goo blog サービス終了のお知らせ 

元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「コルドラへの道」

2024-11-24 06:27:52 | 映画の感想(か行)
 (原題:THEY CAME TO CORDURA)1959年作品。西部劇スターとして名を馳せたゲイリー・クーパー主演のウエスタンだが、監督が社会派のロバート・ロッセンということもあり、通常の娯楽映画とは一線を画する含蓄のある内容に仕上がっている。特に、極限状態に置かれた人間の生き様を容赦なく描くあたりは感心した。キャストも万全だ。

 1916年のアメリカ南部。ソーン少佐の所属する騎兵隊は、メキシコの革命家パンチョ・ビリャ率いる反乱軍と国境付近で交戦状態に入る。米軍は何とか勝利し、ソーンは戦いで活躍した5人の兵士を叙勲するため、そしてメキシコ軍に便宜を図ったという疑いで牧場主のアメリカ人女性アデレード・ギアリーを軍当局に引き渡すため、7人でテキサス州のコルドラ陸軍基地を目指して出発する。



 ところが、ソーンの触れられたくない過去が明るみに出ると兵士たちは彼を敵視するようになる。しかも道中でゲリラ兵の襲撃を受け、馬を失った挙げ句に徒歩での移動を強いられる。さらにアデレードをめぐって男たちの欲望が横溢し、水と食料も残り少なくなり、病人まで出る始末。彼らの苦難の旅は続く。

 冒頭近くの戦闘シーンこそスペクタクル性が感じられるが、映画の大半は主人公たちの苦闘が綴られる。人間、逆境に直面すると不条理な怒りや欲望に囚われてしまう。叙勲の名誉なんかどうでも良くなり、いかにして生き延びるかという根源的な欲求だけが表面化する。そんな中にあって、ソーンだけは軍の規律とプライドを頑なに守る。

 ここで“高潔な軍人VS.下世話な者たち”という単純な構図に陥らないのが本作の長所だ。ソーンにはこの旅を貫徹しなければならない事情があり、それは決して崇高なものではない。兵士たちにしても、こんな修羅場になれば八つ当たりするのも当然なのだ。しかし、ソーンはそれでも自らの任務を放棄しない。そのことが自身の過去を清算することに他ならないからだ。ソーンの意図が明らかになる終盤は十分に感動的であり、ロッセン監督のヒューマニストぶりが窺われる。

 G・クーパーは内面で屈託と使命感がせめぎ合う様子を上手く表現した妙演で、観ていて引き込まれるものがある。アデレード役のリタ・ヘイワースは荒涼とした沙漠の中にあっても魅力的だし、敵役とも言えるチョーク軍曹に扮するヴァン・ヘフリンも憎々しい好演だ。リチャード・コンテにタブ・ハンター、ディック・ヨーク、マイケル・カラなど当時の演技派が脇を固めている。また、バーネット・ガフィのカメラによる荒野の風景は実に効果的だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「国境ナイトクルージング」

2024-11-18 06:25:16 | 映画の感想(か行)
 (原題:燃冬 THE BREAKING ICE)手練れの映画ファンならば、ジム・ジャームッシュ監督の代表作「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(84年)との共通性を見出すことだろう。もっとも、本作はあの映画のクォリティの高さには及ばないが、それでも十分な訴求力を持ち合わせていると思う。観て損はしない中国=シンガポール合作だ。

 吉林省延吉市は、中国と北朝鮮との国境に位置する街である。友人の結婚式に出席するため、上海から冬の延吉にやって来た青年ハオフォンは、翌朝の帰路のフライトまでの時間を利用して観光バスツアーに参加する。ところが途中でスマートフォンを紛失してしまい、女性観光ガイドのナナは責任を感じて彼をその晩食事に誘う。ナナの男友達のシャオも加わって夜遅くまで盛り上がるが、翌朝ハオフォンは寝坊して飛行機に乗り損ねる。こうなったのも何かの縁だと割り切った彼は、シャオの提案による3人での国境近辺でのバイクツーリングに出掛ける。



 ハオフォンはエリートサラリーマンなのだが、激務でメンタルが限界に達しようとしており、定期的にカウンセリングを受けている。ナナは以前はフィギュアスケートの選手だったが、足の怪我により断念。今では観光ガイドで糊口を凌いでいる。シャオは叔母の飲食店で働いており、取り敢えずは生活に不満は無いようなのだが、ハオフォンとの出会いにより何か別の生き方があるのではないかと思い始める。

 彼らの屈託は、けっこう普遍的なものではないだろうか。もちろん挫折したことのない者や、そもそも能動的に人生を送っていない人間には関係の無い話かもしれない。だが、そういうのは多数派ではないだろう。それぞれが心の奥に(意識的・無意識的に関わらず)ため込んだ懊悩は、他者と触れ合うことによって顕在化したりもする。それがここではよく表現されている。

 飲んで酔いつぶれたり、バイクの3人乗りで北朝鮮との国境付近を走り回ったり、書店で誰が一番分厚い本を万引き(未遂)できるかといったようなゲームをしたりと、彼らは若者らしいアホな振る舞いばかりやっているが、それでもコミュニケーションが自己の内面を照射するという本筋をトレースしている。別にドラマティックな出来事があるわけではないが、作品の好感度が高いのは人間関係の在り方をマジメに捉えているからだろう。

 彼らが足を運ぶ白頭山の近辺をはじめとするこの地方の冬の風景は、まさしく「ストレンジャー・ザン・パラダイス」での主人公3人の“冬の旅”を想起させる。ユー・ジンピンのカメラによるモノクロに近い凍り付いた風景は、とても心惹かれる。アンソニー・チェンの演出は、起伏が乏しいと思われるストーリーラインを冗長にならずラストまで運んでいて好感が持てる。

 ハオフォン役のリウ・ハオランにシャオを演じたチュー・チューシャオも悪くないのだが、最も印象的だったのはナナに扮したチョウ・ドンユイだ。デレク・ツァン監督の秀作「少年の君」(2019年)で女子高生を演じた頃に比べると随分と大人っぽくなったと思ったら、彼女はあの映画の出演時にはすでに二十歳をとうに過ぎていたのだ。容貌のせいもあるのだが、パフォーマンスの力によって役を引き寄せるのは流石だと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「決戦は日曜日」

2024-10-27 04:05:51 | 映画の感想(か行)
 2021年作品。本日(2024年10月27日)は第50回衆議院議員総選挙の投票日だ。だからというわけでもないが、思い出したのがこの映画。とはいえ、選挙を扱った作品は邦画においてはドキュメンタリーの独擅場である。フィクションでこのネタを料理しようとしても、複雑怪奇な選挙の有様を凌駕するほどのドラマをデッチ上げられるほどの、高い意識と知識を持ち合わせた映画人はいないというのが実情だろう。本作もあまり面白くない。とはいえ、少しは興味を惹かれる部分はある。

 千葉県の地方都市を地盤に持つ与党の重鎮の川島昌平が、衆議院解散のタイミングで病に倒れてしまう。彼の後任として白羽の矢が立ったのは、娘の有美だった。私設秘書の谷村勉は何とか彼女をサポートしようとするが、有美はワガママな上に政治に対する知見も無い。加えて川島昌平のスキャンダルが発覚し、谷村をはじめとするスタッフは窮地に追い込まれる。



 監督と脚本は坂下雄一郎なる人物だが、どうも筋書きも演出テンポもよろしくない。有美のような候補者を茶化して描き、この世界のいかがわしさを印象付けようとしているものの、実際の政治家および候補者にはヒロインを上回る困った人物など珍しくはないのだ。そもそも、映画が現実を後追いしてどうするのかと言いたい。

 そして有美は出馬に乗り気では無かったとはいえ、結局は引き受けてしまうあたりの背景が示されていない。元より政治的ポリシー云々をネタにするようなシャシンではないが、少しは政策面に言及した方が良かったのではないか。

 とはいえ、有美が周囲から担ぎ出された経緯は無視できない。二世政治家に対する問題意識はどこにもなく、皆当然のごとく後援会や地方議員たちの推薦のことばかりを話題にする。本人が少しでも自分の意見を表明すると、義理や世間体を振りかざして黙らせる。なるほど、特に地方ではこのような非生産的なことが横行しているのだろう。それを取り上げたのが唯一の本作の手柄かもしれない。

 主演の窪田正孝と宮沢りえは良くやっていたとは思う。特に、大して演技が上手くない宮沢のキャラクターが自主性が欠如した候補者役にピッタリで、怪我の功名と言うべきか。赤楚衛二に内田慈、小市慢太郎、音尾琢真といった面々も破綻の無い仕事ぶりだ。さて、本日の選挙結果はどうなるか。場合によっては政局に大きな変化が生じることは十分考えられ、来年の参院選までしばらくは政治の世界から目が離せない状況が続きそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「恋は光」

2024-10-04 06:25:56 | 映画の感想(か行)
 2022年作品。体裁は(普段は私はノーマークの)若年層向けのラブコメなのだが、快作「彼女が好きなものは」(2021年)での好演が印象的だった神尾楓珠が主役ということでチェックしてみた。結果、けっこう楽しんで観ることが出来た。何より、この手のシャシンにありがちな浮ついたタッチが控え目で、さらにテーマとしては浅からぬ素材を扱っているあたりがポイントが高い。

 岡山市に住む男子大学生の西条は、恋をしている女性が光って見えるという特異体質の持ち主だ。そのこともあって、本人は恋に対しては及び腰である。ある日彼は同じ大学に通う文学少女の東雲に一目ぼれしてしまい、恋の定義について語り合う交換日記まで始めてしまう。一方、西条には北代という幼なじみの女友達がいて、何かとウマが合う間柄なのだが、西条には彼女が“光って”見えていない。さらに彼の近くには、恋人がいる男ばかり好きになってしまう女子大生の宿木もいて、奇妙な四角関係が形成されてしまう。秋★枝の同名コミックの映画化だ。



 まず、やたら理屈っぽくて偉そうに能書きばかり垂れる西条のキャラクターが最高だ。実は彼には複雑な過去があるのだが、それも含めて彼と東雲とは共通点が多い。だから惹かれ合うのも当然かと思われる。恋多き女のようで、実は恋の何たるかを理解していない宿木の立ち位置も玄妙で、この“表面的な様相でのラブ・アフェア”という展開は、意外にも(私みたいなオッサン世代でも)共感度が高かったりするのだ。

 やっぱり外観および浅い認識の次元で関係を決めつけてしまうのは、人間の悲しい性なのだろう。その意味で、西条の“恋する女子の周りに光が見える”という設定は面白い。なぜなら、彼には“恋している女子”は光って見えるものの、どの時点でどういうベクトルで恋しているかを推し量ることは出来ない。だから突っ込んだ考察をする必要があり、及び腰な姿勢ではいられないのだ。その彼が、恋の何たるかを悟る終盤には、感慨深いものがある。

 小林啓一の演出は殊更に才気は感じられないが、堅実な仕事ぶりかと思う。神尾の演技は相変わらず達者で、キャラも立っている。平祐奈に馬場ふみか、伊東蒼といった面子も万全だ。そして北代に扮した西野七瀬のパフォーマンスにはちょっと驚いた。それまでは演技の拙い“坂道一派”の1人に過ぎないと思っていたのだが、ここでは目覚ましい仕事ぶりを見せており、今後の活躍も期待できる。野村昌平のカメラによる岡山市の町並みや後楽園、瀬戸大橋、倉敷市などの光景は(いくぶん色合いが人工的だが)とても美しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「きみの色」

2024-09-29 06:32:57 | 映画の感想(か行)
 これは面白くない。とにかくシナリオの出来が悪すぎる。そしてアニメーション技術も及第点には達していない。監督の山田尚子が2016年に手掛けた「映画 聲の形」は、食い足りない部分は多々あるものの、主人公の造型と卓越したアイデアが満載の映像処理により見応えのある作品に仕上がっていた。だからこの新作も期待したのだが、完全にハズレだったようだ。

 全寮制のミッションスクールに通う日暮トツ子は、子供の頃から人間が“色”として見えるという特殊な感性を持っていた。そんな彼女は、同じ学校に通っている作永きみが気になって仕方が無い。何しろトツ子の目からは、きみは美しい青に“見える”のだ。しかし、きみは突然に学校を辞めてしまう。きみを探すトツ子は、街の片隅にある古書店でやっと彼女を見つける。そこに居合わせた音楽好きの影平ルイと意気投合したトツ子は、3人でバンドを組むことになる。



 トツ子はある種の共感覚の持ち主なのだろうが、人間自体に“色”が付いて見えるというのは、無理筋の設定だ。相手をある程度知ってから“色”を認識するのならば分からなくもないが、最初から“色合い”で付き合うかどうかを決めるなんてのは、独善に過ぎないだろう。きみが退学した理由は最後まで示されないし、そもそも生徒が学校からエスケープすれば真っ先に保護者に連絡が行くはずだが、それも無し。

 きみが店番をしている古本屋は、路地裏のそのまた奥にあり、現実感はゼロだ。ルイの住処は携帯電話の電波も届かない離島で、そこにある古い教会を3人は練習場所にするのだが、これも浮世離れしている。要するにこれは、私が最も苦手とする“若年層向けのファンタジーもの”ではないか。

 それでも主人公たちのキャラが好ましく、なおかつ3人によるバンドのサウンドが素晴らしければ許せてしまうのだが、それも不十分。トツ子は身勝手な理由で修学旅行をキャンセルするし、きみは何を考えているか分からない。ルイの家庭環境は微妙みたいだが、それは詳述されないし、本人の中身はどうなのかも掴めない。学園祭でのバンドのパフォーマンスは観ていて一向に盛り上がらないし、楽曲のレベルも低い。つまりは見せ場が無いのだ。

 舞台は長崎市をモデルにしているらしいが、あの町に住んだことのある身から言わせれば、ほとんど魅力が出せていない。とにかく映像に奥行きが無く平板である。色遣いもパステルカラーのパッチワーク(?)に終始して陰影に乏しい。極めつけはMr.Childrenによるエンディングテーマで、それまでの映画の雰囲気とまったく合っていない。ひょっとして作者はミスチルのファンなのかもしれないが、この起用は失敗だったと言わざるを得ない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「クロス・ミッション」

2024-08-23 06:35:01 | 映画の感想(か行)
 (英題:MISSION CROSS )2024年8月よりNetflixから配信された韓国製アクション劇。前半はコメディ・タッチで楽しめるが、中盤を過ぎると、よくある活劇編のレベルに落ち着いてしまう。最後までスタイルに一貫性を持たせた方が良かったと思う。とはいえ、キャストは好調だしテンポも悪くないので、一応ラストまで観ていられる。

 ソウル市警に所属する敏腕女刑事カン・ミソンは、仲間内で“ワニ”と呼ばれるほどの強引で手荒な捜査で、周囲から恐れられていた。夫のパク・ガンムは幼稚園の送迎バスの運転手をしながら、主夫として彼女を支える気弱で穏やかな男だ。しかし、実は彼は韓国政府の諜報機関に属していた元特殊要員で、もちろん妻にはそれを隠して結婚したのだった。ある日、ガンムは昔の仲間と再会するが、それを切っ掛けに彼はまたしても国家的陰謀に巻き込まれていく。一方、ミソンは別のヤマ追っていたが、偶然それはガンムが直面している事態と繋がっていた。



 男勝りのミソンと恐妻家を装うガンムとの掛け合いが展開する序盤は面白く、ギャグも鮮やかに決まる。さらにガンムが以前の同僚である女性エージェントと会う現場をミソンの同僚たちが目撃し、これは不倫だと早合点するあたりは実に愉快だ。こういうライトな路線で全編進めて欲しかったのだが、主人公夫婦が“共闘”を始める後半に入るとドンパチ主体の単なるアクション劇に移行するのは不満である。

 もっとも、活劇の段取りはけっこう良く考えられているとは思うが(特にカーチェイス場面)、それだけではこの映画のストレートな作劇の欠如を補いきれない。あと、敵の首魁の扱いがいたずらにマンガチックで気勢が削がれる。脚本も担当したイ・ミョンフンの演出は、コメディのパートこそ上手くこなしているが、アクションシーンの繰り出し方は意外と平凡だ。結末の付け方も、あまりスマートとは言えない。これでは主人公2人の今後が見通しが掴めないと思う。

 とはいえ、主演のファン・ジョンミンとヨム・ジョンアは絶好調。表情の豊かさも身体のキレも、そしてギャグの繰り出し方も満点だ。チョン・ヘジンやチョン・マンシク、キム・ジュホン、キム・ジュンハンら脇の面子も悪くない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「クレオの夏休み」

2024-08-18 06:29:56 | 映画の感想(か行)
 (原題:AMA GLORIA)世評は高いようだが、個人的にはピンと来ないシャシンだった。とにかく、話に愛嬌が足りない。別に、子供を主人公にしたヒューマンドラマだからといって肌触りの良いハートウォーミングなストーリーに仕上げる必要は無いのだが、本作はイヤな面が目立つ割にリアリティが希薄であり、観ている間は違和感しか覚えない。まあ、上映時間が83分と短いのが救いだろうか。

 パリに父親アルノーと暮らす6歳のクレオは母親を早くに亡くし、彼女は何かと面倒を見てくれる乳母のグロリアに懐いていた。ところがある日、グロリアは身内に不幸があったため遠く離れた故郷アフリカへ帰ることになってしまう。突然の別れに戸惑うクレオだったが、グロリアは彼女をアフリカの実家に招待する。そしてクレオはアフリカでの夏休みを過ごすことになる。



 実は、クレオの旅は決して愉快なものではない。グロリアの娘のナンダには産まれたばかりの赤ん坊がいて、当然のことながらグロリアはそっちの世話で忙しく、クレオをあまり構ってやれない。ただでさえ言葉が通じずに、ヨソ者のクレオは現地では上手く振る舞えない。ついには彼女は赤ん坊がいなければグロリアがフランスに帰ってくると考えてしまうような、愉快にならざる展開にもなる。

 もちろん、これはクレオ自身の責任ではなく、子供の気持ちを十分考慮しなかった父親やグロリアら大人たちに落ち度があるのだが、いくら何でも理不尽過ぎないか。クレオが思い切った行動に出てグロリアの親類たちとの距離を縮めそうなエピソードもあるのだが、効果的に描かれているとは思えない。そもそもこのシチュエーションに普遍性が見出せず、観ているこちらには何ら迫ってくるものが無い。

 マリー・アマシュケリの演出は求心力に欠け、露悪的なテイストばかりが先行しているように思う。そもそも、グロリアの故国カーボベルデは火山列島らしい奇観が多いらしいが、それらがほとんどフィーチャーされていないのも失当だろう。クレオ役のルイーズ・モーロワ=パンザニは、役柄のせいもあって可愛さに乏しい子供である。グロリアに扮するイルサ・モレノ・ゼーゴも大した見せ場は無い。

 アルノーを演じるアルノー・ルボチーニは、確かに考えが足りない父親像を上手く演じていたとは思うが、映画的興趣を醸し出しているとは言えない。あと気になったのが、アリー・アマシュケリとピエール=エマニュエル・リエによる、時折挿入されるアニメーション。さほどキレイでも面白くもなく、何のために起用したのか不明だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「彼女はハイスクール・ボーイ」

2024-08-17 06:29:21 | 映画の感想(か行)

 (原題:JUST ONE OF THE GUYS)85年作品。まったく期待しないで観たものの、意外な拾い物であった。日本の学園マンガなどにはよくありそうな設定であるが、不思議なことに日本映画ではこんなシチュエーションのドラマは思い出せない。大林宣彦監督の「転校生」と似たところがあるが、やっぱり違う。オリジナルの題材は数多く考案されてもそれを実際に映画として企画してしまうことは、やはり邦画では難しいのであろう。それをためらいも無くやってしまうのが、アメリカ映画の思い切りの良さとも言える。

 アリゾナ州の高校に通うテリーは、ジャーナリスト志望の女生徒だ。自信満々で地元新聞の記事コンテストに応募したものの、落選を知りショックを受ける。しかもその理由が“女子だから”という理不尽なもの。ならば男子の人生がどのようなものか確かめようと、男装して次の週から隣町の高校に勝手に転校してしまう。

 彼女は初日早々にリックという親友が出来るが、彼は内気で片思いしているデボラに声も掛けられない。そこでテリーは“男らしい(笑)”アドバイスで彼をイメージチェンジさせ、デボラと接近させることに成功。しかしデボラの恋人で悪ガキのグレッグが黙っていない。かくして複雑な三角関係もどきが賑々しく展開するのであった。

 ストーリーはだいたい予想通り。最後は収まるべきところに収まるのだが、下品な描写も無く気持ちよく観ていられる。けっこう前の映画なので、ジェンダーの扱い方は現時点からすれば古風に過ぎるかもしれない。性別でコンテストの入選が左右されるというのも、かなりキツいだろう。

 しかしリサ・ゴットリーブの演出は丁寧で、男女入れ替わりネタに突入する段取りは上手く、ギャグも鮮やかに決まる。テリーに扮するジョイス・ハイザーは芸達者で、難しい役柄を違和感なくこなしているし、見た目も可愛い。ただ、彼女は実質これ一作で消えたようなので残念だ。

 リック役のクレイトン・ローナーは好演だが、この頃はやっぱり若い(笑)。デボラ・グッドリッチにレイ・マクロスキー、シェリリン・フェンといった脇のキャストも堅実だ。音楽を担当しているのが何とフュージョン界の大物トム・スコットで、流麗なメロディを奏でている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「コンボイ」

2024-07-28 06:28:57 | 映画の感想(か行)

 (原題:CONVOY)78年作品。日本公開は同年のサマーシーズンである。言うまでもなく、当時はジョージ・ルーカス監督の超話題作「スター・ウォーズ」が堂々の夏休み番組として拡大公開されていたはずだ。それに対抗するもう一本の大作映画ということで大々的にPRされていたらしいが、正直言って格が違いすぎると思う。夏興行を避けて秋頃あたりに公開していた方が、もっと人々の記憶に残ったのではないだろうか。

 大型タンクローリーを駆るラバー・ダックは、とにかく警察との仲が悪い。その日もアリゾナ州の酒場で、トラック仲間と一緒に警官隊相手に大立ち回りをやらかしていた。警官たちをノックアウトして悠々と引き上げるラバー・ダックらを、トラッカーたちの積年の敵である鬼保安官ライルはしつこく追ってくる。CB無線によりラバー・ダックの武勇伝が広まると、参加者は増加。一大トラック軍団はニューメキシコ州に入るが、そこでは州知事や州軍なども出てきて騒ぎはますます大きくなる。

 主人公が当局側と反目して騒乱を引き起こす理由が、イマイチ分からない。まあ、劇中ではトラック運転手の待遇が悪いとか、有色人種のドライバーは差別されているとか、そういう謳い文句は出てくるのだが、それが派手な破壊活動に繋がるとは思えない。

 その頃はベトナムから米軍が撤退してからあまり時間が経っておらず、リベラルな雰囲気がアメリカ社会を覆っていたようなので斯様な建て付けも違和感は無かったのかもしれないが、今観ると主人公たちの底の浅さばかりが印象付けられる。監督はサム・ペキンパーだが、彼らしさが出ているのは酒場での乱闘場面ぐらいで、あとは凡庸な展開が続く。アクションシーンも全然大したことは無い。

 ラバー・ダック役はクリス・クリストファーソンだが、どうも彼は俳優よりも歌手としてのイメージが強いので、本作ではサマになっているとは思えない。バート・ヤングをはじめとするトラック野郎に扮する面子もパッとせず、ヒロイン役のアリ・マッグローに至っては印象は限りなく薄い。結局、一番目立っていたのはライルを演じるアーネスト・ボーグナインだったりする。

 脚本がB・W・L・ノートンという凡庸な人材を持ってきたのはよろしくないし、第二監督を俳優のジェームズ・コバーンが務めているのもどうかと思う。なお、この映画はC・W・マッコールにより75年に作られた同名のカントリー&ウエスタンのナンバーを元ネタにしているらしい。何やら大昔の“歌謡映画”を思わせる企画ではある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「朽ちないサクラ」

2024-07-20 06:25:20 | 映画の感想(か行)
 かなり無理のある設定とストーリー運びなのだが、結局最後までそれほど退屈することなく観終えてしまった。これは題材のユニークさと各キャストの奮闘ぶりに尽きるだろう。特段持ち上げるような出来ではないものの、凡作と片付けてしまうのは惜しいと思わせるようなシャシンだ。

 ストーカー被害を警察に訴えていた愛知県在住の女子大生が、ストーカー犯である神社の神主に殺害される。被害届の受理を警察が先送りにしたのは、その間に慰安旅行が行なわれていたためだとのスクープ記事が地元新聞に掲載。愛知県警広報課の森口泉は、親友である新聞記者の津村千佳が記事にしたのではないかと疑うが、今度は千佳が変死体で発見される。泉は職域を逸脱して独自に犯人を捜し始める。柚月裕子による警察ミステリー小説の映画化だ。



 まず、主人公が刑事でも制服警官でもなく、広報担当者である点が面白い。一応は現場経験のある上司や知り合いの刑事などの協力を得るものの、彼女自身には捜査権など無いのだ。そのためゲリラ的な活動に終始せねばならず、普通のポリス・ストーリーとはひと味違う展開になる。

 やがて事件の裏には、公安警察という普段は活動実態が表に出ない組織が関与していることが明らかになるが、ここからの筋書きがあまりにも強引だ。カルト宗教の存在も、何やら取って付けたような印象を受ける。そもそも、この局面になれば泉の身も危うくなるのだが、ほとんど言及されていないのは失当だろう。

 とはいえ、これが長編映画第二作目となる原廣利の演出は侮れないレベルには達しており、淀みなくドラマを進めている。そして何といっても主演の杉咲花だ。おそらく現時点で二十歳代の女優の中では最も力量が安定している部類かと思う。何をやってもサマになり、本作でも安心して観ていられるパフォーマンスを披露している。

 豊原功補に安田顕、藤田朋子といったベテランに加え、坂東巳之助に萩原利久、森田想といった若手も上手く機能している。橋本篤志による撮影と森優太の音楽は万全。舞台になった愛知県豊川市の風景も捨てがたい。何やら続編が作れそうな幕切れではあるが、小説版ではシリーズ化されているので、パート2の製作もあり得るかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする