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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「LBJ ケネディの意志を継いだ男」

2018-11-17 06:26:16 | 映画の感想(英数)

 (原題:LBJ )題材は興味深く、筋書きは正攻法で各キャストの仕事ぶりも確かだ。ロブ・ライナー監督は久々に演出に気合いが入っており、観る価値はあると思う。しかし、もっと突っ込んで描いてもらいたかったネタは他にもあり、その意味では不満を感じてしまった。

 1954年に上院議員に再選されたリンドン・ベインズ・ジョンソンは、多数党院内総務となり本会議と委員会を巧みに運営し多くの法案を成立させるために活動してきた。党内の地位を固めた彼だったが、60年の大統領予備選挙では大統領候補としてジョン・F・ケネディが選出され、ケネディはそのまま大統領になる。落胆するジョンソンだったが、ケネディは彼に副大統領のポストを用意した。

 だが、副大統領は“お飾り”の役職で、実質的に国政にはタッチ出来ないことを知るに及び、彼の屈託は大きくなるばかり。しかし63年11月22日、ダラスでケネディは暗殺され、ジョンソンは大統領に昇格する。ケネディの遺志を継いで公民権法を成立させようとするジョンソンだが、ロバート・F・ケネディ司法長官や、派閥のボスであるリチャード・ラッセル上院議員との調整に苦労することになる。

 この第36代アメリカ合衆国大統領を主人公にした映画は珍しい。少なくとも、前任のケネディを取り上げた映画が少なからず存在するのに比べ、スクリーン上では影が薄いのは確かだ。中にはオリヴァー・ストーン監督の「JFK」(91年)のように、彼がケネディ狙撃事件の黒幕だったかのように扱う映画もある。

 しかし本作では、粗野で力業に頼りがちだがケネディの意向を実行に移した功績のある人物として描かれる。恥ずかしながら私はジョンソンがテキサス州出身だったことを本作で知ったのだが、支持基盤が保守的な南部であったにも関わらず、リベラルな法案を通したことは驚いた。

 ウッディ・ハレルソン演じるジョンソンは、アクは強いが繊細な内面を持っていた味のあるキャラクター像を上手く表現している。またジェニファー・ジェイソン・リー扮する夫人のレディ・バードとの絶妙なコンビネーションは、なるほど実際は斯くの如しだったのだろうという説得力を持つ。

 しかしながら、彼は公民権法を成立させた一方で、北ベトナムへの爆撃を開始した張本人でもある。もちろん、彼の地への介入は前政権からの既成事実であったが、ジョンソンが軍事行動に踏み切った経緯を織り込んでも良かった。それに公民権法の他にもいろいろと社会政策に取り組んでいたが、そのあたりの言及も欲しかった。バリー・マーコウィッツのカメラによる映像と、マーク・シェイマンの音楽は万全。アメリカの現代史の一端を知る意味では観ても良い作品だ。
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「500ページの夢の束」

2018-11-12 06:26:32 | 映画の感想(英数)

 (原題:PLEASE STAND BY )味わいのある佳編で、鑑賞後の印象も悪くない。特に「スター・トレック」シリーズに思い入れのある者なら、堪えられない魅力を感じるだろう。また、主演女優の奮闘も目覚ましい。

 サンフランシスコのグループホームで暮らす21歳のウェンディは、自閉症のため上手く社会に溶け込めない。だが、彼女は「スター・トレック」に関しては驚くほど深遠な知識を持ち、毎日TVシリーズを隈無くチェックしていた。ある日、「スター・トレック」の脚本コンテストが開催されることを知った彼女は、渾身の大作を書き上げる。ところが、根を詰めすぎて完成したときには締切は目前だった。郵送では間に合わないと思った彼女は、唯一の肉親である姉やホームのスタッフには内緒で、愛犬ピートと一緒にハリウッドを目指して数百キロの旅に出る。

 ヒロインの境遇を、「スター・トレック」の登場人物であるミスター・スポックに投影しているあたりは上手い。スポックはヴァルカン人と地球人とのハーフで、当初は自らのアイデンティティを確立できずにいたが、カーク船長やドクター・マッコイらとの交流を経て、人間的に成長してゆく。

 同様にウェンディも、さまざまな外部の者と接触することによって人生に一歩踏み出すことになる。そのプロセスをロード・ムービーの形式で綴っていくのだから、まさに設定としては万全だ。自閉症に関する扱いもかなり入念に仕込まれているようで、この分野に詳しくない多くの観客(私も含む)も納得させるだけのディテールの積み上げには感心する。

 筋書きは山あり谷ありで、果たして主人公は締切前に目的地に到達できるのかどうか、そして終盤にはこの脚本を書き上げた“本当の理由”が明かされるなど、最後まで飽きさせない。そして、ウェンディと「スター・トレック」マニアの警官との掛け合いには大いに笑わせてもらった。

 監督のベン・リューインは自身も幼少期にポリオを患い、ハンデを負ったまま生きてきたという。それだけに主人公に対する思い入れは大きいのだろう。その丁寧な仕事ぶりには好感が持てる。主演のダコタ・ファニングは好演で、もはや“元有名子役”という肩書は不要なほど繊細で達者なパフォーマンスを見せる。トニ・コレットやアリス・イヴといった脇の面子も良い。そして何といってもウェンディと行動を共にするチワワ犬のピートが儲け役だ。犬好きにはたまらないだろう。
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「search/サーチ」

2018-11-10 06:26:03 | 映画の感想(英数)
 (原題:searching )アイデアには感心した。また、決して“ただの思い付き”に終わらせないため、ストーリーラインにも努力の跡がみられる。ただし、この手は基本的に一回しか使えないため(何度もやれば即マンネリだ)、次回はどういうアプローチを見せるかが、この若い監督(これがデビュー作のアニーシュ・チャガンティ)の課題だろう。

 ロスアンジェルスに住むデイヴィッド・キムは、妻を病気で亡くしてから、男手一つで娘のマーゴットを育ててきた。ある日、高校生になった娘が友人宅に外泊すると言って家を出たきり、帰らなくなる。デイヴィッドはマーゴットの友人たちに何か事情を知っていないか聞いてみるが、実は彼女は当日友人の家には泊まらずに夜中に一人で出かけたことが判明。彼は警察に届け、担当のヴィック捜査官と共に捜索に当たるうちに、いつも明朗活発だったマーゴットの“別の顔”を知ることになる。



 本作はすべてPCのディスプレイの画面およびテレビのニュース映像のみで構成される。よって、いかにしてデイヴィッドが娘に関する情報を集めていくか、そのプロセスが克明に描かれる。これは話が理詰めに展開している(ように見える)こと、および画面に緊張感を持たせることに貢献している。さらに、最終的には親子の絆というモチーフも挿入されており、何とか体裁を整えたという感じだ。

 しかし、冒頭に“ストーリーラインも努力している”と書いたものの、プロットの組み立て自体は万全ではない。主人公が事件の証拠を見付ける切っ掛けが、多分に御都合主義的である。

 マーゴットや“真犯人”およびその“協力者”の深い内面は描かれず、文字通りデジタル的に割り切るように事実が羅列されるのみだ。ネットワークが持つ“闇”のようなものも表面的にしか描かれないし、事件の真相やトリックもネットワークの特長に準拠していない。キム親子は韓国系だが、特にアジア系アメリカ人を主人公にする必然性が見受けられないのも不満だ。

 それからデイヴィッドが(この年代にしては)PCの扱いがとても達者である点は、やや違和感を覚える(笑)。それ相応の職業に就いているという前振りぐらいあってよかった。ジョン・チョウやデブラ・メッシング、ミシェル・ラーといった出演陣は馴染みが無いが、及第点に達する仕事はしている。いずれにしろ、脚本も担当したチャガンティ監督の真価が問われるのはこれからだ。
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「1987、ある闘いの真実」

2018-10-15 06:13:38 | 映画の感想(英数)

 (原題:1987)最後まで有無をも言わせず観客を引きずり回す、かなりの力作である。たとえ韓国に対して良い印象を持っていない者が接したとしても、このパワーには圧倒されてしまうだろう。またダークな実録物であると共に、ラブストーリーやサスペンス劇の要素も取り入れ、娯楽作品としても立派に通用していることも嬉しい。

 1987年1月、全斗煥大統領による軍事政権下の韓国。ソウル特別市の南営洞にある対共分室では、左傾分子を徹底的に排除するべく、激しい取り調べが行われていた。そんな中、拷問によってソウル大学の学生が死亡してしまう。警察は隠蔽のため直ちに遺体の火葬を申請するが、違和感を抱いたチェ検事は司法解剖を命じる。

