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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「こちらあみ子」

2022-10-16 06:16:40 | 映画の感想(か行)
 容赦の無い描写の連続で、実に観ていて“痛い”映画である。同じ子供を主人公にした作品でも、先日観た「サバカン SABAKAN」のような偽善的なシャシンとは格が違う。子供なりの“生き辛さ”が前面にクローズアップされ、私をはじめとする大人の観客がとうの昔に忘れたはずの屈託が、生々しく提示される。好き嫌いは分かれるかもしれないが、見応えのある力作と言える。

 広島県の海沿いの町で暮らすあみ子は少し風変わりな小学5年生。優しい父親と、書道教室の先生で妊娠中の母、そして面倒見の良い兄の4人家族だ。ところが赤ん坊はとうとう産まれなかった。そして母を慰めるつもりで取ったあみ子の軽率な行動が、逆に母に大きな心理的ショックを与えてしまう。そんな状況に嫌気がさした兄はグレて家に寄り付かなくなり、父はオロオロするばかりで何の役にも立たない。やがて時が経ちあみ子は中学生になるが、相変わらず周囲から浮いた存在のままだ。芥川賞作家である今村夏子が2010年に上梓したデビュー作の映画化である。



 有り体に言ってしまえば、あみ子はたぶん発達障害だろう。他者との距離感が、まったく掴めない。自分ではよかれと思っている言動も、それが他人にどう思われるのか想像できない。ただ、誰も相手にしてくれない境遇を表現するかのように、誕生日にもらった電池切れのトランシーバーに“応答せよ、応答せよ。こちらあみ子”と話しかけるだけだ。

 これを“特定の問題を抱えた子供に限定したようなハナシだろう(こちらには関係ない)”と切り捨てられる者がいるとすれば、それはそれで結構なことである。しかし、思うようにいかない子供時代を少しでも経験した人間ならば、あみ子の立ち位置はシャレにならないほど切迫していることが分かる。

 そして、映画はあみ子に対して甘い顔は一切見せない。逆境に次ぐ逆境を冷徹に描くだけだ。その思い切りの良さは観ていて清々しいほどである。もちろん、ヒロインがどんなに面白くない目に遭おうとも、人生はこれからも続いていくのだ。その意味では、とてもポジティヴな作品でもある。

 これが長編デビュー作になる森井勇佑の演出は堅牢で、向こうウケを狙うような素振りは見せない。ドラマを一つ一つ積み上げるだけで、その姿勢は評価に値する。あみ子に扮する大沢一菜は怪演と言うしかなく、目覚ましい存在感を発揮している。母親役の尾野真千子は奇しくも「サバカン SABAKAN」にも出ているが、こっちの方が遥かに訴求力が高い。父親を演じる井浦新も好調だ。舞台になる広島の町も風情があって実によろしい。
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「彼女のいない部屋」

2022-10-08 06:22:33 | 映画の感想(か行)
 (原題:SERRE MOI FORT)これは一筋縄ではいかない映画だ。このトリッキィな作劇を敬遠してしまう観客も少なくないとは思うが、私は楽しめた。映画の中心的主体の選定によっては、あえてロジカルな御膳立てをする必要は無いケースもあり得る。もちろんその際は用意周到な仕掛けが不可欠なのだが、本作は上手くいっていると思う。

 主人公クラリスはテーブル上に裏返しに並べられたポラロイド写真を使って“ひとり神経衰弱”みたいなことをするのだが、絵柄が揃わずに最後には写真を全て放り投げてしまう。そして荷物を車に詰め込み、家を出て行くのだ。残された夫のマルクと2人の子供は、これから彼女がいない日々を送ることになる。



 娘のリュシーはピアノを習っており、クラリスが運転する車のカーステレオからはリュシーが弾くピアノを録音したテープの音が流れていた。だが、やっぱり子供たちのことが気になるクラリスは、それからも時折元の家の前を通り彼らの姿を目で追うのだった。しかし、ここで雪山での遭難事故という全く関係が見出せないシークエンスが唐突に挿入され、映画は脈絡の無い展開に突入する。

 本編のほとんどがクラリスの主観(および心情)に基づいて進む。そのような設定を採用すると、必ずしも筋書きを合理的に処置する必然性は存在しない。だが、そこには確固としたメインプロットが必要で、それが無ければドラマは空中分解する。本作の場合そのプロットは最初は判然としないが、姿を現す後半になると俄然興趣が増す。それを具体的に書くとネタバレになるので控えるが、とにかく人間が生きていく上で時には“もうひとつの現実”を自己の中に創造しなければならない場合があるという、ある意味真実を提示しており、この作者のスタンスには説得力がある。

