goo blog サービス終了のお知らせ 

元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ボーン・トゥ・フライ」

2024-07-29 06:30:35 | 映画の感想(は行)
 (原題:長空之王 BORN TO FLY)国威発揚映画だということは承知しているが、けっこう楽しんで観てしまった。スカイアクションものとしては、ひょっとして「トップガン」シリーズよりも志が高いのかもしれない。主人公たちと敵対する某国の戦闘機群こそ出てくるが、切った張ったの命のやり取りはその局面では出てこない。代わりにメインとして描かれているのは、あくまで訓練の様子なのだ。それだけにネタの普遍性は際立っている。

 中国空軍パイロットのレイ・ユーは腕は立つが、任務中に起こしたトラブルにより、前線から新世代ステルス戦闘機のテスト飛行チームに回される。中国西部の沙漠の中にある訓練基地での生活はハードで、しかもテストパイロットに選ばれるには厳正な選考を経なければならない。このプロセスが興味深く、まずは集められたメンバーたちを出し抜く必要がある。とはいえ、苦楽を共にする仲間を切り捨てるほど非情になれるはずもなく、そのあたりの葛藤が過不足なく捉えられているのは評価して良い。



 レイ・ユーたちを襲うトラブルはエンジンの不調はもちろん、脱出装置の誤動作や鳥類と衝突する所謂バードストライクなど多種多様で飽きさせない。特にパラシュートに焦点が当たるのは高得点だ。また、訓練中に殉職してしまった教官に関するエピソードは悲痛で、葬儀の場面は無常さを漂わせる。

 さらに、犠牲になったパイロットたちが眠る大規模な共同墓地の様子は、いくぶん作り物めいてはいるが、映像的には目覚ましい効果をもたらしている。終盤のシークエンスはいかにも中国軍のプロパガンダながら、そこで終わることなくもう一波乱あるという流れは悪くない。レイ・ユーたちの成長の跡を見せてくれるし、二転三転するドッグファイトには思わず見入ってしまう。

 監督のリウ・シャオシーはこれが商業映画デビュー作とは思えないほど手堅い仕事ぶりで、第36回金鶏奨新人監督賞を受賞している。主演のワン・イーボーとライバル役のユー・シー、他にチョウ・ドンユィにフー・ジュンという顔ぶれは、馴染みは無いがよくやっていると思う。それにしても、ステルス戦闘機は米露の専売特許と思われていたが、中国も着々と開発中であるのは、やはり周辺諸国にとっては脅威だろう。日本としてもそれ相応の対策を立てねばなるまい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「フェラーリ」

2024-07-27 06:25:56 | 映画の感想(は行)
 (原題:FERRARI )いかにもマイケル・マン監督作品らしい、気勢の上がらない沈んだ雰囲気の映画だ。もちろん、題材によってはそういうアプローチの方が功を奏する場合があるが、本作のような伝記映画、しかも誰もが知るような人物を取り上げる際に相応しい演出家の人選とは思えない。ただ、エクステリアは凝っているので、その点だけに注目すれば出来自体はあまり気にならないだろう。

 1957年、イタリアの自動車メーカーであるフェラーリ社の創業者エンツォ・フェラーリは、愛人リナとその息子ピエロの存在を妻ラウラに知られてしまう。もっとも、エンツォとラウラの間に出来た息子はその前年病気で世を去っており、夫婦仲はすでに冷え切っていたのだ。折しも過剰投資や労使紛争などで会社は窮地に陥っており、破産寸前だ。この逆境を一気に跳ね返すべく、エンツォはイタリア全土を縦断する伝説的な公道自動車レース“ミッレミリア”に挑む。



 主人公は自動車作りとレースに打ち込んで功績を挙げた人物のはずだが、映画の中ではその情熱や目標に向けて努力する様子は描かれない。“車を売るためにレースをしているのではない。レースをするために車を売っているんだ”というセリフを吐き、レーシングドライバーに対しては“死ぬ気で走れ!”と発破を掛けるが、いずれも口先だけのような印象しか受けない。

 その代わり頻繁に画面に出てくるのが、妻と愛人との間でよろめくエンツォの姿だ。特に会社の株の半分を持つラウラとの関係は、ビジネス面では大きなウェイトを占めるのかもしれないが、あまり興味を覚えるネタではない。カソリック教会との関わりも、取って付けたようだ。

 それでも“ミッレミリア”をはじめとするレース場面は良く出来ている。特に有名な大惨事の描写は迫真性が強い。時代考証は確かだし、エリック・メッサーシュミットのカメラによるイタリア各地の風景は美しく、観光気分を存分に味わえる。しかし、肝心の人間ドラマが温度感低めなので映画としては盛り上がらない。

 そもそも主演のアダム・ドライバーをはじめ、ペネロペ・クルスにシャイリーン・ウッドリー、サラ・ガドン、ガブリエル・レオーネ、ジャック・オコンネル、パトリック・デンプシーら主要キャストの中にイタリア人は見当たらないのはおかしい。しかも彼らがイタリア訛りの英語をしゃべっているあたりは(アメリカ映画だから仕方が無いとはいえ)不愉快だ。つまりは中身には期待せず映像面だけを楽しむ以外に、本作の存在価値はないだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ファミリー・アフェア」

2024-07-21 06:23:51 | 映画の感想(は行)

 (原題:A FAMILY AFFAIR )2024年6月よりNetflixから配信。所詮はラブコメなので観る前はあまり期待しておらず、取り敢えずはホンワカした気分を味わえればオッケーだと踏んでいたのだが、これはちょっと軽量級に過ぎるのではないだろうか(笑)。しかも出ている面子が有名どころなので、余計そう感じてしまう。

 ハリウッドで映画スターのクリス・コールのアシスタントを務めるザラ・フォードは、クリスのわがままな態度に振り回されていた。ついにブチ切れて仕事を辞めた彼女のことをやっぱり頼りにしていたクリスは、何とか職場に戻るように説得するため彼女の家に出向いて行く。あいにく不在だったザラの代わりに玄関先に出てきたのは、彼女の母親で作家のブルックだった。とても50歳過ぎとは思えないブルックの若々しさと美しさに魅了されたクリスは、たちまち彼女と懇ろな仲になる。それを知ったザラはショックを受けるのだった。

 ブルックに扮しているのはニコール・キッドマン(1967年生まれ)で、クリス役はザック・エフロン(1987年生まれ)だ。キッドマンがこういうお手軽映画に出るのは珍しいが、それはともかく彼女の実年齢を考えると、明らかに外見を“作りすぎ”ではないのか(苦笑)。対するエフロンも「アイアンクロー」出演時の肉体改造が尾を引いているようで、見た目の不自然さは否めない。

 ならばこの2人のキャラクターはドラマを支えられるほどに掘り下げられているのかというと、全くそうではない。ひたすらライト路線をひた走る。本来ならばザラを中心に物語を展開させるべきだが、隣にキッドマンらが控えており、しかもザラの祖母役としてキャシー・ベイツまで出てくるのだから、ザラの役回りが大きくなるはずもない(彼女にボーイフレンドの一人でもあてがってもバチは当たらないと思うのだけどね)。

 ザラを演じているのはジョーイ・キングで、若くて可愛くて演技も問題ない彼女を、どうして主役として扱わなかったのか疑問である。リチャード・ラグラベネーズの演出は凡庸だが、それでもドン・バージェスのカメラによるハリウッドおよびその近郊の風景は本当に美しく、シッダールタ・コースラの音楽も悪くないので何とか最後まで観ていられた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」

2024-07-15 06:30:01 | 映画の感想(は行)

 (原題:THE HOLDOVERS )登場人物たちの微妙な内面が活写され、実に見応えのある人間ドラマに仕上がっている。しかも感触は柔らかく、余計なケレンは巧妙に廃され、全体に渡って抑制の効いた作劇が徹底されていることに感心した。さすがアレクサンダー・ペイン監督、その確かな仕事ぶりは今回もいささかも衰えていない。

 1970年、マサチューセッツ州にある全寮制のプレップスクールは冬休みを前に浮ついた空気が充満していた。そんな中、生真面目で皮肉屋で皆から疎んじられている古代史の教師ポール・ハナムは、休暇中に家に帰れない生徒たちの監督役を務めることになる。当初は5,6人の生徒が居残るはずだったが、結果として寮で過ごすことになったのは母親が再婚したアンガス・タリーだけだった。そして自分の息子をベトナム戦争で亡くした食堂の料理長メアリー・ラムが加わり、3人だけのクリスマス休暇が始まる。

 ポールは独身で、孤高を決め込む狷介な者のように見え、周囲からもそのように思われているようだが、実はそうでもないのが面白い。皆がクリスマスを楽しんでいる時期に一人でいるなんてことは、本当は彼にとって耐え難いのだ。

 アンガスとメアリーを連れて、建前上は禁止されている外泊を決行する彼だが、外出先でかつての同級生に会った時には自身を偽ってしまう弱さを見せる。ポールは有名大学を出た秀才だったのだが、自らの難しい性格と優れない体調のせいで出世コースから遠く離れてしまう。そんな彼でも。かろうじて残された矜持にしがみ付かざるを得ない。どうしようもない懊悩を無理なく表現する演出と、演じるポール・ジアマッティの力量が強く印象付けられる。

 アンガスの両親の離婚原因は深刻だ。彼は休暇中に入院している実の父親に会うのだが、その顛末は切ない。アンガス役のドミニク・セッサは、これが映画初出演とはとても信じられないほどの達者なパフォーマンスを見せる。端正なルックスも併せて、本年度の新人賞の有力候補だ。対して、本作で第96回アカデミー賞で助演女優賞を獲得したメアリー役のダバイン・ジョイ・ランドルフの演技はそれほどでもない。ただし、役柄のヘヴィさはアピール度が満点であったことは伺える。

 70年代初頭という時代設定も秀逸で、ノスタルジックでありながらベトナム戦争が暗い影を落とす世相が、登場人物たちの造型に絶妙にマッチしている。マーク・オートンによる音楽は万全だが、それよりもキャット・スティーヴンスやオールマン・ブラザーズ・バンド、バッドフィンガーなどの当時の楽曲が効果的に流れていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」

2024-07-05 06:25:38 | 映画の感想(は行)
 (原題:THE UNLIKELY PILGRIMAGE OF HAROLD FRY )主人公の言動にはとても共感できないし、筋書きも要領を得ない。“感動的なロードムービー”という触れ込みながら、どこで感動して良いのやら全然分からなかった。ただキャストの演技は悪くないし、映像は美しいので、その点に限っては観て損は無かったのかもしれない。

 定年退職しイギリス南西部の地方都市で妻と共に悠々自適の生活を送っていたハロルド・フライのもとに、英国北部の街から思わぬ手紙が届く。差出人はハロルドが現役時代に働いていたビール工場の同僚の女性社員クイーニーで、ホスピスに入院中の彼女は余命幾ばくも無いらしい。近所のポストから返事を出そうと家を出るハロルドだったが、途中で寄ったショップの若い店員の一言で考えを変え、800キロ先のクイーニーのもとを目指してそのまま手ぶらで歩き始める。自分が到着するまでの間は、クイーニーは絶対に生きているという確信を持っての行動だった。レイチェル・ジョイスによるベストセラー小説の映画化だ。



 まず、いくら何でも着の身着のままで“壮大な旅”に出掛けてしまうというのは無理があるだろう。しかもハロルドは老齢の身で、目的地にたどり着けるかどうかは不明だ。そもそも、そんなにクイーニーのことが心配ならば、一刻も早く駆けつけて彼女との最後の時間を長く過ごした方が良いだろう。ハロルドは携帯電話も家に置きっぱなしにして、当然のことながら妻は心配する。だが、彼は文字通り“我が道を行く”というスタンスで、途中から所持金も放棄する始末だ。

 彼がどうしてクイーニーを気に掛けているのかは劇中で一応は説明されるのだが、それはあまりにも理不尽で納得出来ない話だ。また、ハロルドの早世した息子の話とか、同行する若者とのエピソードや、いつの間にか“賛同者”が増えて団体旅行みたいになっていくとか、思わせぶりなネタが出てきてはいずれも中途半端に終わる。旅の終わりでの展開もカタルシスが生まれない。結局、すべては主人公の自己満足ではなかったのかという、釈然としない気持ちだけが残った。ヘティ・マクドナルドの演出もメリハリに欠ける。

 とはいえ、主演のジム・ブロードベントの頑張りは認めて良い。けっこうハードな撮影だったと思うが、果敢に乗り越えている。妻に扮するペネロープ・ウィルトンをはじめ、リンダ・バセット、アール・ケイブ、ジョセフ・マイデル、モニカ・ゴスマンらキャストは皆好演だ。そしてケイト・マッカラのカメラによるイギリスの田舎の風景は素晴らしく美しい。一度じっくりと見て回りたいと思うほどだ。サム・リーやジェームズ・キューイによる劇中挿入曲も実に印象的である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「パーフェクト・ファインド」

2024-06-30 06:24:50 | 映画の感想(は行)

 (原題:THE PERFECT FIND)2024年6月よりNetflixから配信された黒人キャスト中心のラブコメ編。率直に言って、映画の内容は少しも面白くない。気合いの入らない筋書きが、メリハリの無い演出に乗って漫然と流れるだけ。しかし、観て損したかというと、断じてそうではない。本作の“外観”は、中身の密度の低さを補って余りあるほど魅力的だ。こういう映画の楽しみ方も、たまには良いものである。

 ニューヨークのファッション業界で腕を振るっていたジェナは、事情があって長らく一線を退いていた。そのブランクを経て、やっとファッション編集者として復帰した彼女はある日、パーティーで出会った年下の青年エリクと仲良くなる。ところが後日、その彼は新しい職場の同僚であることが判明。しかもエリクは上司であるダーシーの息子だった。途端に上役との関係はぎこちないものになり、ジェナの復帰計画に暗雲が立ち込める。

 そもそも、いくらジェナが年齢の割にチャーミングでナイスなルックスの持ち主とはいえ、エリクみたいな若い男と簡単に懇ろになるとは思えない。実際、ジェナに扮するガブリエル・ユニオンとエリク役のキース・パワーズも、30歳以上もの年齢差がある。しかも終盤にはジェナが妊娠してどうのこうのというネタまで用意されており、さすがにそれは無理があろう。

 また、エリクがダーシーの息子だという取って付けたようなモチーフには我慢できても、そこからドラマティックな展開に繋がるわけでもなく、何やら微温的なハナシが漫然と続くのみ。ジェナには個性が強そうな友人が複数いるが、それらが本筋に大きく絡んでくることも無い。ラストなんて、観ている側は“いつの間にそうなったんだ?”と呟くしかない状態だ。ヌーマ・ペリエの演出はどうもピリッとしない。

 しかし、アミット・ガジワニによる衣装デザインと、美術担当のサリー・レビの仕事ぶりは目を見張るほどヴォルテージが高いのだ。センス抜群のオープニング・タイトルから始まり、カラフルな街中の風景、そして登場人物たちが身に纏う服のクォリティの高さには感心するしかない。結果、あまり気を悪くせずに鑑賞を終えることが出来た。

 まあ、映画館でカネを払って観るのは厳しいレベルだが、配信による視聴ならば許せる。主演のユニオンとパワーズの他にも、アイシャ・ハインズにD・B・ウッドサイド、ラ・ラ・アンソニー、ジーナ・トーレスと、馴染みは無いが“絵になる”キャストが揃っている。アマンダ・ジョーンズによる音楽と既成曲の扱いも万全だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ボブ・マーリー ONE LOVE」

2024-06-14 06:24:00 | 映画の感想(は行)

 (原題:BOB MARLEY: ONE LOVE)これはとても評価できない。対象に鋭く迫ったような形跡が見当たらないのだ。その理由としては、本作が今は亡きレゲエの大物ミュージシャンであるボブ・マーリーの“身内(親族など)”が監修を担当していることが挙げられる。故人の“身内”としては、リアリズムに徹して短所も含めたボブ・マーリーの人間性をえぐり出すという方法論は、避けたいに決まっている。結果、極めて微温的なシャシンに終わってしまった。

 1976年、独立から十数年しか経っていないジャマイカでは、政情が安定せずに2大政党が対立していた。国民的アーティストであるボブ・マーリーは不本意ながらその政治闘争に巻き込まれ、同年12月に狙撃事件に遭ってしまう。それでも彼は間を置かずに全国規模のコンサートに出演し、身を守るためにイギリスに移住。その後も次々と意欲作を発表し、ワールドツアーも成功させる。だが、その間もジャマイカの社会情勢は良くならず、内戦の危機も囁かれるようになる。ボブはそんな状況に対して一肌脱ぐべく、活動を開始する。

 映画は、主人公がどうしてレゲエにのめり込んだのか、作曲のインスピレーションはどこから来るのか、そして名が売れる前にどういう紆余曲折があったのか、そんなことは何も言及しない。映画が始まった時点で彼はスーパースターだし、カリスマ性があり、そして病により世を去るまでが思い入れたっぷりに描かれるのみ。せいぜいが、幼少期のボブが炎に囲まれているシーンがが思わせぶりに何度か挿入されるのみだ。これでは何のモチーフにもなり得ていない。

 かと思えば、ラスタファリがどうのとか、エチオピア皇帝がどうしたとか、ボブの信奉者にしか分からないようなネタが前振り無しに出てきたりする。ならばコンサートのシーンは盛り上がるのかと言えば、これが大したことがない。既成の音源に合わせて各キャストが動き回っているだけで、高揚感が圧倒的に不足している。

 レイナルド・マーカス・グリーンの演出は平板で、ここ一番のパワーに欠ける。主演のキングズリー・ベン=アディルをはじめ、ラシャーナ・リンチ、ジェームズ・ノートン、トシン・コール、アンソニー・ウェルシュといった面子は馴染みは薄いし演技面でも特筆出来るものは無い。こういう映画を観ると、同じく有名ミュージシャンを主人公に据えた「ボヘミアン・ラプソディ」(2018年)がいかに訴求力の高い作品だったのかを痛感する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブルービートル」

2024-06-07 06:25:36 | 映画の感想(は行)
 (原題:BLUE BEETLE )2023年製作のDCコミック系のヒーロー物。日本では劇場公開されず、同年11月からデジタル配信されている。出来としては水準をクリアしていると思うし、宣伝の仕方によっては劇場にある程度客を集められそうなシャシンだと思ったが、昨今のアメコミ映画の国内興行が“斜陽化”していることによりリスクを避けて封切りを見合わせたのだろう。ましてや、馴染みの無いキャラクターが画面の真ん中に居座っているので尚更だ。

 ゴッサム法科大学を卒業した青年ハイメ・レイエスは、故郷であるメキシコ国境近くのパルメラシティ(架空の都市)に戻ってくる。職探しの間にバイト先として出向いたITと軍事の巨大キャリアであるコード社の研究所で、彼は古代の墳墓から発見された異星人の手によるバイオテクノロジーの粋を集めたスカラベに偶然触れてしまう。



 するとスカラベに共生宿主として認知されたハイメは、スーパーパワーを秘めたアーマースーツに身を包んだ超人ブルービートルに変身する。一方、スカラベとの相性が良いハイメの存在を知ったコード社の社長ヴィクトリアは、彼を解剖してスーパーパワーの情報を掴み、自社の軍需産業に転用しようと画策する。

 DCコミックス初のラテン系ヒーローだからというわけでもないだろうが、主人公はやたら明るく楽天的だ。突如として手に入れた能力に戸惑うよりも、面白がることを優先する。そして、ハイメの家族はもっと明るい。皆それなりに屈託はあるのだが、まずはとにかく笑い飛ばしてしまおうという思い切りの良さが痛快だ。

 ブルービートルの前に立ちはだかるのは、高い戦闘能力を持つイグナシオ・カラパックスだ。しかもスカラベのデータを部分的ではあるが取り込んでいるので、容易には倒せない。実はコード社の先代CEOはヴィクトリアの兄で、その娘のジェニーも社内にいるのだが、完全に窓際扱いだ。その彼女とハイメが良い仲になるのは予想通りとして(笑)、主人公の叔父のルディを加えての大々的バトルが展開する後半はけっこう盛り上がる。またカラパックスの出自が伏線になっているという処理も悪くない。

 アンヘル・マヌエル・ソトの演出は決して行儀良くはないが陽性でストレスが無い。主演のショロ・マリデュエニャにヒロイン役のブルーナ・マルケジーニ、そしてアドリアナ・バラッザ、エルピディア・カリーロ、ラオール・マックス・トゥルヒージョ、ジョージ・ロペスというキャストは馴染みが薄いが、皆好調。ヴィクトリアに扮したスーザン・サランドンは楽しそうに悪役を演じている。例によってエピローグは続編を匂わせるが、ブルービートルが今後のDCユニバースにどう絡んでいくか楽しみではある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ハート・オブ・ザ・ハンター」

2024-06-01 06:27:02 | 映画の感想(は行)
 (原題:HEART OF THE HUNTER )2024年3月よりNetflixから配信。アクション映画としては凡庸な出来。思い切った仕掛けは無いし、展開もスムーズとは言えない。キャラクター設定が良好とも思えず、そもそも物語の背景が不明確だ。それでも何とか最後まで付き合えたのは、本作が南アフリカ映画だからである。欧米やアジアのシャシンとは明らかに違う得体の知れない空気が全編にわたって漂っており、それがダークな内容に妙にマッチしている。配信される映画の中にはこういうユニークな佇まいのものがあるので、チェックは欠かせない。

 かつては凄腕のヒットマンとして裏社会では知られていたズコ・クマロは、今では足を洗って妻子と共にケープタウンの下町で暮らしていた。そんなある日、彼の“上司”であったジョニー・クラインが突然訪ねてくる。彼は、大統領の座を狙っている副大統領のムティマを“排除”するように依頼する。



 ムティマは横暴でスキャンダルだらけの男であり、そんな奴が国家元首になっては国益を毀損するというのだ。ズコは断るが、その後ムティマが仕向けたPIAという国家情報機関によってジョニーは消されてしまい、スゴも狙われるようになる。ズコは妻子を気遣いつつも、ムティマとその一派に戦いを挑む。

 ズコが手練れの仕事人だったのは分かるが、過去にどういうポジションにいたのか分からない。PIAの幹部が女性ばかりというのは奇妙で、その中にズコの仲間も紛れ込んでいるという設定も無理筋だ。アクション場面は大したことがなく、作劇のテンポもスピード感を欠く。さらには敵方の連中が完全武装しているにも関わらず、ズコは槍一本で戦うというのは脱力ものだ。

 しかし、風光明媚なケープタウンが舞台であっても貧富の差の激しさによる暗い雰囲気は拭いきれず、郊外に出れば荒涼とした大地が広がるばかり。この殺伐としたロケーションが、主人公たちの首尾一貫しない言動に妙なリアリティを与えている。さらには、内陸国家のレソトにズコが一時身を寄せるシークエンスの、異世界のような光景は印象深い。

 マンドラカイセ・W・デューベの演出には特筆できるものは無いが、何とかラストまでドラマを引っ張っている。主演のボンコ・コーザは面構えと体格は活劇向きで、演技も悪くない。コニー・ファーガソンにティム・セロン、マササ・ムバンゲニ、ボレン・モゴッツィ、ワンダ・バンダ、ピーター・バトラーといったキャストは馴染みは無いが、パフォーマンスは及第点に達していると思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「美と殺戮のすべて」

2024-05-13 06:07:07 | 映画の感想(は行)
 (原題:ALL THE BEAUTY AND THE BLOODSHED)強烈な印象を受けるドキュメンタリー映画だ。題材の深刻さといい、主人公役のキャラクターの破天荒さといい、問題提起の大きさといい、全てがA級仕様である。第79回ヴェネツィア国際映画祭で大賞を獲得しているが、有名アワードに輝いた作品が必ずしも良い映画とは限らないものの、この受賞は十分頷ける。個人的にも今年度のベストテン入りは確実だ。

 本作がクローズアップする人物は、首都ワシントン出身の写真家ナン・ゴールディンだ。彼女は最愛の姉が18歳で自死したのを切っ掛けに、フォトグラファーを志すようになる。テーマは自身のセクシュアリティをはじめ、家族や友人の切迫した状況、ジェンダーに関する問題など、かなり“攻めた”ものばかりだ。しかも、ドラッグの過剰摂取やHIVウイルスの感染などで、作品に登場するほとんどの被写体が世を去っているという。



 そんな彼女が、手術時にオピオイド系の鎮痛剤オキシコンチンを投与され、危うく命を落としそうになる。実はこの薬は中毒性があり、処方を間違えると重篤な事態に陥るのだ。ところがオキシコンチンを販売するパーデュー・ファーマ社は、この薬を野放図にばら撒いて被害を大きくしている。彼女は2017年にこの問題の支援団体P.A.I.Nを創設し、パーデュー・ファーマ社とそのオーナーである大富豪サックラー家の責任を追及する。

 私は不勉強にも、かくも重大な薬害が起こっていることを知らなかった。そしてもちろんP.A.I.Nの存在も心当たりは無い。だが、パーデュー・ファーマ社の所業がいかに悪質なものかを本作は鮮明に描き出し、映画本来の社会的役割という側面を強調する。さらに、この会社が芸術界に多額の寄付をしているという、偽善的な行為も糾弾する。ゴールディンはアートに携わる者として、サックラー家との全面対決に身を投じるのだ。

 芸術家として血を吐くような苦悩に苛まれ、家族や友人を失い、その結果先鋭的な作品に結実させるゴールディンと、儲け主義の権化みたいなパーデュー・ファーマ社との対比は、悲痛な現実の暴露と共に、目を見張るような高揚感を観る者にもたらす。そして、芸術の何たるかを端的に見せつけられた衝撃を受けるのである。

 ローラ・ポイトラスの演出は力強く、対象から一時たりとも目を離さない。今後もその仕事を追ってみたくなる人材だ。なお、この薬害事件の犠牲者は全米で50万人を数えるという。それにも関わらず、サックラー家は勝手に会社を解散させて責任の回避に余念が無い。この世界にはかくも不条理な事柄が頻発しているが、それを真正面から捉える映画作家の存在は、観る者の意識をこれからも少しずつシフトアップさせ続けるのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする