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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ぼくが生きてる、ふたつの世界」

2024-10-21 06:21:36 | 映画の感想(は行)
 間違いなく日本映画界における主要な女性監督の一人である呉美保の、なんと9年ぶりの作品だ。この長いブランクの背景はよく分からないが(9年前に結婚したことが関係しているのかもしれない)、久々に映画を撮ってくれたことは喜ばしい。本作のクォリティも低くはないレベルであり、今年度の邦画の中でも記憶に残る内容だ。

 宮城県の海沿いにある小さな町で生まれた五十嵐大の両親は、耳がきこえない。だから彼は幼い頃から母の“通訳”をすることが日課になっていた。しかし成長するにつれ、大は自らの境遇に違和感を持つようになる。そして20歳になった彼は逃げるように故郷を離れ、東京でその日暮らしに近い生活を送るようになる。作家である五十嵐大の、自伝的エッセイの映画化だ。



 オスカーを獲得したアメリカ映画「コーダ あいのうた」(2021年)およびその元ネタのフランス映画「エール!」(2014年)と似た設定だが、こちらは実録物であるだけに、かなり様相が違う。五十嵐は今はライターとして独り立ちをしているので、決して悲劇的な筋書きにはならないことは観る前から分かっている。しかし展開はかなり辛口で、ハートウォーミングなエピソードはあまり前面に出てこない。

 主人公は成長するにつれて、周囲との境遇の違いを思い知ることになる。しかも、怪しげな宗教にハマっている祖母や、極道者として知られる祖父とも同居している。当然のことながら彼が受けるストレスは相当なもので、学業も上手くいかずに家を出たのも無理はない。だが、自己を確立出来ないまま見知らぬ土地に行っても状況は好転しないわけで、東京での寄る辺ない生活は孤独感が増すばかり。

 それでも、思わぬ出会いがあったり胡散臭い出版社での仕事にありついたりと、大にとって徐々に周囲が見え始める過程には説得力がある。同時に、過去の両親との関係や、今後の身の振り方が可視化されてくるといった構成は非凡かと思う。呉美保の演出は終盤に評価が分かれそうな処理は見られるものの、大方堅実な仕事に終始。今後も映画を撮り続けて欲しい。

 主演の吉沢亮は中学生時代から青年期までを演じているが、いずれも違和感が無いのはさすがだ。両親役の忍足亜希子と今井彰人は本当の聴覚障害者だが、本当に良くやっている。特に忍足の柔らかい雰囲気は印象的だ。ユースケ・サンタマリアに烏丸せつこ、でんでん、山本浩司、河合祐三子といった顔ぶれも盤石。下川恭平によるテーマソングは余韻が深い。
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「武道実務官」

2024-10-14 06:35:48 | 映画の感想(は行)
 (英題:OFFICER BLACK BELT)2024年9月よりNetflixから配信された韓国製のアクション編。一見、単純な勧善懲悪の図式を取っているシャシンのようだが、けっこう興味深いモチーフが採用されていて最後まで退屈せず向き合うことができた。また、主人公をはじめ各登場人物のキャラも立っていて、そのおかげで多少の作劇のアラも黙認可能だ(笑)。

 ソウルに住むイ・ジョンドは、格闘技とeスポーツが大好きな若造だ。一方で、父親が経営する食堂をせっせと手伝うマジメな面も持っている。そんな彼がある日、暴漢に襲われていた男を得意の体術で助ける。その被害者は保護観察中の犯罪者を取り締まる実務官で、負傷した本人の代わりにジョンドは期間限定で実務官の仕事を引き受けることになる。リーダーのキム・ソンミンと共に観察中に悪事をはたらこうとする者たちを監視するジョンドだが、やがて出所してきた大物犯罪者およびその一味と全面対決することになる。



 まず、タイトルにある武道実務官が実在するというのが面白い。警察とは違う法務セクションが統括する保護観察官に類するものだが、実力行使はもとより逮捕権もある。また、観察対象者には期間中は電波発信機が内蔵された足輪が取り付けられ、バッテリーが切れかかったり連絡が取れなくなったら直ちに実務官が急行するというシステムも興味深い。

 直情径行型のジョンドと温厚で冷静なソンミンとのコンビネーションは良好で、よくあるバディ・ムービーの形式は訴求力が高い。対する犯罪者側も凶悪な面子が揃っていて、これなら自然と主人公たちを応援したくなる。

 もっとも、監察官と警察とのコンピネーションが上手く描けていなかったり、ジョンドのオタク仲間たちが何の権限も無いのに“活躍”を見せたりといった気になる点も無いではないが、そこは“勢い”でカバーされているようだ。それに、珍しく本作ではヒロイン役が登場せず、完全に野郎どもの話になっているあたり、かなり潔いと思う。

 ジョンドに扮するキム・ウビンとソンミンを演じるキム・ソンギュンは好調で、演技面で問題が無いばかりではなく個性が屹立している。イ・ヘヨンにイ・ヒョンゴル、キム・ジョン、チャン・ワンヒョンなど他のキャストも申し分ない。脚本も担当したキム・ジュファンの演出も闊達で、聞けばこのような建て付けの作品を過去に何本か手掛けているらしく、アクションシーンのキレは目覚ましいものがある。イ・テオのカメラによるソウルの下町の風景も印象的だ。
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「ぼくのお日さま」

2024-10-13 06:23:25 | 映画の感想(は行)
 第77回カンヌ国際映画祭の“ある視点”部門に出品されたのをはじめ、国内外での評価が高い作品だが、個人的にはどこが面白いのかよく分からない。有り体に言ってしまえば、これは素人の映画だ。監督は現時点でまだ20歳代で、この時期から分不相応な扱いを受けてしまえば本人のためにはならないのではと、勝手なことを思ってしまった。

 北海道の田舎町に住む小学生のタクヤは、吃音のため周囲とあまりコミュニケーションは取れず、しかも苦手なアイスホッケーのクラブに入れられているという、面白くない日々を送っていた。そんな時、彼は隣のリンクでフィギュアスケートを練習する少女さくらを見て心を奪われてしまう。



 ホッケー靴のままフィギュアのステップを真似するタクヤを見ていたさくらのコーチで元フィギュアスケート選手の荒川は、タクヤとさくらでアイスダンスのコンピを組むことを提案する。最初はぎこちなかった2人だが、次第に上達して大会の出場を打診されるまでになる。ところが荒川には同性の恋人である五十嵐がいて、その事実が周囲に波紋を広げてゆく。

 まず、時代設定が90年代前半であることを冒頭で明かしていないのは失当だ。あの頃はLGBTに対する理解度がまだ低く、ましてやこの土地柄では完全にタブーである。まあ、登場人物たちの身なりや生活パターンなどから現代の話ではないということは推察されるが、観客に対しては不親切だ。

 そして、画面がスタンダードサイズというのも意味不明。北海道の茫洋とした風景をとらえるには適当ではない(せめてビスタサイズにすべき)。ストーリーには面白い部分が見当たらず、タクヤとさくらが上達していく様子も、荒川と五十嵐との睦まじい関係も、平板に流れていくのみだ。終盤の顛末とラストの処理に至っては、作り手が息切れしたのではと思わせるほど盛り上がりに欠ける。

 監督の奥山大史は脚本のほか撮影や編集まで手掛けているが、それが却って映画青年が気負い過ぎて作ったような雰囲気を醸し出していて愉快になれない。荒川役の池松壮亮と相手役の若葉竜也はよくやっていたとは思うが、いつもの彼らの仕事ぶりを知る観客にとっては、特筆できるようなレベルではない。わずかに印象に残ったのが、さくらに扮する中西希亜良だ。アイスダンス経験者ということで、滑る姿が実にサマになっている。そして彼女は何と高名な作詞家のなかにし礼の孫であり、その整った外見も含めて期待できる人材かと思う。
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「ヒットマン」

2024-10-12 06:25:01 | 映画の感想(は行)
 (原題:HIT MAN )まるで面白くない。題材こそ興味深いが、映画としてはそれを全然活かしきっていない。筋書きは要領を得ないばかりか、テンポも悪い。ならば各キャラクターが屹立しているのかというと、感情移入出来る登場人物が皆無というのだからやり切れない。ただし困ったことに、評論家筋ではウケが良いらしい。映画の好みというのは個人それぞれだというのは承知しているが、これほど他者の評価と接点が見出せないシャシンというのも珍しい。

 ニューオーリンズに住む大学教授のゲイリー・ジョンソンは、心理学と哲学を学生に教える一方、周囲には内緒で地元警察に技術スタッフとして協力していた。あるとき、おとり捜査のベテランであるジャスパー刑事が不祥事で突然職務停止になり、代わりにゲイリーが殺し屋に扮することになる。



 慣れない仕事に当初は戸惑っていた彼だが、結果は成功。これに味をしめたゲイリーは、それから各ターゲットに応じて“役柄”に徹することを楽しむようになる。ところが夫の殺害を依頼してきたマディソン・マスターズに殺し屋として接した彼は、思いがけず彼女に惚れてしまう。仕事の範囲を超えてマディソンと付き合うようになったゲイリーだったが、何と後日、マディソンの夫が何者かに殺害されるという事件が起きる。

 主人公の造型と彼が請け負う仕事の内容は、確かに面白い。ある程度実話を元にしたネタということだから、アメリカではこのような“職業”が実在するのだろう。しかし、その料理の仕方がなっていない。

 ゲイリーが変装や何やらで入念に“仕事”に対する準備を進め、それで任務を全うするというパターンは2,3回やる分には面白いのだろうが、この映画は延々とリフレインする。しかも、毎回段取りと撮り方はほぼ一緒で、画面は徐々に弛緩するばかり。マディソンと出会うあたりでようやくドラマは動いてくるのだが、それから先もまたテンポが悪く緊張感のカケラも無いのだ。終盤の展開とラストの処理に至っては、観る者をバカにしているんじゃないかと思うほど工夫もカタルシスも不在である。

 リチャード・リンクレイター監督の仕事ぶりは2014年に撮った「6才のボクが、大人になるまで。」と同様、メリハリが不足。主演のグレン・パウエルは凡庸に見えるし、マディソンのアドリア・アルホナも魅力が出ていない。オースティン・アメリオやサンジャイ・ラオ、グラレン・ブライアント・バンクスといったキャストにも特筆できるものは見当たらない。
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「箱男」

2024-09-21 06:36:07 | 映画の感想(は行)
 安部公房による原作は読んでいないが、安部の他の著作は何冊か目を通したことがあり、その晦渋な作風は強く印象付けられた。たぶん「箱男」も、観念的・幻惑的な内容で映像化は困難な素材なのだろう。このネタに挑戦したのが“アクション派”の石井岳龍監督だというのは興味を惹かれた。果たしてどう料理してくれるのかと、少なからぬ期待を持ってスクリーンに向き合ったのだが、結果は空振りだ。別のアプローチを採用した方が良かったのではないだろうか。

 主人公の“わたし”は、段ボール箱を頭から被った姿で町をさまよう「箱男」である。彼は箱にあけられた小さな穴から世の中を見渡し、その想いをノートに記述していく。「箱男」は世の中の雑事から解き放たれ、究極の自由を手に入れたかに見えた。しかし、そんな彼を勝手に模倣しようとする輩などが現われ、「箱男」の身辺には剣呑な空気が充満してくる。



 まず、原作は1973年に書かれており、実際映画も冒頭に当時の世相に言及しているのだが、本編の大半はその前提を完全無視していることは、明らかに失当だ。さらに、序盤に主人公を狙う正体不明の人物たちが現われるのだが、これ以降は見当たらなくなる。何のために採用したモチーフなのかさっぱり分からない。

 “わたし”に纏わり付いて「箱男」の存在を乗っ取ろうとするニセ医者が出てきたり、“軍医”と呼ばれるラスボスめいた初老の男が勿体ぶって登場したりと、物語は多様性を示しているようで筋の通った展開には行き着かない。主人公が書き綴っているノートが何らかのメタファーなのかと思われるが、真相は不明。

 石井の演出は段ボール男同士の格闘場面などに持ち味の片鱗は窺えるが、それ以外は要領を得ない。この際だから開き直って、「箱男」たちが体術を駆使して暴れ回るバイオレンス巨編として換骨奪胎してしまった方が良かったのかも(笑)。主演の永瀬正敏をはじめ、浅野忠信に佐藤浩市、渋川清彦、中村優子、川瀬陽太と濃い面子を集めてはいるが大して機能しているようには思えない。

 唯一強烈な印象を受けたのが、ニセ医者の助手を演じた白本彩奈だ。まだまだ演技は硬いが、極上のルックスと醸し出されるエロティシズムで観る者の目を奪う。これからも映画に出てくれるかどうかは不明だが、作品を追いたくなるような素材ではある。
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「フォールガイ」

2024-09-09 06:21:23 | 映画の感想(は行)
 (原題:THE FALL GUY)とても楽しめた。スタントマンを主人公に設定すると、当然のことながら映画の裏事情をネタとして採用しなければならない。だからストーリー作成に関するハードルは高いのだ。本作はそのあたりが上手く処理されていると同時に、アクション・コメディとしても水準をクリアしている。もっとも、洋画後退のトレンドの中にある日本の興行界では大ヒットは望めないと思うが、この明るい雰囲気はサマーシーズンの番組としては適切だ。

 腕の良いスタントマンのコルト・シーバースは、撮影中の事故によるケガのため一線を退いていたが、ようやく回復し復帰作の現場に赴く。そこで監督を務めていたのは元恋人のジョディ・モレノで、いまだにコルトは彼女に未練がある。そんな彼にプロデューサーから突き付けられたオーダーは、突如失踪した主演俳優トム・ライダーを探すことだった。仕方なくトムの行方を追うコルトだが、図らずもヤバい事件に遭遇してしまう。



 80年代のテレビドラマ「俺たち賞金稼ぎ!! フォール・ガイ」の映画版だということだが、私は元ネタは知らない。だが、それでも本作の理屈抜きの興趣は十分伝わってくる。基本的には、元カノに未練たらたらの野郎がヨリを戻すため奮闘するという単純かつ普遍性の高い話だ。その設定を映画製作のバックステージ物に放り込み、いろいろとエゲツないモチーフを(ライト路線を保ったまま)散りばめるという方向性は正しい。これならばスタントマンという主人公の造型の特殊性が薄まり、平易な面白さを獲得できる。

 それでも、ハリウッドの映画作りの阿漕と思われる点は大々的にフィーチャーされている。まず、クランクインしているのに主役がいないというシチュエーションは呆れるが、これには観客を納得させるだけの“事情”が用意されており、そこにコルトが巻き込まれる筋書きに不自然さがあまりない。

 しかも、主人公が被った事故の“真相”も実に怪しいというネタまである。撮影現場は賑々しいがどこか隙間風が吹いており、この程度のシャシンでも客は十分呼べると踏んでいる製作会社の夜郎自大ぶりも強調される。アクション場面は大味ながら、観る側に突っ込むヒマを与えないほど畳み掛けてくる。クライマックスはもちろんロケ現場の“特徴”を活かしたコルトの大活躍だ。

 監督のデイヴィッド・リーチもスタントマン出身だけあって、見せるツボを心得ているように思う。主演のライアン・ゴズリングをはじめ、ジョディ役のエミリー・ブラント、さらにウィンストン・デューク、アーロン・テイラー=ジョンソン、ハンナ・ワディンガム、テリーサ・パーマー、テファニー・スーら脇の面子も良い仕事をしている。
コメント (1)
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「ぼくの家族と祖国の戦争」

2024-09-06 06:21:47 | 映画の感想(は行)
 (原題:BEFRIELSEN)これはかなり厳しい映画だ。第二次大戦中のエピソードの一つを取り上げた実録物だが、それだけでも戦争の理不尽さをイヤというほど印象付けられる。特に、戦況とヒューマニズムの相克という価値観が揺れ動く事象を、ある一家の行動を中心に描くという方法論は出色だ。ロバート賞(デンマーク・アカデミー賞)の各部門にもノミネートされている。

 第二次大戦末期の1945年、いまだドイツに占領されていたデンマークに、敗色濃厚なドイツから難民が押し寄せてくる。地方都市ノルドフュンも同様で、当地の市民大学の学長ヤコブは大勢の難民を学内に受け入れるようドイツ軍司令官に命じられる。だが、困窮している難民たちを助ければ周囲から裏切り者と見なされるのだ。とはいえ、何とか援助してやらなければ多くの難民が飢えや感染症で命を落とす結果になる。そんな中、ヤコブの12歳になる息子セアンは難民の少女と仲良くなるが、彼女は感染病に罹り危篤状態になってしまう。



 誰だって、困っている人々が目の前にいれば助けたくもなる。しかし、それが“敵国”の構成員ならばどうか。もちろん難民には罪は無い。だが、一方から見れば戦争の当事者であろうが無辜の市民だろうが、“敵国”に所属していることに関しては同じなのだ。主人公の一家は純粋に人道的立場から難民を支援する。しかし、それを利敵行為だと即断してしまう者たちは圧倒的に多い。そんな道理の通らないことを形成してしまうのが、すなわち戦争というものなのだ。

 脚本も担当したアンダース・ウォルターの演出は力強く、ヤコブたちが被る過酷な運命をドラマティックに描出する。特に、病気の少女を抱えてヤコブとセアンが病院に急ぐシークエンスの盛り上がりは素晴らしい。そして何より、いわば“自国の黒歴史”とも言える出来事を堂々と取り上げた果敢な姿勢には感服するしかない。

 ヤコブに扮するピルウ・アスベックは、状況に苦悩しながらも正しいと思う道を決然と歩くキャラクターを力演している。妻のリスを演じるカトリーヌ・グライス=ローゼンタールのソフトな雰囲気も良い。子役のモルテン・ヒー・アンデルセンをはじめラッセ・ピーター・ラーセン​、ペーター・クルトといったキャストは馴染みは無いが、皆良いパフォーマンスだ。ラスムス・ハイゼのカメラによる深みのある映像も要チェック。
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「化け猫あんずちゃん」

2024-08-16 06:26:05 | 映画の感想(は行)
 普段ならば鑑賞対象にならない分野の映画なのだが、山下敦弘が演出に参加しており、しかも脚本がいまおかしんじという盤石の布陣。世評も悪くないので観てみた。しかし結果は空振りだ。何やら最初から作り方を間違えているような様子で、最後まで面白さを見出せなかった。一応“夏休み番組”のアニメーション映画ということなので、それらしいモチーフを無理矢理にくっ付けたせいかもしれない。

 南伊豆の山あいにある草成寺の住職の息子の哲也が、11歳の娘かりんを連れて20年ぶりに戻ってくる。哲也は妻の柚季を亡くしてから自堕落な生活に終始して借金が嵩み、かりんを寺に預けるとすぐに金策のために出奔する。かりんの面倒を見ることになったのは、寺に居着いている“あんず”と名付けられた化け猫だ。あんずは30歳はとうに過ぎているが、人間の言葉を話して人間のように暮らしている。実は寺の周辺には魑魅魍魎が生息しており、かりんはあんずを通じてそれらと付き合うハメになる。



 かりんのキャラクターはけっこうワガママで、周囲を引っかき回してばかりだ。ところがいましろたかしによる原作コミックには彼女は登場しないらしい。原作は読んだことは無いが、たぶんあんず及び妖怪たちと住職らが織りなすノンビリとした日々を、脱力的なタッチで綴ったものだと想像する(違っていたらゴメン ^^;)。

 ところが映画版は夏休み映画として若年層の観客をも意識しなければならず、観る者にとって“感情移入が容易だ”と送り手が合点した子供の登場人物を主人公として設定したのではないだろうか。事実、かりんが出発点として巻き起こる騒動は無理筋で、特に“あの世”とのコンタクトを描く部分は話が破綻している。

 それでもアニメーション技術に見るべきものがあれば納得するが、これも不発だ。本作はあんずの声を担当する森山未來をはじめとするキャストの“実写映像”をもとに作画するという、いわゆるロトスコーピングが採用されているが、メインの監督である久野遥子はそれを活かしているとは言いがたい。どう見ても普通のアニメだ。青木崇高に市川実和子、宇野祥平といった多彩な声の出演陣をも揃えているのに残念だ。なお、鈴木慶一(住職の声も担当)による音楽と佐藤千亜妃による主題歌は悪くないと思った。
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「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」

2024-08-12 06:33:58 | 映画の感想(は行)
 (原題:FLY ME TO THE MOON)巧みな脚本で、感心させられた。史実とフィクションとを絶妙にブレンドさせ、しかも決してシリアスなタッチやネガティヴな方向性に振られることは無く、前向きなコメディに仕上げられていることに舌を巻いた。展開もスムーズで、2時間を超える尺ながら一時たりとも退屈することない。鑑賞して良かったと思える快作だ。

