ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

3/2日 愛知県最奥の豊根村富山の八嶽山(やたけさん)と袖山 その1:アプローチに苦労しました。

2015-03-04 06:38:45 | 草花
かつて、愛知県の北東端に富山(とみやま)村がありましたが、最盛期でも人口は千人程度の非常に小さな村でしたが、2005年に豊根(とよね)村に合併されて、今では北設楽郡豊根村大字富山となっています。

wikiの記述によると:
>急峻な地形で平地はほとんど見られない。愛知県で一番山の奥にあった山村である。民家は急斜面に石垣を築き、その上に建っている。 村の東部は佐久間湖(佐久間ダムのダム湖)が広がっている。年平均気温が14℃、霜日数約150日、根雪日数約5日と夏は過ごしやすいが、冬はやや寒い。
・・・・・とあります。

そこに、八嶽山(やたけさん)という良い山があるということで、前から行きたく思っていました。
今回は膝の回復度合いを測る意味で、この山を歩くことにしました。

しかし、最奥の場所であることから、我が家からたかだか120kmの距離なのですが、往きに4時間も掛かってしまいました。

位置 ↓

黒丸の中の赤い部分が今回歩いた場所です。

実写 ↓

2/16日に歩いた三ツ瀬明神山の山頂から見た、八嶽山・袖山の姿です。南アルプスの雪を纏った仙丈ヶ岳の前では地味すぎますね。


カシバードで確認 ↓

カシバードで山名確認します。


実行図 ↓

今回は他のルートが崩落などで通行不能と言うことでしたので、やりたくはない、ピストンで歩きました。


断面図 ↓

ピストンで歩きますので左右対称形になります。


佐久間湖 ↓

佐久間ダムは天竜川に設けられた日本有数のダムで、高度経済成長を支えた原動力となったものでしたが、ダムにせき止められた湖水が佐久間湖で、旧富山村はその湖岸にあります。
否、その言い方は不適切でありました。 佐久間ダムの建設に伴って村の中心地区が水没することになり、全人口の約1/3が離村することになったのでした。


現在の中心部 ↓

佐久間湖と集落の様子はこうなっています。
この日は目覚まし時計の設定を間違えてしまい、寝坊をして、ここに付いたのは午前11時少し前で、歩き始めたのは11時を過ぎていました。
岡崎・新城で交通渋滞に遭い、狭い山道ではスピードが出せずに、全行程の平均時速は30km弱となりました。


目抜き通り ↓

愛知県道が通っていますが、交通量は少ないですね。


読めない看板 ↓

木製の案内看板がありましたが、古くなっていて、判読が困難でした。
「八嶽山大谷登山口へ」と書いてあるようです。


ここから取り付く ↓

車道を離れてこの階段を昇っていきます。


坂道に人家 ↓

坂道を上っていきますと、両脇に人家が点在しています。


茶畑 ↓

坂の地所ですと耕作するものは限定されてきますね。ここでは茶畑が目に付きました。


神社の参道 ↓

神社の参道も当然階段となります。


社殿 ↓

ここではもとからあった熊野神社に、あとから諏訪神社が合祀されたそうです。


神社の軒端 ↓

目を左右に振って、山の登り口を探して居ます。


登山口 ↓

ここが登山口となります。数字の「1」と言う標識がありますが、この数字は順次増えていき、山頂は「17」の少しだけ上部にありました。
始めは合目標示かと思い、おそらく「10」が頂上ではないかと推測しましたが、それは違っていました。


コメント (6)
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