 その結果対共分室の行きすぎた遣り口が明るみになると、政府は取り調べ担当刑事2人の逮捕だけで事件を終わらせようとした。それに気付いた新聞記者や刑務所看守らは、真実を公表するべく立ち上がる。一方、殺された大学生の仲間たちも黙っておらず、激しい抗議デモを敢行。やがて、韓国全土を巻き込む民主化闘争へと発展していく。

 この映画には明確な主人公は存在しない。序盤はチェ検事が中心になってストーリーが進むと思われたが、すぐに物語の焦点は別の者達に次々と移ってゆく。通常このような手法は作劇が散漫になってまとまりに欠けることがあるのだが、これは特定のヒーロー的な個人が義憤に駆られたのではなく、多くの国民がこの一件に対して関心を持ち行動したという意味で、納得できるものである。

 全編に渡って敵役になるのは南営洞のパク所長だが、決して彼を単純な悪者に仕立てていないことも作者の冷静さを感じる。パク所長は実は脱北者で、家族を北朝鮮の治安当局に惨殺され、命からがら逃げてきたのだ。

 だからパク所長にとって北側の息が少しでも掛かっていると思われる者や、共産主義的な考えを持っている者は、すべて敵であり粛清すべき対象でしかない。この同じ民族同士で憎しみ合うという図式に、朝鮮半島の近代史の暗黒部分を如実に反映させている点も、観ていて考えさせられる。

 チャン・ジュナンの演出力は強靭で、全く緩みを見せない。ラストの高揚感など、身震いするほどだ。キム・ウヒョンのカメラによる彩度を押さえた画調も、作品の雰囲気作りに貢献している。パク所長役のキム・ユンソクをはじめ、ハ・ジョンウやユ・ヘジン、キム・テリ、ソル・ギョング、パク・ヘスン、そしてカン・ドンウォンなど、キャストは皆好演。観る価値は大いにある。
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「2重螺旋の恋人」

2018-08-25 06:34:18 | 映画の感想(英数)

 (原題:L'AMANT DOUBLE)フランソワ・オゾン監督としては珍しく、ホラー映画の方向に振った姿勢が見受けられるが、残念ながらサマになっていない。彼のスタイリッシュな映像スタイルと、スノッブな演出タッチでは、観客を怖がらせようとしても中途半端に終わる。企画の段階で、何やらボタンを掛け違ったような印象だ。

 若い女クロエは、原因不明の腹痛に悩まされていた。心因性ではないかという内科医の指摘を受け、精神分析医ポールのカウンセリングを受けることになるが、すぐに症状が軽減される。そして2人は恋に落ち、一緒に暮らし始める。ある日、クロエは街でポールに瓜二つの男を見かける。彼の名はルイで、どうやらポールの双子の兄らしい。しかも、職業も同じ精神分析医だ。

 ポールからルイのことを聞かされていなかったクロエは、興味を抱いてルイの診察室に足を運ぶが、ルイは優しく温厚なポールとは違い、乱暴で傲慢な男だった。だが、彼女はそんなルイにも惹かれていく。アメリカの女性作家ジョイス・キャロル・オーツの短編小説の映画化だ。

 双子というモチーフを採用した怪異譚としてはデイヴィッド・クローネンバーグ監督の「戦慄の絆」(88年)が思い出されるが、本作はあれには遠く及ばない。理由は明らかで、ドラマの焦点を双子の側ではなく、それに関わるヒロインに向けているからだ。姿形が一緒の人間が存在していることの根源的な不可思議さに言及されておらず、ここではただの“ネタ”としか扱われていない。

 ならば不条理な状況に追い込まれて次第に常軌を逸してゆくクロエの描き方が迫真的だったのかというと、これも不十分。アンジェイ・ズラウスキー監督の「ポゼッション」(81年)におけるイザベル・アジャーニの怪演ぐらいの域に持っていかなければ説得力は無いが、演じるマリーヌ・ヴァクトが元々モデルであるせいか、どこか小綺麗で表層的だ。実はクロエ自身にも双子のモチーフは内在するのだが、これが牽強付会に過ぎてシラケてしまう。

 オゾンの演出はクロエの立ち振る舞いや、大道具・小道具(特に鏡を多用したトリッキーな仕掛け)の使い方にファッショナブルなテイストを感じるが、タッチが一本調子なので途中で眠気を催してしまった。取って付けたようなグロ描写も、クローネンバーグやデイヴィッド・リンチ等と比べるのもおこがましい。

 モデルとしても知られるヴァクトの容姿は美しく、本人も頑張っているのだが、突き抜けるような求心力は不足している。相手役のジェレミー・レニエは、まあ“無難にやり遂げた”というレベルだ。ただ、クロエの母に扮したジャクリーン・ビセットはさすがの存在感を示していた。
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「PARTY7」

2018-08-12 06:15:52 | 映画の感想(英数)
 2000年作品。石井克人監督の演出タッチはその前に撮った快作「鮫肌男と桃尻女」(99年)と同じで、新鮮味がない。しかしながら、まだこの頃は前作からの“勢い”は持続しており、ハチャメチャな展開で笑わせてくれる。その意味では、観て損はない映画かもしれない。

 ヤクザから2億円を横領したシュンイチロウ(永瀬正敏)は、隠れ場所としては最適な“ホテルニューメキシコ”に潜伏する。ところが、そこに借金返済を迫る元彼女のカナと彼女の婚約者のトドヒラが押しかけてくる。さらには、組長から金を取り戻すように命令されたソノダまでやってくる。



 シュンイチロウは仕方なく金を山分けにして皆で逃げようと提案するが、そこにソノダの裏切りを予見した組の若頭であるイソムラが乱入。一方、隣の部屋でこの一件を立ち聞きしていたのが、覗き癖のあるオキタとキャプテンバナナだ。この2人も事態に介入し、騒ぎはさらに大きくなる。

 映画の舞台が“ホテルの一室に集まる珍奇な奴ら”と“その部屋を覗いているホテルオーナーと、その親友の息子”に分かれ、それぞれテンポが違うため展開がスムーズにいってない。その覗き部屋にいるコンビを演じるのが、原田芳雄と浅野忠信というのも釈然としない(この2人の演技パターンは全然合わない)。基本的に密室劇であることも、前作に比べれば爽快感に欠けると言える。

 しかしそれでも、映画が何とか終盤に差し掛かると、怒濤の(?)クライマックスにやっぱり爆笑してしまう。そして、ラストのオチにも思わずニヤリだ。脇を固めているのが岡田義徳に堀部圭亮、我修院達也、松金よね子、津田寛治、大杉漣、田中要次、加瀬亮という濃すぎる面々。ジェイムス下地による調子のいい音楽と、町田博の効果的な撮影もドラマを盛り上げる。石井監督は最近はアニメーションのクリエイティヴ・アドバイサー等の仕事が多いようだが、そろそろ劇場用映画を撮ってもらいたいものだ。
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「PNDC エル・パトレイロ」

2018-07-20 06:21:57 | 映画の感想(英数)
 (原題:EL PATRULLERO )91年メキシコ=アメリカ合作。アレックス・コックス監督の映画はあまり観ていないし、彼自身、ここ10年間は新作を手掛けていない。ただ、本作によって個人的にコックスは十分記憶に残る演出家になった。とにかく、この禍々しい吸引力には一目を置かざるを得ないだろう。

 ペドロ・ロハスとアニバル・グエレロはメキシコ国立ハイウェイ・パトロール・アカデミーを卒業後、交通機動隊に配属される。勤務地は沙漠の真ん中だ。ある日、ペドロは不法労働者を乗せたトラックを運転する若い女グリセルダを検挙するが、彼女に一目惚れした彼は、ほどなく結婚してしまう。だが、賄賂を受け取ることを拒んでいるため収入が少ないペドロに、グリセルダの不満は募ってゆく。

 仕事上でも冷や飯を食わされるようになった彼は、無許可のトラック運転手から思わず賄賂を受け取ってしまい、それからは堰を切ったように悪の道に入る。そんな時、麻薬密輸業者を追跡していたアニバルが、ペドロに助けを求めてくる。

 ストーリー自体はありがちだが、各キャストの気合いの入った働きぶり、そして絶妙な映像表現によって、最後までスクリーンから目が離せない。特筆すべきは、光と影のコントラストだ。

 照りつける灼熱の太陽、巻き起こる砂塵、パトカーに反射する眩しい陽光。それに対して主人公はサングラスを片時も離さず、また売春宿の底知れぬ闇が、昼間の日光と強烈な対比を成す。もちろんこれは、ペドロの内面の光と影をも表現している。クローズアップを極力廃し、ロングショットと長回しにより、明暗をくっきりと観る者に印象付けることに成功。1時間43分の映画だが、良い意味で長い時間をカバーしている。

 活劇場面は派手さは無いものの、乾いた即物性によりインパクトは大きい。主演のロベルト・ソサは、左頬に本物の傷痕があり、これがけっこう実録風の雰囲気を醸し出している。演技も達者だ。ブルーノ・ビシールやヴァネッサ・ボウシェ、ザイーデ・シルヴィア・グチエレスといった出演陣は馴染みが無いが、皆良い面構えをしている。

 ピカレスクな魅力が溢れるこの映画を製作したのは、今はなき日本の配給会社ケイブルホーグの主宰者であった根岸邦明だ。当時はバブルの余韻も残っており、こういう積極的な姿勢を持った映画人も多かったのだろう(今では信じられないが ^^;)。
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「9時から5時まで」

2018-05-18 06:19:30 | 映画の感想(英数)
 (原題:9 TO 5)80年作品。封切り当時はかなりヒットしたコメディだ。なるほど、その理由は察しが付く。大企業で働く3人のOLが、ストレスのたまる日常を吹き飛ばすべく、思い切った作戦に打って出る。しかも、ブラックユーモア仕立てでネタ自体は“ほどよく”辛辣だ。しかし、公開時点でも明朗すぎて緩いタッチが目立った本作、今見直せば随分と軽量級に映って物足りなく思うだろう。時代の流れというのは、そんなものだ。

 夫と離婚して自立するハメになったジュディは、運良くロスアンジェルスにある複合企業に就職が決まる。だが、上司の副社長フランクは横暴な人物。彼の元先輩社員のバイオレットをはじめ、部下をアゴでこき使っていた。かと思えば、彼は金髪巨乳秘書のドラリーに執着し、彼女が既婚者であるにも関わらず、何かとちょっかいを出す。果てはフランクがドラリーと浮気してモノにしたというデマを流すに及び、彼女たちは怒り心頭。ジュディとバイオレット、そしてドラリーは共同して副社長をやりこめる戦略を練る。



 確かにフランクは自己中心的な上司だが、極悪人というほどではない。対する女性3人組も、副社長からのセクハラやパワハラを受けているとはいえ、その迷惑度合いは現在のブラック会社なんかの比ではなく、コメディのネタになってしまうような誠に可愛いものだ。

 しかもヒロイン達は正社員であり、身分不安定な契約社員でもなければ、決して安月給でコキ使われているわけでもない。話の背景や前提がそのようなものである限り、いくら自分勝手な上司を懲らしめようとも、リアルでエゲツない方法は採用されずにファンタジー方面に振られるしかないのだ。それを笑って済ませられるかどうかで、本作の受け取り方は違ってくる。

 主演のジェーン・フォンダとリリー・トムリン、ドリー・パートンは好演で、何より“華”がある。副社長に扮するダブニー・コールマンも怪演だ。そして何よりパートンが歌う同名のテーマ曲が楽しい。コリン・ヒギンズの演出は無難にまとめているが、前作「ファール・プレイ」(78年)ほどの冴えは感じられない。引き続きそのフィルモグラフィを追いたかったが、彼は若くして世を去ってしまった、残念なことである。
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「BPM ビート・パー・ミニット」

2018-04-16 06:44:33 | 映画の感想(英数)

 (原題:120 BATTEMENTS PAR MINUTE )切迫感が横溢し、スクリーンから目が離せない。かなりセンセーショナルな場面もあり、確実に観る者を選ぶ映画ながら、その強力な社会的メッセージ性には圧倒される思いがする。それでいて甘酸っぱい青春映画のテイストも併せ持っている。本年度のヨーロッパ映画を代表する力作だ。

 90年代初頭のパリ。過激な抗議活動を繰り返していた“ACT UP PARIS”は、AIDS罹患者のメンバーを中心とした直接行動組織である。ターゲットは差別を放置する政府や自治体、そして真摯な態度を見せない製薬会社などだ。新たに参加したナタンは、HIV陰性ながら、会の趣旨に賛同して積極的に活動に加わるようになる。

 “ACT UP PARIS”が高校でゲリラ的なデモを敢行していた際に、彼らは学校当局者から差別的な言葉を投げかけられるが、その腹いせに相手の面前でナタンと若いメンバーのショーンはキスをする。それを契機に2人は恋仲になるが、ショーンはHIV感染者であり、余命幾ばくもない。相変わらず製薬会社の対応は遅く、有効な治療薬は市場に出ない。そして2人に別れの時がやってくる。監督・脚本担当のロバン・カンピヨは、かつて実際に“ACT UP PARIS”のメンバーであり、自身の体験を元に本作のシナリオを書き上げている。

 まず、前半のドキュメンタリー・タッチの作劇に目を奪われる。緊迫感あふれるディスカッションの場面、さらに“ACT UP PARIS”の過激なパフォーマンスをカメラは粘り強く追う。製薬会社のオフィスや専門家のレクチャー会場に乱入し、人工の血糊を投げつける。そして許可なく学校に侵入し、コンドームを配る。

 まさにやりたい放題だが、嫌悪感は覚えない。なぜなら当時は、AIDSの感染は広がるばかりで、効果的な対策どころか正しい知識を持つ者も少なかったのだ。残りの人生が短くなる中、追い詰められた彼らの言動は、それが常軌を逸したものであるほど悲壮感がみなぎっている。一方、街中でのパレードやクラブでのダンスは逆境に追い込まれても何とか生きる楽しみを見出そうとする、開き直った明るさが全面展開されていて圧巻だ。

 後半は打って変わってナタンとショーンとの関係がじっくりと描かれるが、これは観る者の紅涙を絞り出すほどの普遍的な“悲恋”として扱われている。この構成も申し分ない。カンピヨの演出は赤裸々なゲイ・セックス場面も織り込みつつ、一点のぶれも迷いもなく、テーマを追求する。また“引き”の場面を抑えてクローズアップを多用しているのも、作者の覚悟を感じさせる。

 ナウエル・ペレーズ・ビスカヤートやアーノード・バロワ、アデル・エネルといったキャストは馴染みがないが、皆いい演技だ。HIVキャリアに対する偏見が小さくなった現代、だがこの“虐げられるマイノリティVS無理解な世間”という図式は、世界のあちこちに存在し続けている。
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「THE PROMISE 君への誓い」

2018-02-19 06:37:11 | 映画の感想(英数)

 (原題:THE PROMISE )重い歴史的事実を、恋愛沙汰を交えた大河ドラマの中で語っており、幅広くアピール出来る内容になっている。まあ、観る者によっては“こういうメロドラマ仕立てではなく、ハードかつシビアに向き合うべきだ”という感想を抱くのかもしれないが、映画がエンタテインメントである限り、普遍性を持った娯楽作としてアプローチするのは正解だ。

 20世紀初頭。オスマン・トルコの山奥にある村で暮らすアルメニア人青年のミカエルは、医学を学ぶために首都コンスタンティノープルの医大に入りたいと思っていた。婚約先からの結納金を学費にして、ようやく希望が叶うことになる。そして彼は、フランス帰りのアルメニア人女性アナと出会い、惹かれるものを感じる。だがアナには、クリスというアメリカ人ジャーナリストの恋人がいた。

 やがて第一次世界大戦が始まり、オスマン帝国はアルメニア人を弾圧するようになる。ミカエルも強制労働所に送られてしまうが、何とか脱走に成功。苦難の末に故郷に戻るが、そこでトルコ軍によるアルメニア人の虐殺を目撃する。生き残った人々と共にモーセ山に立て籠もるミカエルだが、トルコ軍は執拗に追ってくる。一方、クリスはトルコの蛮行を世界に知らせようとするが、スパイ容疑をかけられ逮捕されてしまう。果たして彼らの運命は・・・・という話だ。

 ミカエルとアナ、そしてクリスの三角関係を軸にドラマは展開するが、御都合主義的なモチーフも散見される。主人公達3人は騒然とした世相の中にあって“偶然に”再会したりするし、クリスが“偶然に”フランス軍に渡りを付けるあたりも強引だ。

 しかし、それで良いのだと思う。いかに御膳立てが都合が良かろうと、彼らは真剣だ。しかも、背景にはアルメニア人の迫害という大きな事件が存在している。オスマン帝国の承継者である現在のトルコは、この事実を認めていないらしい。しかし、150万人とも言われる犠牲者数は把握出来ないのかもしれないが、相当な犠牲者が出たことは確かだろう。この理不尽な歴史の事実に翻弄される主人公達には、大いに感情移入出来る。

 テリー・ジョージの演出は往年の歴史大作映画を思わせるほどに堂々としており、リズムの乱れは無い。オスカー・アイザック、シャルロット・ル・ボン、クリスチャン・ベイルといったキャストは達者だし、ジェームズ・クロムウェルやジャン・レノも顔を出しているのは嬉しい。ガブリエル・ヤレドの音楽も万全だ。

 なお、トルコではロケが不可能なので主にスペインで撮影されたらしい。だが、ハビエル・アギーレサロベのカメラによる映像は、そのマイナス面を感じさせないほど良く出来ていた。
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