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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「シモーヌ フランスに最も愛された政治家」

2023-09-04 19:26:23 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SIMONE, LE VOYAGE DU SIECLE )観る価値はある。何より、シモーヌ・ヴェイユという政治家を知ることができただけでも、この映画に接して本当に良かったと思う。東洋の島国に住んでいる我々には、世界中の重要な仕事を成し遂げた為政者をすべて認知するのは難しいのかもしれないが、それでも映画を通じて紹介してくれたのは意義深い。

 主人公シモーヌは1927年南仏ニースの生まれ。ユダヤ人であったことから、第二次世界大戦中に親ドイツのヴィシー政権が成立した際に検挙され、家族と共に収容所送りとなる。何とか生き抜いた彼女は、戦後はパリ大学で法学を学び、司法試験合格し法曹界へと進む。やがてポンピドゥー政権下で司法官職高等評議会の事務総長に任命され、政治家としての道を歩み始める。



 ヴェイユのことをネット上で検索しただけでも、かなりの実績を上げた人材であることが分かる。もちろん、本作は彼女が残した功績をクローズアップすることが狙いなので、マイナス面があったとしてもそれを殊更論うことは無い。それでも誰も手を付けていなかった人権問題、しかもそれまで“問題”として認識もされていなかった案件の数々を取り上げて解決への道筋を示した手腕には感服するしかないのだ。

 脚本も担当したオリヴィエ・ダアンの演出は巧みで、あえて時系列をランダムに配置し、1974年での中絶法の可決を実現させると共に79年には女性として初めて欧州議会議長に選出された事実を最初に提示して、この仕事の背景になった彼女の生い立ちをそれぞれピックアップしていく構成が効果を発揮している。単に史実を順序立てて追うだけでは、これほどのインパクトは無かったはずだ。その手法が真にモノを言うのが、終盤近くで紹介されるアウシュビッツ収容所でのエピソードだ。この辛い体験があるからこそ、非人道的な事柄にアグレッシブに対峙するシモーヌの姿勢が鮮明になる。



 キャストでは中年以降の主人公を演じるエルザ・ジルベルスタインのパフォーマンスが際立っている。本当に政治家にしか見えないのだから大したものだ。もちろん、同じユダヤ系であることも大きいだろう。若い頃のヒロインに扮したレベッカ・マルデールも良い仕事をしている。エロディ・ブシェーズやオリヴィエ・グルメなどの他の面子も申し分ない。

 シモーヌ・ヴェイユは2017年に世を去ったが、その時は国葬が催され、パンテオンに合祀されている。その功績を考えれば当然と思われ、実際には多くの国民がそれを支持した。勝手に閣議決定だけで元総理の国葬の実施を決め、国会の議決どころか世論の賛同も得ないまま断行してしまったどこかの国とは大違いである。
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「空に住む」

2023-09-01 06:09:23 | 映画の感想(さ行)
 2020年作品。2022年に世を去った青山真治監督の最終作だが、彼は「サッド ヴァケイション」(2007年)以来調子を落としており、観る前から期待はしていなかった。だが、実際に作品に接すると想像を上回るほどのヴォルテージの低さで、呆れつつ鑑賞を終えた。だが、そもそもこれはEXILE一派の楽曲とセットで売り出した小説の映画化らしく、誰が監督してもあまり変わらないと思われる御膳立てだったのだ。つまりは作品のコンセプトからして間違っているようなシャシンである。

 小さな出版社に勤める小早川直実は、最近両親を事故で亡くした。それを見かねた叔父夫婦の計らいで、彼女は愛猫のハルと一緒にタワーマンションの高層階で暮らし始める。ある日、直実は人気俳優の時戸森則が同じマンションに住んでいることを知る。成り行きで彼と付き合うことになった直実だが、仕事上も一筋縄ではいかない案件を抱えている身としては、落ち着かない毎日を送る。



 まず、なぜヒロインが高級マンションに住まなければならないのか、明確な理由が示されないのは不満だ。いくら叔父夫婦の誘いがあっても、それまで住んでいた場所から移る道理は無い。これでは単に“オシャレなところに住みたかった”という下世話な背景しか浮かび上がってこない。しかも、このマンションはバブル時代を思わせる金満趣味全開の造形で、対して主人公の勤務先は古民家を改造したようなレトロな佇まいと、まさに“遅れてきたトレンディ・ドラマ”のような建付けであり、観ていて気恥ずかしくなってくる。