 1969年、アメリカ航空宇宙局(NASA)は人類初の月面着陸を目指すアポロ11号の打ち上げを控えていたが、それまでのアポロ計画は順調に進んでいなかったため、国民の関心はイマイチの状態であった。とはいえ当時のニクソン政権の対ソ連政策もあり、今回のミッションは失敗が許されない。そこで大統領直属のスタッフであるモー・ブルクスは、マーケティングのプロであるケリー・ジョーンズをNASAに雇用させる。さらにモーは計画が失敗した場合の“保険”として、月面着陸のフェイク映像が作成されることをケリーに告げる。一方、NASAの発射責任者コール・デイヴィスは、ケリーのPR担当としてのエゲツない遣り口に反発する。



 基本的に欲得尽くで動くケリーと、堅物の研究者であるコールとは水と油だが、スクリューボール・コメディの常道でこういうカップルは意外と上手くいくものだ。そして黒幕みたいなモーという存在もあり、ドラマの御膳立ては万全である。本物のアポロ計画が試行錯誤を経て進んでいくと同時に、フェイクながら完璧な映像作品を仕上げようとする“裏”のスタッフたちの奮闘も進むという構成は、興味深くもスリリングだ。

 こういうネタでまず思い出されるのがピーター・ハイアムズ監督の「カプリコン・1」(77年)だろう。しかし本作はあの映画のようなシニカルなサスペンス劇ではなく、真っ当な娯楽作になっているところが天晴れだ。グレッグ・バーランティの演出は堅実だが、それ以上にローズ・ギルロイの手によるシナリオが光っている。散りばめられた伏線が終盤で次々に回収されていくプロセスは、まさに映画的な興趣が尽きない。

 主演のスカーレット・ヨハンソンとチャニング・テイタムは絶好調で、演技面でも見た目も申し分ない。モー役のウディ・ハレルソンの胡散臭さも捨てがたいし、ジム・ラッシュにアンナ・ガルシア、ドナルド・エリース・ワトキンズ、ノア・ロビンズ、レイ・ロマノら脇の面子も良い仕事をしている。
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「ビバリーヒルズ・コップ アクセル・フォーリー」

2024-08-04 06:34:26 | 映画の感想(は行)

 (原題:BEVERLY HILLS COP:AXEL F)2024年7月よりNetflixから配信。御存知エディ・マーフィ主演によるヒットシリーズの第4作。前回から30年の月日が経っているが、やっていることは相変わらずだ。違うことといえば、さすがに主人公は年を取って定年間近だということか。しかし、彼自身の体型が大きく変化したとか、やたら老け込んだということも無いので、けっこう安心して観ていられる。

 かつて高級住宅街ビバリーヒルズに勝手に“出張”して数々の難事件に挑んだデトロイト市警の名物刑事アクセル・フォーリーは、カリフォルニア州ロスアンジェルス郡にて弁護士を務めている娘のジェーンが直面している案件をフォローするために、今回も彼の地に乗り込んでくる。その一件とは、麻薬の密売に手を染める悪徳警官の罠にはまって窮地に陥ったアクセルの旧友ビリー・ローズウッドの弁護である。地元のマフィアと結託して私服を肥やすビバリーヒルズ署のケイドは、デトロイトからやってきた型破りな刑事をその娘ともども片付けようとするが、アクセルのポテンシャルは周囲の予想を超えていた。

 本作での主人公の相棒は、若手刑事でジェーンと良い仲になっているボビーだが、たちまちアクセルのペースに巻き込まれて無茶をやらかすのがおかしい。ビリーやジョン・タガートといった昔の仲間との交流に加え、妙齢の娘を持つ父親としての主人公の立場も描かれる。こういうドラマの基本線を押さえておけば、よっぽど脚本が破綻していない限り、それなりに楽しめるのだ。

 敵方の手口はエゲツないが、さほど新味は無い。アクセルが程度を知らない大暴れを見せるのも“お約束”だ。でも、こういった御膳立てのシリーズ物ならばそれで良いと思う。ヘタに変化球を組み入れると、失敗する可能性も出てくる。マーク・モロイの演出は取り立てて才気走ったところは無いが、派手なアクションシーンは難なくこなしているし、ドラマは停滞せずにスムーズに進む。

 マーフィ御大はいつも通り(笑)。ジャッジ・ラインホルドにジョン・アシュトンらの常連や、ジェーン役のテイラー・ペイジ、ボビーに扮するジョセフ・ゴードン=レヴィット、悪役のケヴィン・ベーコンら、無駄なキャストは見当たらない。特別に面白さを期待するようなシャシンではないが、活劇編の定番としての価値はあるだろう。
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