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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「スイッチ 人生最高の贈り物」

2023-12-24 06:10:36 | 映画の感想(さ行)
 (英題:SWITCH)ストーリーは完全に一昔前のスタイルで、開巻当初はこのベタな設定には正直“引いて”しまいそうだと危惧したが、実際はかなり丁寧に作りこまれており、結果として気分を良くして劇場を後にすることができた。主題やコンセプトがどうあれ、語り口とキャストのパフォーマンスが良好ならば見応えのあるシャシンに仕上がるものなのだ。クリスマスの季節にぴったりの韓国製ハートウォーミングコメディである。

 売れっ子男優のパク・ガンはソウルの一等地にある高級マンションに居を構え、夜な夜な若手女優との情事を楽しむという優雅な独身生活を送っていた。12月24日の夜、歓楽街でマネージャーのチョ・ユンと遅くまで飲んだ後、乗り込んだタクシーの運転手から“別の人生を考えたことがあるか?”と聞かれる。テキトーに受け答えしていたパク・ガンだったが、翌朝、目が覚めるとそこは見知らぬ家だった。



 おまけに過去に別れた元恋人のスヒョンが妻として振舞っており、2人の幼い子供までいる。俳優であることは同じだったが、“元の世界”とは違って売れない舞台役者であり、たまにテレビの再現ドラマに出る程度。対してチョ・ユンは演技派俳優として脚光を浴びていた。パク・ガンは“この世界”でも自身が有名スターであることを皆に知らしめるため悪戦苦闘する。

 過去に幾度となく目にしたような、いわゆる“入れ替わりネタ”のバリエーションであり設定には新味は無い。ところが周到な作劇により高い訴求力を獲得している。まずパク・ガンとチョ・ユンが同じ劇団員出身で、共にメジャーな舞台を目指していたことが大きい。つまりは主人公の成功は失敗と紙一重の話だったのだ。

 だから“入れ替わり”の実質的な度合いが(確かに境遇は違うが)極端なものにはならず、ストーリーが絵空事になることを回避している。そして人生の価値は富でも地位でも名声でもなく、そばに誰がいるかで決まるという、普遍的ではあるが誰もが失念しがちなことを平易に表現ようとしているあたりが巧みだ。

 脚本も担当したマ・デユン監督の仕事ぶりは申し分なく、ドラマ運びはスムーズだしギャグの振り出し方も堂に入っている。主演のクォン・サンウは好調で、マッチョではあるがあまり上等とは言えない性格の男が、イレギュラーな事態に遭遇してみるみるうちに本来の実直さを取り戻していくあたりのパフォーマンスは感心する。

 チョ・ユン役のオ・ジョンセも良いのだが、特筆すべきはスヒョンに扮するイ・ミンジョンだ。かなりの美人で、演技力もある。聞けば彼女はイ・ビョンホンの嫁さんらしく、ビョンホンに関連したお笑いネタを繰り出すあたりはニヤついてしまった。子役2人も達者だ。くだんのタクシー運転手の“正体”が明らかになる幕切れは鮮やかで、まさしく“クリスマスの奇跡”を現出させてくれる。
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「女優は泣かない」

2023-12-18 06:08:37 | 映画の感想(さ行)

 元々はCMやテレビドラマのディレクターである30歳代の監督による作品なので、観る前は軽佻浮薄で底の浅いシャシンなのかという危惧もあったが、そうでもなかったので一先ず安心した。もっとも、正攻法の作劇ではなく多分に狂騒的なテイストもある。だが、ドラマの根幹はけっこう古風で万人にアピールできる。あまり気分を害さずに劇場を後にした。

 スキャンダルで業界から“干されて”しまった女優の園田梨枝は、彼女の人間像と再起に迫るという触れ込みのドキュメンタリー番組に出ることになり、撮影のために故郷の熊本県荒尾市に10年ぶりに帰ってきた。ところが現地に派遣されたスタッフは、テレビ局のバラエティ班ADである瀬野咲だけ。どうやら落ち目の女優のために予算は割けないらしい。

 しかも咲はテレビ的なウケを優先し、事実は二の次三の次のヤラセ演出を強行する。そんな彼女に辟易した梨枝を迎えたのが、疎遠になっていた家族と幼なじみの猿渡拓郎。家出同然に上京した梨枝を、姉も弟も歓迎はしない。加えて父親は難病で入院中。咲はそんな状況も、何とかドキュメンタリーのネタにしようと画策する。

 咲のキャラクターは、ハッキリ言って鬱陶しい。確かにテレビ屋らしい調子の良さを強調した造形ではあるのだが、長く見ているとウンザリする。ところが実は彼女は映画監督志望で、この仕事をこなせばデビューの機会が与えられる(かもしれない)という事情があり、必要以上に力んでいたのだ。

 梨枝は身勝手な女に見えながら、本当は家族と地元のことを気に掛けている。家族の側も梨枝に冷たいようで内実は思い遣っている。この“一見○○だが、実は○○”というパターンが脚本も担当した有働佳史の得意技らしいが、その“実は○○”の部分がプラス案件であるのが好ましい。もちろん逆のケースもあり得るが、本作みたいな内容ではこれで良いと思う。

 後半は人情話が中心になるものの、前半とのコントラストが利いていて大して違和感もなく見せ切っている。梨枝に扮する蓮佛美沙子は快調で、不貞腐れていながらも純情ぶりを垣間見せるあたりは感心する。咲役の伊藤万里華は「サマーフィルムにのって」(2021年)の頃よりは大分演技がこなれてきた(とはいえ、まだ精進は必要。今後に期待したい)。

 上川周作に吉田仁人、三倉茉奈、浜野謙太、宮崎美子、升毅といったキャストも悪くない。そういえば、私は熊本市には住んだことはあるが、荒尾市には縁がない。何となく“福岡県大牟田市の隣町”といった印象しかない。ならば本作は地元の魅力がフィーチャーされているのかという、そうでもないのが残念だ。ただし、方言の扱いは手慣れていると思った。
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「正欲」

2023-12-17 06:03:23 | 映画の感想(さ行)
 観終わってみれば、共感を覚えたのは男性恐怖症の女子大生に関する箇所のみ。あとは完全に絵空事の展開で、気分を悪くした。世評は高いようだが、リアリティが希薄な案件をデッチ上げて勝手に深刻ぶっているだけの、何ともやり切れないシャシンだと個人的には思う。特に“多様性”に対する認識の浅さには脱力するしかない。

 横浜市在住の検察官の寺井啓喜は、小学生の息子が不登校になったことに悩んでいた。広島県福山市のショッピングモールで働く桐生夏月は、冴えない日々を送りつつも中学生時代に転校していった佐々木佳道が地元に戻ってきたことを知り、密かに心をときめかせる。神奈川県の大学に通う神戸八重子は、学園祭実行委員としてダイバーシティフェスを企画しており、諸橋大也率いるダンスサークルにアトラクション出演を依頼する。映画はこれら複数のパートが平行して進む。



 寺井の息子が元気を取り戻す切っ掛けになるのが動画配信であるのは良いとして、その内容はとても不登校の処方箋になるものとは思えず、しかもそれが高再生数を記録するのもあり得ない。さらに妻の由美は教育方針をめぐり夫と対立し、果ては動画指南役の若い男を家に入れる始末。夏月は極度に人付き合いが下手で、陰気な両親(祖父母?)と陰気な家で暮らしている。佳道は水しぶきを浴びることに執着する“水フェチ”で、そのため周囲と上手く折り合えないが、同じく人見知りが強い夏月とは連帯感を持っていたようだ。大也は容姿端麗ながら、誰にも心を開かない。

 その“水フェチ”というのが映画内での重要なモチーフの一つらしいのだが、そんなに水が好きならば一人で休みの日にでも水浴びしてれば良い話。もちろん地方に住んでいれば近所の目が気になるかもしれないが、転校先あるいは就職先では(犯罪行為にでも手を染めない限り)大した問題ではないはず。寺井の妻子の言動は常軌を逸しているとしか思えず、現実感はゼロ。大也のバックグラウンドも判然としない。

 唯一、八重子は過去にトラウマになるような辛い経験をした結果男性を避けるようになり、それを克服しようとしているという、平易な造形が成されている。映画の素材として相応しいのは彼女だけであり、あとは不要だ。また監督の岸善幸の腕前は大したことがなく、ヤマもオチもない作劇に終始。終盤は幾分ドラマティックな展開にしようとしているが、明らかに筋の通らない結末には呆れるしかなかった。

 稲垣吾郎に磯村勇斗、佐藤寛太、山田真歩、宇野祥平、徳永えりなど多彩なキャストを集めてはいるものの、うまく機能していない。特に夏月に扮した新垣結衣は彼女としては“新境地”なのかもしれないが、見た目および演技力と役柄がまるで合っていない。対して八重子を演じる映画初出演の東野絢香は存在感に優れ、今後も要チェックの人材だと思う。なお、朝井リョウによる原作は読んでいないし読む予定もない。だから小説版と比較しての感想は差し控えたい。悪しからず。
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「水曜日が消えた」

2023-12-09 06:06:46 | 映画の感想(さ行)

 2020年作品。設定はとても面白い。ただし、映画としてはあまり面白くない。いくらでも観客を引きずり回すようなハナシに持って行けるはずなのに、平板な展開に終始。どうも作者が撮りたいものが、一般娯楽映画としてのルーティンと懸け離れているようだ。もちろん、卓越した作家性が横溢していれば求心力は高まるのだが、そのあたりが覚束ないのが辛いところである。

 主人公の青年は、幼い頃の交通事故によって曜日ごとに性格も個性も異なる7つの人格が入れ替わるという特異体質になってしまう。一応主人公は7人の中で一番地味な“火曜日”だが、ある朝彼が目を覚ますと水曜日になっていた。水曜日の人格がいつの間にか消えたようだ。今まで週に1日しか生きられなかった“火曜日”は、時間を倍に使えることで大喜びし、それまで出来なかったことを水曜日に実行する。しかし、やがて彼は突然意識を失うなど体調に異変を覚えるようになり、不安を募らせる。

 曜日ごとの多重人格者という、実に美味しそうなシチュエーションからは様々な筋書きが考えられる。パッと思い付くのは、7つの人格の中に1つ(あるいは2つ)邪悪な輩が混じっていて、それが重大な事件を引き起こすサイコ・サスペンスとか、または事情を知らない交際相手が振り回されるラブコメあたりか。どう考えてもハズレの無い設定なのだが、どういうわけか映画は盛り上がらない方向に進んでいく。

 そもそも、映画では“火曜日”以外には少しヤンチャな“月曜日”ぐらいしか出てこず、あとはどういう性格なのか判然としない。これでは7つもキャラクターを用意する必要は無かったのではないか。登場人物は主人公の他には医療陣および幼なじみの女友達の一ノ瀬、そして“火曜日”が思いを寄せる図書館司書の瑞野ぐらいしかいない。さらに舞台は主人公の住処とその周辺のみ。だからといって狭い世界に特化したニューロティックな仕掛けも見当たらない。

 脚本も担当した監督の吉野耕平は元々ミュージックビデオやCMのディレクターであり、映像は清涼で小綺麗だが長編映画を支えるだけの深みは無い。同じ場面の繰り返しも目立ち、途中で飽きる。ドラマはそのまま目立った工夫も無くエンドマークを迎えるだけだ。

 しかしながら、主演の中村倫也は好演。彼のファンならば満足出来るだろう。一ノ瀬に扮する石橋菜津美もイイ味を出している。ただし、中島歩に深川麻衣、きたろうといった他の面子は印象が薄い。出てくる人物が少ないのならば、もっと濃いキャラを並べた方が良かった。なお、沖村志宏のカメラによる寒色系の画面造型は申し分ない。
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「シェアの法則」

2023-12-02 06:07:55 | 映画の感想(さ行)
 実質的には東京都豊島区の“ご当地映画”であろう。だから話が紋切り型の教条的な流れになるのも仕方が無いと思われたが、これが一筋縄ではいかない構造を提示しており、感心するようなレベルに仕上がっている。体裁がどうあれ、練られた脚本と堅実な演出、そして達者な演技陣さえ揃っていれば見応えのあるシャシンに仕上がるのだ。

 豊島区の下町に住む税理士の春山秀夫と妻の喜代子は、自宅を改装してシェアハウスを運営している。とはいえ実際に切り盛りしているのは主に喜代子で、秀夫はこの施策に全面的に賛成しているわけではない。そんな中、喜代子が不慮の事故に遭い入院し、やむなく秀夫が代わりに管理人を務めることになった。仕事一辺倒の秀夫は、個性的な住民たちとはソリが合わない。だが、立場上さまざまな境遇の人たちと交流するうち、少しずつ心境の変化が生じてくる。



 シェアハウスの住民はキャバクラ勤務のシングルマザーや駆け出しの舞台俳優、中国出身のラブホテルの清掃員、売れない物書きである秀夫の甥など、訳ありの面子が揃っている。さらに春山夫婦の一人息子でレストラン経営者の隆志は同性愛者だ。昨今トレンドになっているダイバーシティを地で行くような設定で、ある意味図式的とも言えるのだが、各人の抱える懊悩が上手く表現されており、しかもそれぞれに映画のストーリーに沿った“結末”が用意されている。

 特に、中国から出稼ぎに来ているワン・チンは、実は密入国に近い境遇であることは印象的。今どき在日中国人の就労者など珍しくも無いのだが、実は当人は地方出身者で、渡航は許されていない。中国における都市と地方との歴然とした格差を日本映画が取り上げたのは初めてではないだろうか。シェアハウスの住民のOL役として出演もしている岩瀬顕子による脚本は、かなりよく練られている。なお、彼女は本作の元ネタになった同名舞台劇の台本も担当している。

 久万真路の演出は派手さは無いが、ケレンを廃した正攻法のもの。文句の付けようが無いほど堅実な仕事ぶりだ。秀夫に扮する小野武彦にとっては、何とこれが初の主演作映画になる。俳優生活57年目にして初の主役とかで、この融通が利かないが本当は情が厚い主人公を全力で演じている。

 喜代子役の宮崎美子をはじめ、貫地谷しほり、浅香航大、鷲尾真知子、大塚ヒロタ、小山萌子など、脇の面子も手堅い。都電荒川線や鬼子母神堂周辺、大鳥神社など、豊島区の下町風景も存分に捉えられている(まあ、私は同区は池袋界隈しか歩き回ったことは無いのだが ^^;)。
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「サイコキネシス 念力」

2023-11-13 06:05:27 | 映画の感想(さ行)
 (原題:PSYCHOKINESIS )2018年1月よりNetflixから配信された韓国製SFアクション。さほど期待せず、ヒマ潰しにでもなれば良いと思って鑑賞。導入部の建て付けはチープ感が横溢していて、正直“こりゃハズレかな”と幾分気落ちした。ところが映画が進むにつれて徐々に盛り上がり、終わる頃には満足してしまったのだから世話はない(笑)。やっぱり昨今の韓国作品には“見どころ皆無”というシャシンはあまりないようだ。

 主人公のシン・ソッコンは、妻子と別れて警備員の仕事で糊口を凌いでいる冴えない中年男。ある日、彼は宇宙からの謎の飛来物体から湧き出た成分が混入した湧き水を飲んだ後、念動力が備わったことに気付く。一方、ソッコンの娘ルミはソウルの下町でフライドチキン屋の店長として腕を振るっていたが、その地域は立ち退きを要求する地上げ屋と激しく対立していた。しかもルミの母親は、地上げ屋が雇ったチンピラどもとの小競り合いに巻き込まれ死亡。ソッコンは葬儀の席で久々にルミと再会するが、娘の窮状を知った彼は超能力を駆使して事態の解決を図ろうとする。



 ソッコンが超自然的な力を得た切っ掛けになった隕石(?)の落下に、誰も気付いていないという不思議。くだんの湧き水を口にした人間がソッコンだけだったのかも説明されない。主人公が家を出た経緯は釈然とせず、ルミの店およびその周辺が反社会的勢力に狙われた理由も、実のところ明確ではない。斯様に本作は序盤の構成が安普請で、気の短い鑑賞者ならば早々に切り上げてもおかしくない。

 しかし、我慢して観続けていると中盤以降はかなり挽回してくる。ラスボスとして登場するのは、地上げ屋どもの黒幕である大手ゼネコンの女性常務のホンだ。見かけは普通の若いねーちゃんだが、目的のためには手段を選ばない完全なサイコパスである。彼女は警察をも動かし、ソッコンを拘束してルミを絶体絶命のピンチに追いやる。

 もちろんクライマックスは堪忍袋の尾が切れたソッコンと地上げ屋勢力との大々的バトルであるが、面白いのは通常この手のヒーロー物によく出てくる“主人公と似たような力を持った悪役”が見当たらないこと。ソッコンや街の人々にとって本当に恐ろしいのは、横暴な大資本と強権的な公権力であるという、ある意味“現実”を見据えているあたりは出色だ。終盤の決着の付け方も、超能力では世の中を救えないという達観が見て取れる。

 ヨン・サンホの演出は荒削りだがパワフルで、畳み掛けるような活劇場面と効果的なギャグの挿入で飽きさせない。主役のリュ・スンリョンはショボクレたおっさんがブチ切れるプロセスを過不足無く表現し、ルミに扮するシム・ウンギョンは健気なヒロインぶりを全力で演じている。キム・ミンジェにチョン・ユミ、パク・ジョンミンなどの他のキャストも万全。思わぬ拾い物とも言える作品だった。
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「春画先生」

2023-11-11 06:10:27 | 映画の感想(さ行)
 まず、映画自体がタイトルにある春画の世界と明確に結び付いていないことに愕然とした。いったい何のために製作したのだろうか。だいたい、本作は商業映画としては邦画史上初めて無修正の浮世絵春画が映されることで話題になっているが、思いのほかそのシーンは少ない。あからさまにスクリーン上で紹介されることに対して“どこかの筋”から横槍が入ったのか、あるいは作者自身が遠慮したのかどうか知らないが、主要モチーフに対してこんな及び腰な態度では、面白い映画に仕上がるわけがない。

 レトロなカフェの従業員である春日弓子は、ある日ちょっと変わった美術研究家の芳賀一郎と知り合う。彼の専攻は江戸文化の裏の華である春画で、周囲からは“春画先生”と呼ばれていた。春画に興味を持った弓子は、彼の住居に足繁く通い勉強するようになる。芳賀は妻に先立たれて以来、世捨て人のような生活を送っているのだが、春画の文献執筆を急がせる編集者の辻村や、亡き妻の姉である一葉など、多彩な人間と関わらなければならない立場でもあり、気の休まる暇も無い。弓子も巻き込まれ、先の見えない日々が始まる。



 冒頭、弓子と芳賀の出会いからしてウソ臭い。突如として起こった地震に慌てた彼女が、どうして春画を目にして引き込まれたのか、明確な説明は無い。それでも、春画の魅力を豊かなイメージで表現してくれればそれほど文句は出ないのだが、困ったことに本作には春画の“学術的”っぽい説明はあるものの、見る者を虜にするような仕掛けは見当たらない。

 さらに、中盤以降は春画のことなど映画の“背景”の一つでしかなくなり、弓子と辻村が何となく懇ろになったり、芳賀と一葉との因縁話など、物語自体が脱線していく。もちろん、それらが面白ければ文句は無いのだが、ただ下世話なだけで映画的興趣には結び付いていない。果たして作り手は本当に春画に興味を持っていたのか、怪しくなるほどだ。少なくとも、新藤兼人監督の「北斎漫画」(81年)の後塵を拝していることは確かだろう。

 塩田明彦は作品の出来不出来の差が大きい監督ではあるが、今回は低調な部類に属する。主演の内野聖陽は今回は精彩が無く、弓子に扮する北香那も魅力不足。柄本佑に白川和子、安達祐実といった脇の面子もパッとしない。題材が面白そうだっただけに、この程度の出来に終わったのは実に残念である。
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「仁義なき戦い 完結篇」

2023-10-06 06:02:11 | 映画の感想(さ行)
 74年東映作品。同年1月に公開されたパート4の前作「頂上作戦」で、本来このシリーズは終わるはずだった。事実「頂上作戦」のラストは幕切れに相応しい処理だし、それまで脚本を担当していた笠原和夫もこれで打ち止めにする予定だったという。しかし一度掴んだドル箱シリーズを映画会社が容易に手放すはずもなく、この第五作の製作に至った。ただし笠原は降板し、代わりに高田宏治がシナリオを執筆している。

 前作で描かれた県警の“頂上作戦”によって幹部は軒並み逮捕され、広島ヤクザ抗争は沈静化したかに見えたが、服役していた組長たちが出所する時期を迎えて事態は緊迫化する。そのため複数の組が大同団結して政治結社“天政会”を発足させ、警察の目を欺こうとしていた。しかし昭和41年に呉の市岡組が天政会幹部に反旗を翻し、会の参与を謀殺したのを切っ掛けに、内紛が勃発する。



 天政会の二代目会長の武田明は腹心の若頭である松村保を三代目候補に推薦して事を収めようとするが、この処遇を快く思わない勢力は激しく反発。そんな中、網走刑務所に服役していた広能昌三に、市岡組の組長は天政会の現状を伝えると共に広島の覇権奪取を持ち掛ける。

 実質的には前回で幕を下ろす話だっただけに、本作には蛇足感が拭い切れない。果てしない内ゲバの連鎖も、今までの繰り返しだ。新味といえば天政会の存在だろうが、登場人物たちが政治結社という表看板を掲げればどうして当局側の目をごまかせると思ったのか、そこがハッキリしない。これではイケナイと思ったのか、後半には広能を表舞台に復帰させようという作戦に出るが、何を今さらという感じだ。彼と松村との関係性もしっくりこないし、若い世代の台頭に広能たちが“引き際”を意識するようになるのも型通りである。

 だが、濃い面構えがスクリーン狭しと並び、それぞれが狼藉をはたらく様子はやっぱり見応えがあるのだ。深作欣二の演出は相変わらずパワフルで、求心力には欠ける話を無理矢理最後まで引っ張ってゆく。菅原文太をはじめ伊吹吾郎、松方弘樹、小林旭、北大路欣也、山城新伍、田中邦衛、川谷拓三、八名信夫といった御歴々は余裕の仕事ぶりだし、桜木健一の起用は意外性があり、大友組の組長に扮する宍戸錠は第二作での千葉真一よりも俗っぽさが出ていて捨てがたい。

 なお、この映画は東映の目論見通り客の入りは良好で、シリーズ最大のヒットを記録している。本当の意味での実録物は文字通りこれで“完結”したはずだが、このあと直ちに純然たるフィクションによる「新仁義なき戦い」シリーズがスタートしたのだから恐れ入る。この頃の邦画界は野性味に満ちていたようだ。
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「世界のはしっこ、ちいさな教室」

2023-09-18 18:51:13 | 映画の感想(さ行)
 (原題:ETRE PROF )ドキュメンタリー映画の佳編「世界の果ての通学路」(2013年)のプロデューサーであったバーセルミー・フォージェアが手掛けた、辺境地における教育を題材にした作品の、いわば第二弾だ。前回はアドベンチャー映画並みの行程を経て学校に通う生徒たちの姿を追ったが、今回は僻地の、それも“学校”とも言えない場所で生徒たちに対峙する教師陣の姿を捉えている。そして前作同様、訴求力が高い。

 西アフリカのブルキナファソは識字率が世界最低クラスであり、政府方針として広くあまねく学校教育を普及させることに注力している。僻地の村に教師として派遣されたのが2児の母でもあるサンドリーヌ・ゾンゴだ。ところがいざ現地に着いてみると、生徒はそれぞれ5つの現地語を話し、しかも公用語のフランス語が通じるのはクラスで一人だけ。早くもサンドリーヌは壁にぶち当たる。



 雪深いシベリアに暮らす遊牧民の子供たちを教えて回るスベトラーナ・バシレバは、ロシア語などの義務教育はもちろん、その民族に伝わる言語や文化までカバーしようと奮闘する。バングラデシュ北部の農村地帯のボートスクールで生徒たちを相手にするタスリマ・アクテルは、学校を出たばかりの新任教師だ。しかし、当地では古い慣習が幅を利かせており、教え子の女児たちは人身売買同様のプロセスで嫁に出されていく。タスリマはそんな状況に抗うべく、保護者の説得に当たる。映画はこれら3つのパートをランダムに並行して描く。

 彼女たち3人の苦労は並大抵のものではなく、普通の者ならば数日で音を上げてしまうようなヘヴィな環境だ。しかしそれでも生徒たちが学ぶ楽しさを知って、次第に社会性に目覚めていく様子を見れば、それが十分報われる仕事なのだ。どうしようもない落ちこぼれが初めて良い成績をおさめた時、もう無理だと思われた中学校への進学にクラスの多くが成功した時、何と教育とは尊いものかとマジに思うし、教師たちの献身ぶりには本当に頭が下がる。

 監督のエミリー・テロンはかなりの長期取材を要するネタをスムーズにまとめ上げており、演出も無理がない。俳優のカリン・ビアールによるナレーションも的確だ。そして何といってもサイモン・ウォーテルのカメラがとらえた各地の美しい自然の風景は特筆ものだ。この映像だけで十分入場料のモトは取れる。
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「死刑にいたる病」

2023-09-08 06:09:15 | 映画の感想(さ行)

 2022年作品。白石和彌監督作としては、マシな方かと思う。少なくとも退屈せずに最後まで付き合えた。しかし万全の出来かというと、そうではない。観終わってから考えると、いろいろと辻褄の合わない箇所があることに気付く。また、別の映画の設定を露骨にパクっている点も愉快になれない。櫛木理宇の同名小説(私は未読)の映画化ながら、まさか原作もこの通りなのかと、気になってしまった。

 北関東の三流大学に通う筧井雅也のもとに、連続大量殺人犯で死刑判決を受けている榛村大和から“一度会いたい”という内容の手紙が届く。以前榛村は雅也の地元にあったパン屋の経営者で、当時中学生だった雅也はよく店を訪れていて、榛村とも親しくしていた。拘置所にて雅也と面会した榛村は、自身が犯人とされた一連の殺人事件の中で、最後の事件だけは冤罪だと訴え、犯人が他にいることを打ち明ける。雅也は榛村の担当弁護士のもとを訪れて事件の資料を閲覧すると共に、独自に調査を始める。

 冒頭に雅也の祖母の葬儀が映し出され、加えて鬱屈したような彼の学生生活が紹介される。他の登場人物たちも覇気が無く、全体的に沈んだ雰囲気が横溢。この中で凄惨な殺人事件が展開されたという段取りは悪くなく、ダークな方向に振り切った作劇はけっこう引き込まれるものがある。白石監督の仕事ぶりも淀みなくスムーズだ。

 だが、榛村の造型はどう見ても「羊たちの沈黙」のレクター博士の物真似だろう。雅也と対峙する構図も同様で何となく鼻白む。そもそも、雅也が法律事務所のバイトの分際で法曹関係者を騙ってフットワークも軽く(?)聞き込みに専念するというストーリーは無理がある。第一、いくら榛村が並外れて狡猾でも、小さな町であれだけの殺戮が実行できるはずがない。一人殺した時点で少年院帰りの彼は真っ先に疑われるはずだ。また、白昼堂々と表通りで被害者を車に押し込んで殴打するというくだりも有り得ない。

 映画は勢いよくラストまで駆け抜けるが、最後のエピソードは分かったようでよく分からない。それに、思わせぶりに登場する雅也の両親が大した役割を与えられていないのも脱力する。榛村に扮する阿部サダヲはノリノリでこの役を演じているが、どうにもワザとらしさが拭えない。雅也役の岡田健史(現:水上恒司)は良くやっていたと思うが、宮崎優に鈴木卓爾、佐藤玲、吉澤健、そして中山美穂といった他の面子は印象が薄い。池田直矢のカメラによる暗鬱な映像と、大間々昂の音楽は及第点。なおタイトルはキェルケゴールの「死に至る病」をもじったものだろうが、ハッキリ言って安直だと思う。
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