 優柔不断なヒロインをはじめ、出て来る連中がすべて中身がカラッポだ。特に時戸森則のチャラさは言語道断で、演じているのがくだんの一派に属する岩田剛典。仲間と共に主題歌も担当している関係上、演技指導など最初から必要ないとばかりに大根路線をひた走る。ストーリーはどうでもいい展開を経て、どうでもいい結末に行き着く。

 主演の多部未華子をはじめ、岸井ゆきのに美村里江、鶴見辰吾、大森南朋、永瀬正敏、柄本明といった(岩田を除けば)悪くないキャストを集めているが、機能していない。いくら不調とはいえ、かつては先鋭的な作品をいくつか手掛け高い評価を得ていた青山監督が、この程度の映画でキャリアを終えてしまったのは残念だ。
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「サントメール ある被告」

2023-08-28 06:12:26 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SAINT OMER)見応えのあるリーガルスリラーであり、しかもアプローチが正攻法ではなく変化球で観る者の内面を絶妙に揺さぶっていく。考えてみれば、法廷劇といっても必ずしも全てが理詰めに進行するわけではない。裁く者、そして裁かれる者も生身の人間である以上、心情的なファクターが介在してくるのを排除することは出来ない。しかも本作ではジェンダーや民族性といった微妙な問題も絡めてくる。その重層的な構造には感心するしかない。

 ノンフィクションの書き手としてキャリアを積んでいる女性作家ラマは、フランス北部の町サントメールを訪れる。当地でおこなわれる、生後15カ月の娘を海辺に置き去りにして死亡させた容疑で逮捕された若い女ロランスの裁判を傍聴し、次作の題材とするためだ。ところが、被告本人や犠牲になった娘の父親などの証言は噛み合わず、裁判が続くほど真相がどこにあるのか分からなくなる。やがてラマは偶然にロランスの母親と知り合うが、そこでこの一件に被告の生い立ちが大きく影響していることを理解することになる。



 ロランスはセネガル出身で、フランスに留学した際に妻子ある白人男性と付き合うようになり、娘を産んだのだった。この男の所業はロクでもないのだが、これが単純な不倫話ではなくロランスのメンタルに深刻なダメージを与える一大事になったことを、なかなか裁判の関係者たちは分かろうとしない。さらに、ラマ自身もアフリカからの移民二世で現在の夫は白人。しかも妊娠しているという、ロランスの境遇とシンクロする部分が多く、それがラマの心にも大きくのし掛かってくる。

 これが劇映画デビュー作となったセネガル系フランス人監督アリス・ディオップの仕事ぶりは野心的で、トリッキィな作劇もとより、ロランスの屈折した心境をあらわすような変則的なカット割りは強い印象を残す。またパゾリーニの「王女メディア」が重要なモチーフとして採用されているのはインパクトが大きい。裁判官と弁護士が女性で、検察官が男性というのも幾分図式的だが納得出来るところである。

 観終わって、ヨーロッパ諸国での移民に対する拭いがたい差別構造を再認識した。エセ保守派の連中はよく“差別されるのがイヤならば移住するな!”などと口にするようだが、そんなことで片付けられるほど事態はシンプルではない。斯様な小賢しい決め付けなど、とうの昔に出番を失うほどに現実は複雑化している。

 2022年の第79回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞(審査員大賞)と新人監督賞を受賞。ラマ役のカイジ・カガメやロランスに扮するガスラジー・マランダをはじめ、ヴァレリー・ドレヴィル、オレリア・プティ、グザビエ・マリーらキャストの奮闘も評価出来る。「燃ゆる女の肖像」などのクレール・マトンのカメラによる清涼な映像も要チェックだ。
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「ゼイ・クローン・タイローン 俺たちクローン?」

2023-08-14 06:07:53 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THEY CLONED TYRONE)2023年7月よりNetflixより配信。奇妙なテイストが味わえるシャシンだ。とびきり面白いわけではないが、独特の世界観と気の利いた御膳立てにより最後まで楽しませてくれる。また表面的にはふざけているようでいて、けっこう硬派の社会派ネタも挿入されており、鑑賞後の印象は強い。

 時代設定はたぶん80年代後半から90年代初頭。ジョージア州アトランタのアップタウンに暮らすヤクの売人のフォンテーヌはその日も“仕事”に出かけるが、同業者との縄張り争いに巻き込まれ、銃弾を浴びて死亡する。ところが次の瞬間、時間は当日の朝へと逆戻りし、彼は自室で目を覚ます。そして似たようなことを繰り返すハメになるが、時間がループしているのではないかと疑ったフォンテーヌは、ポン引きのスリックと娼婦のヨーヨーと共に謎を追い始める。すると街の地下に怪しげな施設が存在していることが判明し、そこでは世の中をひっくり返すような陰謀が展開されていた。

