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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ドリームプラン」

2022-03-27 06:19:47 | 映画の感想(た行)
 (原題:KING RICHARD)これはとても評価できない。早い話が、主演で製作にも関与しているウィル・スミスの“俺様映画”なのだ。スクリーン上でデカい態度を取り、一人悦に入っているものの、作品の内容は低級である。特に脚本の不備は致命的で、昨今のハリウッド映画でこれだけいい加減なシナリオが採用された例は珍しい。アカデミー賞候補になったのも、何かの間違いではないかと思ったほどだ。

 ルイジアナ州出身のリチャード・ウィリアムズは、テレビで優勝したプロテニスプレイヤーが多額の小切手を受け取る姿を見て、自分の子供たちをテニス選手に育てることを決意する。ところが彼はテニスの経験がない。それでも独学でテニスの教育法を研究し、分厚い計画書を作成。カリフォルニア州に家族と共に移り住んだ彼は、コンプトンの公営テニスコートで娘であるビーナスとセリーナを特訓する。そして90年代後半から娘たちをプロツアーに参戦させ、目覚ましい成績を上げる。ウィリアムズ姉妹の父であるリチャードを主人公にした実録映画だ。

 とにかく、リチャードのキャラクターが十分に描きこまれていないのには呆れるばかり。そもそも、どうして娘たちを(バスケットボールや陸上競技等ではなく)テニスの道に進ませたのか分からない。テニスに関して門外漢であった彼が、なぜ綿密なプランを考え出せたのかも不明。

 リチャードの態度は横着で、無理矢理にプロのコーチに指導させたと思ったら、しばらくすると別のコーチにあっさりと鞍替え。練習の現場にも堂々と顔を出し、自身のウンチクを滔々と語った上で、コーチを無視して“独自の”アドバイスを披露する始末。クラブハウスの無料のお菓子を食べているビーナスとセリーナに対し“タダのものには手を出すな!”と怒るくせに、自分は食堂で無料のハンバーガーを食べ放題。とにかく一貫性のない奴だ。

 もちろん、リチャードが2人の娘をプロとして育て上げたのは事実だが、映画の中では説得力の欠片も見い出せない。いわゆる“実話なんだから、細かいところはどうでもいいじゃん”という、私の一番嫌いなパターンに入り込んでいる(笑)。

 レイナルド・マーカス・グリーンの演出には特筆すべきものは無いが、試合のシーンだけは良く撮れている。W・スミスのパフォーマンスはメリハリに欠け、ただ太々しいだけだが、妻のオラシーンに扮するアーンジャニュー・エリスは好演。娘たちを演じるサナイヤ・シドニーとデミ・シングルトンも可愛い。ともあれ、この映画を観るよりも、テレビでテニスの四大大会の試合を眺めている方が、数段マシであるのは事実だ。
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「ダウン・バイ・ロー」

2022-01-31 06:24:25 | 映画の感想(た行)

 (原題:DOWN BY LAW )86年作品。ジム・ジャームッシュ監督の第三作である。同監督は何といっても「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(84年)で大ブレイクしたことを思い出す映画ファンも多いと思うが、いつまでもあのストイックなタッチを堅持するわけにはいかず、本作では早くも変化の兆しが見える。その意味では興味深いし、内容も楽しめるものになっている。

 ニューオーリンズに住む無気力なラジオのDJは、あまりのだらしなさに恋人に逃げられる始末で、人生のどん底にいた。そんな彼に馴染みのワルが上手い話を持ちかけるが、うっかりそれに乗ったDJは犯罪に巻き込まれて逮捕されてしまう。一方、夢想家のポン引きはライバルの甘言に乗って女の品定めに出かけたところ、くだんの女は未成年者で、それが元でパクられる。かくして刑務所で同室になった2人だが、そこに英語もロクにしゃべれないイタリア野郎が放り込まれて、奇妙なトリオが結成される。意気投合した3人は脱獄し、南部のジャングルの中をさまよう。

 このトリオは仲が良いが、妙に沈んで達観したような空気が流れるのが面白い。DJもポン引き、ともに理不尽な状況で逮捕されたことをあまり悔やんでいないし、塀の中だろうと外だろうと、自分たちの不自由さは変わりがないことを知っている。沼地を越えて3人がたどり着いた小屋が、刑務所の内装とそっくりであることがそれを象徴している。

 これらはまさしく「ストレンジャー・ザン・パラダイス」の劇中に漂っていた沈んだ空気と共通するものであるが、主人公たちを演じているのがトム・ウェイツとジョン・ルーリーであることが前作と雰囲気を異にしている。言うまでもなくこの2人はミュージシャンで、彼らがメロウなブルースを歌う際の、その絶妙のアンサンブルが楽しく感心してしまう。

 加えて、イタリアの著名なコメディアンであるロベルト・ベニーニが割って入るのだが、そのコラボレーションの妙に、優れた喜劇映画を見るようなエンタテインメント性が垣間見える。ニューオーリンズという舞台は、黒人文化に興味を持つ同監督に相応しく、ウェイツとルーリーの起用といい、改めてこの監督の音楽のセンスの良さには唸ってしまう。

 ロビー・ミュラーのカメラによるモノクロ映像が素晴らしく、地の果てのような南部の風景が登場人物たちの漂白ぶりをうまく表現している。エレン・バーキンにニコレッタ・ブラスキ、ビリー・ニール、ロケッツ・レッドグレアなど、脇の面子も良い。
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「ただ悪より救いたまえ」

2022-01-15 06:56:39 | 映画の感想(た行)

 (英題:DELIVER US FROM EVIL)ジャンルとしてはいわゆる極道物なのだが、こういうネタを扱っても韓国映画は邦画の上を行っている。正直言って、本作には欠点はある。だが、勢いの強さは多少の瑕疵を覆い尽くしてしまう。そして舞台設定の巧みさや、キャストの存在感は際立っており、観た後の満足感は決して小さいものではない。

 暗殺のプロとしてその筋から絶大な信用を得ているインナムは、引退前の最後の仕事として日本でヤクザの是枝を始末する。ところが是枝は在日韓国人で、その弟分であるレイは冷酷な殺し屋だった。レイは関係者を次々に血祭りに上げ、インナムを探す。一方、インナムの元恋人は彼と別れた後に娘を産みタイで暮らしていたが、娘は地元のマフィアに誘拐され彼女も殺されてしまう。インナムは娘を救うためタイへ渡り、トランスジェンダーのユイの協力を得て、組織に戦いを挑む。そしてレイもタイに到着。三つ巴のバトルが勃発する。

 インナムと娘の関係はリュック・ベッソン監督の「レオン」を彷彿とさせるが、あれほどの深みは無い。それよりも、2人の濃すぎるキャラクターが画面上に相対する絵柄自体が訴求力が高い。片や泥臭くても確実に目的を達する仕事人のインナムと、片や血に飢えた殺人鬼であるレイとの対比が、強烈なコントラストを生み出す。

 この2人の行くところ、まさに死体の山が築かれる。やがて当初の目的も忘れたかのように、彼らは戦いのための戦いに明け暮れる。ただし、怒濤のようにアクションを繰り出していくというわけではない。けっこう“中休み”もあり、そこが不満な点なのだが、その分終盤の立ち回りを充実させており、結果として作品のヴォルテージは落ちていない。思いのほか静かなラストも効果的だ。

 ホン・ウォンチャンの演出は中盤にまどろっこしい部分もあるが、活劇場面はうまくこなしている。特にタイの市街地を舞台にしたカーアクションの迫力には驚いた。そして何といっても、ファン・ジョンミンとイ・ジョンジェの両御大の存在感が映画の重量感を押し上げている。観ていてゾクゾクするものを感じた。

 ユイに扮するパク・ジョンミンは抜群のコメディ・リリーフだし、豊原功補と白竜も画面に色を添える。ポン・ジュノの「パラサイト 半地下の家族」(2019年)でも撮影を担当したホン・ギョンピョによる、熱気がこちらにも伝わってくるような暑苦しいタイの風景も魅力的。
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「ドント・ルック・アップ」

2022-01-03 06:15:12 | 映画の感想(た行)

 (原題:DON'T LOOK UP )ブラックなSFコメディとしては訴求力が高い。この“地球最後の日”というネタは過去に幾度となく取り上げられてきたが、本作は徹底的にシニカルな視点を貫くと同時に、ある種のリアリティまでも現出させ、かなりの異彩を放っている。またこの映画はNetflixで2021年12月から配信されているが、私は映画館で鑑賞。あらためて、このコンテンツ制作会社の実力を思い知らされた。

 冷や飯を食わされている天文学者ランドール・ミンディ教授の教え子である大学院生ケイトは、ある日すばる望遠鏡で未知の巨大彗星を発見。しかも、このままでは約半年後に地球に衝突して人類滅亡の恐れがある。ランドールとケイトは直ちにNASAの担当教授に報告し、この危機を伝えるため大統領と対面したり、マスコミにも露出する。しかし、誰も真面目に取り合ってくれない。

 だが、他の科学者も賛同するに及び、ようやく大統領は重い腰を上げて彗星を核ミサイルで迎撃する計画を立てる。そこに待ったを掛けたのがIT長者のピーター・イッシャーウェルで、かの彗星はレアメタルの塊であり、宇宙空間で解体して資源にしようと言い出す。その話に乗った大統領および世間は、一気に楽観モードに突入。それでも彗星は確実に地球に迫ってくる。

 大統領やマスコミの態度はもどかしいが、それは事情を知る観客の立場だから言えること。実際にこんな事態になれば、主人公たちの物言いなど一笑に付されるに決まっている。そもそも、人間なんてのは正常性バイアスの権化であり、彗星が肉眼ではっきり見られるようになっても、多くは“ドント・ルック・アップ”という事なかれ主義のスローガンに引きずられるのだろう。

 しかも、科学的知見を完全無視して儲け主義に走るIT長者と、それに追随する連中を見ていると、何やら昨今のコロナ禍に対して“コロナなんてただの風邪だ”と言い募る不逞の輩どもの姿がオーバーラップしてくる。

 脚本も担当したアダム・マッケイの演出は、快作「マネー・ショート 華麗なる大逆転」(2015年)には及ばないまでも、前作「バイス」(2018年)よりも上質だ。展開はジェットコースター的で、繰り出されるギャグも秀逸。シニカルな結末まで存分に楽しませてくれる。

 主人公2人に扮したレオナルド・ディカプリオとジェニファー・ローレンスをはじめ、ケイト・ブランシェットにメリル・ストリープ、ジョナ・ヒル、マーク・ライアンス、ロン・パールマン、さらにはアリアナ・グランデやティモシー・シャラメも出るという、かなりの豪華キャスト。加えて、それぞれに見せ場を用意しているのにも感心した。スカッとした単純明快娯楽編を望む向きには合わないが、目の肥えた映画ファンは満足できる内容かと思う。
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「ディア・エヴァン・ハンセン」

2021-12-20 06:24:00 | 映画の感想(た行)
 (原題:DEAR EVAN HANSEN)多少の作劇の不備を承知の上で、断固として本作を支持したい。道に迷いそうになっていた若い頃を思い出し、胸が締め付けられる思いがした。また、日々生き辛さを感じている観客にとっては大いなる福音になるだろう。そして何より、このシビアな題材を扱った映画がミュージカルだというのが素晴らしい。元ネタの舞台版がトニー賞で6部門を獲得したというのも、十分頷ける。

 南部の地方都市に住む高校生エヴァン・ハンセンはメンタルに問題を抱え、友達はおらず家族にも心を開けない。通っているセラピーで指導された“自分宛ての手紙”を図書館で書いていた彼は、問題児のコナーにその手紙を持ち去られる。ところが後日コナーは自ら命を絶つ。彼が握りしめていた件の手紙を見つけたコナーの両親は、エヴァンが息子の友人だと思い込む。エヴァンは彼らを苦しめたくないため、思わず“コナーとは親友同士だった”と話を合わせてしまう。彼の告白は大きな反響を呼び、学校ではコナーの死を無駄にしないためのムーブメントが巻き起こる。



 いかに“成り行き上”とはいえ、ウソをついてしまう主人公には問題がある。このウソを貫徹するためには次から次とウソをつき通す必要があるが、高校生のエヴァンにとっては、それは越えられないハードルだ。だが、それにあまり違和感が無いのは、キャラクターが良く掘り下げられているからだと思う。

 内向的だが何とかしてブレイクスルーを成し遂げたいエヴァンは、このチャンスを逃してはずっと閉じ籠るしかないと判断し、あえて“暴挙”に打って出る。だが、映画は主人公一人の苦悩の描写では終わらない。コナーやその家族はもちろん、自身の母親、そして勉学やスポーツに打ち込んで充実した学園生活を送っていたと思われた者たちも、内面では自分の将来や人間関係に対して大いなる屈託を抱えていたことが明らかになる。エヴァンを媒体として、その懊悩が学内はおろか世界的規模にまで露わになってゆく過程は説得力があり、十分感動的だ。

 スティーヴン・チョボウスキーの演出は堅実で、ここ一番の盛り上げ方も堂に入っている。楽曲のレベルは大したもので、どのナンバーもしみじみと聴かせる(この前観た「イン・ザ・ハイツ」よりも数段上)。主役のベン・プラットは残念ながら高校生には見えないが(笑)、ケイトリン・デヴァーやアマンドラ・ステンバーグ、コルトン・ライアンなどの舞台版にも出演した面子ともども芸達者なところを披露する。

 コナーの両親に扮したエイミー・アダムスとダニー・ピノも良いのだが、エヴァンの母親役のジュリアン・ムーアが歌が上手いのにはびっくりした。この一件を経て主人公そして登場人物たちには、ほんの少しだが世界が広がって見えることだろう。本年度のアメリカ映画を代表する秀作である。
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「DUNE デューン 砂の惑星」

2021-11-14 06:56:08 | 映画の感想(た行)
 (原題:DUNE PART ONE )ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作としては、出来は悪くない。もっとも、これは定評のある原作(フランク・ハーバートによるSF小説)があり、しかもそれがかなりの長編であるため、今回は割り切って“パート1”として製作されたことが大きい。無理矢理に2時間強に押し込めたデイヴィッド・リンチ監督版(84年)よりも、作劇面では有利だ。少なくとも次回作を観てみたいと思わせるだけでも、及第点に達している。

 遥か未来、人類は居住地域を他の星々に広げ、宇宙帝国を築いていた。ただし社会構造は歴史的に“退行”してしまい、皇帝を中心とする絶対主義制が敷かれていた。そんな中、アトレイデス公爵家は通称デューンと呼ばれる沙漠の惑星アラキスを治めていた。アラキスは大きなエネルギー源となる香料メランジの唯一の生産地だ。



 しかし、利益を横取りしようとするハルコンネン男爵家は皇帝と結託。アラキスに大軍を送り込み、占拠する。アトレイデスの当主レトは殺され、側室のジェシカと息子のポールは命からがら逃げ延びる。ポールはアラキスの原住民であるフレーメンと接触するため、広大な沙漠を彷徨う。

 帝国軍とそれに対抗する勢力との戦いや、主人公たちが使う超能力めいたもの等、一連の「スター・ウォーズ」シリーズとよく似たモチーフが登場するが、“元祖”はこちらなので気にならない(笑)。それどころか、バトルの背景にメランジをめぐる利権の争奪という明快なファクターを置いている分、ストーリーラインが混濁し質的に低迷している「スター・ウォーズ」シリーズよりも平易で好感が持てる。

 ヴィルヌーヴの演出は重々しいが、ドラマが停滞することは無い。活劇場面もソツなくこなしている。特筆すべきは映像の喚起力で、グレイグ・フレイザーのカメラによる彩度を抑えた暗めの絵作りが独特の世界観を創出。衣装やメカニック・デザインは実に非凡だ。羽ばたき式の飛行体などは、造形のユニークさに感心した。そして本作の売り物である巨大なサンドワームの扱いには圧倒された。D・リンチ監督版から相当の年数が経っている関係上、技術の進歩には驚くしかない。

 主演のティモシー・シャラメは好演ながら、彼の姿かたちを捉えたショットがとても多いのには苦笑した。多数いると思われるシャラメのファンに対するサービスだろうか。レベッカ・ファーガソンにオスカー・アイザック、ジョシュ・ブローリン、シャーロット・ランプリング、ジェイソン・モモア、ハビエル・バルデムなど、脇のキャストも良い。ただし、ハンス・ジマーの音楽はいささか大仰。もっとポピュラーな展開の方が好ましい。
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「沈黙のレジスタンス ユダヤ孤児を救った芸術家」

2021-10-04 06:25:22 | 映画の感想(た行)
 (原題:RESISTANCE)稀代のパントマイム役者であったマルセル・マルソーが、第二次大戦中にはレジスタンスに参加し、ユダヤ人の孤児たちを多数国外に逃したという事実を、本作を観て初めて知った。まさに“人に歴史あり”といったところだが、残念ながら映画自体の出来はよろしくない。作劇の焦点が絞り込まれておらず、チグハグな印象を受ける。脚本の見直しが必要だったと思う。

 1938年、フランスのストラスブールに住む青年マルセルは、ショービジネスの世界に進むことを目指して日々クラブの舞台に立っていたが、一方で兄アランや従兄弟のジョルジュ、恋人のエマらと共に、ナチスに親を殺されたユダヤ人の子供たちの世話をするという社会活動に参加していた。1942年なるとドイツ軍がフランス全土を占領し、彼らの身にも危険が迫ってくる。レジスタンスの拠点であるリヨンに移動するが、そこも危なくなり、マルセルは子供たちを中立国のスイスへ逃がすために危険なアルプス越えに挑む。

 マルセルは得意のパントマイムで子供たちの心を掴むという設定なのだが、困ったことにパフォーマンスが低調だ。演じるジェシー・アイゼンバーグは頑張っていたとは思うが、観る者を納得させるレベルにはとても達していない。マルソーは戦後間もなく頭角を現したので、戦時中にはすでに高いスキルを会得していたはずだが、ここではその片鱗も見えない。

 序盤に終戦直後にパットン将軍が催すイベントに招かれたことが示されるが、マルソーが堪能な英語力でジョージ・パットンの部隊の渉外係として働いていたことも映画では紹介されず、唐突な印象を受ける。反面、子供たちを連れてのナチスからの逃避行には大きく時間が割に当てられている。これはこれで良く出来てはいるのだが、パントマイムの達人であったマルセルが関与したことを取り上げる意味をあまり見出せなかった。

 彼の芸術に対するスタンスを前面に出さなければ、映画として描く意味がない。これでは別に彼でなくても、他の誰かでも良かったのではないかと思ってしまう。脚本も担当したジョナタン・ヤクボウィッツの演出はサスペンスの醸成やナチスの非道ぶりに関しては及第点だが、主人公の造型については評価出来ない。

 アイゼンバーグをはじめクレマンス・ポエジー、マティアス・シュバイクホファー、フェリックス・モアティ、そしてエド・ハリスなど、キャストは皆好演。ただし、舞台がフランスなのにセリフが英語で、なぜかナチスだけはちゃんとドイツ語を話しているというのは、明らかにヘンである(笑)。
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「ドライブ・マイ・カー」

2021-09-19 06:58:53 | 映画の感想(た行)
 濱口竜介監督といえば、2018年に撮った「寝ても覚めても」がどうしようもない駄作だったので今回もさほど期待していなかったが、実際に観てみると、想像以上の低レベルで大いに盛り下がった。しかも上映時間が3時間という、気の遠くなりそうな長さである。だったら観なければ良かったじゃないかと言われそうだが(笑)、第74回カンヌ国際映画祭において脚本賞を受賞した話題作なので、一応はチェックしておこうと思った次第だ。

 舞台俳優兼演出家の家福悠介は、脚本家である妻の音と何不自由なく暮らしていたはずだった。しかしある日、妻は突然他界。喪失感を抱えながら2年が経ったある時、彼は広島で開催される演劇祭で舞台監督を依頼され、自家用車で現地に向かう。ところが主催者側は別にドライバーを手配しており、演劇祭の期間中は彼の車は専属ドライバーの渡利みさきが担当することになる。そんな中、家福は出演者のオーディション会場で、かつて音と懇意にしていた高槻耕史の姿を見つける。村上春樹による短編小説の映画化だ。

 まず、主人公は東京から広島まで車を運転するほど自動車に思い入れがあるはずだが、そんなフェチシズムは映画からは微塵も感じられない。家福の愛車はサーブ900というマニア向けのモデルで、今でもこの車に乗り続けているのは絶対に強い動機があるにも関わらず、それを描かないのは致命的だ。極論すれば、車への偏愛を活写していれば、どんなに脚本がポンコツでも許せたのである。

 さて映画の筋書きだが、話にならないレベルだ。要するに何も描けていない。脚本家という触れ込みの音が、ベッドサイドで話す新作の内容のつまらなさ。彼女が他の男たちとの情事に溺れていることを知っていながら、黙認する悠介の不審な態度。耕史が音を“素晴らしい女性”と評するが、その理由は(情事以外は)不明。

 悠介が緑内障を患っていることや、みさきが悠介と音との亡くなった娘と同年齢であること、耕史がパパラッチを異様に敵視して挙げ句に不祥事を起こすことなど、散りばめられたモチーフが映画の焦点にほとんどアプローチしてこない。開演ギリギリに悠介がみさきと“長距離ドライブ”を敢行する意味も(物理的・時間的に可能どうかも含めて)まるで無し。それでいて、言い訳めいた説明的セリフはイヤになるほど多い。少しは“映像で語る”ということを考えたらどうなのだろうか。

 とはいえ、劇中のチエーホフの舞台劇は印象的だ。他言語を駆使するという変則的な作りながら、けっこうサマになっている。ハッキリ言って、チエーホフの戯曲をそのまま映画化した方が成果が上がったのではないか。主演の西島秀俊が大根に見えるのは、監督の演技指導が行き届かないせいだろうか。三浦透子に霧島れいか、岡田将生といった他のキャストも精彩を欠く。パク・ユリムにジン・デヨン、ソニア・ユアンなどの海外キャストの方がまだマシに見えた。それにしても、取って付けたようなエピローグには脱力する。大して意味があるとも思えない処理だ。
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「チェイシング・エイミー」

2021-08-14 06:56:18 | 映画の感想(た行)
 (原題:CHASING AMY )97年作品。登場人物たちの面倒臭い性格を、笑って許してしまえるかどうかで作品の評価が決まると思う。私は彼らを全面的に肯定しないまでも、まあ“こんな奴らもいるよね”といった具合で認めたい。また、LGBTQに関する突っ込んだネタを先取りしていた点もボイントが高いだろう。

 漫画家のホールデン・マクニールは、仕事上のパートナーであり友人のバンキーと一緒に、新作発表のためコミックマーケットへ足を運ぶ。そこで彼は新進作家のアリッサと知り合う。底抜けに明るくキュートな彼女に魅了されたホールデンは交際を申し込むが、実は彼女は同性愛者だった。それでも彼はアリッサを諦めきれない。だが、過去の奔放すぎる性体験を明け透けに話す彼女にホールデンは次第に困惑の度合いを高めていく。そんな彼を見ていたパンキーも頭を抱え、ついには仰天するような“提案”をブチあげる。



 自らの過去に何ら拘泥しないアリッサと、物分かりが良いようで実は相手のプロフイールを死ぬほど気にしているホールデンとの関係性がおかしい。さらにパンキーの、一筋縄ではいかないスタンスも実に興味深い。まあ、端から見れば“何やってんだコイツら”と呆れられるような状況なのだが、それぞれの立場を考えてみると、けっこう切実で放っておけない感じだ。

 特にアリッサの、自らの境遇を恥じていない振る舞いには、観ていてグッと来るものがある。要するに“素”の自分を受け入れてくれる相手を探すことこそが、恋愛の、そして人生の醍醐味なのだろうと納得させてくれる。劇中サイレント・ボブ役で出演もしている監督ケヴィン・スミスの作品はこれ一本しか観ていないが、けっこう軽妙かつペーソスが溢れていて好感が持てる。

 主演のベン・アフレックとジョーイ・ローレン・アダムスは好調で、どこかチグハグな男女関係を絶妙に表現している。バンキー役のジェイソン・リーもナイスな助演ぶりだし、ケイシー・アフレックやマット・デイモンがチラッと出ているのも嬉しい。デイヴィッド・パーナーの音楽も悪くない。同年のインディペンデント・スピリット賞にて、脚本賞と助演男優賞を受賞している。
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「ディーバ」

2021-05-03 06:50:06 | 映画の感想(た行)
 (原題:DIVA)81年作品。リュック・ベッソンやレオス・カラックスと共に、80年代以降のフランス映画界を背負って立つと言われたジャン=ジャック・ベネックス監督のデビュー作にして、カルト映画の極北として知られる一本。実際、その頃のフランス作品としては抜群の面白さで、日本でも熱心な映画ファンの間で大いに話題になったものだ。

 パリに住む18歳の郵便配達夫ジュールは、オートバイにもステレオを装着しているオーディオマニアで、特にオペラが大好きである。そんな彼が女神として崇めているのが黒人プリマドンナのシンシアで、のめり込むあまりコンサートを密かに録音してしまう。ところがシンシアは一切レコーディングしない主義なので、結果的に貴重品になったジュールの録音テープをめぐり、台湾で海賊盤を出そうとする悪徳レコード会社の手先に追われることになる。



 さらに、麻薬組織に狙われた女が駅で殺される寸前に機密事項を収めたテープをジュールのカバンに隠したため、彼は麻薬シンジケートの2人組の殺し屋に襲われるハメにもなってしまう。絶体絶命の彼を救ったのが、ベトナム人の少女アルバとその恋人ゴロディッシュだ。ジュールは彼らの助けを得ながら、シンシアと和解しようとする。

 いわゆる“追われながら事件を解決する話”で、サスペンスの盛り上げ方は明らかにヒッチコックを意識している。そして、語り口はビリー・ワイルダーの影響が大きい。もちろん単なる物真似ではなく、自家薬籠中のものにしており、カー・アクションやエレベーターの穴に落ちるサスペンスを主体としたクライマックスの対決も鮮やかにこなしている。

 クラシック音楽とロック・ミュージック、アンティーク趣味とブランド志向など、互いに相反する事象を上手く取りまとめた手法も面白い。ベネックスの演出は流麗で、終盤の伏線回収と鮮やかな幕切れには唸ってしまう。

 ジュールを演じるフレデリック・アンドレイをはじめ、リシャール・ボーランジェにチュイ=アン・リュー、ロラン・ベルタン、ドミニク・ピノンといったキャストは皆良くやっている。そしてシンシアを演じるウィルヘルメニア・フェルナンデスは素晴らしい。容姿もさることながら、彼女が歌うカタラーニの歌劇「ラ・ワリー」のアリア「遠いところへ」は絶品で、まさにディーバ(女神)の風格だ。

 ウラディミール・コスのオリジナル音楽と、フィリップ・ルースロによる撮影も文句なし。あと関係ないが、ジュールが使っていたカセットテープのブランドがNakamichiの“ZX”というマニア御用達のアイテムであったのにも驚いた。
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