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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「his」

2020-02-08 06:31:02 | 映画の感想(英数)

 御都合主義的なモチーフはけっこうあるのだが、全体的に真面目にかつ丁寧に作られた映画という印象を受け、好感度が高い。特にこの“真面目に”というのが重要で、真面目さのカケラも無いようなシャシンが目立つ昨今の邦画界において、この姿勢は貴重である。また同性愛という、描きようによっては変にセンセーショナルになったり、または反対に及び腰になったりする素材を扱っていながら、無理なくメッセージが伝わるような自然なタッチを貫いているのも納得できる。

 岐阜県加茂郡白川町に一人で暮らす若い男・井川迅は、以前は東京でサラリーマン生活を送っていたが、周囲に自分がゲイだと知られることを恐れてこの地に移り住んだのだ。ある日、かつての“恋人”だった日比野渚が迅を訪ねてくる。しかも、6歳の娘まで連れていた。聞けば渚は留学中に“勢いで”結婚してしまったが、妻は相手が同性愛者とは知らなかったらしい。それがいつしか妻にバレてしまい、現在離婚調停中だ。渚は迅にしばらく置いてほしいと頼む。戸惑いながらも3人での生活を受け入れた迅だが、ある時渚の妻が突然やってきて娘を東京に連れ戻してしまう。

 舞台になる山間の町は、珍しいほど“よそ者”に寛容だ。それは迅が来たときはもちろん、渚が住み着いた後も変わらない。これは瀬々敬久監督の「楽園」をはじめとして、日本映画がしばしば取り上げてきた閉鎖的な地方の状況とはまるで違う様相である。

 また、渚は有能な“専業主夫”であるのに対し、妻の玲奈は絵に描いたような仕事一筋でその他のことは関知しない人物として設定される。さらに、大らかな白川町の雰囲気と対比するように、東京での法曹関係者や玲奈の親は頑迷で、偏見を隠そうともしない。斯様に単純な御膳立ては、なるほど欠点には違いない。

 だが、本作にはそれらの短所をカバーするだけの作劇のパワーがある。それは主人公2人の純愛を正面切って描くことにより、一種の“真実”を我々に叩き付けていることだ。劇中で登場人物が発する“優しくなかったのは世界じゃなくて自分だった。自分が優しくなれば、世界も優しくなる”というセリフには胸を突かれるものがある。

 生きづらい世の中を、斜に構えて見ようとすればいくらでもネガティヴなテイストが湧いて出てくる。否定や憎しみを先行させてしまうと、家裁の判事や弁護士そして玲奈の親のように、一時は溜飲を下げることは出来るかもしれないが、それでは少しも前に進まない。まずは他人や自らの置かれた立場を受け容れて、それからどうすればいいか考えれば良い。そんな簡単なことを実行するだけで、世界は明るくなるのだ。斯様なポジティヴなスタンスが横溢する終盤の処理は、観ていて大いに納得するものである。

 今泉力哉の演出は正攻法で、まったく無理がない。主演の宮沢氷魚と藤原季節は初めて見る役者だが、どちらも演技が達者で好印象。上質のルックスを含めて、これからも活躍しそうだ。松本若菜に松本穂香、鈴木慶一、根岸季衣、堀部圭亮、戸田恵子といった脇の面子も良い仕事をしている。白川町の落ち着いた佇まいが印象的で、これは観て損の無い佳編だ。
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「MEMORIES」

2020-01-10 06:37:05 | 映画の感想(英数)
 95年作品。大友克洋が「AKIRA」(88年)に続いて取り組んだ劇場用アニメーション。とはいっても「迷宮物語」(87年)のようなオムニバスもので、原作は担当しているものの、演出は一話だけである。第一話「彼女の想いで・・・」は、死んだソプラノ歌手の妄念がコンピュータにより宇宙空間に仮想スペースを作りだし、近くを通りかかった輸送船の乗組員を引き込もうとする。監督は森本晃司。

 死者の怨念が特定の空間を歪める、という設定は“幽霊屋敷もの”の典型で、それをSF仕立てにするのも誰でも考えられそうなものだが、この作品はその映像の喚起力により観る者を圧倒させる。ゴシック的な仮想空間のアーキテクチャーとハイテク、死んだ彼女の想念の映像化と天使の像が襲いかかるというアナーキーな仕掛け、それと何よりジェットコースター的展開と精緻なアニメーション技術は、ハリウッドでも不可能な映像のアドベンチャーだと思う。無常的なラストも捨て難い。



 第二話「最臭兵器」は、山梨県の山麓にある製薬会社の社員が、極秘開発中の新薬を飲んだことから周囲に“殺人臭気”を放つ人間兵器に変身。東京に向かおうとする彼を阻止すべく自衛隊との激闘が始まる。監督は岡村天斎。3話中最もブラック・ユーモアに満ちた作品で、基本的にワン・アイデアのエピソードながら、畳み掛けるような展開とノンストップ・アクションで見応えたっぷり。実戦に慣れていない自衛隊のナサケなさや、アメリカ軍が介入してくるあたり、どこぞの怪獣映画を皮肉っているのも笑わせる。コンピュータを作画に使っていない製作ながら、技術的には実にハイレベルだ。

 第三話「大砲の街」は、架空の国の架空の時代の街が舞台。建物すべてに大砲が備えられ、“外敵”に対峙している。映画はこの街の平凡な一日を淡々と綴るのみ。大友克洋自身が演出を担当。遠近感のない構図と欝蒼とした色調。手書きの版画を思わせるアニメらしくない絵柄(ソ連のアニメによくありそう)。何より要塞のような、くすんだ街の風景は見事にオリジナリティを獲得している。そしてこのエピソードを“ワンカット”で撮るという実験的な試みを行なっているのも興味深い。大砲で武装し、毎日何発か発射して戦果が報道されるものの、市民の誰も“外敵”が何なのか知らない。発射することが目的と化している暗鬱な全体主義の社会を巧妙な映像で描く野心的な作品。

 三話を通して、尖った大友の作風は一貫しているし、技術的には言うことがない。少なくとも、2013年に製作された同じくオムニバス形式の「SHORT PEACE」よりも楽しめる内容だ。大友は久しく映画を撮っていないが、新作を期待したい。
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「2人のローマ教皇」

2019-12-28 06:30:27 | 映画の感想(英数)

 (原題:THE TWO POPES )見事な出来栄えで、感服した。新旧ローマ教皇の対話劇という、キリスト教には縁のない多くの観客にとって興趣に乏しい題材と思えるが、実際に接してみるとドラマの深みと厚みに圧倒される。しかも、適度なユーモアが挿入され、作劇のテンポも良く、幅広い層にアピールするだけの仕掛けも持ち合わせている。まさに映画のプロの仕事だ。

 2012年。バチカンでは教皇宛の告発文書がリークされる事件(バチリークス・スキャンダル)や長年疑惑が持たれていたマネーロンダリング、さらには頻発するカトリック教会の性的虐待事件などの責任を取り、教皇ベネディクト16世は退位する決心を固めていた。彼が後任候補に選んだのは、アルゼンチンのホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿である。だが、ホルヘはカトリック教会の方針に不満を抱いており、枢機卿の座までも降りようとしていた。ベネディクト16世はホルヘをバチカンに呼び寄せ、説得を試みる。719年ぶりに起こった、ローマ教皇の生前退任と禅譲の経緯を描く。

 現時点で現教皇はもちろん前教皇も健在で、2人の実際の映像が挿入される箇所もある。だから余計な忖度めいたものが介入するのかと思ったが、それは杞憂に終わった。主人公の2人のプロフィール、特にホルヘの激動の半生を描くパートは実にドラマティックであり、映画的興趣にあふれている。

 76年にアルゼンチンの軍事クーデター時に、ホルヘは結果的に同胞を裏切る行為に走ってしまう。軍政が終了した後は長らく“左遷”扱いになり、やっと国内のカトリック勢力の中央に復帰したのも束の間、理不尽なバッシングにさらされる。彼は恋人との仲を諦めてまで聖職に身を投じ、真に世のため人のためと思ってやったことが裏目に出たという苦悩。バチカンからのオファーを最初は断ったのも、当然だと思わせる。

 対するベネディクト16世にしても、ドイツ出身であることで時にファシスト扱いされ、度重なる教会の不祥事に有効な手段を講じることができなかったディレンマがある。そんな脛に傷を持つ2人が対峙し、教会のあるべき姿とは何なのか、教皇はどういう役割を果たすべきか、とことん話し合って合意に至る。そのプロセスが平易に綴られると共に、宗教の果たす役割という深いテーマまでもが浮き彫りになる。

 とはいえ、本作には晦渋な展開は皆無だ。2人はピアノ演奏やピザの昼食を共に楽しみ、ポジティヴな姿勢を崩さない。そして、絶対に事態は好転すると信じている。この2人が教皇であったことが幸運と思えるほどだ。

 フェルナンド・メイレレスの演出は格調が高く、しかも柔軟な語り口を伴っている。ホルヘ役のジョナサン・プライス、ベネディクト16世に扮するアンソニー・ホプキンス、共に名演。そして若い頃のホルヘを演じたフアン・ミヌヒンのパフォーマンスも素晴らしい。なお、この作品もNetflix扱い。今後はこの配信サービスの重要性がますますピックアップされるだろうが、劇場公開のプロセスも踏んで欲しいと思っているのは私だけではないだろう。
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「i 新聞記者ドキュメント」

2019-12-02 06:33:05 | 映画の感想(英数)
 素材の捉え方には大いに問題があるとは思うが、決して観て損はしない。現時点では斯様な作劇しか出来なかったこと、そしてこのようなトピックしか取り上げられなかったこと等、ドキュメンタリー映画としての出来そのものよりも、作品の背景および状況を探ることで興趣を生み出すという、面白い展開が見られる。

 本作の“主人公”である東京新聞の望月衣塑子記者を、私はまったく評価していない。劇中で何度も取り上げられる菅官房長官との記者会見における“攻防戦”は、一見望月が菅をやり込めているようだが、実際には進行役から頻繁に“主旨に沿った質問をしてください”との警告が発せられることからも分かるように、望月のパフォーマンスにより菅が困惑しているに過ぎないことが窺われる。



 そもそも、一人の記者の質問に多大の時間を割かれること自体、会見の意義に反するものであろう。また、望月はこれだけエネルギッシュに動いていながら、彼女が政界を揺るがすようなスクープをモノにしたという話は聞いたことが無い。社会部の記者でありながら、政治部の職域に首を突っ込んでいるのも意味不明だ。

 そんな彼女を、監督の森達也はヒーロー視する。かつて「A」(97年)や「FAKE」(2016年)で見せたような、対象から一歩も二歩も引いたような姿勢からはまるで異なるスタイルだ。終盤に挿入されるアニメーションも唐突かつ極論じみていて、戸惑うばかりである。

 だが、よく考えてみると、作者としては彼女を取り上げるのは“仕方がない”とも言えるのだ。なぜなら、現政権およびそれをチェックすべきマスコミのあり方に本気で噛みついている新聞記者は、望月しかいない(ように見える)からだ。政権の事なかれ主義の体質、記者クラブの閉鎖性、忖度ばかりのマスコミといった愉快ならざる事象を取り上げるにあたって、望月のようなトリックスターを画面の中心に据えるしかなかった事情が垣間見える。本当は、真に合理的なスタンスで政権に対峙するジャーナリストを活写すべきだったのだか、森監督には(そして我々にも)そういう人材を見つけられないのが実情だ。

 個人的には、望月よりも脇のキャラクターの方が印象的だった。森友学園の籠池夫妻は、そこいらのお笑い芸人より面白い。レイプ疑惑事件の渦中にある伊藤詩織は、(不謹慎を承知で言えば)とても美人だ。そして福島県の地元民が洩らす“こんな事態になっても、結局選挙では自民党が勝つんだよね”というセリフは重いものがあった。森監督には、ぜひとも次回は“与党を盲目的に支持する者たち”や“増長する与党に手を拱いているだけの野党”といった題材を扱ってほしい。
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「T-34 レジェンド・オブ・ウォー」

2019-11-16 06:25:20 | 映画の感想(英数)

 (原題:T-34)突っ込みどころはけっこうあるが、それを忘れてしまうほどの面白さ。戦車が“主役”になった戦争アクション物の代表作として、映画ファンの記憶に残るのではないだろうか。少なくとも、アメリカ映画「フューリー」(2014年)なんかより、はるかにヴォルテージが高い。

 第二次大戦における東部戦線。対ソ戦を開始したドイツ軍を食い止めるべく、新米士官イヴシュキンは初めて前線に出るが、敗れて捕虜となってしまう。数年後、イヴシュキンと戦ったイェーガー大佐は、収容所で行われている戦車戦演習のため、戦地で確保したソ連軍の戦車T-34の操縦をイヴシュキンとその仲間に命じる。しかし、そのT-34は実弾を装備しておらず、演習では敵の攻撃から逃げることしかできない。助かることが不可能に近い状況の中で、イヴシュキン達は通訳をしていたアーニャの協力を得て、演習中での脱出計画を立てる。

 ドイツ軍が収奪したT-34には、乗員の遺体と共に砲弾が放置されていたというモチーフは、まさに噴飯ものだ。イェーガー大佐はイヴシュキンが脱走することを予想していて収容所の周囲に地雷を多数設置するが、それがストーリーに絡んでくることは無い。またアーニャは容易く所長の執務室に忍び込んで地図を盗み、危険であるはずの演習当日は外出許可さえ与えられるというのは、明らかにおかしい。斯様に筋書きには随分と無理があるのだが、いざ戦闘シーンに突入すると、そんなことはどうでも良くなってくる。

 序盤の平原での戦いは迫力満点だが、どこか既視感を覚える。同じようなシチュエーションの映画は過去にもあった。しかし、後半の市街戦には度肝を抜かれる。道幅の狭い街中で、どうやって複数の敵戦車を駆逐するのか。その方法論は理詰めでありながら、実際は想定外の事態にも遭遇。あの手この手を使って危機を突破する主人公達の奮闘には、思わず手に汗を握ってしまう。イェーガー大佐との対決なんかまるで西部劇の世界で、苦笑しながらも大いに感心した。

 特殊効果が上手くいっており、特に砲弾の軌跡の描写はケレン味たっぷりながら観ていて盛り上がる。またT-34の本物の車体を使用し、ドイツ軍の戦車もリアリティのある造型が施されているのも嬉しい。アレクセイ・シドロフの演出は幾分泥臭いがパワフルで、最後まで飽きさせない。

 アレクサンドル・ペトロフにユーリイ・ボリソフ、ビクトル・ドブロヌラボフといったロシアの俳優陣は馴染みが無いが、皆良い面構えをしている。イェーガー大佐を演じるビツェンツ・キーファーは憎々しくて存在感があり、アーニャに扮するイリーナ・ストラシェンバウムの美貌も印象的。アクション映画好きならば要チェックだ。
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「SHADOW 影武者」

2019-10-07 06:29:03 | 映画の感想(英数)
 (原題:影)ストーリー自体はさほど面白くはない。各キャラクターの掘り下げも上手くいっていない。しかしながら、映画の“外観”は目覚ましい美しさを誇っている。また、アクション場面の造型は屹立した独自性を獲得している。一応、張藝謀監督の面目は保たれたと言って良いだろう。

 3世紀、中国大陸中部にあった弱小国家の沛は、隣国である炎に軍事拠点を占領され、そのまま20年の歳月が経っていた。沛の重臣である都督は、戦いによる傷と病で表に出られない状態だったが、影武者を立てて何とか政治に関与していた。若き王は炎国と休戦同盟を結んでいたが、都督は拠点の奪還を目指し、炎国の将軍である楊蒼に武術試合を申し込み、その隙に軍を進め一気に攻め落とす作戦に出る。都督の勝手な行動に王は激怒するが、王は密かに別の作戦を立てて事態の収拾を図っていた。「三国志」の荊州争奪戦をベースにしたオリジナル脚本である。



 都督の境遇に関する説明は通り一遍であり、説得力を欠く。影武者も、実態の無い自らの立場に対する屈託は上手く表現されていない。若い王は外見こそチャラいが、実は権謀術数に長けているような設定ながら、性格付けが曖昧だ。このように登場人物達は存在感が希薄であるため、彼らがいくら組んずほぐれつ陰謀を展開させようと、話は宙に浮くばかり。特に終盤は、明らかに致命傷を負ったキャラクターが延々と立ち回りを演じるなど、観ていて鼻白むばかりだ。

 だが、本作の映像は非凡である。ほとんどモノクロで、劇中は絶えず雨が降り続いている。まるで墨絵のような、独自の世界観を確立。もっとも、そのことが物語の内容や各キャラクターの内面にリンクしていないのは残念だ。

 そして活劇場面はかなりユニークである。沛の兵士が使用するのは、刀を傘のように束ねた新兵器アンブレラ・ソードだ。しかも、強い回転を加えることにより、兵士を乗せたまま地上を滑走する。これが大挙して攻め入るシーンは壮観だ。対する炎国の兵士も長い刀剣で立ち向かう。殺陣も完璧であり、観ていて盛り上がる。都督と影武者に扮するダン・チャオは好調。見事に二役を演じ分けている。チェン・カイやワン・チエンユエン、ワン・ジンチュンといった脇の顔ぶれは馴染みが無いが、いずれも的確な仕事ぶり。スン・リーとクアン・シャオトンの女優陣はとてもキレイだ。
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「Diner ダイナー」

2019-08-12 06:47:31 | 映画の感想(英数)
 内容に関してはまったく期待しておらず、見どころは“外観”のみであると割り切っていたので、けっこう楽しめた。まともなドラマツルギーや、ウェルメイドな娯楽性なんかをこの映画に求めてはいけない(笑)。ただ、キャストは多彩なので“俳優を見たい”という観客にはアピール出来ると思われる。

 地味で何の取り柄も無い大場加奈子(大馬鹿な子)は、バイトで食いつなぐ冴えない毎日を送っていた。そんな彼女がネットで偶然“日給30万円の仕事口(ただしリスクあり)”を見つける。嬉々として応募した加奈子だが、それは闇社会の“運び屋”だった。



 そんなヤバい仕事に失敗し、加奈子は悪者どもから危うく殺されそうになるが、思わず“自分は料理が上手いから”生かしておく価値がある!”と口走り、彼女は食堂のウェイトレスとして働かされるハメになる。しかもそこは殺し屋専門のダイナーだった。オーナーシェフのボンベロにこき使われながら、来店する危険な奴らを相手にする加奈子のスリリングな日々が始まった。平山夢明の同名小説(私は未読)の映画化だ。

 設定にはリアリティのカケラも無い。百歩譲って殺し屋専門のレストランなんてのが存在するとして、そこに集まる連中が徹底的にカリカチュアライズされており、名前も日本人のそれではないというのは呆れてしまう。どうやら殺し屋同士の派閥争いがあるようだが、それもカタギの者には与り知らぬハナシに過ぎない。

 ボンベロと加奈子は一緒に働くうちに、何だか良い仲になっていくが、そのプロセスが詳説されることはない。アクション場面は頑張ってはいるようだが、切れ味や段取りは、とても及第点は付けられない凡庸なものだ。まあ、監督が蜷川実花なので作劇に多くを望むのは詮無きことである。



 しかしながら、冒頭にも述べたように本作のエクステリアは見応えがある。何しろ装飾美術担当が横尾忠則だ。多分に毒々しいが、吸引力はある。そして諏訪綾子の監修による料理の描写もよろしい。ボンベロ役の藤原竜也をはじめ、窪田正孝に真矢ミキ、武田真治、本郷奏多、斎藤工、奥田瑛二など、皆楽しそうに異形のキャラクターを演じている。

 加奈子に扮しているのは玉城ティナで、表情はまだ硬いが、身体は良く動くしセリフ回しもシッカリしているので安心して観ていられる。しかし、おそらく日本の若手女優の中で最も可愛い部類に入ると思われる玉城が、序盤で“誰も自分のことを振り向いてくれない”みたいなことを呟くのは無理がある(苦笑)。なお、ラストは出来すぎの感はあるが、鑑賞後の印象は悪くない。
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「X-MEN:ダーク・フェニックス」

2019-07-15 06:48:05 | 映画の感想(英数)
 (原題:X-MEN:DARK PHOENIX)不遜な言い方になるが、本作の一番のセールスポイントは、このシリーズがこれで終わるということである。MARVEL関係の映画化としては早い時期(第一作は2000年製作)から手掛けられていたにも関わらず、話が複数の時間軸に分裂してまとまりの無いまま進行し、後発のマーベル・シネマティック・ユニバースに比べるとヴォルテージが低い印象を受ける本シリーズがここで“御破算”になるのは、(皮肉な意味ではなく)送り手にとっても観客に対しても結構なことだと思う。

 スペースシャトルの事故で遭難した飛行士たちを救うべく、X-MENのメンバーは宇宙空間に赴くが、そこで謎のエネルギー体に遭遇する。何とかミッションを果たして帰還しようとした瞬間、ジーン・グレイがエネルギー体からの光線を浴びてしまう。



 地上に戻ったジーンは次第に挙動がおかしくなり、他のメンバーと反目する。彼女の中のダークサイド“ダーク・フェニックス”覚醒し、強大なパワーが現出しようとしていたのだ。さらに、そのパワーを手に入れようと企む凶暴なエイリアンが飛来。X-MENは地球の危機を救うため、敵であったマグニートーとも共闘し、ジーンを保護しながらエイリアンの脅威に立ち向かう。

 活劇シーンに関しては、あまり文句は無い。舞台が宇宙にまで広がりスケール感が出てくると共に、スピードもキレ味も及第点だ。少なくとも、サイモン・キンバーグの演出は当シリーズ常連だったブライアン・シンガーよりは達者だと思う。しかしながら、筋書きの方は褒められたものではない。

 そもそも、謎のパワーを手に入れたジーンが、一体何をしたいのか分からない。彼女がX-MENに加入したのはある悲しい出来事が切っ掛けなのだが、そのことに向き合おうとしているかのように見えて、それが新たなパワーとどう関係しているのか不明である。何を聞いても“分からないから静かにして”と言うばかりで、他のメンバーも困惑するばかり。

 エイリアン連中と謎のエネルギー体との関わりも、イマイチ判然としない。そしてエイリアンの目的と生態および弱点も具体的に示されないようでは、いくらアクション場面が派手でも、カタルシスを得られない。ジーン役のソフィー・ターナーの器量がさほどでもないのも不満だ(笑)。

 ジェームズ・マカヴォイにマイケル・ファスベンダー、ジェニファー・ローレンス、ニコラス・ホルト等のレギュラーメンバーは、今回は可も無く不可も無し。敵役のジェシカ・チャステインが多少目立っていた程度だ。ラストは一応決着がついたような感じだが、本作の時代設定が80年代なので、今後何が起こるか分からないし、中途半端な幕切れであることは確かだ。ただし、冒頭にも述べたように、複雑化したストーリーラインをここで打ち切るという、一種の爽快感はある。その意味では、存在価値はあるだろう。
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「12か月の未来図」

2019-06-10 06:37:50 | 映画の感想(英数)

 (原題:LES GRANDS ESPRITS)「パリ20区、僕たちのクラス」(2008年)や「バベルの学校」(2013年)など、フランス映画は教育現場を舞台にしたメッセージ性の強いドラマを作るのが得意だが、本作も見応えがある。また提起される問題はヘヴィであるが、青筋立ててシュプレヒコールを叫ぶようなことは決してなく、ユーモアを交えてのスマートな語り口も魅力だ。

 パリの私立進学校で国語を教えるベテラン教師フランソワ・フーコーは、日頃より“地方の教育困難校にも経験豊富な教師を送り込み、改革に当たるべきだ”との持論を吹聴していた。その意見が偶然に政府高官の耳に入り、“素晴らしい主張だ。ならば本人から率先垂範してもらおう”とばかりにパリ郊外の中学校へ1年間限定で派遣されることになってしまう。

 気の進まないまま赴任してみると、治安の悪い土地柄を反映するかのように、フランソワの受け持つクラスも学級崩壊状態だ。挨拶がわりに実施した書き取りテストも、話にならないレベル。生徒の中でもセドゥは札付きの問題児で、教師の間では退学候補者としてリストアップされていた。成り行きとはいえ、現場改革の旗振り役を任じられたフランソワは、複雑な家庭環境によって難しい立場にいるセドゥを、何とかして退学処分から救おうと奔走する。

 通常、こういう“落ちこぼれ生徒と熱血教師”という図式は純然たるフィクションとしての訴求力はあるが、少しでもリアリズムに振った作劇を伴う映画においては、途端に嘘っぽくなるものだ。しかし本作は実録物のような雰囲気がありながら、絵に描いたようなフランソワの教師としての奮闘が強い説得力を持つに至っている。それはひとえに設定の巧みさだろう。

 藪蛇的に問題校に勤めるハメになったとはいえ、主人公は進学校では実績を積んでいた。しかも、成果を上げる必要はあるし、有名人の父親や妹に対する抵抗の意味合いもある。そして何より、フランソワが国語教師だということは大きい。文学の造詣が深い彼は「レ・ミゼラブル」の面白さを熱心に説き、少しずつ生徒の関心を集めていく。物語の力はどんな者でも振り向かせるという作者の信念(≒真実)が、映画に求心力を持たせている。

 しかも、このクラスは見事なほどの“他民族”の構成であり、それが(遅かれ早かれ)世界中の教育現場の実態になるという示唆は、大いに参考になる。オリヴィエ・アヤシュ=ヴィダルの演出はソツが無く、自然体で主題を浮かび上がらせる。主役のドゥニ・ポダリデスも妙演だ。
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「THE GUILTY/ギルティ」

2019-04-15 06:26:00 | 映画の感想(英数)
 (原題:DEN SKYLDIGE)ワン・アイデアの作品ながら、よく考えれば欠点もある。しかし独特の雰囲気は捨てがたく、個人的に思い詰まされる箇所もあるので、印象は悪くない。観る価値のある北欧発の佳作だ。

 デンマークの地方の警察署に勤めるアスガー・ホルムは、業務上で問題を起こし、取り敢えず第一線を退いて緊急通報司令室のオペレーター業務に就いている。そんなある日、前科者の夫に子供と一緒に誘拐されたという女性の通報を受ける。最初は相手の言い分を疑っていたアスガーだが、切迫した様子と理路整然とした状況報告により、これは重大事件であると認識。通話内容と受話器から漏れる音だけを頼りに、アスガーは事件を解決しようとする。



 カメラは狭い司令室の中からほとんど出ず、登場人物も(複数の通話相手を除けば)実質的にアスガーだけだ。それでも事件の展開はドラマティックで、二転三転する様相にアスガーの引きつった表情が大写しになる。限定された状況でサスペンスを盛り上げようという狙いは、成功しているようだ。

 それでも、後半の筋書きが御都合主義だったり、主なプロットが会話に準拠していて、音の方はあまりクローズアップされていないのは不満だ。しかし決して飽きさせないのは、観ている私にも似たような経験があるからだ。・・・・といっても、何もヤバい事件に関与したわけではない(笑)。

 私は若い頃、顧客からの注文を電話で受け付ける仕事を一時期やっていたことがあり、厄介な案件にブチ当たってしまうこともあった。その場合、周囲を見渡しても同僚や上司は自身の業務で手一杯だし、アドバイスを得ようと関係部署に電話しても木で鼻を括ったような返事しか貰えない。そんな時に限って相手の話は終わらずに、こちらの終業時刻を過ぎても電話を切らない。映画を観ている間にその際に味わった焦燥感が蘇ってきて、思わず苦笑してしまった。

 グスタフ・モーラーの演出は粘り強く、最後まで弛緩することはない。ヤコブ・セーダーグレンの演技はなかなかのもので、正義感はあるが自らも脛に傷を持っている複雑な人物像を上手く表現していた。ジャスパー・スパニングのカメラによる寒色系の映像も印象的だ。第34回サンダンス映画祭で観客賞を受賞するなど、評価が高いのも頷ける。
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