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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「Cloud クラウド」

2024-10-26 06:25:31 | 映画の感想(英数)
 どうしても評価すべき点が見つからない、困った映画だ。しかし、こんなシャシンがヴェネツィアや釜山などの国際映画祭に出品され、さらに第97回米アカデミー賞の国際長編映画賞日本代表に選定されたというのだから、呆れるしかない。この業界には我々カタギの一般人があずかり知らぬ“事情”というものが存在するのだろう。

 高専を出て町工場で地道に働く吉井良介は、一方で転売サイトを運営してかなりの日銭を稼いでいた。ある日、良介は職場の上司から管理職への昇進をオファーされるが、責任が大きくなることを嫌う彼は辞職する。さらに北関東の郊外にある湖畔の一軒家に事務所兼自宅を構え、恋人の秋子と新たに助手として雇った佐野と共にビジネスを広げようとする。だが、良介の周囲で次第に物騒な出来事が頻発するようになり、ついには得体の知れない者たちによって命まで狙われる。



 今どきクラウドといえばIT用語であり、本作もそういう方面から話を進めるのだと思っていたら違った。何でも主人公が阿漕な商売で荒稼ぎしたことにより、本人が知らない間に憎悪が“雲のように”広がることを意味しているらしい。まあそれは認めるとして、この脚本はいただけない。

 冒頭、良介が経営が苦しい製造業者から大量の商品をタダ同然で買い付け、それを高値で転売するくだりが紹介されるが、最終的に安くはない値段で捌けるのならばこの業者が手放す理由は無いはずだ。また、わざわざ人里離れた湖のそばに引っ越す理由も不明だし、佐野には“勝手にパソコンを見るな!”と言っておきながら端末にパスワードも設定せずに放置したりと、筋の通らないモチーフが満載。

 終盤には良介を逆恨みした連中が銃を持って襲撃するという有り得ない展開になったと思ったら、佐野が“意外な正体”をあらわして騒動に一枚噛むとか、秋子の挙動不審ぶりがクローズアップされるとか、映画は混迷の度を増してゆく。クライマックスになるはずの銃撃戦は緊張感のカケラも無い“戦争ごっこ”のレベルに終始しているのだから脱力する。

 監督の黒沢清は手掛けた映画の出来不出来が大きいのだが、今回は明らかにハズレの部類だろう。主演の菅田将暉は頑張ってはいるが、ストーリーがこの程度なので“ご苦労さん”としか言いようがない。古川琴音に奥平大兼、岡山天音、山田真歩、松重豊、荒川良々そして窪田正孝と、顔ぶれは多彩だが機能していない。

 なお、今では大抵の人気商品が価格規制されているらしく、転売屋がオイシイ思いをするケースは減っているらしい。もちろん、本作にはそのあたりへの言及は無し。とにかく題材自体から練り直した方が良いような中身だ。
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「Work It 輝けわたし!」

2024-10-06 06:27:56 | 映画の感想(英数)

 (原題:WORK IT)2020年8月よりNetflixから配信。典型的な青春スポ根ダンス映画で、こういうネタにおいては、よほど作りがヘタでない限り観ていてある程度の満足感は得られるものだ。本作もまさにそうで、不満を覚えることなく接することが出来る。加えて、今売り出し中の若手女優サブリナ・カーペンターが主人公に扮していることもポイントが高い。

 ノースカロライナ州在住の女子高生クイン・アッカーマンは、亡き父の母校である南部の名門デューク大への進学を目指し、勉学やボランティア活動に打ち込んでいた。しかし、一次面接試験でアピールポイントが不足していることを指摘されると、思わず同じ高校の強豪ダンスチームのメンバーであるとウソをついてしまう。

 確かに彼女はそのクラブに関与はしていたのだが、実は単なる照明係だ。窮地に追い込まれたクインは、チームで活躍する親友のジャスミンを引き抜き、経験豊富とは言えないメンバーをかき集めて新たなチームを結成する。だがクインは運動神経が鈍く、指導力も無い。そこで彼女は、かつてのダンス巧者で現在は足の故障で引退しているジェイク・テイラーを口説き落として、チーム顧問に据えることに成功する。

 ストーリーはこの手の映画の常道をキープする。つまりは“落ちこぼれたちが集まって、努力を重ねて大舞台で活躍する”というハナシだ。変わり映えは無いが、それだけに安心して観ていられている。ダンスの場面は万全で、腕に覚えのある者たちばかりが出ており、その妙技に目を奪われる。

 ヒロインの造型も、最初は素人臭さ全開ながら徐々に力を付けていくという定番の位置付けだが、とにかく明朗で前向きなのは好ましい。まあ、途中で挫折しそうになったり、勉学との両立に悩んだり、母親と進路に関してケンカもするのだが、上手い具合に解決する。ジャスミンとの友情やジェイクとの色恋沙汰も、スパイス的に挿入される。

 また、クインが社会奉仕活動のため通う老人ホームでの心にしみるシークエンスや、肉体的ハンディがある者ばかりで構成されたダンスチームの神業的パフォーマンスなど、興味深いモチーフも用意されている。ローラ・テルーゾの演出は堅実で、テンポが悪くなることも無い。

 主演のカーペンターは元気で好ましいキャラクターの持ち主で、演技も問題なくこなす。また、アメリカの女優としてはとても小柄で、なおかつ太すぎる眉毛がかなりのインパクト(笑)。これならばすぐに顔を覚えてもらえる。ライザ・コーシーにキーナン・ロンズデール、ミシェル・ブトー、ジョーダン・フィッシャー、ナオミ・スニッカスら脇のキャストも悪くない。
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「WALK UP」

2024-08-05 06:33:11 | 映画の感想(英数)
 (英題:WALK UP )韓国の異能ホン・サンスの高踏的な演出スタイルを承知した上で接すれば、けっこう満足感を覚えるだろう。そうではない“カタギの(?)観客”の皆さんが観ると、意味不明で退屈な珍作としか思えないかもしれない。少なくとも、観る者をかなり選ぶシャシンであることは確かだ。私はといえば、何とかついて行けたという感じであるが、独特の存在感があることは認めたい。

 映画監督のビョンスのは、娘のジョンスがインテリア関係の仕事を志望しているため、ソウルの江南(カンナム)区にある、ビョンスの旧友で著名なインテリアデザイナーのヘオクが所有するアパートを訪れる。そのアパートは、1階がレストランで2階が料理教室、3階が賃貸住宅、4階がアトリエで地下がヘオクの作業場となっていた。3人はワインを酌み交わしながら談笑するが、ここから映画は各フロアを舞台にしたショートドラマがオムニバス形式風に展開する。



 この映画の玄妙なところは、オムニバス作品としての一貫性を敢えて外している点だ。普通このような体裁のシャシンは、各パートが有機的に絡み合って最終的に何か一つのテーマを提示するか、あるいは独特のエンタテインメントを醸し出すというのが常道だろう。しかし、ここではそのような意図は感じられない。だから一見すれば散漫な印象を受ける。

 ところが観続けていると、意外とこちらの琴線に触れてくるのだ。エピソードごとにアパートの階層を一階ずつ上がっていくという構成だが、登場人物たちはほぼ共通でありながら、微妙にズレている。直前のパートで出てくるキャラクターが急にいなくなったり、時制もランダムに前後させている。

 この取り留めも無い形状の中で浮かび上がるのは、俗に言う“一寸先は闇”という身も蓋もない認識以外に、シチュエーションが変われば人生は玉虫色の景色を見せてくれるといった、ひとつの達観だ。アパートの階数が変わるだけでこれだけのバリエーションが展開されるのだから、一般ピープルの生活空間では無限大の可能性が広がっているのは当然。

 そんな当たり前ながら多くの者は認識もしていない事柄を、ホン・サンス監督は静謐で美しいモノクロ映像で綴ってゆく。カメラワークは長回し中心で、ゆったりとしていながら緊張感がある。ビョンス役のクォン・ヘヒョをはじめ、イ・ヘヨンにソン・ソンミ、チョ・ユニ、パク・ミソらキャストは派手さこそ無いものの、皆的確な演技を見せる。
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「ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命」

2024-07-22 06:19:10 | 映画の感想(英数)
 (原題:ONE LIFE)これは良い映画だ。取り上げられた題材自体が秀逸だし、ドラマの組み立て方と終盤の盛り上げも及第点。加えてキャストの好演と時代考証や美術などのエクステリアも目を引く。小規模の公開ながら、見逃せないような存在感を発揮している。

 1938年、英国人の証券マンであるニコラス・ウィントンは、ナチスから逃れてきた多くのユダヤ人難民がプラハで悲惨な生活を強いられていることを知る。そこで子供たちだけでもイギリスに避難させるため、志を同じくする者たちと組織を結成し、里親探しや資金集めに没頭する。ニコラスとその仲間は子供たちを次々と英国行きの列車に乗せていくが、ついに開戦の日が訪れ、ナチスはプラハに侵攻する。戦後、退職して妻と隠居生活を送っていたニコラスに、BBCのテレビ番組から出演の依頼が舞い込んでくる。実話を元にしたドラマだ。



 主人公の行動はオスカー・シンドラーや杉浦千畝に通じるものがある。だが、ナチスの理不尽な遣り口に憤りを覚えていたのは彼らだけではないはず。誰だって悲惨な目に遭っている者たちが身近にいれば、助けたいと思うものだ。しかし、それを実行に移すのは並大抵のことではない。ヘタすれば命の危険にさらされる。だからこそ、ニコラスの功績は注目されるのだが、本作ではイデオロギーや政治論争などの“雑音”を省いて、主人公たちが純粋に義憤に駆られて事に及んだことを無理なく描いていることがポイントが高い。

 迫り来るナチスの脅威から紙一重で逃れるニコラスの振る舞いはサスペンフルで見応えがあるし、子供たちとの交流は心にしみる。そして映画はラスト近くに思いがけない見せ場を用意しており、ニコラスたちの善行が結果的に現代でも大きな影響を及ぼしていることを活写するのだ。

 ジェームズ・ホーズの演出はまさに横綱相撲とも言えるもので、展開に緩みが無い。戦後のニコラスを演じるアンソニー・ホプキンスは当然見事なものだが、若い頃の主人公に扮するジョニー・フリンのパフォーマンスも光る。レナ・オリンにマルト・ケラー、ジョナサン・プライス、そしてヘレナ・ボナム・カーターと脇のキャストの充実ぶりは言うまでもない。

 クリスティーナ・ムーアによる美術とザック・ニコルソンの撮影、ジョアンナ・イートウェルの衣装デザインも見応えたっぷり。それにしても、世界的にキナ臭さが漂っている現在、ニコラスのような人材はますます必要とされているのだと、つくづく思う。
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「CODE8 コード・エイト Part II」

2024-05-26 06:07:32 | 映画の感想(英数)
 (原題:CODE 8: Part II )2024年2月よりNetflixから配信されたカナダ製のSFスリラー。前作(2019年)と同様に特筆すべき出来ではない。しかし、パート1に比べて作品のクォリティは落ちておらず、その点あまり不満を覚えずに最後まで付き合うことが出来た。テレビ画面で鑑賞するには、これぐらいのライトな建て付けの方がフィットしていると思う。

 人口の約4%が何らかの超能力を持って生まれるようになった近未来世界。前作で犯罪組織と警官隊を相手に大立ち回りをやらかしたコナー・リードは、5年の服役を終えてコミュニティ・センターの掃除夫として働いていた。警察は遣り手のキング巡査部長の元で改革を進めていたが、実はキングは違法薬物の売買を営むギャレットの一味と結託して私腹を肥やしていた。



 ギャレットの下っ端の売人であるタラクは、警察犬ロボットK9に追い詰められて検挙されそうになるが、無抵抗の彼をK9は殺害してしまう。その一部始終を見ていたタラクの妹パバニはコミュニティ・センターに逃げ込み、コナーに匿われる。K9のメモリにロードされた事件動画を一般公開して警察の不正を暴こうとするコナーだが、揉み消しを図るキングはコナーとパバニを抹殺しようとする。

 ストーリー自体に新味は無いが、前作に引き続き各エスパーの持つ超能力がバラエティに富んでいて面白い。特にカメレオンのように身体の色を変えるタラクや、システムを無力化するパバニの扱いは悪くないと思う。そして、前作で市民からの苦情を受けて出番が減ったヒューマノイド型のガーディアンに代わって投入されたK9の造型と能力は、けっこうポイントが高い。

 後半は横暴なキングと、そんな彼に嫌気がさしてコナーに加勢するギャレットの一派も交えた賑々しいバトルが展開する。実はキングも“ある秘密”を抱えており、それが明らかになる終盤の扱いは少し興味を覚えた。前回に引き続いて登板のジェフ・チャンの演出は取り立てて才気は感じないが、取り敢えずは破綻無くドラマを最後まで引っ張っている。

 コナー役のロビー・アメルとギャレットに扮するスティーヴン・アメルは前回に引き続いての出演だが、健闘していると言って良いだろう。アレックス・マラリ・Jr.にシレーナ・グラムガス、ジーン・ユーン、アーロン・エイブラムスなどのキャストも手堅い。それにしても、上映時間が1時間40分と短めなのは有り難い。娯楽アクション編は、この程度の尺が一番良いのだ。
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「CODE8 コード・エイト」

2024-05-17 06:08:01 | 映画の感想(英数)
 (原題:CODE 8)2019年カナダ作品。日本では劇場公開されておらず、私はネット配信にて鑑賞した。取り立てて出来の良い映画では無いが、硬派なテイストが適宜挿入されていることもあり、あまり退屈せずに最後まで付き合えるSFスリラーだ。もちろん、映画館でカネ払って観たら不満が残ると思うが、テレビ画面では丁度良い。

 人口の約4%が何らかの超能力を持って生まれるようになった近未来世界。彼らは当初は効率の良い労働力として持て囃されたが、機械化・システム化が進んだことにより実業界では不要の存在になっていった。それどころか差別や迫害を受け、犯罪に走る者も少なくない。しかも、超能力者の髄液から抽出される強力な麻薬が高値で取引され、警察は厳しい取り締まりを断行する。そんな中、超能力を持つコナー・リードは、難病を患う母親の治療費を稼ぐため、違法薬物の売買を営むギャレットの一味に参加して犯罪に手を染めることになる。



 社会から邪魔者扱いされた超能力者たちが違法行為をやらかすというネタは、大して新味は無い。舞台になる都市(ロケ地はトロント)が殺伐とした抑圧的な造型を伴っているのも、まあ想定の範囲内だ。しかし、LGBTQなどのマイノリティの権利がクローズアップされる現時点で接すると、けっこう緊迫感が嵩上げされる。

 また、各エスパーはそれぞれ能力が異なっており、ドラマ全体に意外性が醸し出される。警察サイドにも強硬派もいればリベラル派もいて、そのあたりの葛藤が紹介されるのも悪くない。モチーフとしては警察が装備している攻撃型ドローンと、アンドロイド型の実戦型マシンのエクステリアが面白く、市民生活の隣にこんなメカが跋扈している光景は興味を惹かれる。

 ジェフ・チャンの演出は特段才気走った点は無いが、安全運転に徹していてストーリーが停滞することは無い。主演のロビー・アメルは健闘しており、切迫した主人公の内面は過不足無く表現出来ていたと思う。スティーヴン・アメルにサン・カン、カリ・マチェット、グレッグ・ブリック、カイラ・ケイン、ピーター・アウターブリッジらその他のキャストにも演技に難のある者がいないのも気持ちが良い。なお、続編がNetflixから配信されており、近々チェックする予定である。
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「12日の殺人」

2024-04-15 06:07:18 | 映画の感想(英数)
 (原題:LA NUIT DU 12 )似たようなテイストを持つジュスティーヌ・トリエ監督「落下の解剖学」よりも、こっちの方が面白い。同じフランス映画であるだけでなく、物語の舞台も共通しているのだが、題材の料理の仕方によってこうも出来映えが違ってくるのだ。諸般の事情で米アカデミー賞には絡んではいないが、2023年の第48回セザール賞で作品賞をはじめ6部門で受賞しているので、世評も決して悪くはない。

 10月12日の夜、フランス南東部の山間部の町で、女子大生クララの焼死体が発見される。何者かが彼女にガソリンをかけ、火を付けたらしい。捜査を担当するのは、昇進したばかりの刑事ヨアンとベテラン刑事マルソーだ。2人は早速被害者の周囲の者たちに聞き込みを開始するが、何とクララはいわゆる“お盛んな女子”で、交際範囲はけっこう広いことが分かってくる。



 当然のことながらクララと痴話ゲンカの間柄になる男も複数存在しており、計画的な犯行であることから遅からず容疑者が特定されると思われた。だが、決定的な証拠が出てこない。捜査が行き詰まり、ヨアンの表情も焦りの色を濃くしてゆく。2020年に出版されたポーリーヌ・ゲナによるノンフィクションを元ネタにしている。

 冒頭、この事件が未解決であることが示される。ある意味ネタバレなのだが、何かあると思わせて実は何も無かった「落下の解剖学」に比べると実に潔い。それどころか映画自体がミステリー的興趣を否定していることにより、観客の興味を別の方向へ誘導させる仕掛けが上手く機能している。それは何かというと、事件の“背景”である。

 この山あいの町は風光明媚ではあるものの、かなり閉鎖的で多様な価値観を認めない。特に男女差別は深刻で、後半にヨアンの同僚となる女性刑事はそのポストに就くまでに辛酸を嘗めた。劇中、関係者が洩らす“クララはどうして殺されたか。それは女の子だったからだ”という身も蓋もないセリフがシャレにならない重さを伴ってくる。また、社会の一般的なレールから外れた者に対する仕打ちも酷い。

 マルソーは家庭の問題を抱えているが、誰も救いの手を差し伸べない。終盤に重要参考人と目される者が現われるが、当人の境遇も哀れなものだ。ヨアンはスポーツバイクに乗ることが趣味で、暇を見つけては屋内の競技用施設で汗を流している。だが、屋外やオフロードに出向くことは無いのだ。そもそも彼はいい年なのに独身で、交友関係も充実しているとは言えない。この、どこにも捌け口が見出せない状況こそが事件の核心であるという作者の視点は、高い普遍性を獲得していると思う。

 ドミニク・モルの演出は堅牢で、作劇に余計なスキを見せない。ヨアン役のバスティアン・ブイヨンをはじめ、マルソーに扮するブーリ・ランネール、またテオ・チョルビやヨハン・ディオネ、ムーナ・スアレム、ポーリーヌ・セリエ、そしてクララを演じるルーラ・コットン=フラピエなど、馴染みは薄いが皆良い演技をしている。ヨアンがそれまでとは違う生活スタイルに踏み込むことを決断するラストは、強い印象を残す。
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「π(パイ)」

2024-04-06 06:09:26 | 映画の感想(英数)
 (原題:Π PI )98年作品。鬼才として知られるダーレン・アロノフスキー監督作品はけっこう観ていると思っていたが、長編デビューになる本作は未見だった。今回デジタルリマスター版として再上映されたので、鑑賞してみた。率直な感想だが、外観のエキセントリックさに比べれば中身は意外と薄味である。最初の作品ということで好き勝手やっている先入観があったものの、肩透かしを食らった感じだ。

 マンハッタンのチャイナタウンに住むマックス・コーエンは突出したIQの持ち主で、特に数学に関しては他の追随を許さないレベルに達していた。彼はこの世の全ての現象は数式で説明できると確信し、自作のコンピューターで株式市場の予測などに没頭していた。ある日、コンピューターが正体不明の216桁の数字をはじき出す。彼の師匠であったソルもかつて研究していたその謎の数字に、マックスはのめり込んでいく。



 全編モノクロのざらついた画面、手持ちカメラの多用による不安定な構図、耳をつんざくクリント・マンセルの音楽と、エクステリアは結構キレている。しかし、主人公の行動は大したことはない。株価予想は実益を兼ねるために仕方がないのかもしれないが、深い考察もなく宗教関係に興味を持つのは安易だ。おかげでマックスは正体不明の組織から狙われるようになるが、話が単純化するのは否めない。

 ドリルを持ち出して自傷行為に走るのかと思ったら、決定的な破局には至らず何となく済まされてしまう。そもそも、舞台をチャイナタウンに設定したメリットがあまり見出せない。人種間の確執などが織り込まれるわけでもなく、単なる“背景”としか扱われていないのだ。やりようによっては高度な異常性を伴うカルト映画にも仕上げられたかもしれないが、いささか不十分である。やっぱりこの監督の異能ぶりが真価を発揮するのは、「レクイエム・フォー・ドリーム」(2000年)あたりからなのだと思う。

 とはいえ主演のショーン・ガレットはよくやっていると思うし、マーク・マーゴリスにスティーヴン・パールマン、ベン・シェンクマン、サミア・ショアイブという顔ぶれもマイナーながら印象は強い。そして上映時間が85分と短めなのも良い。こういうタッチで長時間引っ張ってもらうと、かなりキツかったところだ。
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「PLAY! 勝つとか負けるとかは、どーでもよくて」

2024-03-31 06:08:10 | 映画の感想(英数)
 作品の題材と出演者たちの面構えから、よくあるライトでウケ狙いの内容空疎な青春ものという印象を受けるかもしれないが、そこは若者像の描出には定評のある古厩智之監督、見応えのある仕上がりだ。特に各キャラクターを取り巻くリアルな状況の扱いには、感心するしかない。もちろん日本の実写版の劇映画で初めてeスポーツを本格的に取り上げたという意味でも、存在価値はある。

 徳島県の阿南工業高等専門学校に通う田中達郎は、1チーム3人編成で競い合うeスポーツの学生全国大会“ロケットリーグ”の出場メンバーを募集していた。そこに応募してきたのが一学年下の郡司翔太だ。ゲームは好きだが熟達者ではない翔太は、ベテランの達郎のスキルに付いていくのがやっとである。続いて達郎はVtuberに夢中の同級生である小西亘にも声を掛け、何とか人数を揃えることが出来た。オンラインで実施される予選を勝ち抜いた3人は、東京で開催される決勝トーナメントに参戦する。実在の男子学生をモデルに作られたドラマだ。



 落ちこぼれ共が頑張って大舞台で活躍するという、スポ根もののルーティンは外見上はクリアしているが、中身は様子が違う。これはタイトル通り“勝つとか負けるとかは、どうでも良い”のである。ただ彼らがプレイ出来ること自体が、大きな“成果”なのだ。彼らの不遇な日常が、eスポーツによってほんの少し変わってくる様子を地に足がついたタッチで綴っていく。それだけ普遍性が高い。

 翔太の家庭は悲惨だ。乱暴者で甲斐性無しの父親と、酷い扱いを受ける母親。翔太とその兄弟たちは、ひたすら首をすくめて耐えるしかない。達郎の父親も何をやっているのか分からず、母親は家計を支えるために過労で倒れそうである。亘にしても家族を信用しておらず、ネット上のキャラクターにしか興味を持っていない。どこにも明るい青春ドラマは無く、それがまた実際ありそうなシチュエーションであるのが辛い。

 プレイ場面は私のようなゲームの門外漢にも十分にスリルが伝わってくるほど巧みだ。しかしながら、大会での彼らの活躍は一過性のものであり、それが終われば改めて厳しい現実に向き合わなければならない。このリアリティには納得してしまう。

 3人を演じる奥平大兼と鈴鹿央士、小倉史也は好調。特に奥平のパフォーマンスは万全だ。山下リオに花瀬琴音、斉藤陽一郎、唯野未歩子、山田キヌヲなどの脇の面子もイイ味を出している。古厩監督は「ロボコン」(2003年)に続いて高専を舞台にしたわけだが、高校とも大学とも違う独特の雰囲気は、かなり効果的かと思う。
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「ARGYLLE アーガイル」

2024-03-24 06:07:58 | 映画の感想(英数)
 (原題:ARGYLLE )これは面白くない。快作「キック・アス」(2010年)や「キングスマン」(2015年)を手掛けたマシュー・ヴォーン監督の手によるシャシンなので一応は期待したのだが、悪ふざけが過ぎてシラけてしまった。何よりキャラクター設定が低調で、感情移入がまったく出来ないのは痛い。しかも尺は無駄に長く、愉快ならざる気分で映画館を後にした。

 謎の国際シンジケートに立ち向かう凄腕エージェントのアーガイルを主人公にした痛快娯楽小説「アーガイル」のシリーズを執筆している売れっ子作家のエリー・コンウェイは、愛猫アルフィーと共にマイペースな生活を送る中年女性だ。新作の構想を練るため列車で取材旅行中の彼女は、突然に命を狙われる。それを助けたのがエイダンと名乗るスパイ。何でも、エリーの小説が偶然にも現実のスパイ組織の行動とシンクロしているとのこと。未来予知みたいな能力があるらしい彼女を抹殺するため、謎の組織は次々と刺客を送り込んでくる。エリーはエイダンと一緒に世界中を逃げ回りつつ、事態の打開を図る。



 とにかく、主人公の2人には魅力が無い。エイダンはスパイらしく身体はよく動くものの、何をやっても冴えないオッサンの域を出ない。エリーには実は重大な“秘密”があったのだが、それが明かされる後半は華麗に変身する・・・・と思ったら、最後まで垢抜けないオバサンのままだ。しかも、その“正体”とエリーの容貌とのギャップが却って広がり、観ていて痛々しくなってしまう。

 これはひょってして劇中フィクションの「アーガイル」の世界とのコントラストを狙ったのかもしれないが、アプローチが根本的に間違っている。架空のハナシとの“落差”を強調するには、エリーとエイダンの造型をリアリズムに振るべきだ。ところが本編は劇中劇以上にチャラけているので、ドラマにメリハリが無い。

 ヴォーン監督の仕事ぶりは低調で、テンポは悪くギャグは上滑り。CG処理画面は奥行きが無い。とにかく荒唐無稽なモチーフを繰り出せば、それだけでウケると思っているようだ。主役のブライス・ダラス・ハワードとサム・ロックウェルはミスキャストだろう。もっと見栄えの良い面子を持ってくるべきだった。

 ブライアン・クランストンにキャサリン・オハラ、デュア・リパ、ジョン・シナ、アリアナ・デボーズ、そしてサミュエル・L・ジャクソンと顔ぶれは多彩ながら、上手く機能していない。唯一良かったのがアーガイルに扮するヘンリー・カヴィルで、一時は“次期ジェームズ・ボンド役か”と噂されたように、颯爽と敏腕スパイに成り切っている。彼を本当の主役に据えた活劇編を作ってもらいたいと思う。
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