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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「警部」

2023-02-10 06:16:12 | 映画の感想(か行)
 (原題:Flic ou Voyou )78年作品で、日本公開は80年。本国で公開された際には、パリで一週間で24万人の観客を動員。ロードショー23週目にして100万人の動員を突破。当時としては目覚ましい記録を作り上げた。パリの興行成績としては、歴代の映画で18本目、フランス映画では7本目だったらしい。だからさぞ面白いシャシンだろうと期待して観たのだが、何とも荒っぽい作りで戸惑った。まあ、勢いだけはあるので、そのあたりがウケたのかもしれない。

 南フランスのとある町(マルセイユとモンテカルロの間)では、暗黒街を2人のボスが取り仕切り、カジノや麻薬、恐喝、売春などの縄張りを二分していた。しかも、警察官の中には暗黒街から当然のごとくワイロをもらい、目を瞑っている者が多数いた。抗争の中でついに一人の現職警部が殺人死体として発見される。対応に困った所轄の警察は、その土地にまったく縁が無いパリから一人の“警部”を呼び寄せた。それが名物刑事のスタン・ホロヴィッツで、持ち前の強引すぎる手法により事件の核心に迫っていく。ミシェル・グリリアによる警察小説の映画化だ。



 主人公はポパイ刑事とハリー・キャラハン刑事を合わせたような暴れん坊で(笑)、特に前半での派手な立ち回りはハリウッド製のポリス・アクションを思わせる。しかし、後半になると元悪徳刑事がさんざん利用した挙げ句に最後に始末されたり、事件の証人の家を勝手に燃やしてしまったりといった、やり過ぎ捜査と見られる場面が多くなり応援する気が失せる。しかもジョルジュ・ロートネルの演出が丁寧とは言い難く、何やら短期間で撮り上げて編集も精査しないまま公開してしまったような案配だ。

 とはいえ主演のジャン・ポール・ベルモンドの存在感は大したもので、出てくるだけで画面が華やいでくる。共演は何とあの「太陽がいっぱい」(1960年)のマリー・ラフォレで、封切当時は15年ぶりの出演作の日本公開だったらしい。相変わらずの美人で見とれてしまうが、彼女もベルモンドも今は鬼籍に入ってしまい、寂しい限りだ。撮影はアンリ・ドカエで音楽はフィリップ・サルドという手練れが担当しており、堅実な仕事ぶり。なお、本作は「警視コマンドー」の邦題で80年代にVHSが発売されたことがあったとか。何とも安易なタイトルで笑ってしまう。
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「子供たちの王様」

2023-02-05 06:53:52 | 映画の感想(か行)
 (原題:孩子王)87年作品。中国の代表的監督である陳凱歌(チェン・カイコー)が才気煥発だった頃の映画で、かなりの高クォリティを実現している。彼はこの6年後に代表作「さらば、わが愛/覇王別姫」を撮るのだが、見ようによっては(派手さは無いが)本作の方が存在感が大きい。アジア映画好きならばチェックする価値はある。

 1960年代後半、中国では文化大革命の一環として国民を徴用して農業に従事させる、いわゆる“下放”が断行されていた。主人公の若者は山間部の貧しい農村の分校に教師として派遣されるが、そこには教師用の指導要領書も無く、ただ共産党の教義を一方的に生徒たちに伝えることだけが求められていた。この状況に納得いかない彼は、自分なりの教育方針を打ち出して生徒たちに学ぶ楽しさを知ってもらおうとする。その試みは軌道に乗るのだが、やがて彼の所業を党の上層部が聞きつける。四川省出身の作家で現アメリカ在住の阿城(アー・チョン)による短編小説の映画化だ。



 冒頭、舞台になる村を囲む山々から太陽が昇り、夕方になって日が沈むまでをコマ送りのワン・カットでとらえた荘厳なシーンが映し出された時点で、一気に観る者を映画に引き込んでしまう。斯様に、本作は文革の過ちを声高に糾弾する類のシャシンではなく、抑制されたタッチと象徴的な映像により主題を浮き彫りにしようとする。

 主人公の奮闘には決してカメラは肉薄せず、一歩も二歩も引いた地点から現象面だけをピックアップするのだが、それが却って問題の重大さと主人公の志の高さを強調する。特に、主人公と勉強熱心な生徒男子がある“賭け”をするシークエンスは印象的。撮り様によってはかなり盛り上がるエピソードなのだが、映画は淡々と経緯を追うだけで、重要なのはこの一件で生徒が得た“教養”なのだということを明示する。

 静かな作劇ではあるが陳凱歌の演出は一点の緩みも見せず、圧倒的な映像美も相まって、鑑賞後の満足度は高い。余韻たっぷりの幕切れも実に印象的だ。主演のシエ・ユアンは好演。生徒たちも良い面構えをしている。なお、本作は88年の第41回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品されたが、当部門で上映された初の中国映画になった。
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「恋のいばら」

2023-01-23 06:22:57 | 映画の感想(か行)
 最近の城定秀夫監督の多作ぶりには驚かされる。昨年(2022年)には4本をこなし、2023年にも複数が待機している。一時期の三池崇史や廣木隆一に匹敵するペースだ。しかし城定が彼らと違うのは、ある一定のレベルはキープしていること。びっくりするほどの傑作は無いかもしれないが、箸にも棒にもかからない駄作も見当たらない。職人監督としての手腕は評価すべきで、本作も気分を害さずに劇場を後に出来る。

 図書館に勤める富田桃は、最近交際相手の湯川健太朗にフラれたばかり。それでも未練がましく健太朗のSNSをチェックしていると、彼に真島莉子という新しいカノジョが出来たことを知る。しかも莉子は垢抜けない桃とは正反対の洗練された容姿の持ち主だ。そんな中、桃は健太朗のパソコンの中に交際中に撮った“不都合な写真”が保管されていることに思い当たる。何かの拍子に悪用されてはたまらないので、彼女はその写真データを抹消するために敢えて莉子に接近する。



 軟派な男と、タイプの違う2人の女子との三角関係のドラマの体裁を取っていながら、途中から映画の様相がまったく違ってくるところが面白い。さすが「愛がなんだ」(2019年)の澤井香織の脚本だけのことはある。とにかく、先が読めないのだ。写真データをめぐる“攻防戦”は物語のベースとして終盤まで機能させつつも、次第に健太朗の影が薄くなり、物語は意外な場所に着地する。

 考えてみれば、桃が莉子に“共闘”を持ち掛けた時点で一筋縄ではいかない展開を予想すべきだったのかもしれないが、絵に描いたようなラブコメ風のエクステリアが巧妙に観る者をミスリードする。城定の演出は殊更奇を衒った様子はなく、手堅くドラマを進めていく。イレギュラーな筋書きを伴うからこそ、このような正攻法のアプローチが相応しい。

 キャストでは、松本穂香と玉城ティナのダブル・ヒロインが最高だ。見た目もキャラクターも正反対ながら、この好対照ぶりが後半の展開の伏線にもなるという巧妙さ。パフォーマンスも申し分ない。軽薄野郎を上手く演じた渡邊圭祐をはじめ、中島歩に北向珠夕、不破万作、片岡礼子と脇の面子は揃っているし、白川和子が怪演を見せてくれるのもポイントが高い。城定監督の仕事からは当分目が離せないようだ。
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「川のながれに」

2023-01-16 06:07:55 | 映画の感想(か行)

 いわゆる“ご当地映画”のメリットを最大限に活かしており、好感度が高い。もしも同じようなスキームを、都会を舞台にした全国一斉拡大公開するようなシャシンで展開したら、ウソっぽくて観ていられないだろう。しかも、扱われている主題自体は決してワザとらしかったり独りよがりなものではなく、確固とした普遍性を保持しているあたりも評価出来る。

 栃木県那須塩原市を流れる箒川でスタンドアップパドルボード(SUP)のインストラクターをしている君島賢司は母子家庭で育ってきたが、その母が病気で他界して一人きりになってしまう。葬儀の日に彼は、那須塩原に移住してきたイラストレーターの森音葉と出会う。彼女は世界中を旅してきたのだが、縁あってこの地に落ち着くことを決めたのだ。

 そんな中、元カノで東京在住の碧海が突然帰省してくる。賢司の母の葬儀に参列するためというのが表向きの理由だが、実はヨリを戻したいのだ。さらに、何と彼が小さい頃に事故死したと思われていた父親の翔一が姿を現す。予想外の出来事の連続で、賢司は改めて今までの人生が正しかったのか自問自答するのだった。

 主人公の立場は確かに特殊だ。父親とはイレギュラーな形で一度別れているし、そもそも母親が世を去った時期とシンクロするように賢司の周りに多様な人物たちが全員集合してしまうという筋書きは御都合主義だろう。しかし、これが那須塩原の美しい自然をバックに展開してしまうと、不思議なことにあまり違和感は無い。

 何より、御膳立ては変化球だが主人公および彼を取り巻く者たちの屈託が共感を抱かせるものになっている。それはつまり、過去に流されたままで良いのか、あるいは新規まき直しに専念した方が賢明なのかという逡巡だ。結論として本作は“過去に拘泥して何が悪い!”と言い切っているのがある意味痛快だが、それは断じて過去の思い出に浸ったままで前に進まないことではない。

 過去をディープに掘り下げて自身の原点を見据えた上で、何をすべきか決めるという、能動的な姿勢である。それを象徴するのが、終盤近くの主人公たちの“旅”だ。箒川の源流を求める行程は、彼らのアイデンティティーを探るプロセスでもある。杉山嘉一の演出は派手さは無いが、各キャラクターを丁寧に扱っていて好感が持てる。

 前田亜季に青木崇高、音尾琢真といった名の知れた俳優も出ているのだが、主演の松本享恭をはじめ小柴カリン、大原梓といった主要キャストは馴染みが無い。だが、皆良い味を出している。鳥居康剛のカメラが捉えたこの地方の風景は味わい深い。また、公開を“ご当地”だけではなく全国各地に広げてくれたのも有り難い。
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「かがみの孤城」

2023-01-15 06:14:03 | 映画の感想(か行)
 観終って、これは子供向けのシャシンかと思ったが、よく考えると主人公たちと同年代の若年層が鑑賞して果たして納得できるかどうかも怪しい。それだけ低調な出来である。ところがなぜか絶賛している向きが少なくない。それも子供だけではなくいい年の大人まで“感動した”というコメントを残していたりする。アニメーションだから採点が甘くなるのかもしれないが、あまり好ましい傾向だとは思えない。

 中学一年生の安西こころは、同じクラスの真田美織をリーダー格としたイジメのグループから手酷い目に遭わされていた。そのため不登校になり、部屋に閉じこもる毎日だ。ある日、自室の鏡が光り始めて彼女はその中に吸い込まれてしまう。そこは城の中で、6人の見知らぬ中学生がいた。そこに“オオカミさま”と名乗る狼のお面をかぶった少女が現れ、一年以内に城のどこかに隠された秘密の鍵を見つければ、どんな願いでも叶うと告げる。辻村深月の同名小説(私は未読)の映画化だ。

 まず、舞台になる城の造型に工夫が足りていないことが不満だ。どこかのテーマパークの施設のようで、神秘さや浮世離れした美しさ(あるいは禍々しさ)が少しも出ていない。

 登場人物たちは城に閉じ込められたままなのかと予想していたが、現実世界とは出入り自由なので拍子抜け。しかも中盤で全員が同じ学校の生徒だということが判明する。だが、現実世界では彼らが会うことはない。このカラクリは大抵の観客は真相をすぐに見破るのだが、映画は何と終盤近くまで謎のままで引っ張るのだ。

 そして“オオカミさま”が7人を城に召喚した理由がラスト近くで明かされるのだが、その動機付けは弱い。どうしてこの7人だったのか、明確に理由は提示されない。まあ、共通したモチーフはあるが、それだけではインパクトに欠ける。そもそも、イジメ等に悩んでいるティーンエイジャーなんて古今東西数多く存在しているわけで、実際はそれぞれが何とか解決法を見つけていくものだ。異世界の“城”に招待してもらわないと物事が進展しないというのは、無力感が漂う。

 思えば監督の原恵一が2010年に撮った「カラフル」も似たようなテーマを扱っていたが、あの映画の方が(万全の出来ではないものの)はるかに説得力があった。その他にも、こころが友人の家で偶然見つけた一枚の絵が鍵を見つけるヒントになるという無理矢理なプロットや、その鍵の形状自体も“反則”である等、承服しがたいネタが連続する。

 キャラクターデザインや作画のレベルは決して高くなく、声の出演も多彩な面子を集めた割には効果を上げていない。特に某アニメの決め台詞が楽屋落ち的に出てくるのには脱力した。なお、富貴晴美による音楽と優里の主題歌だけは良かった。
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「北の螢」

2023-01-08 06:15:48 | 映画の感想(か行)
 84年東映作品。タイトルだけを見れば、森進一の代表曲を誰でも思い出すだろう。だが、このナンバーが元々映画の主題歌であったことを知る者は、今ではあまり多くは無いと思われる。それだけ映画の印象は薄く、興行的にも成功したとは言い難い。ならば語る価値も無い作品なのかといえば、そうでもない。当時は宮尾登美子原作によるヒット作を連発して脂がのっていた五社英雄監督の仕事だけあって、最後まで惹き付けるパワーはある。題材と時代考証も興味深い。

 明治初期の北海道では国の施策として開拓が盛んに行なわれていたが、鉄道敷設工事に関しては屯田兵だけでは人員が足りず、服役中の囚人たちも動員されていた。石狩平野の空知にあった樺戸集治監もその事業に協力していたが、典獄の月潟剛史は暴君で、服役囚たちを酷使していた。ある雪の日、月潟は行き倒れていたゆうという女を助ける。



 実はゆうは京の祇園の芸妓で、収監中の元津軽藩士である男鹿孝之進を救出するため月潟に接触したのだった。彼女は男鹿に接見するが、何と彼はゆうに月潟殺しを持ち掛ける。一方、集治監には元新選組副長の永倉新八とその一派も潜り込んでいて、月潟は彼らに襲われて深手を負ってしまう。

 この映画には原作は無く、脚本は高田宏治のオリジナルだ。そもそも当時の東映社長であった岡田茂が、札幌に行った際に囚人の無縁墓地を見て思い付いたという企画。そのせいか、話に一貫性が無くエピソードがあちこちに飛ぶ。だいたい、このネタにしては登場人物が多すぎる。月潟とゆう、それに新八だけではなく、元新選組やら月潟の情婦やら、他の囚人たちに女郎屋の女たちに内務省の役人など、これは2時間の映画ではなくテレビの連続ドラマ並みのキャラクターの数だ。

 しかも名の知れたキャストを揃えているためにそれぞれ見せ場を作らねばならず、結果としてまとまりが無くなったのも当然だろう。果ては後半には突然熊が襲ってくるという“荒技”が挿入されており、その熊が本物でもCGでもなく“着ぐるみ”なのだから脱力する。とはいえ、そこは五社御大。骨太の演出と諸肌脱いでくれる女優陣、迫力ある立ち回りにより、退屈しない出来には仕上げている。地吹雪が舞う北海道の原野の描写にも惹かれる(ただし、ロケ地は北陸だ ^^;)。

 主演の仲代達矢をはじめ岩下志麻、夏木マリ、中村れい子、成田三樹夫、夏木勲、宮内洋、阿藤海、三田村邦彦、丹波哲郎、小池朝雄、早乙女愛、佐藤浩市、露口茂など、顔ぶれはかなり豪華。佐藤勝の音楽と森田富士郎による撮影も申し分ない。なお、ナレーションは夏目雅子が務めており、これが彼女の最後の仕事になった。
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「ケイコ 目を澄ませて」

2022-12-30 06:45:15 | 映画の感想(か行)
 形式としては“スポ根もの”であり、しかも主人公は肉体的ハンデを負っている。だから映画としては主人公が逆境に負けず辛い鍛錬の甲斐あって、大舞台で活躍するという“感動巨編”に持って行くことが王道であり、そうなっても文句を言う観客はあまりいないだろう。だが、本作の送り手はそれを潔しとしなかったようで、対象を一歩も二歩も引いたところから捉えてストイックなタッチを狙ったと思われる。それはそれで良いのだが、少々困ったことにこの映画の場合、突き放したようなスタンスが度を超しており、大事なことまでネグレクトされている。これでは評価出来ない。

 東京の下町の小さなボクシングジムで鍛錬を重ねる小河恵子は、生まれつきの聴覚障害で両耳とも聞こえない。それでもプロデビュー後の成績は悪くなく、会長の信頼も厚い。だがこの地域は再開発が進み、練習生の減少も相まって、ジムは閉鎖されることになる。恵子は言葉にできない屈託が心の中に溜まり、休会届まで書くのだが提出することは出来ない。そんな思いを抱えたまま、彼女は大一番に挑む。耳にハンデのある元プロボクサー小笠原恵子の自伝「負けないで!」を原案にしたドラマだ。



 ヒロインが寡黙なのは当然として、何を考えているのかよく分からないのは感心しない。たぶん自身の境遇に思うところが多々あるのだろうが、それが映画の中では明示はもとより暗示もされていない。そもそも、どうして彼女がボクシングに夢中になったのかも十分描かれていない。

 対して、周囲の人物はよく捉えられている。恵子が普段働いているホテルの同僚たちや、ジムのトレーナー、そして彼女の母親など、それぞれの立場で主人公を見つめている様子が窺える。特にジムの会長の描き方は出色で、長年ボクシングを愛していたがいよいよ“引き際”が訪れたことに対する懊悩が十分に表現されていた。しかし、肝心の恵子の内面が浮かび上がってこないので、何とも筋立てとしては不安定だ。

 試合の場面は及第点には達しているとは思うが、タイトルの“目を澄ませて”が示すような、ヒロインの目の良さが発揮される場面は見当たらないし、それを活かしたセコンドの指示も無い。斯様なタッチで、ラストの処理だけで全てを片付けてしまうような姿勢は釈然としない。三宅唱の演出は今回ドキュメンタリー・タッチを狙いすぎだ。あえて16ミリフィルムの撮影に臨んだことも、果たして適切だったのかと思ってしまう。

 主演の岸井ゆきのは健闘していて、よくここまで仕上げたものだと思う。だが、ヒロインの造型がイマイチであるため、印象は思ったほど強くはない。三浦誠己に松浦慎一郎、渡辺真起子、中島ひろ子、仙道敦子などの脇の面子は良い。そして会長に扮する三浦友和は好演で、近年の彼の代表作になるだろう。
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「君だけが知らない」

2022-11-21 06:18:23 | 映画の感想(か行)
 (英題:RECALLED)それほど深味は無いとは思うが、トリッキィな筋立てで最後まで飽きさせない。最初は映画自体のジャンルを確定させるような建付けに見せかけて途中から別の方向性を示してくるあたり、かなり工夫されていると思う。そして何より、主演女優の魅力が圧倒的。観て損は無い韓国製サスペンスだ。

 若い人妻キム・スジンは病院のベッドで目を覚ます。登山中に滑落事故に遭い昏睡状態にあったらしいが、記憶喪失に陥っており詳細は思い出せない。それでも夫のイ・ジフンの献身的なサポートのおかげて回復に向かい、退院後は元の日常を取り戻し始める。ところが、次第に幻覚に悩まされるようになる。その幻覚は予知夢に近く、実際に彼女の周囲に不可解な出来事が頻発。さらには殺人事件をイメージした幻覚の通りに死体が発見されるに及び、彼女の身にも危険が及んでくる。



 予知夢という超自然的なモチーフをまず提示し、オカルト方面への展開を匂わせて、実はそうでもないという凝った筋書きは悪くない。真相はヒロインの生い立ちに関係しているというネタも、韓流ドラマにはありがちな要素ながら(笑)特に扇情的な扱いはされておらず、さほど気にならない。

 これが長編デビュー作となる女性監督ソ・ユミン(ホ・ジノ監督の門下らしい)はいわゆる“映像派”ではないようで、ヴィジュアル的なギミックは控え目だ。あくまでストーリーを堅実に積み上げることを優先する“職人派”なのだろう。そのため良い意味でのケレンが少なく、真に登場人物の心の闇を垣間見せるようなタッチは見られない。その代わり、テンポのいいドラマ運びとスムーズなアクション演出が披露されている。1時間40分という、無駄に長くはない尺に収めているのも評価できる。

 主演のンソ・イェジは初めて見る女優だが、整った容姿と内省的な演技はもとよりその“声”には参ってしまった。ハスキーな、まさに魅惑の低音ボイス。これだけ特徴的な声を持ち合わせているのは、俳優としては大きなメリットだろう。聞くところによると、私生活(特に経歴)ではかなり問題のある人物らしいが、本作を見る限り今後の仕事にも注目したくなる。共演のキム・ガンウ、パク・サンウク、ソンヒョクらも申し分ない。
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「この生命誰のもの」

2022-11-12 06:14:50 | 映画の感想(か行)
 (原題:Whose Life Is It Anyway?)81年作品。いわゆる“尊厳死”を扱った映画だが、似たようなネタを扱った2004年製作のクリント・イーストウッド監督の「ミリオンダラー・ベイビー」や、同じ年に撮られたアレハンドロ・アメナーバル監督の「海を飛ぶ夢」よりも訴求力は高い。これは作り手の(良い意味での)肩の力が抜けた感じや、主演俳優の陽性のキャラクターが大きくモノを言っているからだ。やたら深刻ぶっても、映画というのはメッセージは伝わらないのである。

 ボストンに住む30歳代の新進彫刻家ケン・ハリソンは、舞踊家として名が売れ始めた恋人のパットと共に、公私とも充実した生活を送っていた。ところがある日、パットとのデートの後に交通事故に遭ってしまう。一命は取り留めたが、首から上を除いた身体の感覚が麻痺する。回復する見込みは無く、芸術家としての仕事も出来なくなった彼は“死ぬ権利”を求めて、裁判を起こす決意をする。ブライアン・クラークによる戯曲の映画化だ。



 本作の最大のポイントは、ケンに扮しているのがリチャード・ドレイファスであること。自他共に認める陽性のキャラクターである彼が主役だと、どう考えても映画は絶望的に暗くはならない。実際、入院中のケンは周囲の人間に向かって遠慮無くジョークを飛ばし、場が陰々滅々としたものになることは無い。しかし、この“明るさ”があるからこそ、取り上げられたテーマの重さが際立ってくるのだ。

 彼のような人当たりの良い者が理不尽な状況に追いやられている。その悲劇が観る者に重くのし掛かる。リハビリテーションの専門家であるミセス・ボイルが“訓練によって少しは出来ることがある”と彼を励ますが、元より手足を動かすことがアイデンティティになっていたケンは納得しない。彼はパットにも別れを告げ、いよいよ審問の場を迎えることになる。この決意自体には異論はあるのだろうが、映画にはそれを抑え込むほどの求心力がある。また、患者を生かすことが使命である医療側の立場も過不足無く言及している。

 ジョン・バダムの演出は職人肌で、これ見よがしの映像ギミックなどは見せないが、堅実にドラマを進めている。ジョン・カサヴェテスやクリスティーン・ラーティ、ジャネット・アイルバー、ケネス・マクミラン、キャスリン・グロディなどの共演陣も手堅い。なお、このネタは浅利慶太プロデュースによる劇団四季の演目としても有名だ。私は演劇版は観たことはないが、いつか接してみたいものである。
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「渇きと偽り」

2022-10-17 06:17:46 | 映画の感想(か行)
 (原題:THE DRY )これは珍しいオーストラリア製のサスペンス劇だが、思いのほか出来が良い。何より舞台設定が秀逸だ。アメリカともヨーロッパとも違う、題名通り茫洋として乾ききった大地がどこまでも広がる。そして、登場人物たちの心情も潤いを失っている。この背景ならば、何が起こってもおかしくない。少々強引な展開も、不自然にならない。

 メルボルンの連邦捜査官であるアーロン・フォークは、旧友ルークの葬儀に出席するため20年ぶりに故郷の田舎町に帰ってくる。ルークは妻子を殺した後に自殺したらしい。だが、地元の警察には納得していない者がおり、若い頃のルークを知るアーロンも事件の真相を突き止めようとする。



 実は彼らは学生時代に女友達の死に直面しており、一応は事故と片付けられたものの、アーロンは釈然としない気持ちをずっと持ち続けていた。そしてルークの一件は、奇しくも20年前の事件の裏に隠されていた意外な事実をも引き出すことになる。ジェイン・ハーパーによるベストセラー小説の映画化だ。

 彼の土地では長らく雨が降らず、異常乾燥注意報が発出している。広い農場は作物が育たず、今シーズンの不作は決定的だ。斯様な荒涼とした風景の中にあっては、人々は取り繕ってはいられない。殺伐とした自身の本音をさらけ出すだけだ。70年代にはいわゆる白豪主義は建前として無くなり、本作の舞台になる地方にも有色人種の住民がいる。だが差別は厳然としてあり、それが本作のような御膳立ての中では遠慮会釈無く出てくる。しかも、その差別は家族間・友人間でも顕在化し、それが事件の背景に一枚噛んでいるあたりが玄妙だ。

 ロバート・コノリーの演出は強靱で、主人公が都合良く証拠を集めていくという幾分謎な流れも勢いで乗り切ってしまう。そして、終盤に明らかになる2つの事件の真犯人も十分に意外性に富んでいる。主演のエリック・バナ以外は、ジュネビーブ・オライリーにキーア・オドネル、ジョン・ポルソン、ジョー・クローチェックなど馴染みの無いキャストだが、皆良い味を出している。

 カラカラに干上がったオーストラリアの大地を即物的に捉えたステファン・ダスキオによるカメラワークも見事だ。音楽担当はピーター・レイバーンなる人物で、的確な仕事ぶり。だが、それよりも事件のキーパーソンに扮するベベ・ベッテンコートが歌うテーマソングが強烈な印象を残す。ともあれ上映劇場は限られるが、要チェックの作品だと思う。
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