goo blog サービス終了のお知らせ 

元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「猿楽町で会いましょう」

2021-06-28 06:22:22 | 映画の感想(さ行)
 石川瑠華扮するヒロイン像が光っている。近年では深田晃司監督の「本気のしるし」(2020年)で土村芳が演じた悪女がインパクトが強かったが、本作の石川も負けていない。こういう女に関わったら身の破滅だと思わせるようなヤバさがある。また、他のキャラクターも丹念に掘り下げられており、辛口の人間ドラマとして見応えがある。

 主人公の小山田修司は売れないフォトグラファーで、いつかファッション関係の素材を撮りたいとは思っているが、今は単価の低い雑貨の宣材写真を手掛けて糊口を凌いでいる。ある時、修司はひょんなことから読者モデルの田中ユカの写真を依頼される。意気投合した2人は、渋谷の猿楽町のアパートで暮らすこととなり、撮った写真も賞に入選するなど修司にもようやくツキが回ってきたように思えた。だが、ユカは実は別の男の部屋に出入りしていることが発覚。さらに、彼女はモデルの仕事を得るために怪しげなバイトに手を出していることも明るみに出て、修司は困惑するばかりだった。



 ユカの造型が出色だ。彼女には漠然とした上昇志向らしきものはあるが、それ以外は見事なほどにカラッポである。彼女の物言いはすべて他人からの受け売りで、主体性のカケラも無い。しかも、他人が自分より先んじていることに対するジェラシーはあるらしく、陰湿なマネをすることに躊躇はない。それでいて、イノセントで男好きのする外見であるため、交際相手には困らなかったりするのだ。

 映画はそんな彼女を、一点の救いも無く描く。その容赦のなさは、一種のスペクタクルだ。ついでに言えば、修司を除いた他の連中もクズばかり。自分のためならば平気で他人を利用する。だが、中身の無いまま浮遊したように日々を生きるユカのクズっぷりには敵わない。いわばこの映画は“クズの中のクズ”を決めるバトルロワイアルみたいなものだ(笑)。そんな中にあって、修司だけはこの状況にしっかりと対峙することになり、いわゆる若者の成長物語になっているあたりが見上げたものだ。

 これが初の商業監督映画となる児山隆の演出は堅牢で、時制を3つに分けるテクニックも鮮やかに決まる。作劇のテンポが滞らないのも感心した。修司役の金子大地は、理不尽な事態に直面して我を失う一歩手前のディレンマをうまく表現して高得点。

 栁俊太郎に小西桜子、前野健太、長友郁真といった脇の面子もクセ者揃いだが、やはりユカに扮する石川のパフォーマンスは凄い。何を考えているのか分からず、何をしでかすのか全く予想できない。この年代の女優の中では群を抜く個性派で、今後の活躍が期待できる。松石洪介の撮影と橋本竜樹の音楽も的確な成果を上げている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スペース・スウィーパーズ」

2021-06-26 06:23:15 | 映画の感想(さ行)
 (英題:SPACE SWEEPERS)2021年2月よりNetflixより配信。題材とストーリー運びは特に目新しい点は見つからず、キャストの仕事ぶりもさほど印象に残らないのだが、韓国映画がこういうシャシンをリリースしたという事実は注目に値するだろう。エクステリアに限って言えばハリウッド作品にも匹敵する仕上がりで、こういう企画が通ったこと自体、彼の国の映画界の勢いを感じさせる。

 2092年、地球は環境の悪化により居住が難しくなっていた。大手宇宙開発企業のUTSは宇宙空間に巨大な居住エリアを建設するが、そこは上層階級の人間しか住むことが出来ない。そんな中、宇宙に散乱する金目のゴミの収集と売却を生業とする“スペース・スウィーパーズ”と呼ばれる者たちが跋扈していた。



 韓国籍の“勝利号”も宇宙のゴミの掃除に勤しんでいたが、ある時操縦士のテホが廃棄された宇宙船の中で一人の少女を発見する。その少女は行方不明の子供型アンドロイドの“ドロシー”のようで、内部に水爆が装着された大量破壊兵器らしい。“勝利号”の乗組員たちは“ドロシー”を闇組織に売り払って大金を得ようとするが、UTSの親玉も別の目的で“ドロシー”を追っていた。

 設定はよくあるディストピアもので、その中で“はぐれ者たち”が活躍するという筋書きも凡庸だ。そもそも、現時点でも月面に基地さえ作れない状態で、あと約70年で絵に描いたようなスペースオペラ的な設備とメカが実現するわけがない(笑)。ここは時代設定をあと100年ぐらい先にすべきだった。

 とはいえ、チョ・ソンヒの演出は賑々しくSF大作感を出しており、よく観ればそれほど予算は掛けていないのが分かるが、撮り方が上手いので画面が安っぽくならない。ただ、もっとエピソードを刈り込んで尺を短くすれば良かったとは思う。

 “勝利号”の連中は総じてキャラクターは“立って”おらず、“ドロシー”に扮した子役もあんまり可愛くないのだが、その中でロボットのバブズの造型だけは面白い。ソン・ジュンギにキム・テリ、チン・ソンギュといった出演陣は無難に役をこなしているといった程度。悪役のリチャード・アーミティッジもスゴんでいるわりには迫力に欠ける。しかしながら、アジア映画で本格的な宇宙物が観られたことは評価したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ザ・ファイブ・ブラッズ」

2021-06-11 06:28:39 | 映画の感想(さ行)
 (原題:DA 5 BLOODS )2020年6月よりNetflixより配信。評判が良いみたいなので観てみたが、監督がスパイク・リーだということが判明した瞬間、悪い予感がした。案の定、要領を得ない出来に終わっている。思えば、この監督の作品で水準を大きくクリアしているのは初期の数本だけだ。どうしていまだに演出のオファーが絶えないのか、個人的には解せない。

 4人の黒人の退役軍人が、かつての戦場であるベトナムを訪れる。目的は戦友ノーマンの遺骨回収、そしてジャングルの中に隠した、大量の金塊の奪取だ。勝手に付いてきたメンバーの一人の息子や、現地ガイド、および地雷撤去のために現地入りした平和活動グループも交えた一行は何とか目当てのものを見つけるが、金塊を横取りしようとする武装グループの襲撃を受ける。

 公民権運動をはじめとする米社会における黒人層の地位を示すニューフィルムなどが数多く挿入されるが、それがベトナム戦争とどう結び付くのか、よく分からない。確かにベトナムに従軍した米兵士の約3割が黒人であるというが、本作のストーリーである宝探しと活劇の直接的な背景になるかというと、かなり無理がある。

 元々このネタは白人のベトナム帰還兵という設定で脚本が書き上げられ、オリヴァー・ストーン監督が映画化する予定だったらしい。それがスパイク・リーのもとに企画が持ち込まれた際に、黒人差別問題を絡めた話に移行したということだ。居心地の悪さはそこから来ているとも言える。

 演出のテンポは良くない。BLMをはじめベトナムの旧宗主国のフランスに対する言及、登場人物の一人が負っている戦争の後遺症(PTSD)と家族関係や、現地の女性との間に出来た子供の問題、ベトナム社会の剣呑な雰囲気(ただし、描き方は中途半端)などのモチーフが目一杯詰め込まれ、ストーリー進行が遅くなった挙げ句に2時間半を超える尺になってしまった。時制によってスクリーンのサイズが変わるのも愉快になれない。

 ここは単純に、金塊をめぐる悪者たちとの争奪戦を、かつての戦場で何があったのかというミステリーをバックに粛々と映画にすれば、それなりの娯楽編に仕上がったはずだ。上映時間も2時間以内に収められただろう。デルロイ・リンドーにクラーク・ピーターズ、ノーム・ルイス、イザイア・ウィットロック・Jr、ジャン・レノ、そしてチャドウィック・ボーズマンという配役は悪くないが、あまり印象に残らない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ジェントルメン」

2021-05-29 06:16:25 | 映画の感想(さ行)
 (原題:THE GENTLEMEN )いかにもガイ・リッチー監督作らしい、ケレンとハッタリの連続で賑々しくストーリーを進めてくれるが、底は浅い。少なくとも、同監督の出世作「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(98年)と比べれば、かなり落ちる。有り体に言えば、脚本の精査が足りていない。

 アメリカからイギリスに渡り、マリファナの取引で財を成した組織のボスのミッキー・ピアソンが、巨額のビジネス資産をすべて売却した上での引退を決める。そんな中、私立探偵のフレッチャーがミッキーの側近であるレイモンドのもとを訪れる。フレッチャーはミッキーとそのシンジケートの“弱み”を握っており、そのネタを買い取らないと大手ゴシップ紙に情報をリークすると脅す。

 一方、アメリカの富豪マシュー・バーガーがミッキーの事業を譲り受ける話が進められていた。また、マシューの仲間であるチャイニーズ・マフィアや、偶然この件に関わることになったロシアン・マフィア、町のワルどもを束ねる得体の知れない男“コーチ”などが暗躍し、ミッキーの周囲は慌ただしくなってくる。

 いろんな連中が入り乱れて筋書きは複雑のように見えるが、実はマリファナ密売組織の事業移管の話に過ぎず、プロットはひどく単純だ。ミッキーの仕事を妨害している奴らの親玉は誰なのかというのは、すぐにネタが割れる。他の者たちも、観ている側が“こいつは、たぶん腹の中でこう思っているのだろう”と予想すると、それはすべて的中する。結末にはほとんど意外性はなく、この方向以外では締められない運びになっている。

 映画の大半はフレッチャーがレイモンドに話す内容に沿って進行し、だから多少は荒唐無稽な“脚色”が付与されているのは仕方がないが、それにしてもストーリーが面白くない。そもそも、これだけの騒ぎを起こしておいて警察当局がまったく介入しないというのも変だ。悪徳刑事でも登場させて、重要な役割を割り当てるぐらいの工夫が欲しかった。リッチーの演出は派手だが、話自体が気勢が上がらないので“から騒ぎ”に終わっている感がある。

 マシュー・マコノヒーにチャーリー・ハナム、ヘンリー・ゴールディング、ミシェル・ドッカリー、コリン・ファレル、そしてヒュー・グラントなど顔ぶれは多彩だが、いずれも想定の範囲内の仕事ぶりだ。とはいえ、アラン・スチュワートによる撮影は悪くないし、クリストファー・ベンステッドの音楽および既成曲のチョイスは非凡である。何も考えずに映画の“外観”だけを楽しみたいという向きには適当かもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ザ・スイッチ」

2021-05-07 06:27:35 | 映画の感想(さ行)
 (原題:FREAKY)お手軽なホラー・コメディであり、筋書きも予想が付くのだが、けっこう楽しんで最後まで観ることが出来た。モチーフの細部がよく練り上げられており、無理筋のエピソードも少ない。取り立てて高評価を与えるようなシャシンではないものの、時間の空いたときに付き合うにはもってこいだ。

 ジョージア州の田舎町に住む地味で内気な女子高生ミリーは、1年前に父親を亡くしてからますます塞ぎがちになっていた。母親は酒に溺れ、警察官の姉は仕事にしか興味が無い。そんな折、連続殺人鬼ブッチャーが暴れ出しているというニュースが町を賑わせていた。ある夜、無人のグラウンドで母の迎えを待っていた彼女に、ブッチャーが襲いかかる。



 ブッチャーが別の犠牲者宅から盗んだ伝説の短剣で刺し殺されたはずのミリーだが、その時に雷鳴が響き渡り、気が付くと2人の身体が入れ替わってしまう。24時間以内に入れ替わりを解かなければ、二度と元に戻れない。ブッチャーの姿をしたミリーは友人のナイラとジョシュを何とか説得して短剣の在処を探すが、その頃ミリーの身体を得たブッチャーは学内で殺戮の限りを尽くしていた。

 よくある“入れ替わりネタ”なのだが、当事者が女子高生と殺人鬼という設定がユニークで、しかも入れ替わることによって2人は“新たな可能性”を知ってしまうあたりがケッ作だ。ブッチャーは相手を油断させる外見を待ったことで、殺しのバリエーションが増える。ミリーは大柄でパワフルな肉体を得たことで、行動力が数段アップする。いわばジェンダーの問題を斜め後ろから考察するようなテイストがあり、なかなか興味深い。

 ホラー映画だけに流血沙汰は多いが、ミリーの姿形を持ったブッチャーに校内で殺されるのがイヤな奴らばかりなので、それほど残忍さは無い(笑)。また、ミリーの家族関係をじっくり描いてハートウォーミングな一面も挿入するあたりも上手い。クリストファー・ランドンの演出はテンポが良く、主人公2人以外のキャラクターにも十分目が行き届いている。過去のホラー映画を意識したショットがけっこうあるのも楽しい。

 主演のヴィンス・ヴォーンとキャスリン・ニュートンは大活躍で、身長2メートルのヴォーンの乙女チックな演技と、可愛い顔して凶悪な面を隠そうともしないニュートンのパフォーマンスは特筆ものだ。ケイティ・フィナーランにセレステ・オコナー、ミシャ・オシェロヴィッチといった脇の面子も好調。ラストの立ち回りの“あり得ない展開”こそ気になるが、まずは観て損の無い作品だと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「すくってごらん」

2021-03-29 06:23:02 | 映画の感想(さ行)
 まさか、ミュージカル映画だとは思っていなかった(笑)。しかしながら、楽しめる作品だ。正直言ってストーリーはいい加減で、ラストも尻切れトンボ状態。そもそも、題材になっているはずの金魚すくいの扱いもなおざりである。それでも、ミュージカルという御膳立てを採用すればすべて笑って許してしまえるのだから不思議だ。

 大手銀行の東京本店に勤務していたエリート行員の香芝誠は、怒りのあまり上司を罵倒した結果、奈良県の田舎町の営業所に左遷されてしまう。捨て鉢な気持ちを抱えたまま赴任した誠だが、下宿先(一応、名目は社員寮 ^^;)である金魚すくいの店の娘の吉乃と出会い、一目惚れしてしまう。金魚が特産物であるこの町では、金魚すくいは“大人のたしなみ”として認知されていた。



 さっそく彼女の手ほどきで金魚すくいを始めた誠だが、実は吉乃はあることが切っ掛けで人前にはあまり出ず、得意のピアノも人に聴かせる機会も無いことを知る。彼女のために誠は一肌脱ぐことを決心し、夏祭りの日に“大勝負”に挑むことになる。大谷紀子による同名コミックの映画化だ。

 冒頭、地方に飛ばされて失意の誠が“心の声”を歌にして表現する場面で呆気にとられ、その後も楽曲が次々に繰り出されるに及び、ああこれは“そういう設定”のシャシンなのだと合点した。考えてみれば、人気漫画の中身を“そのまま”映画化しようとしても、原作のファンは納得しないケースが多々あるし、元ネタがやたら長ければ消化不良に陥る。思い切って独自の方法論を仕掛けてみるのも面白い。

 誠のキャラクターが最高で、自暴自棄になりそうなところを必死になって的外れなエリート意識により持ち応えようとするあたりは笑える。田舎町の住人たちに“本店仕込み”の場違いな経営改革論をブチあげるのもケッ作だ。それでも、彼のそんなオフビートな真面目さが次第に周囲を巻き込んでいくプロセスはけっこうよく描けている。



 本当は吉乃の屈託なんて大したことはなく、夏祭りのシーンも筋書きとしては盛り上がらない。それでも、登場人物たちが楽しく歌いまくるのを観ていると“これで良いじゃないか”という気持ちになってくるから面白い。監督の真壁幸紀は、映像処理に非凡なものを見せる。キッチュだが独特のセンスを持った大道具・小道具。舞台になった大和郡山市のレトロな街並みと、凝った映像ギミックが絶妙の調和を見せる。さらには(金魚らしく)魚眼レンズを用いたショットがあったり、1時間半の短い尺にも関わらず“休憩”を挿入したりと、まさにやりたい放題だ。

 主演の尾上松也は快調で、思い込みの激しいサラリーマンを賑々しく演じる。そして意外と歌が上手いのにも驚いた。吉乃役の百田夏菜子がピアノを弾きまくったり、ライブハウス店員に扮した石田ニコルが当たり前のようにギターの弾き語りを披露するのにもびっくりだ。柿澤勇人に矢崎広、大窪人衛といった脇の面子も申し分ない。そして鈴木大輔による音楽が最高で、今年度の邦画を代表するスコアになることは間違いない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「サンティネル」

2021-03-19 06:20:03 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SENTINELLE)2021年3月よりNetflixにて配信された、フランス製の活劇編。はっきり言って、出来はかなりヒドい。ストーリーは行き当たりばったりで何の工夫も無く、キャラクター設定もお粗末の一言。1時間20分という短い尺ながら、やたら長く感じられた。

 フランス陸軍の通訳としてシリアに従軍したクララは、理不尽な戦争の悲劇を目の当たりにしてPTSDを患ってしまう。海外勤務を終えて故郷のニースに帰り、テロ対策の歩哨を命じられた彼女だが、向精神薬がないと日常生活も送れない有様だった。そんなある日、妹のタニアがナイトクラブに行った後に何者かに暴行され、瀕死の状態で発見されるという事件が発生。クララは犯人を見つけて妹の復讐をするために向こう見ずな行動に出るが、容疑者のロシアの大手IT会社の社長には、警察も手も出せない有様だった。

 戦争帰りの兵士が義憤に駆られて大暴れするという、今までも何度となく扱われてきたネタだが、本作には目立った工夫が見受けられない。犯人を捜すプロセスをはじめ、敵のアジトを特定するくだりや、そこに侵入する段取りなどは、まさに手抜き。それどころか、中盤以降は“どこかでフィルムが飛んでいないか”と思うほどシークエンスの繋ぎが荒く、脈絡の無いシーンが突然出てきたりする。

 ならば活劇場面はどうかといえば、これも低調。クララの格闘シーンはスクリーンにまるで映えず、かといってリアリティがあるわけでもない。また、キレの良いガンプレイやカーチェイスなども無し。そもそも、クララは悩みを抱えているにしては振る舞いが直情径行で、観る側としては感情移入しにくい。敵方の存在感の無さにも閉口する。

 ジュリアン・ルクレール監督の仕事ぶりは冗長で、安手のテレビドラマ並だ。主演のオルガ・キュリレンコは頑張っているとは思うが、まだまだ鍛え方が足りない。そして、それをカバーする演出上の措置も無い。マリリン・リマにミシェル・ナボコフ、マーティン・スワビーといってた脇の面子も弱体気味で、結局印象に残ったのは、風光明媚な南仏の描写だけであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「世界で一番しあわせな食堂」

2021-03-15 06:34:51 | 映画の感想(さ行)
 (原題:MESTARI CHENG )この内容にしては上映時間が長いし、筋書きに突っ込みどころもあるのだが、実に肌触りの良い作品で最後まで気持ち良く観ていられた。ミカ・カウリスマキ監督の作品に接するのは初めてながら、シニカルでストイックな作風が身上の弟のアキ・カウリスマキ監督とは様相がまるで違うのも面白い。

 フィンランド北部にあるラップランド地方の小さな村の食堂に、中国人の中年男チェンが小学生の息子と一緒にやってくる。チェンは昔世話になったフィンランド人に会いに来たのだが、誰もそれらしい人物を知らない。途方に暮れた彼を、食堂の女主人シルカは泊めてやることにする。翌日、なぜか食堂に中国人の団体客が押し寄せてくる。彼らを満足させる料理を出すことに自信のないシルカを助けたのが、実は上海の有名レストランでコックをやっていたチェンだった。



 地元の食材を使った上海料理を急遽振る舞い、彼はその場を切り抜ける。そして食堂の調理係になった彼の料理は評判を呼び、店は大繁盛。チェンは常連客たちとも親しくなる。だが、観光ビザの期限が迫り、チェン親子は帰国しなければならない。いつしか彼を憎からず思うようになっていたシルカは、大いに悩むことになる。

 いくら“海外進出”が盛んな中国人観光客とはいっても、名所旧跡も無い片田舎に大挙して来訪するとは考えにくい。また、薬膳料理が“万能薬”みたいな扱いであるのも、何か違う気がする。そもそも製作に中国資本が入っているためか、やたら彼の国を持ち上げているのも気になるところだ。しかし、各キャラクーの描写には卓越したものを感じる。

 チェンもシルカも辛い過去を抱えており、いまだ立ち直っていない。そんな2人が出会うことにより、改めて人生に向き合っていくプロセスには説得力がある。悪い奴が一人も出てこないのは、さすが世界幸福度報告書でトップのフィンランドらしいが、なぜ彼らが善良なのか、その理由が垣間見えるあたりも興味深い。それはひとえに地域コミュニティが有効に機能しているからに他ならないのだが、映画はそのことを必要以上に強調しないのも納得だ。

 ミカ・カウリスマキの演出は悠然としていて無理がない。ヤリ・ムティカイネンのカメラによる美しい自然の風景も印象的だ。主演のアンナ=マイヤ・トゥオッコとチュー・パック・ホングをはじめ、カリ・バーナネン、ルーカス・スアン、ベサ=マッティ・ロイリら脇のキャストも好演だ。それにしても、この食堂で当初出されていたのはソーセージとマッシュポテトと野菜の付け合わせという、とても美味しそうとは言えないシロモノであるのには苦笑した。こんなのばかり毎日食っていれば、キレイに盛り付けられた中国料理に皆瞠目するのも良く分かる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「春江水暖 しゅんこうすいだん」

2021-03-06 06:34:45 | 映画の感想(さ行)
 (原題:春江水暖)少しも面白くない。退屈な映画だ。起伏の無いストーリーに凡庸な語り口、魅力に乏しい登場人物たち、そして“どこかで観たような映像”と、どう見ても個人的には映画的興趣に欠けるシャシンだ。150分という決して短くもない上映時間も相まって、観ている間は眠気との闘いに終始する始末である。

 舞台は浙江省杭州市の富陽地区。顧家の年老いた母の誕生日を祝うパーティーが開かれていた。4人の息子や親戚たちが集まる中、突然に母が脳卒中で倒れてしまう。何とか命は取り留めたが認知症が進み、誰かが介護しなければならない。息子たちは、改めてそれぞれの人生に向き合うことになる。

 長男はくだんのパーティーがおこなわれたレストランを経営しており、現在は娘の結婚問題で悩んでいる。次男は漁師で、頼りない息子の行く末を心配している。三男はダウン症の息子を男手ひとつで育てており、四男は気楽な独身暮らしだが、実はパートナー探しに苦労している。彼らの状況を掘り下げればかなりの成果を上げたと思われるのだが、映画はそうならない。どれも通り一遍で求心力に欠ける。特に三男は描き込めば面白いネタがたくさん出てくるはずだが、どうも及び腰だ。

 映画の設定としては、中国を舞台にしたアメリカ映画「フェアウェル」(2019年)と似たところがあるが、あれよりも落ちる。どうも、観客を楽しませようという意図はあまり無いようだ。ならば、高踏的なタッチを狙っているのかというと、これも空振りだ。そもそも本作は単なるホームドラマであり、しかもあまり悲劇性を伴わない筋書きなので、アート的に練り上げようとしても上手くいかない。

 映像面では富春江の沿岸を横移動の長回しで延々と捉えたシーンに代表されるような、悠然としたタッチが評判になっているようだが、確かに“アートっぽさ”を醸し出すものの、映画のモチーフとして機能していない。これらの映像は「長江哀歌」(2006年)や「四川のうた」(2008年)といったジャ・ジャンクー監督の初期作品の卓越したヴィジュアルと似ているようで、深遠さは感じられない。

 これがデビュー作になるグー・シャオガン監督の腕前はそれほどではない。チエン・ヨウファーやワン・フォンジュエン、ジャン・レンリアンなどのキャストも印象が薄く、わずかに長男の娘を演じるポン・ルーチーの清楚な美しさが記憶に残った程度だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「すばらしき世界」

2021-03-01 06:18:10 | 映画の感想(さ行)
 ある一点を除けば、とても良く出来た映画だ。題材自体はタイムリーかつ重大で、筋書きはもとより、演技、演出と、各要素で高得点を叩き出している。間違いなく本年度の日本映画の収穫であり、ベストテン入りはほぼ間違いない。本作のようなレベルに達している日本映画を、コンスタントに公開して欲しいものだ。

 北海道の刑務所に収監されていた三上正夫が、刑期を終えて出所した。彼はかつて暴力団の構成員で、殺人罪などで人生の半分以上を塀の中で過ごしていた。上京し、身元引受人である庄司弁護士らの助けを借りながら自立を目指すが、様変わりした世間とはなかなか折り合えない。ある日、若手テレビディレクターの津乃田とプロデューサーの吉澤が三上に接触する。彼らは、苦労しながら生き別れた母親を捜す三上の姿をドキュメンタリー番組に仕立て、高視聴率を狙っていた。佐木隆三が90年に実話を基にして執筆した小説「身分帳」を、舞台に現代に置き換えて映画化したものだ。



 三上のキャラクター設定が絶妙だ。アウトローでありながら、正義感はとてつもなく強い。筋の通らないことに遭遇すると我が身を省みず暴れ回り、そのためにしょっちゅう警察のお世話になる。明らかに昔の任侠映画の主人公たちに通じるアウトサイダーだが、その当事者が様式美に貫かれたフィクションであった往年のヤクザ映画の世界とは異なる、現実社会に現れたらどうなるかという筋書きは出色だ。

 三上は天涯孤独のようでいて、実は別れた妻がいる。そして弁護士夫妻をはじめ、ひょんなことで知り合ったスーパーの店長や、何かと気に掛けてくれる役所のケースワーカーなど、仲間がいる。彼の一本気で得がたい人間性が、人を惹き付けるのだ。もちろん、前科者がすべて三上のような好漢であるわけはない。ただ、根っからの悪人ではない者が、脛に傷があるというだけで阻害される構造は、明らかにおかしい。

 映画は三上と世間との関わり合いを、さまざまなエピソードで複数のフェーズで捉えるが、その内容と配置はよく計算されている。また、三上がさまざまな出会いによって変わっていく過程を、無理なく描く。西川美和監督としては初めての“原作もの”であるが、素材の中から自身の描きたいものを抽出して再構成させるという手腕はさすがだ。演出リズムも申し分ない。

 主演の役所広司にとっては代表作の一つになると思われる名演だ。善悪を併せ持った複雑なキャラクターを、見事に表現している。仲野太賀に六角精児、北村有起哉、キムラ緑子、梶芽衣子、橋爪功、桜木梨奈など、脇の面子も素晴らしい。しかし、冒頭に書いた“ある一点の瑕疵”はそのキャスティングにある。吉澤に扮する長澤まさみは、どうしようもなく演技が下手だ。この女優はいつになったら成長するのだろうか。まあ、出番が少ないのが救いではある(苦笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする