ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

昨晩の満月 ネットのお友達の真似をして・・・・・

2016-05-23 11:25:57 | 草花
昨晩のことでしたが、新しいネットのお友達のところで、現在進行形に近い記事が出ていました。
それはそよかぜさんのブログでしたが、折からの満月を記事にされていました。
そのことに触発されて、カメラを持って外に出ましたが、いろいろ工夫してみても一向に良い写真になりません。
何十枚も撮った中で、月の表面の模様が出たものをやっと一枚だけ選び出せました。
月の右隣りは火星でしょうね、これも仲間に入れてみました。

満月 ↓





火星 ↓




月と火星 ↓



一茶の句に
      ♪あの月をとってくれろと泣子哉(なくこかな)♪
または  ♪名月ををとってくれろと泣子哉(なくこかな)♪(文化版) 
または  ♪明月ををとってくれろと泣子哉(なくこかな)♪(文政版)
                   という有名な句がありましたね。 
一茶とかかわりのあった子供はいずれも夭折しているそうですから、哀れさが際立ちます。

一茶の句のついでに、宿題になっていた「あなた任せ」の語句について、少し記述させていただきます。

♪ともかくもあなた任せのとしの暮♪ 

この句では「あなた任せ」という言葉に深い意味があるようです。
小生の観念的な浅読みでは、他人任せに世を送る軟弱な一茶像を抱いていましたが、これはどうも違うようです。
人生の辛酸をなめつくした一茶が、ただ”か弱く”他人任せに生きていることはないはずですね。

この句の前文にはこうあります。:
「後生の一大事は其の身を如来の御前に投げ出して、地獄なりとも極楽なりとも、あなた様の御はからい次第、あそばされくださりませと、御頼み申すばかり也・・・・」とあります。

そこで、仏教者のこの句に対する解釈を拾ってみるとこうなります。:
「浄土真宗の門徒の家に生まれ、念仏者としても知られる、俳人小林一茶のこの句での“あなた任せ”というのは、他人まかせとういう意味ではなく、“あなた”とは阿弥陀如来様のことを指しています。
どんなに裕福であっても、貧乏であっても、おごることなく、卑屈になることもなく、ありのままに年を越していきましょうという意味ですから、とらわれの無い年の送り方です。」・・・となります。
(浄土真宗西本願寺派立徳寺の法話より)

つまり、「あなた任せ」の意味は仏教的であって、前文通りに「阿弥陀仏にお任せすること」という意味にとるのが正しいようです。
これは他力本願・(本願他力)の浄土真宗で用いられる語のようでした。

とすると、仏教者の解釈が句作者・小林一茶の心情に一番近いのかもしれませんね。
コメント (2)
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庭で咲くセッコク、アスチルベ、芽生えたオキナグサの種、雑記

2016-05-23 07:00:12 | 草花
庭の柿の木に着けたセッコクの花が咲いて来ました。 ↓

山で杉の大木の根元に落ちていた株を拾ってきたもので、我が家に来て20年以上になると思いますが、さほど株を大きくもしないで、毎年ほんの少しずつ勢いを伸ばしています。



アスチルベ ↓

これは知人から頂いた株で、そのときは「アワモリショウマ」ということでしたが、園芸種かもしれませんので、属名のアスチルベ(チダケサシ属)としておきます。



オキナグサの実生 ↓

一番初めは実生で増やしたオキナグサでしたが、種を飛ばして、庭のあちこちに芽を出すようになりました。
しかし、庭作業の際に間違えて雑草と一緒に引き抜いてしまったり、狙った場所で生育してくれなかったりで、それを解消するためにもう一度実生で苗を育て、狙った場所で咲かせようとしています。


先日、ある本を読んでいた時に、宗教的な記述になって、そこで小林一茶の句が取り上げられていました。
小林一茶の文政二年(1819年)の句に有名な

♪目出度さもちうくらい也おらが春♪ 

というのがあります。
これを、極上の目出度さではない、「中ぐらいの目出度さ」と観念的に浅読みしていましたが、どうも意味が違うようです。
この句の頭のところにこう記されています。
 「から風の吹けばとぶ屑家(くづや)はくづ屋のあるべきやうに、門松立てず煤はかず、雪の山路の曲がり形り(なり)に、ことしの春 もあなた任せになん 迎えける。」とあり、ここから句が並べられます。

年末の煤払いもせず、門松も立てないというのは一茶には「目出度く無い」ということではないでしょうか。
まして、愛する長女を前の年に痘瘡で亡くした後の正月ですから、門松どころではなかったことでしょう。
(「あなたまかせ」の意味については後日、別の句で意味を考えたいと思います。)

そこでものを言ったのが「ちうくらい也」という言葉の意味でした。
一茶の住んだ信州の方言では「ちうくらい」はあやふや、とかいい加減とか、どっちつかずといった意味があったのです。

♪目出度さもちうくらい也おらが春♪ 

それを弁えたうえで上記の句を解釈するならば、こうなるのではないでしょうか。
句の意味:
(老い先短い身には)正月を迎える、めでたさといってもいい加減なものだが、それもまた自分にふさわしいものではないか。(現代語解釈は学研全訳古語辞典より)

小生がこの句を年賀状に引用したのは、一茶の背景を考えるならば、料簡間違いのようですね。

 
コメント (2)
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