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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「恋に落ちたら・・・」

2019-07-05 06:30:50 | 映画の感想(か行)
 (原題:MAD DOG AND GLORY )93年作品。ジョン・マクノートン監督はそれまで「ヘンリー」(86年)や「ボディ・チェンジャー」(91年)といった刺激の強いB級ホラー・サスペンスを手掛けていたが、本作ではなぜかスタイリッシュに仕上げられたラブコメという娯楽王道路線にシフトしている。よくある“突出した個性を持っていた作家が、ハリウッド・メジャー作品を撮った途端にフツーの監督に変貌する”というパターンのように見えるが、実はそうでもないところが興味深い。

 シカゴ市警の刑事ウェイン・ドビーは、勤務後に近くのスーパーで強盗事件に遭遇するが、見事に解決する。救出された人質の男マイロは、偶然にもマフィアのボスだった。感激したマイロはドビーに礼を述べると共に、若い情婦のグローリーを一週間トビーに“レンタル”すると申し出る。戸惑うトビーだが、対面したグローリーに惚れてしまい、彼女の方も彼に好意を持つ。一週間はあっという間に過ぎ、ドビーのところへマイロがグローリーを“回収”するためにやって来るが、ドビーは頑として断る。それでは面子が立たないマイロは、ドビーとの“決闘”に臨むのであった。



 臆病で慎重なことから、皮肉をこめて狂犬というあだ名で呼ばれていたドビーが、グローリーとの出会いで現実に立ち向かっていく様子は、「ヘンリー」の主人公とヒロインの関係に通じるところがある。また「ボディ・チェンジャー」のエイリアンが凶悪犯と接触したことをきっかけで、本来の姿に目覚めたように、本作では図らずもヤクザの親分とやり合うハメになったドビーが、本当は向こう見ずな熱血漢であったことを自覚する。つまりは従来のマイナーな作品と同じモチーフを、違うジャンルで巧みにキープし続けているという見方も出来るのだ。

 ドビー役のロバート・デ・ニーロとグローリーに扮するユマ・サーマン、そしてマイロを演じるビル・マーレイのコンビネーションは万全で、特にマーレイのコメディ的な持ち味とマクノートンのスムーズな演出も相まって、ラブコメとしての体裁は十分整えられている。撮影のロビー・ミュラーと音楽のエルマー・バーンスタインの仕事ぶりも申し分なく、気の利いたラストと共に、鑑賞後の印象は良好だ。
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「きらきらひかる」

2019-06-21 06:27:50 | 映画の感想(か行)
 92年フジテレビジョン作品。「バタアシ金魚」(90年)と並ぶ、松岡錠司監督の初期の代表作だ。軽やかに見えて、実はシリアスに登場人物の内面に迫っていく。しかもそのアプローチはポジティヴかつロマンティックで、鑑賞後の印象は良好である。

 イタリア文学翻訳家の20歳代後半の香山笑子は、母の勧めで30歳の医師である岸田睦月とお見合いする。睦月は感じが良く、笑子は憎からず思うが、実は彼が同性愛者で女には手も触れられないことを知ってしまう。それでも笑子は情緒不安定でアルコール依存症の自分を優しく受け容れる睦月に惹かれ、結婚する。ところが、睦月の“恋人”である大学生の紺が勝手に同居するようになり、ここに不思議な“三角関係”が現出する。江國香織の同名小説の映画化だ。



 冒頭の見合いのシーンは面白い。笑子は何かというと“黙ってないで何かしゃべれよ!”だの“オマエ、笑ったな?”だのと相手に突っかかる。それでも睦月は巧みにやり過ごす。笑子は悪態をつきながらも彼の温かい人柄に触れて、別れる時には泣き出してしまうのだ。

 笑子のキャラクター造型はまさに絶品。クソ生意気で大酒飲み、結婚後もファミリーレストランのウェイトレスをはじめ周囲の人間にケンカを売りまくる。そんな彼女の態度がちっとも不愉快に思えないのは、第一に本音で生きていること、そして第二に横柄な言動の裏に純粋で愛すべき本心が見え隠れすることだ。睦月も彼女の内面に惚れ込んだことは当然と思わせる。

 愛とは互いの本質を理解して惹かれ合うことだという、ひとつの理想を提示している。その次元に達すれば、相手がどんな指向を持っていようと関係ないと言い切る、作者のロマンティストぶりが印象付けられる。中でも深夜の車の中で、あわや3人の関係が破局に至るかもしれないと思い詰めた笑子が、車を飛び出して朝まで街をさまよう終盤のシークエンスは素晴らしい。朝の光が“きらきらひかって”登場人物たちの新しい旅立ちを予感させるシーンの、何と感動的なことか。

 笑子を演じる薬師丸ひろ子のパフォーマンスは、彼女のキャリアの中でも1,2を争う。睦月役の豊川悦司と紺に扮する筒井道隆の演技も申し分のない仕事だ。加賀まりこや川津祐介、津川雅彦、土屋久美子といった脇の面子も万全。笠松則通のカメラによる透明感の映像、PSY・Sによる主題歌は文句なしの出来映えだ。
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「記者たち 衝撃と畏怖の真実」

2019-05-13 06:27:11 | 映画の感想(か行)

 (原題:SHOCK AND AWE )ロブ・ライナー監督作としては前回の「LBJ ケネディの意志を継いだ男」(2016年)よりも上質だ。もちろん、本作と同時期公開の「バイス」に比べれば大差を付けてリードする。やはり政治ネタを扱う場合は、正攻法が一番だ。「バイス」のように中途半端なケレン味を付与すると、認識の浅さを見抜かれる。

 9.11同時多発テロの翌年、ジョージ・W・ブッシュ米大統領はイラクのサダム・フセインが大量破壊兵器を保有しているとして、イラク侵攻に踏み切ることを宣言。テロに対する義憤に駆られていた多くの国民が、その決定を熱狂的に支持する。一方、中堅新聞社ナイト・リッダーのワシントン支局長ジョン・ウォルコット及び部下のジョナサン・ランデーとウォーレン・ストロベルは、ブッシュ政権の姿勢に疑問を抱いていた。

 同社は元従軍記者でジャーナリストのジョー・ギャロウェイに取材協力を依頼するが、ギャロウェイの幅広い情報網をもってしても、イラクが大量破壊兵器を保有している証拠は見つからない。そんな中、ニューヨークタイムズやワシントン・ポストなどの有力マスコミは政府方針に追随。ナイト・リッダーは開戦気分が高揚する世間の潮流の中で、孤立を余儀なくされる。

 現時点でこのネタを扱う理由は、強硬な姿勢を見せる現トランプ政権には9.11事件当時の共和党政権と通じるものがあるからだろう。もちろん、そこには民主党寄りのハリウッド映画人のスタンスが存在している。だが、そのことを度外視しても、本作でのマスコミの捉え方には大きな求心力がある。

 報道とは事実に則って成されるもので、事実の裏付けの無いネタなど本来はマスコミが扱ってはならないはずだ。しかし、時には政権への阿りや忖度、あるいは大衆への迎合を優先するあまり、虚偽を報じてしまう。アメリカはかつてベトナム戦争で痛い目に遭っていながら、政権およびマスコミは同じ過ちを繰り返している。イラク戦争の際にその欺瞞に気付いていたのが、ナイト・リッダー1社だけであったという苦い事実が重くのしかかる。

 登場人物は皆個性豊かで、題材がヘヴィでありながら人情味たっぷりに描かれている。ウォルコット役で出演もしているライナーの演出はスムーズかつ堅実で、余計なケレンは無い。上映時間が1時間半程度であるのもポイントが高く、作劇のキレの良さを印象付ける。ウディ・ハレルソンにジェームズ・マースデン、ジェシカ・ビール、ミラ・ジョヴォヴィッチ、トミー・リー・ジョーンズといったキャストも万全だ。
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「荒野にて」

2019-05-11 06:28:41 | 映画の感想(か行)
 (原題:LEAN ON PETE)時代設定が分からないので、観ていてストレスが溜まる。当初は登場人物達は携帯電話を持たず、画面に出てくるテレビもブラウン管方式なので、てっきり80年代か90年代前半の話だと思っていた。ところが劇中で“90年代は良かった”などというセリフが出てきて、ならばこれは2000年代初めかと思いきや、終盤には現代風の小道具が用意されている。斯様に時制が曖昧であることは、作劇に一貫性が乏しいことを示していて愉快になれない。

 15歳の少年チャーリーは、職を転々とする父と共にポートランドに越してきた。母はとうの昔に家を出て、何かと面倒を見てくれた伯母のマージーもチャーリーが12歳の時に父と大ケンカし、そのまま行方知れずになる。ある日、近所の競馬場で厩舎のアルバイトの職を得たチャーリーは、オーナーであるデルから競走馬リーン・オン・ピートの世話を任される。その仕事がすぐに馴染んだ彼だったが、父がトラブルに巻き込まれて死んでしまう。



 身寄りが無くなったチャーリーは、そのままピートの遠征に同行。ピートは年を取っており、やがて殺処分の決定が下される。怒ったチャーリーは、ピートを乗せたトラックを盗んで逃走。かつてマージーが住んでいたというワイオミング州を目指す。

 原題が馬の名前なので、てっきりピートとチャーリーの関係をじっくり描くのかと思っていたら、後半にあっけなくピートと別れてしまう。それにしても、チャーリーの言動は承服しがたい。父親が亡くなった時でもヘンに淡々としているし、ピートと離れる際もあっさりしたものだ。

 加えて平気で無銭飲食をやらかすし、他の車からガソリンを抜き取ったりする。果ては(いくら自分の金を取り戻すためとはいえ)ホームレスに暴行をはたらいて重傷を負わせる。なおかつ反省の色は見られず、刑務所に入るのをイヤだとゴネたりもする。ハッキリ言って、まったく共感できない。アンドリュー・ヘイの演出は要領を得ないままで、テンポも悪い。

 本作で第74回ヴェネチツィア国際映画祭で新人俳優賞を獲得したチャーリー・プラマーはけっこう良い素材だと思うのだが、個人的には映画では活かされていないように思う。ただ、スティーヴ・ブシェミやクロエ・セヴィニー等の脇の面子は良かった。またマウヌス・ノアンホフ・ヨンクのカメラによる荒野の風景はとても美しく、それなりに評価出来る。
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「キャプテン・マーベル」

2019-04-27 06:51:58 | 映画の感想(か行)
 (原題:CAPTAIN MARVEL)2018年に公開された「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」と、近々封切られる「アベンジャーズ エンドゲーム」とを“繋ぐ”役割はあるが、それ以外の価値を見い出せない。正直言って、冒頭に流れるマーヴェルの著名なライターだったスタン・リーに対する追悼メッセージだけ見て、劇場を後にしても別に困らないと思う。

 1995年、宇宙帝国を築いたクリー人のエリート特殊部隊“スターフォース”の女性メンバーであるヴァースは、繰り返し見る悪夢に悩まされていた。ある時“スターフォース”に宿敵スクラルが潜伏する星トルファでのミッションが与えられる。ヴァースは戦闘中にスクラルの司令官タロスによって囚われるが、何とか脱出して帰還する途中にトラブルによりトルファの近くにある星系に属していた地球に墜落する。

 彼女が流れ着いたのはロスアンジェルスだったが、特殊能力を持った彼女に諜報機関S.H.I.E.L.D(シールド)のエージェントであるニック・フューリーと新人のフィル・コールソンが接触する。ところが彼女を追ってスラクルの連中も来襲し、たちまちバトルが勃発する。

 キャプテン・マーベルことキャロル・ダンヴァースは、「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」のラストでフューリーが助けを求めた相手だ。よって今回は彼女のプロフィールと、どうしてキャロルがS.H.I.E.L.Dと関わるようになったかを描くパートのはずだが、作りが雑である。

 そもそもキャロルの性格がハッキリしない。彼女は米空軍のパイロットだったが、事故で偶然にクリーに拾われ、その際に記憶を失っているという設定だが、あまり自主的に動いているように見えない。ただ周囲に流されているだけだ。後半でスラクルの立場とクリーの真の狙いが明らかになるものの、何やら取って付けたようなモチーフであり、果ては四次元キューブの争奪戦がどうのこうのという、あまり興味を覚えないネタが展開される。

 また終盤近くで覚醒したキャプテン・マーベルの能力は“無限大”であり、弱点らしきものが見当たらない上に戦い方も特徴が無い。要するに、主人公に明確なキャラクターが付与されていないのである。演じるブリー・ラーソンは頑張ってはいるが、DC陣営のワンダーウーマンを演じるガル・ガドットに比べれば器量が見劣りするのは否めない(笑)。

 フューリー役のサミュエル・L・ジャクソンは楽しそうに演じてはいるが、フューリーが片目を失った背景が“脱力もの”であったように、何やら悪ノリの感がある。敵役のジュード・ロウの扱いも工夫が無い。監督はアンナ・ボーデンとライアン・フレックの連名だが、才気は感じられない。それにしても、キャプテン・マーベルは次作でどういう働きをするのだろうか。“何でもあり”のオールマイティな強さは、作劇の幅を狭めてしまうと思う。そのあたりを製作側がどう判断するのか、見ものではある。
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「グリーンブック」

2019-04-22 06:31:27 | 映画の感想(か行)

 (原題:GREEN BOOK)観ている間はとても楽しめる。最後までストレス無くスクリーンに対峙出来て、感動的な気分にもなれる。しかし、観た後はあまり残らない。良く言えば“後味がサッパリとしている”という映画。意地悪な言い方をすれば“掘り下げ方が足りない映画”。要するにそういうシャシンだ。

 1962年、腕っ節の良さを買われてニューヨークの高級クラブの用心棒を務めていたトニー・リップは、クラブの改装工事の期間中、著名な黒人ピアニストのドクター・シャーリーの運転手として働くことになる。シャーリーはトニーの運転する車で演奏旅行に出かけるが、行き先は何と黒人に対する偏見が強い南部であった。当然のことながら身分や生き方がまるで異なる2人は、なかなか打ち解けない。それでも黒人用旅行ガイド“グリーンブック”を頼りに、何とか旅は続いていく。実話を基にした人間ドラマだ。

 キャラクターが違う2人の珍道中を追うロードムービーは、昔からさんざん取り上げられた“鉄板”の設定だ。しかも本作では両者の人種や立場を分けているため、時代背景も相まってそこに差別などの社会問題を織り込みやすく、加えて最初は折り合わなかった2人が次第に親密になる過程を淡々と描くことにより、容易くハートウォーミングな雰囲気を醸成することが出来る。

 道中はトラブル満載だが、いずれもそんな深刻な事態にならずに何とかやり過ごす。そして旅の終わりには嬉しいサプライズが待っている・・・・といった、観る側に余計な重圧感を与えない作りになっており、その分幅広い層にアピールすることが可能になり、結果としてアカデミー賞も取ってしまった。製作者としてはまことにオイシイ仕事だったと思われる。

 しかし、この映画にはシリアスな問題提示は存在しない。人種差別の深刻さ、それを裏付ける人間の心の闇や、歪な社会情勢などは描出されない。たとえば、シャーリーはあえて差別の激しい南部をツアー先として選ぶが、その行動を単なるシャーリーの“心意気”の次元で扱っているためか、彼の切迫した内面や当時の南部の状況などはほぼ捨象されている。対するトニーも、単に“見掛けは粗野だが、実は良い奴”といった紋切り型の描かれ方だ。

 そして、肝心の演奏シーンの訴求力の低さは致命的だ。選曲が悪いのか、さほど盛り上がらない。一見賑々しい終盤の酒場でのパフォーマンスもひどく平板だ。もっとも、これは監督ピーター・ファレリーのセンスの問題かもしれない。

 主演のヴィゴ・モーテンセンとマハーシャラ・アリは健闘していると思う。特にモーテンセンは綿密な役作りによってイタリア系にしか見えないのはアッパレだ。しかし、全編を覆う過度に甘い口当たりのストーリーテリングによって、さほど印象に残らないのも事実。なお、ショーン・ポーターによる撮影は良かった。
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「ガントレット」

2019-03-01 18:21:47 | 映画の感想(か行)

 (原題:THE GAUNTLET)77年作品。クリント・イーストウッドの監督作は個人的に概ね好みではないが、気に入った映画もわずかにあり、本作はその中の一本だ。もっとも脚本はイーストウッドではないので(担当したのはマイケル・バトラーとデニス・シュラック)、そのせいかもしれない。

 アリゾナ州フェニックス市警に勤めるショックリー巡査長は、中年に達する年齢ながら風采が上がらず、未だ独り者で酒に浸る毎日だ。ある時、彼は上司のブレイクロック警部補から、検事側の証人をラスベガスから連れてくるという業務命令を受ける。早速現地に赴いたショックリーは、その証人が若い売春婦であったことに驚くが、その女マリーはフェニックスまで彼と同行することを拒む。行けば殺されると言うのだ。

 彼女を信用出来ないまま、それでもマリーを連れて戻ろうとするショックリーだったが、乗ろうとした車は爆破され、正体不明の連中から付け回される。さらにマリーの家に身を寄せた彼を警官隊が包囲し、一斉射撃を加える。命からがら難を逃れたショックリーは、いつの間にか自分が凶悪事件の犯人として指名手配されており、マリーも犯罪組織から狙われていることを知る。罠に嵌められた彼だが、それでも敵の首魁を倒すため決死の覚悟でフェニックスに向かう。

 ヒッチコック映画でお馴染みの“追われながら事件を解決する話”を下敷きに、ロードムービーとラブストーリーを載せるという、鉄板の設定が提示されている。主人公たちには次々と災難が降りかかり、一つのハードルを乗り越えると、間髪入れず別のトラブルが手を変え品を変えて襲ってくる。その展開は実にスムーズで無理がない。

 アクション場面の段取りも上手く、バイクに乗るショックリーとマリーをヘリコプターが追いかけるシークエンスは絶妙だし、圧巻はショックリーの運転するバスを待ち受ける凄まじい数の銃弾だ。どう考えても主人公たちが生き残れる状況ではないのだが(笑)、勢いで突っ走っている。イーストウッドの演出は単純明快でストレート。彼がこの路線を極めて、ドン・シーゲル監督の後継者みたいな位置を占めることになれば万々歳だったと今では思うのだが、それからは作家性を前面に打ち出して“巨匠”になってしまったのには、何とも複雑に気分になる。

 本作における主役としてのイーストウッドは実に良い味を出しているが、それより印象的だったのがマリーに扮したソンドラ・ロックである。蓮っ葉でありながら純情、粗野だが知的という役柄を見事に表現している。残念ながら彼女はイーストウッドよりも先に世を去ってしまったが(2018年没)、この一作だけで十分に映画ファンの記憶に残る仕事をしたと言えよう。
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「合衆国最後の日」

2019-02-10 06:27:58 | 映画の感想(か行)
 (原題:Twilight's Last Gleaming)77年作品。骨太の娯楽映画を得意としていたロバート・アルドリッチ監督は、本作のようなポリティカル・スリラーを手掛けても、実に鮮やかに決める。上映時間は2時間半と長いが、息切れすることなく最後まで楽しませてくれる。

 1981年11月。元空軍大佐のデルとその仲間は州刑務所を脱獄。モンタナ州のミサイル基地に侵入した。デルはこの基地の設計者であったが、反体制的な言動で政治犯として投獄されていたのだった。彼は軍当局に、ベトナム戦争当時の国家機密文書の公表と国外逃亡資金の用意、そして逃亡が完了するまで大統領が人質になることを要求する。



 司令センターの責任者マッケンジー将軍は基地内に部隊を展開させるが、事態を察したデルはミサイルの発射ボタンを押した。大統領はデルの要求を呑むことを通告し、ミサイルは飛び立つ寸前で止まる。自ら人質になるため現金を持って出向いた大統領だが、何とかして機密文書の公開を避けたいマッケンジーは、無謀な行動に出る。ウォルター・ウェイジャーによるサスペンス小説の映画化だ。

 時代設定が製作年度の数年後になっていることがミソだと思う。つまりは当時としての“近未来”の話であり、70年代以降に日本などの先進工業国との貿易赤字に悩まされ、見通しが暗くなった彼の国の“末路”が描かれていると言える。経済が不安定になると軍部の台頭を懸念する向きが多くなるらしく、本作では情報を握り潰した挙げ句に国家の主権も蔑ろにする軍の横暴がシビアに捉えられているのが興味深い。

 アルドリッチの演出は弛緩したところが無く、プロットの運びは強固だ。特徴的なのが画面分割で、それぞれのパーツを追うのは難儀だが(笑)、緊張感を増すのに貢献している。ラストの処理はちょっとした驚きで、西ドイツの資本が入っていたことも大きいのかもしれないが、脳天気なハリウッド大作と一線を画する扱いは実に面白い。

 デル役のバート・ランカスターをはじめ、リチャード・ウィドマーク、バート・ヤング、ジョゼフ・コットンなど、キャストは重量級を配しているのが嬉しい。個人的に印象的だったのが大統領に扮するチャールズ・ダーニングで、正義感が強く情に厚い人物像を上手く表現していた。ジェリー・ゴールドスミスの音楽は効果的だし、ビリー・プレストンによる主題歌も悪くない。
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「蜘蛛の巣を払う女」

2019-01-28 06:21:18 | 映画の感想(か行)

 (原題:THE GIRL IN THE SPIDER'S WEB)前作「ドラゴン・タトゥーの女」(2011年)よりも面白い。ベストセラーである原作の「ミレニアム」シリーズに接していない観客(←私も含む ^^;)に対しても分かりやすくアピールするためか、明快なスパイ・アクションに徹しているようだが、これが功を奏している。元ネタとの関係性に拘泥して作劇の範囲を狭めるよりも、映画自体でウェルメイドに徹する方が合理的なのは当然だ。

 ストックホルムに住む一匹狼で荒仕事も請け負う天才的ハッカーのリスベットは、人工頭脳の世界的権威であるバルデル教授から、開発してNSAに“納品”した世界中の戦術核を制御するプログラムを取り戻してほしいと頼まれる。難なくプログラムを奪還したリスベットだが、起動させるためにはバルデル教授の息子が知るパスワードが必要なことが判明。しかも、プログラムを横取りしようと謎の組織が暗躍し始める。

 この組織を仕切っているのが、16年前に生き別れになったリスベットの妹カミラであった。父親がボスを務めていた犯罪シンジケートを受け継いだカミラは、リスベットに対決を挑む。

 前作でクローズアップされていたジャーナリストのミカエルの扱いが軽いのは欠点だと思うが、その分リスベットとカミラとの姉妹の確執が効果的に取り上げられており、あまり気にならない。またプログラムを取り返そうとアメリカからやってくるNSAのエージェントのカザレスや、事件を闇に葬ろうとするスウェーデン公安警察、リスベットのハッカー仲間など、バラエティに富んだ面子がストーリーに絡み合う。監督フェデ・アルバレスはこれらのキャラクターを上手くコントロールし、テンポを落とさずに最後まで乗り切っている。

 アクションシーンの見せ方や段取りも申し分ない。何より、冷たく厳しい北欧の冬の描写が印象的だ。主演のクレア・フォイは前作のルーニー・マーラに比べると器量は落ちるが(おいおい ^^;)、身体は良く動くし観ているうちに気にならなくなる。

 カミラ役のシルビア・フークスはまさに“怪演”で、エキセントリックな持ち味を発揮。時に、真っ白な雪原をバックに赤い衣装を身にまとって現れる場面はインパクトが大きい。ペドロ・ルケのカメラによる撮影やロケ・バニョスの音楽も言うこと無しで、この調子ならば(原作を離れても)いくらでも続編を作れそうだ。
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「クリード 炎の宿敵」

2019-01-26 06:18:53 | 映画の感想(か行)

 (原題:CREED II)上映時間が必要以上に長く、中盤が間延びしてしまうのだが、ラストの処理は長年このシリーズを見続けてきた手練れの映画ファン(←私も含む ^^;)にとって、とても感慨深いものになっている。よって、低めに評価することは出来ない。それどころか、本当に観て良かったと思うほどだ。

 前作「クリード チャンプを継ぐ男」(2015年)での激闘の後、ロッキー・バルボアの指導を受けて世界チャンピオンに上り詰めたアドニス・クリードに、ロシアのボクサーであるヴィクター・ドラゴが挑戦状を叩き付ける。ヴィクターは「ロッキー4 炎の友情」(85年)でクリードの父アポロを撲殺したイワンの息子であった。ロッキーの反対を押し切って、この遺恨試合に臨んだアドニスだったが、圧倒的なヴィクターのパワーの前に為す術も無くリングに倒れてしまう。試合はヴィクターの反則行為によってアドニスの勝利となったものの、アドニスはその結果に納得しなかった。

 中盤に挿入されるアドニスと恋人ビアンカとの関係、および2人が結婚して長女を授かるくだりが、かなり長い。そしてロッキーとアドニスの養母メアリーとのやりとりや、アドニスが一時期ロッキーの元を離れるといった部分も、少しは削る余地があったと思う。

 しかしながら、30年以上前のソ連での死闘に敗れたイワンの境遇およびヴィクターの不遇、そしてロッキーとの再会は、(あれから大きく変わった世界情勢を背景に)重く扱われて見応えがある。スティーヴン・ケイプル・Jr.の演出はドラマ運びは冗長な部分もあるが、試合のシーンは畳み掛けるようなタッチで迫力満点だ。

 終盤の展開は、ロッキー役のシルヴェスター・スタローン及びパート4に引き続いてイワンを演じるドルフ・ラングレンの、それぞれ実生活での変遷が重ね合わされて、観ていると何とも言えない気持ちになる。さらには、かつてスタローン夫人であったブリジット・ニールセンが思わせぶりに登場するのだから嬉しくなった(笑)。

 主演のマイケル・B・ジョーダンアやヒロイン役のテッサ・トンプソン、ヴィクターに扮したフローリアン・ムンテアヌなど、キャストは皆好演。音楽はルドウィグ・ゴランソンが担当しているが、それよりもクライマックスに流れるお馴染みの“ロッキーのテーマ”には泣かされた。本作の結末を勘案すると続編の製作は難しいように思えるが、もしも作られたらまた観るつもりだ。
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