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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「シャロウ・グレイブ」

2022-03-11 06:25:06 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Shallow Grave )94年イギリス作品。ダニー・ボイル監督の長編映画デビュー作で、ヒッチコック作品を思わせるような内容と、独特の演出リズムが印象付けられる一本。ただし、出来の方はそれほど高く評価するようなものではなく、作り手の気負った態度が垣間見える。まあ、今は著名な演出家であるダニー・ボイルのフィルモグラフィをチェックする上での“資料的な”意味合いはあるだろう。

 グラスゴーの広いマンションの一室で共同生活をするジャーナリストのアレックスと医師のジュリエット、そして会計士のデイヴィッドの3人は、新たなルームメイトを募集していた。そこにやってきたのが自称作家のヒューゴーで、ジュリエットは彼を気に入ってしまう。



 ところがある日、部屋からなかなか出てこないヒューゴーを心配した3人が中に入ると、彼の死体と麻薬、そして札束が満載のスーツケースを発見。金に目が眩んだ3人は、警察に通報せずに死体を遺棄する。だが、ヒューゴーを追う麻薬組織の殺し屋が3人に迫り、やがて警察も事件をかぎつける。切羽詰まった彼らは自暴自棄な行動に出る。ジョン・ホッジによるオリジナル脚本の映画化だ。

 表面的には仲良くしていた登場人物たちが、大金を前にして理性を失っていくという筋書きは、よくあるパターンながら悪くない。当のアレックスが新聞社から、この事件の取材を命じられるあたりも面白い。しかしながら、彼らが死体を処分したぐらいでバレないと思い込んでいるのは、いかにも浅はかだ。やるならやるで、もっと綿密な計画を練ってくれないと観る方は納得しない。

 そもそもこの所業は当初から互いに裏切らないと踏んでの話でなければならず、各人が疑心暗鬼を露わにするのが早すぎるのは愉快になれない。また、それを不自然に思わせないだけの各キャラクターの内面描写が覚束ない。とはいえ、小気味良い作劇とスタイリッシュな画面造形は、次作の「トレインスポッティング」(96年)にも引き継がれており、そのあたりは興味深い。

 ユアン・マクレガーにクリストファー・エクルストン、ケリー・フォックスというキャストは万全で、特に若い頃のマクレガーは無鉄砲に粋がっている売文屋をうまく表現していた。ブライアン・テュファノのカメラとサイモン・ボスウェルの音楽も及第点である。
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「前科者」

2022-02-19 06:22:17 | 映画の感想(さ行)
 同じく“前科者の更生”をテーマにした西川美和監督の「すばらしき世界」(2021年)に比べると、随分と落ちる内容だ。題材に対するリサーチが甘く、キャラクター設定は不自然で、筋書きは説得力を欠く。何でも、TVドラマ版が前年放映されたとのことで、詳しいことを知りたければそっちの方を見ろということなのか。だとすれば不親切極まりない話である。

 元受刑者のフォローをする保護司の阿川佳代は、この職に就いて3年目。コンビニ店員の仕事と掛け持ちであるが、やりがいを感じていた。彼女が新たに担当するのは、殺人の罪で服役していた工藤誠だ。更生生活は順調で、佳代も誠が社会人として立ち直ることを期待していた。しかし、誠はある日忽然と姿を消す。同じ頃、連続殺人事件が発生。被害者は、過去に誠と何らかの関係があった人物ばかりだ。警察の捜査が進む中、佳代は必死になって誠の行方を追う。香川まさひと&月島冬二による同名コミックの映画化だ。



 まず、佳代がどうして保護司になったのか、その理由が不明確。彼女は昔暴漢に襲われたことがあり、それならば警察官や法曹関係者を目指すのが自然であり、保護司の仕事に興味を持つというのは筋違いだ。誠が弟の実と出会うのは偶然にしても出来すぎだし、佳代の幼馴染の滝本真司が事件を担当している刑事だというのも、完全な御都合主義。しかも、被害者たちは同じ町に今でも住んでいることになっている。

 佳代が一軒家に独り住まいしている背景も説明されない。そもそも、保釈中の殺人犯の保護司を佳代のような年下の若い女子が務めること自体、かなりの無理筋だ。他にもいろいろと突っ込みたい箇所はあるのだが、それらを糊塗するかのように、登場人物たちは滔々と説明的セリフを並べ立てる。正直言って、観ていて途中から面倒くさくなってきた。

 岸善幸の演出はいかにも“テレビ的”で、深味がない。特に、佳代と真司との取って付けたようなラブシーンには閉口してしまった。主演の有村架純をはじめ、森田剛、磯村勇斗、葉竜也、マキタスポーツ、石橋静河、北村有起哉、リリー・フランキー、木村多江と、キャストはけっこう豪華ながらいずれも精彩を欠く。岩代太郎による音楽も印象に残らない。それにしても、有村と磯村が並ぶとNHKの朝ドラ「ひよっこ」を連想してしまう(笑)。
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「さがす」

2022-02-12 06:18:18 | 映画の感想(さ行)
 設定やキャスティングは決して悪くない。しかし、映画自体はまるで面白くない。これはひとえに脚本の不備と人物描写の不徹底にある。何をどう表現したいのか、作者はそこをよく吟味しないまま見切り発車的に撮影に入ったように思える。段取りを整えることがプロデューサーの役割だが、その配慮が足りていない。

 大阪の下町に暮らす中年男の原田智は、中学生の娘の楓に“指名手配中の連続殺人犯を見掛けたから、情報提供して懸賞金の300万円をゲットしてくる”と告げる。いつもの冗談だと聞き流していた楓だが、翌日父は姿を消してしまう。すでに母を亡くして一人ぼっちになってしまった彼女は必死で智を探すが、ある日雇の工事現場で父の名前を見つける。ところが現れたその人物は、父とは違う若い男だった。戸惑う楓だったが、やがて目にした指名手配犯のポスターに載っていた写真が、くだんの男であることに気付く。

 映画はそれから智の失踪劇の前の時制に戻り、妻が難病を患っていたことなどを示しつつ、事の真相に迫っていくのだが、これがどうにも説得力を欠く。殺人犯の山内照巳と智は実は面識があったのだが、2人が知り合うシチュエーションがかなり不自然。そして彼らは共同して“仕事”をするようになるのだが、どうしてそのような按配になったのか、説明がまるで足りていない。

 カタギの人間が荒事に手を染めるようになるには高いハードルが存在するにも関わらず、突っ込んで描こうとはしていない。悪事を重ねながら各地を転々とする照巳の行状も釈然とせず、犯行の動機は取って付けたようだし、被害者の白いソックスに執着するのも意味不明だ。そもそも、指名手配のチラシがあちこち貼られている状態で、工事現場で簡単に雇ってもらえるはずがないだろう。

 父の行方を追う楓が“偶然に”所在のヒントを掴むのも無理筋なら、智が以前経営していた卓球クラブの旧店舗が“都合よく”犯人側に使われていたというプロットも強引に過ぎる。このような状況で、ラストの親子の姿に涙しろと言われても、それは出来ない注文だ。

 主演の佐藤二朗をはじめ、楓に扮する伊東蒼、清水尋也、森田望智、成嶋瞳子と、キャストはいずれも力演。だが、話自体が絵空事であるため皆上滑りしている感がある。片山慎三の演出はピリッとせず、大阪の下町の風景も効果が上がっているとは言い難い。それにしても、伊東と清水、それに森田が顔を揃えるとNHKの朝ドラ「おかえりモネ」を思い出してしまう(笑)。
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「スティルウォーター」

2022-02-07 06:23:11 | 映画の感想(さ行)
 (原題:STILLWATER)身内の者が事件に巻き込まれて主人公はそれを助けるべく奮闘するという、設定はよくあるサスペンス物ながら、本作は一筋縄ではいかない構造を持つ。幕切れのカタルシスは希薄ながら、観る者に内容に関してあれこれ考察するモチーフを与えてくれる。実にクレバーな作りで、観た後の満足感は大きい。

 オクラホマ州スティルウォーターに住む中年男ビル・ベイカーは、仏マルセイユに赴くことになった。そこに留学していた娘のアリソンが、友人を殺害した罪で収監されていたのだ。娘の無実を信じるビルだったが、弁護士も捜査当局もアリソンの有罪を確信している。ましてや言葉も通じない異国の地であり、彼の奮闘は空振りに終わると思われた。だが、偶然知り合ったシングルマザーのヴィルジニーと幼い娘マヤの助力を得て、ジムはそのままマルセイユに滞在して事の真相を暴こうとする。



 スティルウォーターの街は竜巻の被害でほぼ壊滅し、建設会社に勤めていたビルはその後片付けに追われていた。経済的に恵まれない中西部の住民で、彼の妻は理不尽にも世を去っているが、それでも強いアメリカの底力を信じている。彼には前科があって一時的に公民権を停止されているものの、投票権があるならば先の大統領選で躊躇無くトランプに一票を投じていたであろう。

 そんな彼が、フランスという全く違う環境に放り込まれるとどうなるのか。映画は彼の姿を通して、国際社会における個人の立ち位置を考察する。ジムは異郷にあっても、アメリカンな(?)マッチョイズムを押し通す。フランス語を覚えることに積極的ではないし、娘は徹頭徹尾イノセントだと断定し、反対意見を受け付けない。目的のためには手段を選ばず、そうすることに悪びれることも無い。

 その態度は彼の地では通用しないことはもちろんだが、実は故郷にいる時もそうだったのだ。彼の母や、周りの人間はそれに気付いていて、知らぬは本人だけ。その頑迷なアメリカ第一主義が、この事件で大いに揺らいでいく様が容赦なく描かれている。終盤ではジムは娘の隠された面をも見せつけられるのだが、言い換えればそこまでしないと価値観は変えられないのだ。終盤の主人公の独白は、そのことを痛いほど思い知らされる。

 トム・マッカーシーの演出は「スポットライト 世紀のスクープ」(2015年)の頃より円熟しており、ドラマを味わい深いものにしている。主演のマット・デイモンは、彼が過去に演じた武闘派の人物たちのパロディのような役どころを上手くこなしている。アリソンに扮したアビゲイル・ブレスリンは、相変わらずルックスには難があるが演技は達者だ。ヴィルジニー役のカミーユ・コッタンの柔らかな雰囲気と、マヤを演じるリロウ・シアウヴァウドの利発ぶりも印象的。高柳雅暢による撮影とマイケル・ダナの音楽も及第点だ。
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「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」

2022-02-05 06:18:17 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SPIDER-MAN:NO WAY HOME)面白く観ることは出来たが、これは2002年からのサム・ライミ監督による3作と2012年からのマーク・ウェブ監督版の2本、そして本作の前作と前々作の計7本をチェックしておかないと、絶対に楽しめない。ついでに言えば、2018年からの「ヴェノム」の2本と2016年の「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」からの「アベンジャーズ」シリーズも観ておく必要がある。徹底して“一見さんお断り”のシャシンに特化し、それが大ヒットしてしまうのだから呆れてしまう。

 前回「ファー・フロム・ホーム」(2019年)で倒した怪人ミステリオが残した映像を、タブロイド紙が世界に公開。ピーター・パーカーがスパイダーマンであることが知られてしまい、さらにミステリオ殺害の容疑が掛けられてしまった。デアデビルことマシュー・マードック弁護士のはたらきで何とか釈放されたピーターだが、すでに元の生活に戻ることは出来ない。



 そこで彼はドクター・ストレンジに助力を求め、魔法の力で今回の件は“無かったこと”にして欲しいと頼むが、魔法を掛ける段取りの途中で邪魔が入ったため、間違って“別の世界”から怪人たちを呼び寄せてしまう。この“別の世界”というのはサム・ライミ監督版とマーク・ウェブ監督版のことで、出てくる悪役はドクター・オクトパスやグリーン・ゴブリン、エレクトロにリザードといった連中だ。ピーターはそいつらと戦いつつ、彼らを“改心”させて元の世界に戻そうと奮闘する。

 昔、テレビの特撮もので最終回近くに今までの怪獣・怪人たちが大挙して再出演するという、いわば“視聴者サービス”みたいなものが展開することがあったが、本作はまさにそれだ。過去の悪役どもが顔を揃え、しかも元の世界と微妙に違う状況に戸惑いつつもピーターと大々的なバトルを敢行するという、このシチュエーションだけで嬉しくなってしまう。さらに“あの人たち”も登場するに及び、興趣は増すばかり。

 率直に言えば、この映画のストーリー運びはあまり上等ではない。余計なシーンが目立つし、いくらピーターたちが有能だといっても、高校生の分際で事態を収拾させる方法を“科学的に”突き止められるわけがない。後半で主要人物が退場したり、大事なところで都合良く“魔法の力”が出てきたりと、行き当たりばったりに話が進むことがある。

 とはいえこの賑々しさと、ペーソスあふれるラストの処理の印象度も相まって、鑑賞後の気分は決して悪いものではない。ジョン・ワッツの演出は前回よりも落ちるとはいえ、観る者を退屈させないように腐心している。主演のトム・ホランドをはじめゼンデイヤ、アンガーリー・ライス、ジェイコブ・バタロン、マリサ・トメイらのレギュラーメンバーに加え、ベネディクト・カンバーバッチにアルフレッド・モリーナ、ジェイミー・フォックス、J・K・シモンズらの濃い面々が場を盛り上げる。

 とりあえずはスパイダーマンが単独で主人公を演じるシリーズはこれで一段落し、これからはアベンジャーズの新展開と連動していくのだろう。また、ヴェノムの動向も気になる。いささか話が広がりすぎたマーベルの世界だが、これからも出来る限り付き合っていきたい。
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「さんかく窓の外側は夜」

2021-12-19 06:24:37 | 映画の感想(さ行)
 2020年作品。話にならない出来だ。プロデューサーは一体何をやっていたのだろうか。脚本と演出プランを提示された時点で、速攻で没にするか抜本的なやり直しを講じるべき案件であることは誰の目にも明らかだと思うのだが、この業界ではそんな常識も通用しないらしい。とにかく、観る価値は無い。

 書店で働く三角(みかど)康介は、幼い頃から幽霊が見えるという体質があり、そのため周囲から孤立していた。ある日、冷川理人という男が、康介に一緒を仕事をしないかと勧誘する。冷川は除霊師で、その能力を活かして警察などの依頼を引き受けていた。一方、1年前から猟奇的な殺人事件が立て続けに起こっており、担当刑事の半澤は冷川らに協力を求める。冷川と三角は捜査を進めるうちに、謎めいた女子高生が事件に絡んでいることを突き止める。ヤマシタトモコの同名コミックの映画化だ。

 困ったことに、くだんの殺人事件は途中で放棄される。途中から、冷川が子供の頃に新興宗教の教祖になり、そこで信者の大量死亡事件が起こったことが示されてから、ドラマは完全に崩壊。脈絡の無いモチーフが次々と出てきて、それぞれがまったく解決の筋道が見えないまま、映画は適当な箇所で唐突に終わる。

 冷川と三角が持つ能力がどういうもので、それがどう事件の解決に結びつくのか不明。呪いの力がどうのこうのというハナシも、女子高生がそれをどう使いこなして、何を成し遂げたいのか全然分からない。冷川が前振りなしに持ち出す“三角形の結界”とやらも、どういう意味があるのか判然としない。

 同じような回想シーンが繰り返されるが、何の効果も上がっていない。ヘンに気取っているような中身スカスカの映像は盛り下がるばかりで、ホラー描写も実に陳腐。本作の送り手たちは、いったい何がやりたくてこのシャシンを手掛けたのか、最後まで分からなかった。森ガキ侑大なる監督の腕前は三流で、そこそこ演技が出来るはずの主役の岡田将生と志尊淳が、かなりの大根に見えてしまう。

 滝藤賢一に筒井道隆、和久井映見、北川景子とキャストは割と豪華ながら、ロクに仕事もさせてもらえない。ヒロイン役の平手友梨奈のパフォーマンスは、所詮“坂道一派”の枠を出ない低調なもの。ラストは何やら続編があることを匂わせるが、多くの観客にとってそこまで付き合う義理は無いだろう。
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「サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ」

2021-11-21 06:57:03 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SOUND OF METAL)世評はとても高く、米アカデミー賞をはじめ各アワードを賑わせていたが、個人的には気に入らない。とにかく、設定やストーリー、各モチーフに釈然としないものが目立ち、ほとんど感情移入が出来なかった。もっと平易で普遍性の高いネタや筋書きを用意すべきだったと思う。

 ドラマーのルーベン・ストーンはガールフレンドのルーと一緒にロックバンドを結成し、トレーラーハウスに乗り込んでアメリカ各地をツアーで回る日々を送っていた。だがある日、突然ルーベンの耳がほとんど聞こえなくなってしまう。慌てて病院に駆け込むが、医者からは治る見込みが無いと言われる。自暴自棄で荒れるルーベンだが、プロモーターの紹介で聴覚障害者の支援コミュニティに参加することを決心する。そこで安らぎを得る彼だったが、ミュージシャンに復帰する夢を諦めていたわけではなかった。



 音楽を生業にしていた主人公が聴覚を失うという、途轍もなくシビアな状態を描いているのだが、どうもルーベンは共感しにくい人物だ。彼がこういう目に遭ったのは、もちろん直接の原因は分からないのだが、ドラッグに溺れたこともあり、それからも健康的とは言えない生活を送っていたことを考えると、ある程度“自業自得”ではないかという気がする。しかも、耳をつんざく大音響に始終さらされる仕事環境だ。

 だいたい医者からの当初の告知は“残されたわずかな聴力を出来るだけ維持するしかない”というものではなかったか。治療やリハビリのプロセスをスッ飛ばして、いきなり全聾者の集まりに身を投じるというのは、何か違う気がする。かと思えば、後に彼が治療法を探そうとしたとき、このコミュニティは冷たい態度を取ったりする。そもそもこの集まりは教会からの支援を受けているらしいが、どうもある種の宗教団体であるような気がしてならない。メンバーを外界から遮断するというこのコミュニティの方法論で、果たして構成員が救われるのかどうか怪しいところである。

 また、ルーベンとルーがやっている音楽は過激なメタルコアであり、ロック好きの私でも敬遠したくなるようなシロモノだ。終盤は“まあ、仕方が無いな”と言うしかない展開を見せるが、正直“もっと別の道を前に選択出来たのではないか”と思ってしまった。

 監督のダリウス・マーダーは、そこそこ無難な仕事ぶり。主演のリズ・アーメッドは頑張っているし、ルーに扮するオリヴィア・クックは魅力的。ポール・レイシーにローレン・リドロフ、マチュー・アマルリックといった脇の面子も悪くない。それだけに、要領を得ない筋書きは残念だ。
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「最後の決闘裁判」

2021-11-13 06:58:22 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE LAST DUEL )2時間半を超える尺だが、最後まで飽きさせない。構成が巧みでドラマ運びに重量感がある。キャストのパフォーマンスや映像は申し分ない。そして何より“決闘”の当事者たちが百戦錬磨の騎士であるにも関わらず、見事な“女性映画”になっている点が大いに評価出来る。見応えのある歴史劇だ。

 百年戦争の勃発から半世紀ほど経った1386年のフランス。勇猛果敢な騎士として定評のあるジャン・ド・カルージュの遠征中に、彼の旧友ジャック・ル・グリが屋敷に押し入り、ジャンの妻マルグリットに乱暴をはたらくという事件が発生。彼女は領主に訴えるが、目撃者がおらずジャックの有罪は問えない。この法廷での膠着状態を打破するため、国王シャルル6世は当時すでに禁止されていた“決闘裁判”を持ちかける。ジャンが勝てばジャックの罪状は確定。ジャックが勝てばマルグリットは偽証の罪で死刑になる。エリック・ジェイガーのノンフィクション「決闘裁判 世界を変えた法廷スキャンダル」を元に作られている。

 映画は4つのパートに分かれている。事件をジャン側から見たもの、ジャックの側から見たもの、マルグリットの主観によるもの、そして決闘のシークエンスだ。いわば“「羅生門」方式”なのだが、あの有名な黒澤明作品と決定的に異なるのは、誰かが嘘をついているわけではなく、真実は最初から明らかであるという点である。

 本作で描き分けているのは各当事者の事件に対する“立場”にすぎない。しかし、その“立場”こそが問題なのだ。男2人は事件の重大さに対して言及はするものの、結局はそれぞれが置かれた社会的ポジションからしかコメント出来ない。ところがマルグリットは断じて違う。彼女は辱めを受けたこと自体を訴えているのだ。

 それは社会的立場がどうのとか、世間体が何だとか、そんなことは関係ない。それを象徴するのが、ジャンの母親に対するマルグリットの態度だ。義母も若い頃には、さんざん性的被害に遭ってきたという。しかし立場上“泣き寝入り”をしてきたし、それが当然だと思い込んでいる。ところがマルグリットは彼女の言葉に動じない。自らの誇りを失わないために、命を賭して決然と立ち上がる。そしてジャンもそれを受け入れる。この展開はまさに“現代”に通じるものがあり、今映画化するにふさわしい。

 リドリー・スコットの演出は久々にパワフルなタッチを見せ、ドラマ運びに淀みがなく、クライマックスの決闘場面の盛り上がりは素晴らしい。マット・デイモンとアダム・ドライバーの演技は申し分ないが、やっぱり強い印象を与えるのはマルグリット役のジョディ・カマーだ。演技力も気品もあるこの英国の若手女優の将来は明るい。

 また、ベン・アフレックが一見彼だとは分からない役柄で出ているのも面白い。ダリウス・ウォルスキーのカメラによる寒色系の映像と、確かな時代考証に裏打ちされた美術は、作品のクォリティを上げている。ハリー・グレッグソン=ウィリアムズの音楽も及第点だ。
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「シックス・ストリング・サムライ」

2021-10-29 06:27:32 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Six-String Samurai)98年作品。超低予算のB級(いや、それ以下かも)映画で、私自身もどうしてこんなシャシンを観たのか今となっては分からないが(笑)、妙なパワーがあって捨てがたい。現役の有名映像作家も、デビュー時はマイナーな作品に手を染めていた例も多いことを考え合わせると、存在価値はあるのだと思う。

 1957年に起きた核戦争後のアメリカ。国土はソ連に占領され、残った自由の地はロスト・ヴェガスだけになってしまった。しかしその町も、暗黒のサウンドで世界征服を企む雷ギターを持つ悪魔デスの支配下に置かれている。聖地を奪還すべく、ロックンロール戦士たちが集まり戦いを繰り広げる。そんな中、黒縁メガネをかけた最強の剣術とギターテクニックを持つバディは、道中で命を救った少年キッドと共に、ロスト・ヴェガスを目指す。



 「マッド・マックス」を思わせる世界観をバックに、クンフーアクションが炸裂するという御膳立てだが、かなり画面はチープだ。それも並のチープさではなく、まるで“高校の文化祭の出し物”レベルである。

 ところが、主人公のキャラがかなり立っており、彼を見ているだけで愉快な気分になってくる。バディ・ホリーを無理矢理にモデルにしたようなメガネ野郎だが、ボロボロの傘と必殺のギターを携えて敵をバッタバッタと倒してゆく。アクション場面が“意外と”良く出来ており、手抜きとも言えるカット割りながら、要領の良さでキレとスピード感が出ている。

 面白いのは、デスの造型が完全にヘビメタ系で、作者がその手の音楽を毛嫌いしていることが一目瞭然である点だ。代わりに送り手が偏愛しているのはプレスリーに代表されるロカビリー系であるらしく、そんなBGMが楽しげに鳴り響く。演出はぎこちないしラストのバトルも腰砕けだが、B級に徹した思い切りの良さで観終わって“まあ、いいじゃないか”という気分になってくる。

 主演のジェフリー・ファルコン、監督のランス・マンギア、共にその後の仕事ぶりは知らない。でも、この映画を作った時点では彼らは夢中で盛り上がっていたのだろう。それを思うと、本作を嫌いにはなれない。
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「シューティング・フィッシュ」

2021-10-24 06:58:40 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SHOOTING FISH )97年作品。この頃のイギリス映画は、なぜかライトなコメディが目立っていたと思う。まあ、たまたまその手のシャシンが当時集中的に輸入されただけかもしれないし、ライトと言っても暗くシニカルな面も持ち合わせていたのだが、今から考えると一種の“ハヤリ”だったのかもしれない。この作品もそんな一本だ。

 ロンドンに住む孤児院育ちのディランとジェズは、バイト先で知り合い仲良くなる。2人は大邸宅を手に入れるという夢を持っており、そのため詐欺稼業に明け暮れ、やがて医学生のジョージーを仲間に引き入れる。彼女は障害を持つ弟のために好きでもない大金持ちとの結婚を控えていたが、障害者施設を閉鎖しようとしているのが当のフィアンセであったことを知り、婚約を破棄。ディランたちを巻き込んで反撃に出る。



 登場人物たちはいかにもイギリスらしく(?)屈折しており、他人を容易に信用せず斜に構えているような雰囲気だが、一度方向性が定まると脇目も振らずに突き進むあたりは好ましい。ステファン・シュワルツの演出は軽快で、コン・ゲームの仕掛けは他愛の無いものながら、ポップな語り口でスムーズに見せる。そしてラスト近くの“大逆転”には笑わせてもらった。

 音楽を担当したのはスタニスラス・サイレウィックだが、それよりも既成曲の使い方が秀逸。ザ・スーパーナチュラルズやシルヴァー・サン、ブルートーンズ、ディヴァイン・コメディといった、当時のイギリスの若手バンドのナンバーがズラリと並んでおり、それがまた映画のリズムと合っている。いわゆるブリットポップ・ムーブメントが終わりを告げたのがこの頃だということを考え合わせると、なかなか感慨深いものがある。

 主演のダン・フッターマンとスチュアート・タウンゼンドは絶好調。実を言えば2人ともイギリス人ではないのだが(笑)、作品のカラーに上手く溶け込んでいる。ヒロイン役のケイト・ベッキンセールは珍しくショーカットで、けっこう可愛く撮れていて好印象だ。
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