昨晩のことでしたが、新しいネットのお友達のところで、現在進行形に近い記事が出ていました。
それはそよかぜさんのブログでしたが、折からの満月を記事にされていました。
そのことに触発されて、カメラを持って外に出ましたが、いろいろ工夫してみても一向に良い写真になりません。
何十枚も撮った中で、月の表面の模様が出たものをやっと一枚だけ選び出せました。
月の右隣りは火星でしょうね、これも仲間に入れてみました。
満月 ↓
火星 ↓
月と火星 ↓
一茶の句に
♪あの月をとってくれろと泣子哉(なくこかな)♪
または ♪名月ををとってくれろと泣子哉(なくこかな)♪(文化版)
または ♪明月ををとってくれろと泣子哉(なくこかな)♪(文政版)
という有名な句がありましたね。
一茶とかかわりのあった子供はいずれも夭折しているそうですから、哀れさが際立ちます。
一茶の句のついでに、宿題になっていた「あなた任せ」の語句について、少し記述させていただきます。
♪ともかくもあなた任せのとしの暮♪
この句では「あなた任せ」という言葉に深い意味があるようです。
小生の観念的な浅読みでは、他人任せに世を送る軟弱な一茶像を抱いていましたが、これはどうも違うようです。
人生の辛酸をなめつくした一茶が、ただ”か弱く”他人任せに生きていることはないはずですね。
この句の前文にはこうあります。:
「後生の一大事は其の身を如来の御前に投げ出して、地獄なりとも極楽なりとも、あなた様の御はからい次第、あそばされくださりませと、御頼み申すばかり也・・・・」とあります。
そこで、仏教者のこの句に対する解釈を拾ってみるとこうなります。:
「浄土真宗の門徒の家に生まれ、念仏者としても知られる、俳人小林一茶のこの句での“あなた任せ”というのは、他人まかせとういう意味ではなく、“あなた”とは阿弥陀如来様のことを指しています。
どんなに裕福であっても、貧乏であっても、おごることなく、卑屈になることもなく、ありのままに年を越していきましょうという意味ですから、とらわれの無い年の送り方です。」・・・となります。
(浄土真宗西本願寺派立徳寺の法話より)
つまり、「あなた任せ」の意味は仏教的であって、前文通りに「阿弥陀仏にお任せすること」という意味にとるのが正しいようです。
これは他力本願・(本願他力)の浄土真宗で用いられる語のようでした。
とすると、仏教者の解釈が句作者・小林一茶の心情に一番近いのかもしれませんね。
それはそよかぜさんのブログでしたが、折からの満月を記事にされていました。
そのことに触発されて、カメラを持って外に出ましたが、いろいろ工夫してみても一向に良い写真になりません。
何十枚も撮った中で、月の表面の模様が出たものをやっと一枚だけ選び出せました。
月の右隣りは火星でしょうね、これも仲間に入れてみました。
満月 ↓
火星 ↓
月と火星 ↓
一茶の句に
♪あの月をとってくれろと泣子哉(なくこかな)♪
または ♪名月ををとってくれろと泣子哉(なくこかな)♪(文化版)
または ♪明月ををとってくれろと泣子哉(なくこかな)♪(文政版)
という有名な句がありましたね。
一茶とかかわりのあった子供はいずれも夭折しているそうですから、哀れさが際立ちます。
一茶の句のついでに、宿題になっていた「あなた任せ」の語句について、少し記述させていただきます。
♪ともかくもあなた任せのとしの暮♪
この句では「あなた任せ」という言葉に深い意味があるようです。
小生の観念的な浅読みでは、他人任せに世を送る軟弱な一茶像を抱いていましたが、これはどうも違うようです。
人生の辛酸をなめつくした一茶が、ただ”か弱く”他人任せに生きていることはないはずですね。
この句の前文にはこうあります。:
「後生の一大事は其の身を如来の御前に投げ出して、地獄なりとも極楽なりとも、あなた様の御はからい次第、あそばされくださりませと、御頼み申すばかり也・・・・」とあります。
そこで、仏教者のこの句に対する解釈を拾ってみるとこうなります。:
「浄土真宗の門徒の家に生まれ、念仏者としても知られる、俳人小林一茶のこの句での“あなた任せ”というのは、他人まかせとういう意味ではなく、“あなた”とは阿弥陀如来様のことを指しています。
どんなに裕福であっても、貧乏であっても、おごることなく、卑屈になることもなく、ありのままに年を越していきましょうという意味ですから、とらわれの無い年の送り方です。」・・・となります。
(浄土真宗西本願寺派立徳寺の法話より)
つまり、「あなた任せ」の意味は仏教的であって、前文通りに「阿弥陀仏にお任せすること」という意味にとるのが正しいようです。
これは他力本願・(本願他力)の浄土真宗で用いられる語のようでした。
とすると、仏教者の解釈が句作者・小林一茶の心情に一番近いのかもしれませんね。