが運動能力は高く、格闘シーンはソツなくこなす。前半の、サンフランシスコの市街地で展開するバスの中での大立ち回りとカーアクションは、かなり盛り上がる。過去に幾度も映画のカーチェイスの舞台になったこの町がバックになっているのも感慨深い。

 しかし、中盤以降は完全に失速。どこかで観たような場面が続き、中国奥地の謎の村が前面に出てくるようになるパートは、過去のファンタジー映画の焼き直しのようだ。クライマックスに至っては怪獣映画に移行し、MCUの中にあっては場違いである。そもそも、人里離れた中国の辺境の地でいくら大々的なバトルが巻き起ころうとも、(映画の中での)一般ピープルにとっては関係の無い話で、インパクト皆無の絵空事だ。デスティン・ダニエル・クレットンの演出は、単に“脚本通りにやりました”というレベルでしかない。

 トニー・レオンはさすがに存在感はあったが、東アジアの男前役者はハリウッドでは悪役を担当することが多いのかもしれない。困ったのはケイティに扮するオークワフィナで、シム・リウを上回る残念な容姿。さらには主人公の妹を演じるメンガー・チャンも、ちっとも美人ではない。どう考えても“不細工でなければならない役柄”ではないのに、ヒーロー物の賑々しさとは対極にあるような人選だ。こういう面々が今後MCUに継続出演することを考えると、思わずタメ息が出てくる。
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「ジョー・ブラックをよろしく」

2021-09-25 06:27:15 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Meet Joe Black)98年作品。マーティン・ブレスト監督といえば「ミッドナイト・ラン」(88年)こそ面白かったものの、寡作の割にあとの作品は大したことはない。本作もやっぱり要領を得ない出来で、少しも観る側の内面に迫ってこない。だが、映画のエクステリアだけは極上だ。その意味では存在価値はあると思う。

 最近体調の優れない大富豪パリッシュのもとに、突然見知らぬ客がやって来る。彼はジョー・ブラックと名乗り、パリッシュを迎えに来た死神なのだという。そしてついでに人間界の見物もしたいらしい。戸惑うパリッシュだが、それ以上に驚きを見せたのはパリッシュの娘スーザンだった。なぜなら、ジョーは彼女が以前知り合って意気投合した青年にそっくりだったからだ。

 しかし、ジョーはくだんの男とはまるで性格が違う。それでもスーザンは彼に惹かれていき、ジョーも満更ではない気分になる。それでもパリッシュの命が尽きる日が近付いてくるが、彼はビジネス面でのトラブルにも遭遇してしまう。1934年製作の「明日なき抱擁」を元にしているということだ。

 時空を超越した存在であるはずの死神が、今さら何で下界を見て回りたいのか分からないし、見かけは一緒でも中身は全然違う男にどうしてスーザンが惚れるのかも不明。パリッシュが見舞われる仕事上の不祥事には別に興味を覚えないし、そもそもこのネタで3時間も引っ張ること自体無理がある。M・ブレストの演出は冗長で、サッと流せば10分で済むシークエンスを余計なショットを水増しして2倍以上も引き延ばす。中盤以降は眠気を抑えるのに難儀した。

 ところが、この映画の“外観”は侮れない。まず、この頃一番ハンサムだった主演のブラッド・ピットのプロモーション・フィルムとしての価値は高水準だ(笑)。女子のハートをくすぐるような仕草と表情は、まさに絶品。オード・ブロンソン=ハワードらによる衣装デザインが、これまた効果的だ。そんな彼がスクリーン上で王道のラブコメをやってしまうのだから、彼のファンにとっては言うこと無しだろう。

 トーマス・ニューマンの音楽は素晴らしい。エマニュエル・ルベツキのカメラによる映像は、奥行きがあって美しい。パリッシュ役のアンソニー・ホプキンスをはじめ、クレア・フォーラニ、マーシャ・ゲイ・ハーデンらキャストの演技もサマになっている。まあ、割り切って観るには丁度良いだろう。なお、第19回ゴールデンラズベリー賞でのノミネート作品でもある。
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「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結」

2021-09-20 06:55:27 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE SUICIDE SQUAD )確実に観る者を選ぶシャシンではあるが(笑)、作品のカラーとリズムに乗ってしまえばこっちのもので、最後まで存分に楽しませてくれる。とはいえ、一般世間的には拒絶反応を起こす向きが多いと思われ、体裁はヒーロー物であるにも関わらずレイティングがR15であるのは、まあ当然ではある。

 米政府に属する特殊工作組織タスクフォースXの司令官のアマンダ・ウォラーは、服役中の極悪人たちを減刑と引き換えに、秘密の研究を行っているナチス時代の研究所ヨトゥンヘイムを破壊する任務を与える。編成された2つの部隊は別々に南米の島国コルト・マルテーゼに上陸するが、そのうち1つは敵の待ち伏せに遭ってほぼ全滅。かろうじて生き残ったハーレイ・クインとフラッグ大佐は、何とかもう一隊と合流することに成功。彼らは反政府組織のメンバーと協力し、謎の研究の指揮を執っているシンカー博士の拉致と実験プラントの破壊を敢行すべく、決死の戦いに身を投じる。

 DCコミックに出てくる悪役どもを寄せ集めて無理筋のミッションを課すという、デイヴィッド・エアー監督の「スーサイド・スクワッド」(2016年)の続編。ただし前作は不評で、これは仕切り直しの“リブート版”と言って良い。冒頭から残虐場面の釣瓶打ちで、スプラッタ度はそのへんのゾンビ映画より上である。ただ、徹底的にカラフルでポップにギャグ満載で仕上げられているので不快感よりも痛快さが先に来る(まあ、不快感しか覚えずに早々とリタイアしてしまう善男善女の皆さんも多いとは思うが ^^;)。

 とにかく、キャラクターの屹立ぶりが尋常ではない。ハーレイ・クインとフラッグ以外にも、スーパーマンも苦しめたという凄腕スナイパーのブラッドスポートに虹色のスーツに身を包んだ根暗のポルカドットマン、平和のためには手段を選ばないピース・メイカー、ネズミを操るラットキャッチャー2、そしてスキあらば人間を食おうとするサメ男キング・シャークという、見た目だけでなく性格もクセのありすぎる面々がそれぞれの持ち味を全面展開させて情無用の殲滅戦に挑むという、振り切った作劇が気持ちが良い。また、アマンダ・ウォラーの冷血ぶりも目立っている。

 ジェームズ・ガンの演出は手が付けられないほどの悪ノリで、しかも無茶苦茶さがドラマが進むごとに積み上げられ、クライマックスは怪獣映画としての一大カタストロフを創出している。クイン役のマーゴット・ロビーは相変わらず快演だが、イドリス・エルバやデイヴィッド・ダストマルチャン、ヴィオラ・デイビスら他の面子も負けずに濃い。またラットキャッチャー2に扮するポルトガルの若手女優ダニエラ・メルヒオールは魅力的だし、シルベスター・スタローンがキング・シャークの声を担当しているのも愉快だ。
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「すべてが変わった日」

2021-09-05 06:52:36 | 映画の感想(さ行)
 (原題:LET HIM GO)時代設定は1960年代初頭だが、勇敢な主人公が悪者どもと対峙するという筋書きは、間違いなく西部劇だ。しかも登場人物の内面はよく描き込まれており、そして何といってもスクリーンの真ん中にいるのがスター級の面子なので、観た後の満足感はとても高い。もっと拡大公開されてしかるべき映画だ。

 1963年、モンタナ州の片田舎で牧場を経営する元保安官のジョージとマーガレットのブラックリッジ夫妻は、息子のジェームズとその妻ローナ、そして生まれて間もない孫のジミーと共に暮らしていた。ところが不慮の落馬事故により、ジェームズが死亡してしまう。3年後、ローナはドニー・ウィボーイという男と再婚する。



 ドニーは結婚前はマジメに見えたが、実は暴力的な男だった。しかも、ジョージたちには内緒で実家のあるノースダコタ州に転居する。ジョージとマーガレットはローナとジミーに会いに行くが、そこは強圧的な女家長のブランシュが支配する異様な一家だった。話が通じないばかりか理不尽な暴力まで受けたジョージたちは、実力行使でローナとジミーを助け出そうとする。

 中盤以降に展開するバイオレンス場面はサム・ペキンパー監督の作品を思わせるが、登場人物の内面は良く描き込まれていて話が殺伐とした感じにはならない。ジョージはかつて法の執行者であった矜持を今も持っており、不正に対しては断固とした態度を取る。マーガレットとローナは、いわゆる“嫁と姑の関係”であり、一見上手くやっているようで、実は微妙な屈託や不満が腹の中では渦巻いているという描写は出色だ。ブランシュにしても、苦労を重ねた末に狷介な性格になり、辺境の地から離れられないという設定には説得力がある。

 そして何より、ケヴィン・コスナーとダイアン・レインというかつてのスター同士が、逆境に追いやられた初老の夫婦を演じるというのは感慨深い。この2人は「マン・オブ・スティール」でも夫婦役だったが、こういう役に挑戦するというのは見上げたものだ。特に“私たちは年を取った。でもまだ老人ではない”と言い切る場面は感動的だ。

 また、不幸な生い立ちである先住民の青年を登場させたのも、ドラマに奥行きを持たせている。トーマス・ベズーチャの演出は重量感がある。そしてガイ・ゴッドフリーのカメラによる、西部の雄大な風景。マイケル・ジアッキノの味わい深い音楽も良い。
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「少年の君」

2021-08-29 06:57:16 | 映画の感想(さ行)
 (英題:BETTER DAYS )内気な優等生の女生徒と不良少年とのラブストーリーという、典型的な少女マンガ風のネタを取り上げていながら、これほどまでに奥深く感銘度が高い作品に仕上げたスタッフとキャストに拍手を送りたい。終盤のやや無理筋な展開と、エンドクレジットで流れる当局側のPRさえなければ、文句なしの傑作になっていたところだ。

 中国内陸部の地方都市に住むチェン・ニェンは、受験を控えた高校3年生だ。成績は優秀で、怪しげな商売で家計を支える母は彼女に期待している。一方、学校ではイジメ問題が深刻化していた。チェン・ニェンの同級生もイジメが原因で自ら命を絶ってしまうが、今度はチェン・ニェンが新たなイジメのターゲットになる。ある日彼女は、下校途中に集団暴行を受けている少年を目撃し、彼を助ける。するとその少年シャオベイは、彼女のボディガード役を買って出るのだった。



 中国の大学受験事情は壮絶であるらしく、この試験の結果次第で人生が決まるといっていい。そのため受験生のメンタルは擦り減らされ、主人公の通う高校の雰囲気も、実に殺伐としている。他方、シャオベイのような一度社会をドロップアウトした人間には、這い上がれる機会はまず与えられない。そして地方に住む者は、進学のため町を出るしか地元を離れる手段は無い。

 映画はこのような社会的不条理の描写を織り込みつつ、その中で藻掻くように生きる2人のピュアな心情を鮮烈に浮き彫りにする。互いに欠けているものを相手に見出し、彼らは惹かれ合ってこの暗鬱な世界を疾走していく。



 この2人だけではなく、周囲のキャラクターも丹念に掬い上げられており、違和感は無い。違法なビジネスに手を染めてはいるが、それでも娘を心の底から信じているチェン・ニェンの母親や、主人公たちを取り巻く環境に心を痛めつつ賢明にフォローする若い刑事。イジメのグループの親玉である女生徒も、他者を攻撃せずにはいられない心の闇を抱えている。これらのリアリズムには圧倒されてしまった。

 デレク・ツァンの演出は強靱で、素材に肉迫していなから、匂い立つようなロマンティシズムを醸し出し、最後まで目が離せない。主役のチョウ・ドンユイとイー・ヤンチェンシーの演技は素晴らしく、眼差しだけでチェン・ニェンとシャオベイの切ない心情が存分に表現されている。イン・ファンやジョウ・イエら脇の面子も言うこと無しだ。ロケ地の選定やカメラワークも考え抜かれており、映像はとても重量感がある。そして何より“君は世界を守れ、俺は君を守る”というシャオベイのセリフには、泣かされてしまった。
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「サマーフィルムにのって」

2021-08-28 06:52:55 | 映画の感想(さ行)
 評価すべき箇所があまり見当たらない。聞けば第33回東京国際映画祭で上映されて好評を博し、世界各国の映画祭でも歓迎されたらしいが、この程度のシャシンが持ち上げられる理由が分からない。脚本も演出も、劇中で展開されるような学生の自主製作レベル。かといって、お手軽なラブコメ編として割り切るような思い切りの良さも無い。観ていて困った。

 北関東の地方都市の高校に通う女生徒の“ハダシ”は映画部に籍を置いているが、自身の企画が通ったことはない。何しろ、彼女が撮りたいのは時代劇なのだ。彼女は筋金入りの時代劇オタクで、放課後は町外れの空き地にある廃車で友人2人と昔の映画を視聴する毎日だ。ある日、彼女の前にサムライ役にぴったりの理想的な男子、凛太郎が現れる。

 無理矢理に凛太郎を映画製作に引き込み、仲間たちと撮影を始める“ハダシ”だが、実は彼の正体は未来からやってきたタイムトラベラーだった。彼によると“ハダシ”は長じて大物監督になるらしいが、その後の凛太郎が生きている時代には映画はすでに絶滅しているという。“ハダシ”はショックを受けるが、それでも来るべき9月の文化祭に向けて映画の製作を続ける。

 題名にもある通りドラマのほとんどがサマーシーズンで展開されるにも関わらず、どう見ても撮影時期は夏ではない。加えて、全編これ天候が曇りで、海辺のシーンでさえピーカンではないのだから呆れる。これでは夏らしい青春ドラマとしての爽快感に欠け、看板に偽りありだ。また、タイムトラベル云々のネタは、取って付けたようで気恥ずかしい。

 そして何より、キャラクター設定には難がある。主人公が時代劇にのめり込んでいること自体はまあ許すとして、性格は自分勝手だ。自己の都合で周囲を掻き回した挙げ句、クライマックスの上映会の場面では“あり得ない行動”に走る。幕切れは何かの冗談ではないかと思うほど唐突で、観ているこちらは面食らうばかり。

 だいたい、ヒロインの“ハダシ”をはじめ、他の面子は本名でクレジットされず、“ビート板”だの“ブルーハワイ”だのといったセンスが良いとは言えないニックネームで呼ばれるのは脱力する。唯一本名表記である主人公のライバルの花鈴が、最もシッカリした造型であるのは皮肉なものだ。松本壮史の演出は凡庸で、映像も音楽も冴えない。

 主演の伊藤万理華は頑張ってはいるのだろうが、一本調子で抑揚が無い。このあたり、しょせんは“坂道一派”だと片付けられてしまいそう。相手役の金子大地はまあまあだが、他のキャストはあまりコメントしたくはない。わずかに印象的だったのが、花鈴に扮した甲田まひるだ。本当のアイドルだった伊藤よりもずっとアイドルらしい外見で、演技も悪くない。何でも彼女の“本業”はミュージシャンで、ジャズピアノも披露するという。面白い人材で、今後も注目したい。
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「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」

2021-08-02 06:26:03 | 映画の感想(さ行)
 明らかに前作(2019年)よりも面白い。もっとも、終盤で失速してしまうという欠点があり、その他にも突っ込みどころはあるのだが、言い換えればそれらを除けば万全の出来だということだ。特に活劇場面の盛り上がりは尋常ではなく、まず観て損はしない娯楽編であり、多くの観客を集めているのも当然だと思わせる。

 前回から引き続き、大阪で妹分のヨウコと暮らす凄腕の殺し屋“ザ・ファブル”こと佐藤アキラは、デザイン会社“オクトパス”での勤務にも慣れ、カタギの社会人としての生活を送っていた。そんな中、NPO団体“子供たちを危険から守る会”が町中で支持を集めていた。主宰している宇津帆は一見人格者だが、実は若者から金を巻き上げて次々と殺害するという犯罪組織のボスだった。



 かつて弟を殺したアキラが大阪にいることを突き止めた宇津帆は、アキラの同僚である貝沼を拉致するなど、復讐を果たすべく動き出す。一方、宇津帆と行動を共にしている車椅子の少女ヒナコは、偶然にアキラと知り合う。彼女は、過去にアキラのミッションに巻き込まれてしまい、以後歩けなくなってしまった。アキラは彼女のリハビリの相手をしながらも、宇津帆との抗争に身を投じていく。南勝久によるコミックの映画化だ。

 宇津帆は数人の仲間と共に“仕事”をやっているはずが、途中で何の前触れもなく山のような数の手下が現れるのには脱力した。極端な猫舌でお笑い好きな主人公の性質は、今回特にクローズアップされておらず、飼っているインコの存在が希薄なのは前作と同じだ。展開は中盤で少し緩み、後半で盛り返すものの、ラスト近辺は要領を得ない話の運びになる。

 しかし、挿入されるアクション場面は一級品だ。冒頭のアキラのスピーディーな“仕事”の描写に続く、カーアクションの切れ味には驚いた。そしてハイライトは、改装工事中の団地内での銃撃戦だ。段取りの良さと豊富なアイデア、そして速い展開と派手なスタントで、ハリウッド映画にも負けない盛り上がりを見せる。間違いなく邦画における活劇場面の歴史に残る快挙だと思う。監督の江口カンの健闘は評価されて良い。

 アキラをはじめとするキャラクターは十分“立って”おり、多少のドラマの瑕疵も笑って済ませられる。主演の岡田准一は絶好調で、アクション監修にも参画しているのは大したものだ。木村文乃に安藤政信、佐藤二朗、安田顕、そして敵役の堤真一らも申し分ない。演技に難のある山本美月の出番を減らしたのも冷静な判断だ(苦笑)。ただし、ヒナコ役に平手友梨奈を持ってきたのはどうかと思う。終盤の扱いはドラマを無理に彼女に“寄せる”ためだったというのは一目瞭然で、キャスティングは話題性よりも堅実さを求めたいところだ。
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