 フランスの俳優マチュー・アマルリックが監督・脚本を手がけた長編第4作で、第74回カンヌ国際映画祭の“カンヌ・プレミア部門”に選出された意欲作だ。97分という短めの尺は最適だし、クラリスを演じるヴィッキー・クリープスの圧倒的なパフォーマンスもあり、鑑賞後の印象は良好だ。アリエ・ワルトアルテやアンヌ=ソフィ・ボーエン=シャテ、サシャ・アルディリ、ジュリエット・バンブニストといった他のキャストは馴染みが無いがいずれも良い仕事をしている。クリストフ・ボーカルヌのカメラによるクールな画面造型も忘れがたい。
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「グッバイ・クルエル・ワールド」

2022-09-30 06:20:33 | 映画の感想(か行)
 これはちょっとヒド過ぎる。まったく映画になっていない。まさにタイトル通り早々に“グッバイ”したくなるようなシャシンだ。監督の大森立嗣は出来不出来の幅がある作家だが、今回の仕事ぶりは下から数えた方が早い。ネット上では“寝たという声が多かった”とか“途中退場する客がいた”とかいうコメントがあるが、それも頷けるほどの内容だ。

 覆面姿の5人組が、ラブホテルで秘密裏に行われていたヤクザの資金洗浄現場を急襲し、大金を強奪する。彼らは犯行後金を山分けして日常生活に戻るのだが、ヤクザ組織も黙っておらず、裏金で飼い慣らした現役刑事を伴い強盗団を追い掛ける。さらには分け前をもらえなかった強盗組織の一人も、逆ギレして凶行に走ろうとする。

 この“ヤクザの金を横取りした連中と、取り戻そうとするヤクザとの抗争”という設定は、石井隆監督の快作「GONIN」(95年)を彷彿とさせるが、本作はあの映画の足元にも及ばない。展開は間延びして緊張感が希薄、かつ突っ込みどころ満載。キャラクター設定はいい加減で誰一人として共感できる者がいない。さらにはアクション場面はデタラメの連続(たとえば、白昼堂々と素人がショットガンを撃ちまくるというシーンは勘弁して欲しい)。これほどホメるべきポイントが見つからない映画も珍しいのではないか。

 かと思えば、バックに流れる音楽がボビー・ウーマックなどのブラック・ミュージックだったり、主人公たちが乗るクルマが古いアメ車だったり、ハネっ返りの若い男女二人組が無茶をやらかしたりと、明らかにクエンティン・タランティーノ作品をパクっているあたりが痛々しい。別にヨソの映画を“参考”にするなと言いたいわけではないが、これほどの芸の無さには呆れるしかない。

 脚本担当の高田亮は「さよなら渓谷」(2013年)や「そこのみにて光輝く」(2014年)などで知られるが、今回の不調はこちらが心配するほどだ。主演の西島秀俊をはじめ、斎藤工に宮沢氷魚、玉城ティナ、片岡礼子、螢雪次朗、奥田瑛二、鶴見辰吾、そして監督の実弟である大森南朋など、キャストはかなり豪華。だが、いずれも機能していない。特に強面とは程遠い西島が元ヤクザというのは、無理筋にも程がある。ラストの処理もまったく釈然とせず、落ち込んだ気分で劇場を後にするしかなかった。
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「この子は邪悪」

2022-09-24 06:12:23 | 映画の感想(か行)
 開巻数十分までは面白くなりそうな雰囲気は醸し出していた。だが、ドラマの概要が見え始めると次第に鑑賞意欲が減退。後半になるとストーリーの迷走が止まらず、終盤は観客を無視したような処理が罷り通り、呆れ果てて劇場を後にした。このシャシンがオリジナル作品の企画コンテストで入選したネタを元にしているというのだから、脱力するしかない。

 甲府市で心理療法室を開業している窪司朗は、妻と2人の娘と平穏に暮らしていた。だがある日、交通事故に遭い重傷を負う。妻は昏睡状態に陥り、何年も意識が戻らない。次女は顔に重度の火傷を負い、五体満足なのは長女の花だけだ。彼女はひょんなことから高校生の四井純と知り合い、仲良くなる。彼は母親が心神喪失状態で、その原因を探っているという。そんな時、司朗が5年ぶりに目を覚ましたという花の母を家に連れて帰ってくる。久々の一家団欒が戻ると思われたが、花は以前の母とは違う雰囲気に戸惑っていた。

 久々に再会した親が“本物”なのかどうか分からず、一方で町では心神耗弱状態に陥る者が目立つようになる。この御膳立ては悪くない。うまく作れば訴求力の高いサスペンス物に仕上がったはずだ。しかし、途中から無理筋のモチーフが乱立するようになり、ラストで明かされる“事の真相”は、あまりにもトンデモで白けてしまう。

 この結末に持って行こうとするならば、当初からもっと大風呂敷を広げるべきだ。そして、製作側にはそれをやってサマになる力量の持ち主が必要だった。ところが本作の監督である片岡翔(脚本も担当)には、その片鱗も見受けられない。彼は過去に「町田くんの世界」(2019年)というアレな内容の作品のシナリオを担当していたが、本作のレベルも同様だ。

 花に扮するのは南沙良で、こういう“心に傷を負った少女”を演じさせれば相変わらずの安定感を見せるが、欲を言えば今後は役柄の幅を広げた方が良いと思う。司朗役の玉木宏はミスキャストだろう。彼は“卓越した腕前を持つ医者”には見えない。もっと別に相応しい俳優がいたはずだ。純を演じる大西流星はジャニーズ系らしいが、あまり印象に残らず。

 なお、ラストショットで「この子は邪悪」という題名の意味が分かるのだが、正直“だからどうした”という感想しか持てない。とにかく、この企画にゴーサインを出した製作陣の姿勢には納得しがたいものがある。
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「キングメーカー 大統領を作った男」

2022-09-12 06:51:10 | 映画の感想(か行)
 (英題:KINGMAKER )見応えのある実録ポリティカルサスペンスで、この手のシャシンを作らせると韓国映画は無類の強さを発揮する。取り上げた題材といい、キャストの動かし方といい、苦みの効いた筋書きといい、すべてが及第点。また登場人物たちの言動を追っていくと、政治家の何たるかを改めて考えたくなる。その意味でも示唆に富んだ作品と言える。

 1961年、韓国東北部の江原道にある小さな薬局のしがない店長ソ・チャンデは、野心家で策略家という別の顔を持っていた。彼は野党の新民党に所属するキム・ウンボムの演説を聞いて感激し、早速ウンボムの選挙事務所に乗り込んで選挙に勝つための戦略を提案する。一同はチャンデを怪しむが、ウンボムはその思い切った選挙戦術を気に入って彼をスタッフとして採用する。



 その結果ウンボムは補欠選挙で初当選を果たしたのを皮切りに、瞬く間に党の有力者にのし上がる。だが、勝つためには手段を選ばないチャンデに、リベラル派のウンボムは次第に違和感を覚えるようになる。第15代韓国大統領の金大中と彼の選挙参謀だった厳昌録との関係を、事実を元にして描く。

 チャンデがいわゆる脱北者であることが大きなポイントになっている。自由と公正を求めて韓国に逃れてきたものの、そのプロセスは綺麗事など言っていられないほどのハードでシビアな側面があったことは想像に難くなく、彼の“目的のためならば汚いことでも平気でやる”というスタンスはそのあたりを起源としている。

 ところが、チャンデは理想主義を売り物にして支持を集めていたウンボムとは根本部分で相容れることは無い。結局は2人は袂を分かつことにもなるのだが、互いを完全に否定できないのも確かだ。この、理想と汚い現実とが並び立つことこそ政治そのものである。斯様な主題の組み立て方は図式的かもしれないが、激動の韓国の現代史をバックに描かれると興趣は増すばかりだ。

 それにしてもチャンデの遣り口はエゲツない。政敵の関係者になりすまして選挙違反をやらかすのは序の口で、とにかく“選挙に勝つには票を得るよりも、競争相手の票を減らすことが効果的”と嘯く確信犯ぶりはある意味痛快だ。その反面、自身は決して政治の表舞台には立てないことを自覚する悲哀も見せる。

 脚本も担当したビョン・ソンヒョンの演出は力強く、主人公2人がそれぞれの立場で正念場を迎え、それを乗り越える過程を畳み掛けるようなタッチで綴る。演じるイ・ソンギュンとソル・ギョングのパフォーマンスは万全で、特にイ・ソンギュンは「パラサイト 半地下の家族」とは全く異なる役柄を軽々とこなしているのは驚かされる。それにしても、韓国は“地域性”が大きくモノを言うことが改めて印象付けられた。政治の世界だけではなく、この区分けは文化面でも厳然としているのだろう。ドキュメンタリータッチのザラザラした画調も場を盛り上げる。
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「グレイマン」

2022-09-11 06:11:25 | 映画の感想(か行)
 (原題:THE GRAY MAN)2022年7月よりNetflixにて配信されているが、私は劇場公開されたものを鑑賞した。このコンテンツ製作会社のオリジナル作品としては最高金額を投入しただけあって、大作感は見事に出ている。スパイ・アクションとしても現在の007シリーズよりもヴォルテージは高い。観て損はしない出来かと思う。

 服役していたコート・ジェントリーはCIAにリクルートされ、凄腕の暗殺者シエラ・シックスとして数々のミッションをこなす。18年後、彼はバンコクで“仕事”を遂行した際に、ターゲットは本来仲間であるシエラ・フォーであることを知ってしまう。どうやらCIAが裏切って配下のヒットマンの“リストラ”を始めたらしく、シックスはフォーから手渡された機密データが入ったデータチップと共に行方をくらます。



 彼は信頼する元上司フィッツロイを頼るが、姪のクレアを人質に取られているため全面的な協力は得られない。本部長カーマイケルは、札付きのワルであるロイド・ハンセンとその一派を起用してシックスを追い詰めようとする。シックスはCIAエージェントのダニ・ミランダと共闘し、次々に襲いかかる敵の刺客を片付けながら、クレアを救出するため奔走する。

 雇われ工作員が当局側の裏切りに遭って命を狙われるという筋書きは、過去に何度となく取り上げられたので新味は無い。だが、圧倒的な物量投入と賑々しい演出、そしてワールドワイドに展開する舞台設定により、観ていてリッチな気分になってくる。マーベル映画お馴染みのアンソニー&ジョー・ルッソ兄弟監督の仕事ぶりは抜かりは無く、活劇シーンの盛り上げ方は並々ならぬものがある。特にウィーンの街で展開する大々的なカーチェイスは目を見張るばかりだ。

 主演のライアン・ゴズリングと敵役のクリス・エヴァンスは絶好調で、普通に考えれば2人合わせて百回は死んでいると思われるシチュエーションも軽々とくぐり抜け(笑)、傍若無人なバトルを繰り広げる。ミランダにアナ・デ・アルマスが扮しているのも嬉しい。「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」ではチョイ役だったが、今回は八面六臂の大活躍を見せる。

 ジェシカ・ヘンウィックにレジ=ジーン・ペイジ、アルフレ・ウッダード。ビリー・ボブ・ソーントンなど他の面子も万全だし、子役のジュリア・バターズも「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」に続いて存在感を発揮している。続編およびスピンオフの企画が進行中とかで、けっこう楽しみだ。
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「アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台」

2022-09-04 06:50:57 | 映画の感想(か行)
 (原題:UN TRIOMPHE )題材は面白そうなのだが、困ったことに似たようなネタを採用した作品にヴィットリオ&パオロ・タヴィアーニ兄弟監督による「塀の中のジュリアス・シーザー」(2012年)という突出した前例があり、それに比べれば本作はかなり見劣りがする。実話という条件を勘案しても、ヴォルテージの低さは否めない。

 主人公エチエンヌはベテランの俳優だが、風采が上がらず未だに大きな仕事を任せられたことは無い。そんな彼に、刑務所の囚人たちを対象とした演劇の指南役を依頼される。刑務所側としては知識豊富だがギャラは安くて済む彼の起用は好都合だったのだが、そんな境遇にもめげずエチエンヌは情熱的にミッションを遂行しようとする。



 彼はサミュエル・ベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」を演目に選び、日々囚人たちを指導するのだが、その努力が実り彼らの舞台は評判を呼び再演を重ねることになる。そしてついにはパリ・オデオン座から公演依頼が届く。スウェーデンの俳優ヤン・ジョンソンの実体験を元にしたシャシンだ。

 最大の不満点が、囚人たちがどうして演劇に興味を持ったのか、それが描けていないことだ。ここに出て来る囚人たちは、どう見ても演劇に興味を持つような教養を持ち合わせてはいない。単なる犯罪者だ。それが本職の俳優が指導したぐらいで演技に目覚めるものなのか、甚だ疑問である。前述の「塀の中のジュリアス・シーザー」では、生まれて初めて真の芸術に触れた囚人たちのカルチャー・ショックとそれに向き合う姿勢を鮮明に描出していたが、本作にはそのような興趣は無い。

 では何があるのかというと、エチエンヌの身の上話である。うだつの上がらない自身の役者人生と、家族に対する複雑な思いなどが切々と語られる。しかし、それが面白いかと言われると、賛同できない。冴えないオッサンの独白よりも、囚人たちを物語の真ん中に置く方が、数段興味を惹かれる展開が期待される。ラストの処理は事実に基づいているのだろうが、見ようによっては“結局、何だったんだ”というような気勢の上がらない感想しか持てなくなる。

 エマニュエル・クールコルの演出は可も無く不可も無し。少なくとも、タヴィアーニ兄弟のような才気は望むべくもない。主演のカド・メラッドをはじめ、ダビッド・アヤラにラミネ・シソコ、ソフィアン・カーム、ピエール・ロッタンなどのキャストはキャラクターとして弱い。ニーナ・シモンによる主題歌だけは良かった。
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「きっと地上には満天の星」

2022-08-27 06:22:46 | 映画の感想(か行)
 (原題:TOPSIDE )題材は面白そうなのだが、筋書きはイマイチだ。また、感情移入できる(大人の)キャラクターが見当たらないのも辛い。演出にも殊更才気走った部分は感じられず、90分という短い尺ながら、とても長く感じられる。ロマンティックな雰囲気もある邦題とは裏腹に、愛想の無い出来に終わってしまったのは残念である。

 シングルマザーのニッキーは、5歳の娘リトルと共にニューヨーク地下鉄の下に広がる廃トンネルでひっそりと暮らしていた。そこの住民は彼らだけではなく、社会からドロップアウトした連中が寝起きを共にしていた。ところがある日、廃トンネルで不法居住者の摘発が行われ、母娘は地上への逃亡を余儀なくされる。昔の知り合いをアテにして街をさまようニッキーだったが、生まれて初めて外の世界に出ることになるリトルは戸惑うばかり。そして、地下鉄の駅でリトルは母親と逸れてしまう。



 実在した地下コミュニティへの潜入記であるジェニファー・トスのノンフィクション「モグラびと ニューヨーク地下生活者たち」を原案にしたドラマだ。リトルの父親が誰なのかは最後まで明かされない。それどころか、この2人が本当の親子なのかどうかも判然としない。ニッキーはかなり身持ちの悪い女で、地下に潜る前にはロクな生活を送っていなかったことが暗示される。こんな母親に引っ張り回されるリトルにとっては、まったくもって良い迷惑だ。しかも、ニッキーが地下生活に追いやられた背景も説明されていない。

 リトルが見る外の世界は、“満天の星”どころか目眩を起こしそうになるほど情報過多でストレスフルな環境だ。映画はそれを表現するためか、手持ちカメラの接写を中心としたブレの激しい映像を連発させる。しかし、結果的にこれは観る者の目を疲れさせるだけだ。そんなことより、もっとニッキーの人物像を掘り下げることに注力すべきだった。また、ニッキー以外の地下生活者のプロフィールにもほとんど言及されていないのも不満である。

 ラストは一応の決着は付くのだが、彼女の無責任ぶりがクローズアップされるばかりで、結局は誰も救われない。監督はセリーヌ・ヘルドとローガン・ジョージの共同で、ヘルドはニッキー役で出演もしている。だが、展開は平板で評価出来るものではない。リトルに扮するザイラ・ファーマーは子供らしい可愛さを醸し出しているが、他のキャストについてはコメントする気にもなれない。デイヴィッド・バロシュによる音楽も印象に残らず。
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「帰らない日曜日」

2022-07-11 06:17:26 | 映画の感想(か行)

 (原題:MOTHERING SUNDAY)鑑賞後の充実感は大きい。イギリス映画らしい(?)品の良さと節度、そして外連味のない抑制の効いた展開と各キャストの健闘。さらには確かな時代考証に裏打ちされた上質の美術や衣装デザインなど、80年代後半から90年代前半に撮られたジェイムズ・アイヴォリィ監督の秀作群を想起させる格調の高さだ。

 1924年3月、英国の上流階級の屋敷に仕える使用人たちが一斉に里帰りを許される“母の日”の日曜日がやってきた。だが、ロンドン郊外のニヴン家に住み込みで働く若いメイドのジェーンは孤児院育ちだったため、帰る家はない。そんな彼女に、近くのシェリンガム家の息子ポールから、両家の昼食会の前に密かに会おうという誘いが入る。

 ポールは幼なじみのエマとの結婚が決まっていたが、ジェーンとも懇ろな仲であった。シェリンガムの邸宅で2人きりの時間を過ごした後、昼食会に出かけたポールを見送ってニヴン家に戻ったジェーンを待っていたものは、思いがけない知らせだった。ブッカー賞作家グレアム・スウィフトの小説「マザリング・サンデー」の映画化だ。

 映画は作家として名を成した老境のジェーンが、過去を回想するという形式で進む。彼女は一人で暮らしており、今でも孤独のように見える。しかし、ジェーンの胸中にいつもあるのは、あの劇的な日曜日の出来事だ。彼女の時間は、あの日で止まっている。しかし、決して彼女は不幸ではないのだ。たった一つでも忘れられない思い出があれば、人はそれを糧にして生きていける。そんな人生の機微を掬い上げた作者の着眼点と力量には、感服するしかない。

 ニヴン家には息子がいたが、第一次大戦に従軍した際に戦死している。シェリンガム家も、ポール以外の息子たちは戦地から帰ってこなかった。裕福だが、彼らの生活には確実に陰りが忍び寄り、いずれは時代の流れと共に消え去る運命だ。戦争の悲惨さと並行して、没落してゆく者たちへ挽歌を送るという、この仕掛けも上手い。エヴァ・ユッソンの演出はまさに泰然自若といった感じで、早くも巨匠の佇まいすら感じてしまう。ジェイミー・D・ラムジーのカメラによる英国の田舎の風景は痺れるほど美しく、モーガン・キビーによる音楽も的確だ。

 主役のオデッサ・ヤングは初めて見る女優だが、演技度胸の良さと複数の年代を演じ分ける実力には舌を巻いた。注目すべきオーストラリア出身の新鋭だ。ジョシュ・オコナーにオリヴィア・コールマン、コリン・ファース、そして老年に達した主人公に扮するグレンダ・ジャクソンなど、キャストは充実している。また、サンディ・パウエルによる衣装デザインには、いつもながら見入ってしまう。
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「恋する女たち」

2022-07-09 06:55:11 | 映画の感想(か行)
 86年作品。早い話が学園を舞台にしたラブコメなのだが、昨今のいわゆる“壁ドン映画”とは次元が違う出来である(とはいえ、最近のお手軽ラブコメをチェックしているわけではないので、正確な表現ではないかもしれないが ^^;)。スタッフの堅実な仕事ぶりとそれに応えるキャストの頑張りさえあれば、カタギの映画ファン(?)も納得させるだけの結果に繋がるのだ。

 高校2年生の吉岡多佳子は、友人の緑子の“葬式”に出席していた。緑子はショックな出来事に遭遇すると、勝手に自分の“葬式”を催し、周囲の者たちをそれに付き合わせるのだ。今回の“葬式”の原因は、片思いしていた二枚目の教育実習生に婚約者がいることを知ったからだった。その帰り道、クラスメートの汀子から好きな人がいると聞かされた多佳子は気が動転し、発作的にR15指定作品が上映中の映画館に飛び込んでしまう。



 だが、そんな多佳子に熱い視線を向ける者たちがいた。それは下級生の基志と、多佳子をモデルに裸婦画を描くことを狙っている美術部員の絹子だった。さらには彼女を憎からず思っている野球部員の沓掛勝もいて、多佳子をめぐる人間関係は慌ただしくなってくる。氷室冴子による同名小説の映画化だ。

 オフビートなキャラクターばかりが出てくるのだが、決して浮ついたタッチにはなっていない。これはやはり大森一樹監督(脚本も)の起用のたまもので、子供向けのシャシンではないのだ。各登場人物の内面は十分に掘り下げられており、突飛に思える彼らの行動も、実はそれなりの切迫した背景があることが平易に示されている。加えて、多佳子たちの会話がけっこう知的だ。

 表現には奇を衒ったところは無いが、含蓄がある。主演は斉藤由貴で、当時はNHKの朝ドラの主演もこなし、人気は絶頂にあった。そんな彼女に入浴シーンからラストは彼女の全裸図(笑)の披露までさせているのだから、プロデューサーの手腕は侮れない。

 大森の演出は快調で、テンポ良く彼女たちのハイスクールライフを綴っている。相楽晴子に高井麻巳子、柳葉敏郎、菅原加織、小林聡美といった濃すぎる級友役や、原田貴和子に川津祐介、星由里子、蟹江敬三などの脇の面子も光る。舞台になっている金沢の街の風景はとても魅力的だ。
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