 ハッキリ言ってこのタイトル自体がネタバレに近い(笑)。とはいえ、序盤は最近よくあるタイムループ物かと思わせて、実はハードSF寄りの話に収斂されるという仕掛けは悪くない。しかも、主人公たち3人をはじめ登場人物の大半が黒人。だから劇中での陰謀とはBLM(ブラック・ライヴズ・マター)に関するものかと思ったらその通りになる。もちろんその企み自体は荒唐無稽であるが、いかにも世にはびこるエセ保守層が夢想しそうなことで、観ていて苦笑してしまった。

 ジュエル・テイラーの演出はテンポの良さよりも各キャラクターを立たせることに腐心しているようで、主役3人の掛け合い漫才のようなセリフの応酬には“(無駄話はほどほどにして)早いところストーリーを進めろよ!”と心の中で突っ込みながらもニヤニヤしながら眺めていられる。レトロ風味を狙った粒子の粗いザラザラした画面も効果的だ。

 主演のジョン・ボイエガとジェイミー・フォックス、テヨナ・パリスは絶好調。特にボイエガの文字通り“多面的”な演技の幅の広さは強く印象付けられる。敵役のキーファー・サザーランドもイイ味を出している。使用楽曲はもちろんブラック・ミュージック中心。昔のナンバーも網羅されてはいるのだが、映像の建て付けとは一見マッチしていないような最近のR&Bも上手い具合にフィーチャーされている。
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「仁義なき戦い 頂上作戦」

2023-08-11 06:08:25 | 映画の感想(さ行)
 74年東映作品。シリーズ第四作目だが、第一作(73年)にいくらかは感じられた主要登場人物たちのヒロイックな造形は完全に無くなっており、全編これ欲得尽くに振る舞うヤクザどもの無軌道な行状がこれでもかと展開する。まさしく“仁義なき戦い”そのもので、現実を正しく照射しているという意味では大いに存在感のあるシャシンだ。

 前作から引き続き描かれる、昭和38年の広島を舞台にした明石組と神和会という神戸の広域暴力団2つの代理戦争は激化の一途をたどっていた。カタギの市民にも被害が及ぶに至り、広島県警はついに本格的な暴力団撲滅に乗り出し、“頂上作戦”と銘打った幹部の一斉検挙を敢行する。その頃、呉市を根城にする広能昌三率いる広能組は明石組系の打本組に与していたが、神和会系の山守組傘下の槙原組と激しく対立していた。



 広能たちは中立を守る義西会の岡島会長を味方に引き入れようとするが、交渉が成立する前に広能組の若衆が勝手に事を起こす。それを切っ掛けに広能組と山守組との関係は一触即発になるが、広能は殺された組員の葬式を行なうという名目で、全国から大勢の助っ人を呼び寄せて一気に山守組を潰そうとする。昭和38年から40年まで続いた第二次広島抗争を題材にした実録物だ。

 一応は主人公で狂言回し的な役どころも担っていた広能は映画の中盤で表舞台から退き、あとは各組の構成員たちの勝手な狼藉ぶりが延々と繰り広げられる。前回まではその背景には金目の話以外に面子とかプライドとかいう心情的なものが介在していたようだが、今回はそれさえも無い。本作の狼藉行為の主役になっている若い連中は、組のためとか筋を通すためとか、そんな建前的なことは一切考えない。単に自分たちが気に入らないとか、ただ暴れたいとか、そういう動物並みの感情によりひたすら凶器を振り回す。

 すでに中年以後の年齢に達した幹部連中は得にならない争いは極力したくはないのだが、下の者たちが動き回っている関係上、事を穏便に収めることが出来なくなっている。中には岡島のように関与しないことを公言しているにも関わらず、いつの間にか消されてしまう例もあるほどだ。多数の犠牲者を出しながらも、最終的に誰の何の利益にもならなかった広島抗争の有様を通じて、映画は戦いの無常さを強く印象付ける。

 終盤、寒風に晒されながら暴力の応酬の虚しさを語り合う広能と山守組若衆頭の武田の姿が、作者が最も言いたかったことを象徴している。深作欣二の演出は相変わらずパワフルで、密度の濃さを見せつけながらも1時間40分の適度な尺に収めているあたりは名人芸。菅原文太に黒沢年雄、加藤武、小林稔侍、金子信雄、田中邦衛、小林旭、山城新伍、梅宮辰夫、夏八木勲、小池朝雄、松方弘樹など、キャストは強力。吉田貞次によるカメラワークと津島利章の音楽も手堅い。
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「ザ・フラッシュ」

2023-07-24 06:04:11 | 映画の感想(さ行)
 (原題:THE FLASH )八方破れの建て付けであり、映画の質としてはあまり上等とは言えない。しかし、随所に堪えられないチャームポイントが散りばめられており、決して嫌いにはなれないシャシンだ。特に、無駄に映画ファン歴が長い私のようなオッサンにとっては、観て得をしたような気にもなる。長すぎると思われる2時間を超える尺も、大した欠点ではないと思う。

 ザ・フラッシュことバリー・アレンは、ジャスティス・リーグの一員としてバットマンやワンダーウーマンと共に世界平和のために働いていたが、ある時彼はそのスピードが光速を超えてタイムリープを可能にさせることに気付く。そこで幼いころに何者かに殺害された母と無実の罪を着せられて服役している父を救うため、過去にさかのぼってバリーと両親が健在である世界にたどり着く。ところが、その世界ではかつてスーパーマンが倒したはずのゾッド将軍が地球侵略に乗り出しており、しかもスーパーマンたちは不在でバットマンは引退済。バリーはその世界における“若い頃の自分”や、新ヒロインのスーパーガールらとこの絶対的な危機に立ち向かう。



 まず、タイムトラベル物における“タブー”とも言える“別時代との自分との接触”が大っぴらに行われていることに違和感を抱く。さらに、超能力を会得する前の状態である“もう一人の自分”に、無理矢理にスーパーパワーを付与させようとジタバタするのも愉快になれない。そもそも、タイムリープとメタバースを都合よく混同するのは反則だろう。ゾッド将軍との大々的バトル場面も、意外なほど盛り上がらない。

 だが、楽隠居しているはずのバットマンにマイケル・キートンが扮していることが分かったあたりから、映画的興趣は昂進してくる。序盤の、ベン・アフレック演じるバットマンも悪くはないが、やはりキートン御大は貫禄が違う。さらに、黒髪ショートの超クールなスーパーガールも魅力的だ。扮する長編映画初出演のサッシャ・ガジェは、本年度の新人賞の有力候補である。

 映画のクライマックスになる、複数の時空がランダムに展開するシークエンスは、何と“あの人たち”が大挙して登場。懐かしい面々や、思いがけないメンバーが次々と現れては消える。この部分だけで入場料のモトは取れるだろう。

 アンディ・ムスキエティの演出は取り立てて才気走ったところは無いが、効果的なギャグの挿入(特に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に関するネタは大いにウケた)に関しては非凡なものも感じた。主演のエズラ・ミラーは絶好調だが、プライベートでの素行の悪さは気になるところ。次作があるのかどうかわからないが、ラストの“思いがけないあの人”の御登場で、今後のシリーズの継続にも期待を持たせる。
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「最後まで行く」

2023-06-16 06:20:07 | 映画の感想(さ行)
 物語の“掴み”はオッケーで、前半はけっこう面白い。だが、中盤を過ぎるとヴォルテージが低下して次第にどうでも良くなってくる。さらに終盤は腰砕け気味。題名とは裏腹に、緊張感の持続が“最後まで行かない”映画である。2014年製作の同名の韓国映画のリメイクとのことだが、私は元ネタは観ていない。だからどの程度オリジナルの要素を引き継いでいるのか分からないが、少なくとも海外のシャシンを再映画化する際は“国情”に合わせた作りにして欲しいものだ。

 12月29日の夜、埃原署の刑事である工藤祐司は母の危篤の知らせを受け、雨の中で車を飛ばしていた。しかし途中で妻から電話があり、母が息を引き取ったことを知らされる。そしてその瞬間、車の前に若い男が飛び出してきてはねてしまう。男は即死しており、何とか揉み消そうと考えた工藤は遺体を葬儀場まで運び、母の棺桶に入れて母と一緒に焼却しようとする。ところが工藤のスマホに、この一件を目撃したというメッセージが入る。送り主は県警本部の監察官である矢崎で、彼が工藤の所業を見掛けたのは別のヤバい案件に手を染めている最中だったのだ。こうして悪徳警官同士の果てしないバトルが展開することになる。



 刑事が切羽詰まった状況で死亡事故を起こし、その後始末に汲々としているところに別の悪党が無理難題を吹っ掛けてくるという設定は悪くない。そこから先は中盤までほぼ一直線であり、いくつかの瑕疵は見受けられるとはいえ、勢いで乗り切ってしまう。同じ時制を立場を変えて描くという手法も効果的だ。

 しかし、矢崎が捨て鉢な行動に出る後半に入ると、あり得ない筋書きがてんこ盛りになり観る側のヴォルテージも下がってくる。終盤近くの扱いに至っては、何かの冗談としか思えない。もしかする元ネタの韓国作品では無理のない環境条件(?)になっているのかもしれないが、日本映画でこれでは納得できない。

 藤井道人の演出はまあまあの線だが、それ以前に脚本を詰める必要がある。とはいえ主役の岡田准一と綾野剛は楽しそうに悪党を演じており、彼らのファンは満足できるかもしれない。他にも磯村勇斗や駿河太郎、杉本哲太、柄本明とけっこうそれらしい面子は揃っており、配役は問題ないだろう。

 だが、工藤の妻に扮する広末涼子だけはどうしようもない。なぜ彼女のような演技力に難のある者がコンスタントに映画に出られるのか、邦画界の七不思議のひとつだろう(前にも書いたが、あとの六つは知らない ^^;)。もっとも、最近では私生活での行動もクローズアップされているようなので、いよいよ彼女のキャリアも終焉に向かうかもしれない。
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「ジュリア(s)」

2023-05-29 06:11:26 | 映画の感想(さ行)
 (原題:JULIA(s))昨今マルチバースを扱った映画が目立つようになったが、その中でも本作は秀逸な出来だと思う。とはいっても「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」(通称:エブエブ)や「世界の終わりから」のように観る者を幻惑させるような怪作ではなく、ましてや一連のアメコミ映画のように派手な物量投入で捻じ伏せようとしているわけでもない。マルチバースは主人公のミニマムな範囲でしか展開しないが、その分共感を得やすいし、それを可能にさせるだけの質の高さがある。

 1989年のパリ。ピアニストを夢見ていた17歳のジュリア・フェインマンは、ベルリンの壁の崩壊を知り学生寮を抜け出して友人たちと現地に向かう。ところが、ここでドラマが二分割。ベルリンに向かうバスに乗れなかったジュリアの姿も映し出される。ベルリンの壁の近くに仲間と到達した方のジュリアは、ここでもふとした切っ掛けで複数の身の振り方が展開する。



 さらには本屋で運命的な出会いをするはずのジュリアと、出会えなかった場合の彼女も暫しのあいだ同時展開。シューマン・コンクールの結果が違った時の彼女の行動。バイク事故に遭ってピアニストを断念したジュリアと、何事もなくプロになった彼女。まるで枝分かれするようにヒロインの生き方が次々と現れては消える。

 これらマルチバースの発現の段取りは実によく考えられていて、必要以上に引っ張らないし、あるいは中途半端なところで切られてもいない。また、この多元的な時間軸の中で、いったいどれが歳を重ねた実際のジュリアに繋がっていくのかという、ミステリー的な興趣も醸し出している。脚本も担当したオリヴィエ・トレイナーの仕事ぶりは実に達者で、ラストの扱いなど感心するしかない。

 そして、結局人生は数え切れないほどの分岐点があるが、どれを選ぼうとも本人の資質が最後にはモノを言うのだという、普遍的真実を無理なく提示している。主演のルー・ドゥ・ラージュのパフォーマンスは素晴らしく、十代から老後に至るまでさまざまな年齢層と立場を巧みに演じ分けている。ロラン・タニーの撮影、ラファエル・トレイナーの音楽。共に万全。ラファエル・ペルソナスにイザベル・カレ、グレゴリー・ガドゥボワ、エステール・ガレル、ドゥニ・ポダリデスといった他の面子も良い仕事をしている。
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「せかいのおきく」

2023-05-28 06:05:36 | 映画の感想(さ行)
 題材はとても興味深いのだが、筋書きはどうもパッとしない。何やら作者はこのネタを取り上げることだけに傾注しているようで、観終わってみればボンヤリとした印象を受ける。最近はあまり作られなくなった時代劇なので幾分期待したのだが、やはり時代物だろうが現代劇だろうが、大事なのは脚本の精査なのだと、改めて思った次第。

 江戸時代末期、下肥買いの矢亮と紙屑拾いの中次は、ある雨の日に厠のひさしの下で雨宿りしていた時、松村きくと出会う。彼女は武家育ちながら父親の源兵衛は政争で職を追われ、今は貧乏長屋に暮らしながら、寺子屋で子供たちに読み書きを教えていた。そんな中、源兵衛は彼を突け狙う者たちに襲われ死亡。助太刀に入ろうとしたきくも喉を切られて声を失ってしまう。矢亮と彼の仕事仲間になった中次は、彼女を見守り続ける。



 汚穢屋というモチーフは着眼点としては秀逸だし、彼らの仕事ぶりを取り上げるのは珍しい。当時のトイレ事情が良く分かるのも本作の長所だ。しかしながら、タイトルにもある“せかい”の捉え方には不満がある。この“せかい”というのは、当時の知識人であった源兵衛が認識していた文字通りの世界情勢のことだ。だが、その娘であるきくが理解していたかどうかは極めて怪しい。ましてや矢亮や中次などは考えも及ばないであろう。そんな曖昧模糊とした御題目を真ん中に置いて何か事が進展するのかというと、それは無理だ。

 映画の中盤以降はきくと中次とのラブコメ壁ドン路線が炸裂するばかりで、何が“せかい”なのかは一向に明らかにされない。脚本も担当した監督の阪本順治は確かに気合いが入っていて、下肥買いの直接的描写を避けるがごときモノクロ映像を大々的にフィーチャーすると共に、スクリーンも35ミリのスタンダードサイズに収めている。しかし、なぜか時折画面がカラーになるのは戸惑う。聞くところによれば映画の各章ごとの節目という意味があるらしいが、あまり効果的とも思えない。

 それでもヒロイン役の黒木華をはじめ、寛一郎と池松壮亮という主役3人の存在感は際立っている。特に寛一郎は源兵衛に扮した佐藤浩市との“親子共演”になっていて面白い。眞木蔵人に石橋蓮司という脇の面子も好調だ。撮影担当の笠松則通は安定した仕事ぶり。安川午朗の音楽も控えめながら的確な展開だ。
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「ジョニー」

2023-05-22 06:34:55 | 映画の感想(さ行)
 (原題:JOHNNY)2023年3月よりNetflixより配信。いわゆるターミナルケアの問題を宗教のモチーフを絡めて上手く描き、とても感銘を受けたポーランド映画だ。ただし、いささかストーリー展開が出来すぎという印象もある。ところが終盤でこの映画が実話を元にしているということが示され、本当に驚かされた。まさに事実は小説より奇なりという諺を地で行くような展開である。

 若い男パトリックは少年の頃から札付きの悪ガキで、仲間とつるんで金持ちの家に押し入ろうとするが反対に家人からボコボコにされた挙げ句、強盗罪で服役する。そんな彼が、ホスピスケアセンターでの360時間の社会奉仕活動を条件に保釈される機会を得る。最初は適当に済まそうと考えていたパトリックだが、所長のヤン・カツコフスキー神父(通称ジョニー)の熱心な仕事ぶりを見るに及び、次第に態度を改めるようになる。実は神父は難病で余命幾ばくも無く、最後に業績を残すためこの施設を立ち上げたのだった。



 捨て鉢になっていたパトリックの内面が、入所者たちの最期に立ち会うようになり揺れ動く様子が、かなり的確に描かれている。いくら反社会的な行動を取っていたとしても、つい最近まで面と向かって話していた人間が次々と世を去って行く現場に居合わせると、考えを変えるものだ。さらにはジョニー神父の我が身を省みない熱心な行動に付き合えば、改心せずにはいられない。

 パトリックには思わぬ料理の才能があることが分かり、センターの厨房を任されると共に有名レストランで働くチャンスも掴めそうになる。ところが話はそう上手くいかない。その事情というのがまた泣かせるが、それがラスト近くの伏線になるのも心憎い処置だ。また、旧態依然とした司教ら教会の幹部たちとジョニー神父との確執も手際よくサブ・プロットとして挿入される。

 ダニエル・ヤロシェックの演出は本当にソツが無い。弛緩したところが見当たらず、盛り上げるべき勘所をシッカリと押さえている。まさにプロの仕事だ。ダビッド・オグロドニクとピョートル・トロヤンの主演コンビも好調で、おそらく本国ではかなりキャリアのある役者なのだと想像させる。そしてミカル・ダバルのカメラによる映像は素晴らしく、清涼かつ深みのある画面構成を形成している。終幕は現在のパトリック本人と在りし日の神父の姿が映し出されるが、その紹介の仕方も絶妙だ。チェックして損しないヨーロッパ映画の秀作である。
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