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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「教育と愛国」

2022-06-27 06:14:36 | 映画の感想(か行)
 興味深いドキュメンタリー作品だ。しかし、私が興味を覚えた点は、おそらくは作者が狙っていた線とは違う次元の事柄だろう。映画に対する批評というのは、必ずしも作り手が主張したいテーマを中心として展開されるわけではないのだ。観る者によっては、そこから外れたモチーフに反応してしまうことがある。だからこそ、映画というのは面白いと言えるのだ。

 大阪の毎日放送に所属するディレクターの斉加尚代が、2006年の教育基本法の改正に端を発する教育現場への国家権力の介入を描いた番組「映像’17 教育と愛国 教科書でいま何が起きているのか」に、追加取材と再構成を施して映画版として仕上げたものだ。元のTVプログラムは、2017年のギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞している。



 2006年以降、戦後初めて学習指導要領に“愛国心”が盛り込まれ、道徳は“特別の教科”として位置付けられた。それと同時に、教科書検定制度に関して当局側からの目に見えない圧力が増し、現場の自主性は制限されていく。有り体に言ってしまえば、本作は教育問題を“左方向(リベラル方面)”から扱ったものだ。

 作者としては反動勢力によって教育や学問の自由が攻撃される様子を描きたかったのだろうが、あいにくこちらは斯様な図式には与しない。当局側の指示の通り、慰安婦問題をめぐり誤解を招くおそれがあるため“従軍慰安婦”ではなく単に“慰安婦”という記述が適切だし、戦時中の“徴用”をめぐっては“強制連行”や“連行”といった用語は避けた方が良い。そもそも、慰安婦問題に関しては当時政府当局や軍による強制連行の記録は存在しないという“事実”をもって、政府レベルでは“終わり”にすべき事柄なのだ。また、当事者の証言とやらも信用できるものではない。

 しかしながら、それでもこの映画は観る価値がある。それは、声高に愛国教育とやらを唱える者たちの胡散臭さを見事に活写しているからだ。

 大威張りで“戦後レジームを脱して美しい国日本を作ろう!”などと述べている政治家が国会で百回以上も虚偽答弁をしていたり、お偉い大学の名誉教授が“歴史から学ぶものは何もない”と言ってのけたり、改憲に積極的な政党の構成員が首長を務める自治体は、未曽有のコロナ禍の感染者数を記録していたりと、まさに“この界隈にはマトモな人間はいないのか!”と言いたくなる。

 どんなに高邁な理想を語っても、どんなに正論じみたコメントを残そうとも、そう述べる本人の普段の言動がロクなものではなかったら、信用するに値しないのだ。

 また、この映画は日本を覆う反知性主義にも警鐘を鳴らす。例の日本学術会議問題に代表されるように、憂国・愛国界隈に属している者、およびそれを支持している層は、たぶん学術書など読んでもいない。威勢よく“憲法を改正しろ!”と叫ぶ者も、憲法の条文に目を通したことは無いのだろう。知識・教養を軽視すれば、亡国への道をまっしぐらだ。

 斉加の演出は時として話が脇道に逸れる傾向があるものの、概ね真摯に映画に向き合っている。井浦新によるナレーションも的確だ。観る者によって意見は分かれるかもしれないが、幅広い層に奨めたい作品であることは論を待たない。
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「コーダ あいのうた」

2022-05-30 06:25:50 | 映画の感想(か行)

 (原題:CODA)まったく期待していなかったが、実際観てみると面白い。ハリウッドがアメリカ以外の映画をリメイクすると、元ネタよりも劣化するというのが常だったが、本作に限っては違う。もっとも、原作である2014年製作のフランス映画「エール!」がさほど出来が良くなかったせいもあるが(苦笑)、それでもウェルメイドに徹したこの映画の評価が下がることはない。

 マサチューセッツ州グロスターに住む高校生ルビー・ロッシの家庭は、両親と兄の4人暮らし。家業は漁業で、ルビーは毎日欠かさず手伝っていた。しかし、彼女以外の家族は耳が聞こえない。ルビーは一家の“耳代わり”を務めてきたが、新学期に転機が訪れる。ふとしたきっかけで合唱部に入ったルビーの歌声を聴いた担当教師のヴィラロボスは、その素質を認めてボストンのバークリー音大への進学を奨める。当然のことながら、家族は猛反対。ルビーは決断を迫られる。

 「エール!」との違いが、すなわち本作の評価ポイントになる。まず、元ネタの舞台が農村だったのに対し、この映画は漁港だ。海に面し、人の行き来も多い土地柄は、進取の気性を醸成させる。ヒロインの境遇にもマッチしていると言えよう。そして主演のエミリア・ジョーンズは「エール!」のルアンヌ・エメラより、歌が上手い。もちろん完成された熟達ぶりではないが、才能は感じさせ訴求力は高いと思う。

 また、本作はボーイフレンドとのラブコメ場面が「エール!」よりも抑えられており、作劇をスムーズに進める上で有利である(笑)。脚色も担当したシアン・ヘダーの演出は申し分なく、これ見よがしのケレンは無く的確にドラマを進めていく。

 脇のキャラクターでは父親のフランクが最高。下ネタ連発の傍若無人で食えないオヤジながら、誰よりも家族のことを思っている。演じるトロイ・コッツァーは第94回米アカデミー賞で聴覚障害を持つ俳優として初めて助演男優賞を獲得したが、彼の受賞は決してハンデを背負ったものに対する“依怙贔屓”ではないことを強調しておきたい。

 母親役のマーリー・マトリンは久しぶりにスクリーン上で目にしたが、まず彼女以外のキャスティングは考えられないだろう。演技も確かなものである。ダニエル・デュラントにエウヘニオ・デルベス、フェルディア・ウォルシュ=ピーロといった脇の面子も良い。正直言ってこの映画がオスカーを受賞したのは意外であったが、混沌とした時代だからこそ、このような地に足がついた家庭劇の存在感が増すのかもしれない。
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「交渉人」

2022-03-26 06:51:59 | 映画の感想(か行)

 (原題:The Negotiator)98年作品。2人の人質交渉人(ネゴシエーター)が対峙するという映画。公開時の惹句が“IQ180の駆け引き”というものであったが、正直言って“それ、2人合わせてIQ180ではないのか?”と思ってしまった。斯様に本作には頭脳戦の要素は希薄だ。しかしながら主役2人の存在感は光っており、何とか最後まで映画を見せ切っている。

 シカゴ警察の人質交渉人のローマンは、相棒のネイサンから警察の年金基金を何者かが横領しているらしいとの噂を聞く。やがてネイサンは殺害され、あろうことかローマン自身に容疑が掛かっていまう。切羽詰まった彼は、連邦政府ビルの内務局に乗り込み、居合わせたスタッフたちを人質にして立てこもる。真犯人は同じ警察署の内部にいることは確実であるため、ローマンは別地区のトップ交渉人セイビアンを指名するという思い切った策に出る。

 ハッキリ言って、この“別の所轄の交渉人を相手にする”という方法以外に、頭脳戦らしい仕掛けは見当たらない。何やら微温的な展開に終始し、ピリッとしないまま終わる。そもそも、いくら自らは潔白だといっても、人質を取っての大立ち回りをやらかしてはタダでは済まないだろう。この“追われながら犯人を捜す”という筋書きは、ヒッチコック作品をはじめ過去に多くの実例があるのに、どうして交渉人同士のやり取りという、活劇場面が少なくなりそうな設定を起用したのか不明だ。

 とはいえ、主役のサミュエル・L・ジャクソンとケヴィン・スペイシーの濃い面構えを見ていると、それほどケナすようなシャシンではないとも思ってしまう。F・ゲイリー・グレイの演出は堅実ではあるが、2時間20分も引っ張るようなネタではない。あと30分ぐらい削って、タイトに仕上げてほしかった。デヴィッド・モースにロン・リフキン、ジョン・スペンサー、J・T・ウォルシュ、ポール・ジアマッティといった他の面子は悪くない。

 余談だが、人質とローマンが籠城する緊迫した空気の中で、西部劇の名作「シェーン」に関するネタがやり取りされる場面はウケた。あのラストシーンにおいて、シェーンはすでに死んでいたのか否か。少年の呼びかけにまったく応えないし、向かう先は墓場ではないか・・・・etc。そんなことを真剣に話し合うこと自体、けっこう笑えるものがある。
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「国境の夜想曲」

2022-03-12 06:49:35 | 映画の感想(か行)
 (原題:NOTTURNO)ジャンフランコ・ロージ監督の前作「海は燃えている イタリア最南端の小さな島」(2016年)を観たとき、ドキュメンタリー映画でありながら、かなり作為的な構造をしていることに違和感を覚えたものだ。フィクショナルなモチーフを採用することで作劇にメリハリを持たせようとしたのかもしれないが、結果として不発だったように思う。残念ながら今回の作品も同様で、極度に“引いた”撮り方をしていることもあり、その裏に控えている場違いな物語性が強く印象づけられる。

 撮影期間は約3年で、ロケ地はイラクやクルド人居住地域、シリア、レバノンなどの国境地帯だ。紛争などの情勢により、理不尽な状況に置かれている人々をカメラは捉える。ロージ監督は通訳も伴わずに、一人で取材したらしい。被写体になる人々の環境は筆舌に尽くしがたく、容赦なく命が削られる様子は観ていて実に辛い。しかし、しばらく観ているうちに演出過剰な点が鼻についてくる。



 軍隊の隊列を組んでの走行訓練風景や、家計を支えるため鳥の狩猟の助手アルバイトをする少年の姿、そして精神病棟で行われる入院患者によるイデオロギー色満載の演劇の練習風景。作者にとっては、対象物をありのままに撮影したに過ぎないのかもしれないが、観る側としてはヤラセとしか思えない。

 もっとも、それが描写自体優れたものであるのならば文句は無い。ところがこれがどうも万全ではないのだ。どれも描写が弛緩している。特に精神病棟内の舞台稽古の場面など、似たようなスタイルを持ったヴィットリオ&パオロ・タヴィアーニ監督の傑作「塀の中のジュリアス・シーザー」(2012年)の足下にも及ばない。

 そして、映像が場違いなほど美しい。遠くに響く銃撃音をバックにした湿地帯の風景など、思わず見入ってしまう。だが、これもいたずらにドキュメンタリー映画としてのテイストを減退させる要素にしかなっていない。つまり少しもリアルではないのだ。

 そもそも、劇中にはナレーションはもちろんテロップさえ挿入されていないのは不親切である。ロケ地はどこで、どういうシチュエーションで展開されているのか、そんな最低限の情報提示さえ行なわずに観客の想像力に丸投げしているというのは、どうも愉快になれない。これではただのイメージ映像の羅列ではないか。ともあれ、フィクションとノンフィクションとの線引きが(悪い意味で)曖昧な本作は、個人的に評価する気にはなれない。
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「声もなく」

2022-03-05 06:18:13 | 映画の感想(か行)
 (原題:VOICE OF SILENCE)食い足りない部分も目立つ韓国製サスペンス劇だが、国情を上手く表現しているし、各キャラクターも“立って”いる。そして、これが第一作目の新人監督の作品にしては大きな破綻もなく、ストレスなく楽しめるのは評価して良いだろう。2021年の第41回青龍賞で主演男優賞と新人監督賞を受賞している。

 田舎町で卵の移動販売業を営む口のきけない青年テインと片足が少し不自由な中年男チャンボクには、裏の顔があった。2人は犯罪組織から依頼を受け、死体を処理して山奥に埋めることで報酬を得ていた。ある日、テインたちは暴力団のボスであるヨンソクに頼まれ、身代金目的で誘拐された資産家の11歳になる娘チョヒを一日だけ預かることになる。



 ところが、ヨンソクは別の組織によって殺されてしまい、テインはチョヒの面倒をずっと見るハメになる。こうしてテインの“妹分”である7歳のムンジュも加えて3人で家族のような生活が始まるが、身代金を横取りしようとしたチャンボクは事故で死亡し、テインは単独でこの一件に向き合うことになる。

 リュック・ベッソン監督の「レオン」や、近作ではホン・ウォンチャン監督の「ただ悪より救いたまえ」などと似た設定ではあるが、少女の面倒を見るのが凄腕の犯罪者ではなく、気弱な若造である点が目新しい。チョヒはよく出来た子で、豚小屋みたいなテインの住処をあっという間に小綺麗で快適な空間に変えてしまうのは笑えるが、この疑似家族はチョヒが主導権を持っている。ところがそれは、女子を家庭に縛り付けようとする彼の国の風習の暗喩である点に注意すべきだ。

 チョヒの親は娘を大事にしておらず、身代金を出すことを渋る始末。ムンジュも実の親には簡単に捨てられたようだ。さらに、農家の夫婦がまったく罪悪感もなく子供の人身売買に手を染めている様子も描かれる。この理不尽な状況に直面するテインに対し、チャンボクは“聖書のテープを聴け”というお為ごかし的な忠告をするだけ。都市と地方との格差、男女差別、障害者の立ち位置、宗教のあり方など、本作は数々のモチーフを提示して社会的な問題を告発している。その姿勢は良い。

 脚本も担当したホン・ウィジョン監督は頑張ってはいたが、中盤以降は無理筋の展開が見られ、犯罪ものとしてはプロットの弱さが見えるのは残念だ。それでも、ラストの扱いは心に残る。主演のユ・アインをはじめ、ユ・ジェミョン、イム・ガンソン、チョ・ハソクらキャストは皆好演。子役のムン・スンアとイ・ガウンも達者だ。特筆すべきはパク・ジョンフンのカメラによる田園地帯の風景で、夕陽に映える絵柄は美しい。
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「黒猫・白猫」

2022-03-04 06:20:31 | 映画の感想(か行)
 (英題:Black Cat, White Cat)98年セルビア(当時はユーゴスラビア連邦)作品。鬼才エミール・クストリッツァ監督の持ち味が炸裂している一編。まあ、カタギの映画ファン(?)にはなかなか受け入れられないシャシンではあるが、この作風を承知した上で接してみれば、けっこう心地良い。なお、クストリッツァは本作で第55回ヴェネツィア国際映画祭において最優秀監督賞を獲得している。

 セルビアの田舎町に住むマトゥコは、バクチや放蕩に明け暮れ、父親のザーリェからは勘当寸前だ。マトゥコは地元のヤクザであるダダンに列車強盗を持ちかけるが当初断られたため、今度は息子のザーレをダダンの妹アフロディタと結婚させようとする。この縁談が進む一方で、実はザーレは別の娘イダと恋仲であったため、アフロディタに式をボイコットするように依頼。



 まんまと式場から逃げ出した彼女だが、その道中で背の高い男と出会って恋に落ちる。だが、その男はジプシー界の黒幕で、さすがのダダンも手が出せない。そんな中、このトラブルに気を病んだザーリェが急死。事態は混迷の度を増してゆく。

 一応ラブコメの体裁を取っているが、ストーリー自体は支離滅裂。筋書きは行き当たりばったりに展開する。こんな有様ならば普通は絶対に評価されないところだが、そこはクストリッツァ御大、独特の“作家性”で乗り切ってしまう。

 全編を彩るバルカンミュージックと、登場人物たちの素っ頓狂な言動、そして意味もなく画面上を行き来するネズミだのブタだのガチョウだの猫だのが、ドラマの整合性がどうのこうのという次元をはるかに超越した地点に作品を持っていく。当時の不穏なユーゴの情勢を笑い飛ばしてしまうような、見事な狂騒ぶりだ。それでいて、最後に物語は収まるところに収まってしまうのだから、この芸当には恐れ入るばかり。

 ティエリー・アルボガストのカメラによるカラフルな映像は目を奪う。バイラム・セヴェルジャンにスルジャン・トドロヴィッチ、フロリアン・アイディーニ、サリア・イブライモヴァといったキャストはまったく馴染みが無い。しかし、作品の雰囲気には実によくマッチしている。
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「ゴーストバスターズ アフターライフ」

2022-02-28 06:23:31 | 映画の感想(か行)

 (原題:GHOSTBUSTERS:AFTERLIFE)正直言ってあまり期待はしていなかったのだが、実際観てみると面白い。84年の第一作と89年のパート2、そして2016年のリブート版と比べても、クォリティは上だ。以前の作品群が単なる大味なドタバタ劇に過ぎなかったのに対し、本作は主題に一本芯が通っている。やはりこれは、脚本の妙に尽きる。

 家賃を払えずに追い立てを食らったシングルマザーのキャリーと息子のトレヴァー、そして娘の女子中学生フィービーは、都会からキャリーの父が遺したオクラホマ州サマーヴィルの荒れ果てた農家に引っ越して来る。この地域では、活断層も無いのに原因不明の地震が頻発していた。ある日、フィービーは地下室で謎のハイテク装備の数々を発見。どうやら祖父が使っていたものらしいが、用途が分からない。そして床下にあった装置を誤って開封してしまうと、不気味な緑色の光に包まれたモンスターが出てくる。

 実はフィービーの祖父イゴン・スペングラーはかつてのゴーストバスターズの一員であり、この地区の廃鉱山の奥に封じ込められていた魔神ゴーザを見張っていたのだ。ゴーストの封印が解けたことで、魔神復活による世界の危機が迫ってくる。フィービーはクラスメイトのポッドキャストたちと共に、祖父の遺したメカを駆使してゴーストに立ち向かう。

 この映画の主要ポイントは家族劇である。早い話が、主人公がクリーチャーとのバトルを通して、自己のアイデンティティと家族の絆を確立するというビルドゥングスロマン(?)の体裁を取っている。行き当たりばったりにワチャワチャとゴーストと戯れていた過去の作品とは違う。

 身持ちの悪い母親と、グータラな兄。しかも廃屋寸前のボロ家に押し込まれ、これでは人生投げてしまいたくなるのも当然のフィービーだが、祖父との繋がりを切っ掛けに自分を取り戻し、そして周囲の者たちとの折り合いを付けていくという筋書きは、大いに納得できる。田舎町を舞台に繰り広げられるゴーストたちとのチェイス、そして賑々しいバトルシーンはかなりの盛り上がりを見せ、監督のジェイソン・ライトマンは第一作と第二作を担当した父親のアイヴァンよりも実力は上だ。さらに終盤には“あの人たち”も登場し、お馴染みのテーマ曲も流れるのだから嬉しくなる。

 フィービー役のマッケナ・グレイスは闊達な好演で、将来を期待させるものがある。キャリー・クーンやフィン・ウルフハード、ポール・ラッド、J・K・シモンズ、オリヴィア・ワイルドなどの脇の面子も良い。また、作品自体が今は亡きハロルド・ライミスに捧げられているのも感慨深い。続編が作られる可能性は大だが、チェックしたい気になってくる。
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「恐怖分子」

2022-02-27 06:53:53 | 映画の感想(か行)
 (英題:The Terrorizers )86年作品。今は亡き台湾の名匠エドワード・ヤンの初期作品にして代表作。映画全体を覆う緊張感と、ヒリヒリするような人物描写、そしてドラマティックな展開により、観る者を瞠目せしめる一編に仕上がっている。また、扱われるテーマは現時点でもまったく色あせず、むしろ深刻度は高くなっているように思う。

 台北の下町にある不良どものアジトが警官隊のガサ入れを受ける。そこから逃げ出した混血の不良娘シューアンの姿を、アマチュア・カメラマンのシャオチャンが撮影していた。身柄を確保されたシューアンは母親によって連れ戻され、自宅から出ることを禁じられる。ヤケになった彼女はイタズラ電話に興じるが、その電話に偶然出たのはスランプ気味の女流作家イーフェンだった。夫に話があると一方的にまくし立てるシューアンのデタラメな物言いを真に受けた彼女は、愛人のシェンと共に相手が指定した古アパートに出かけるが、そこにいたのは恋人と別れたばかりのシャオチャンだった。



 一本のイタズラ電話により、当事者の不良少女をはじめ作家とその夫、および愛人、カメラマン、そして警官ら、さまざまな者たちの間に大きな波紋が広がる。そしてそれは、各人が本来持っていた屈託や人間不信、人には言えない弱点をあぶり出し、加速しながら破局に向かってゆく。その様子は、まさに(後ろ向きの)スペクタクルだ。

 タイトルにある恐怖分子とは、誰もが心の中に持っている疑心暗鬼であり、それはコミュニケーションの不全によって熟成される。普段は体裁を取り繕っているため表に出ないが、何かの拍子で顕在化し暴走する。ハーフであるため周囲から阻害されているシューアンをはじめ、登場人物とそれを取り巻く社会的環境との関係はまさに“崖っぷち”の状態に達しているが、これは現時点で見ても決して他人事ではない。特にコロナ禍などで社会の分断が進んでいる今の状態は、この恐怖分子は限りなく増長している。

 E・ヤンの演出は才気走っており、どのショットも濃厚な密度が感じられる。ドラマ運びはキレ味満点で、映像展開は実に非凡だ。特にラストの恐るべき処理には観ていて鳥肌が立った。チャン・ツァンのカメラによる台北の町並みはノスタルジックで、かつ殺伐として異世界の雰囲気をも感じさせるという独特のもの。コラ・ミャオにリー・リーチュンシェン、クー・パオミン、ワン・アン、マー・シャオチュンといったキャストはいずれもクセ者ぶりを発揮。ウォン・シャオリャンの音楽も効果的だ。
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「香川1区」

2022-02-14 06:19:48 | 映画の感想(か行)
 面白く観た。ドキュメンタリー映画の快作「なぜ君は総理大臣になれないのか」(2020年)の“続編”で、前回が“主人公”である小川淳也衆議院議員の人物像を追った作品であったのに対し、今作は選挙戦そのものを題材にしている。選挙自体がひとつのドラマであるから、この映画も当然ドラマティックな“筋書き”になるが、作者はそこを開き直って勧善懲悪のストーリーに仕立て上げている。その割り切り方が天晴れだ。

 立憲民主党の小川議員は2003年の初出馬から選挙区では1勝5敗と大きく負け越し、比例復活当選に甘んじていた。香川1区での彼の対戦相手は、前デジタル改革担当大臣である自民党の平井卓也だ。世襲議員であり、地元財界をガッチリ固めた平井の牙城を崩すことは小川にとって困難だと思われたが、2017年の総選挙では差は縮まっている。



 そして迎えた2021年秋の第49回衆議院議員選挙。平井の周囲にはスキャンダルめいた噂が飛び交い、小川にも勝ち目が出てきたように思われた。ところがそれでも平井は手強く、さらに日本維新の会から別の候補者が名乗りを上げるに至り、事態は混迷の度を増していく。

 知っての通り、先の総選挙では香川1区においては小川が勝利している(しかも投票締め切りの瞬間に当確が出た)。だから映画の“結末”は分かっている。そこまでどのように観る者を引っ張っていけるか、それが映画のポイントだが、作者は巧妙にプロットを積み上げて飽きさせない。まず、平井を利権にまみれた俗物に設定し、対して小川をいわゆる庶民派に据えた。事実もほぼその通りで、この対立構図は実に分かりやすい。

 平井の街頭演説に集まるのは、地元財界から“動員”が掛かった者が多くを占める。小川陣営は自らの主張と政治姿勢だけで聴衆を集めている。この違いは実に大きい。さらに、選挙戦も終盤に近付くと当初は余裕をかましていた平井候補は焦りの色が濃くなり、やがて八つ当たり的な批判に走るあたりも愉快だ。また、小川候補も絶対的な善玉ではなく、維新の会に対する言動は明らかに不適切(田崎史郎の指摘の方が正しい)。ただ、そのことが映画の中では小川の人間臭さにも繋がっており、作劇上の瑕疵にはなっていない。

 斯様に2時間半以上の尺がありながら楽しませてくれたことは事実だが、劇中には題材に対する問題点も挙げられている。まず、小川が自転車に乗って道行く者たちに挨拶して回るシーンに代表されるように、我が国における選挙戦が旧態依然とした名前の連呼とイメージ戦略に終始していることだ。立会演説会や戸別訪問もできない現状は、民主主義の危機を暗示している。そして、政策を訴える場面が少ないのも憂慮すべきことだ。もちろん、当選しても政策を実行しない例は多々あるのだが(苦笑)、最低限のスタンスは明示してしかるべきである。

 さて、今回めでたく当選した小川だが、立憲民主党の代表選には決選投票にも残れなかった。これは、同党に危機管理意識が働いたと思われる。今年(2022年)初めに放映された討論番組に出演した彼は、現実無視の空想論を捲し立てていた。まるで昔の社会党である。これでは野党第一党の党首は務まらず、党員が敬遠したのも当然だ。

 とはいえ“たとえ51対49で勝ったとしても、負けた49の側の意見も尊重するのが民主主義だ”という小川の認識は正しい。もしも私が香川1区の有権者だったら、やっぱり彼に一票を入れると思う。それだけ今の与党(および維新)の増長ぶりは甚だしい。
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「危険な英雄」

2022-02-06 06:16:27 | 映画の感想(か行)
 1957年東宝作品。先日逝去した石原慎太郎は作家及び政治家として知られていたが、俳優として何本か映画にも出ている。本作はその中の一本で、出来自体は正直大したものではないが、現代にも通じるテーマ設定と不穏な空気感が印象的なシャシンだ。なお、私はこの作品を某映画祭で観ている。

 資産家の三原準之助の長男健司が、帰校の途中何者かに誘拐される。犯人からは“身代金を渋谷東宝前に持って来い。警察に届けると子供の命は無い”との脅迫文が家族に届いたが、健司の姉の葉子は躊躇わずに警視庁に通報する。彼女と担当の小野塚刑事とのやり取りを立ち聞きした新聞記者の今村は警察に取材するが、犯人逮捕までマスコミ報道を控えるということで合意を得た。

 ところがこの話を聞きつけた三流新聞社の冬木は、勝手にこのネタを紙面に載せる。おかげで身代金受け渡しの場所に犯人は現れず、逮捕は未達に終わるが、冬木は特ダネを得たことで大威張りで、後悔する様子はまったく見られない。さらに葉子に犯人への手紙を書かせるという、あり得ない暴挙にも出る。しかし、事件は冬木の悪ノリをよそに思わぬ結末を迎える。

 言うまでもなく本作の主題はマスコミの暴走に対する糾弾であり、これは現在でもまったく色あせないテーマだ。それどころか今ではマスコミ人種だけでなくSNS上に徘徊する無責任なネット民たちが、真偽不確かなネタを振り撒きながら事態を混乱させている。冬木のキャラクターはそれを体現化したもので、どんなことをやらかしても謝罪も反省もなく、英雄気取りで自分が正しいと信じ込む。

 冬木を演じているのが石原で、率直に言って演技は褒められたものではない。セリフは棒読みで身体のキレも悪い。この点、弟の裕次郎とはかなり差がある。しかし、冬木の人と人とも思わない傲慢な態度は、現実の石原の言動と微妙にクロスしてこれがけっこう面白い。もしも彼が政治家への道に進まずに俳優業を続けていたならば、非情な悪役が得意なバイプレーヤーになっていたかもしれない(笑)。

 鈴木英夫の演出は他の監督作と比べると粘りが足りないが、小沢栄太郎に多々良純、司葉子、仲代達矢、志村喬、そして三船敏郎や宮口精二といった多彩なキャストが場を盛り上げている。芥川也寸志の音楽も良い。
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