梅雨の時期は天気予報が難しいと聞いています。どうしてそうなるのか具体的な理由はまでは分かりませんが、たしかに天気が定まりにくいのでしょう。
今週はずっと雨マークの付いた東海地方ですが、アイサンギセイ(愛(知)・三(重)・岐(阜)・静(岡))・東海4県と言っても飛騨の槍ヶ岳から太平洋側の伊良湖岬までを含むのですから、とてもひとくくりで予測できるものではなさそうです。
それにしても湿気の多い日が続いて、鬱陶しいことです。
オニユリ ↓ ↓
一株だけにした庭のオニユリですが、下の段が咲きそろいました。
トウモロコシ ↓
てっぺんに雄花が先に出て、すぐに下の方に雌花(穂の毛が見えている)が出て来ました。
7日の二日月 ↓
月齢1.5の極細の月を見たのは7日夕方のことで、これから後は見えて来ません。
ガマ ↓
知立市の調整池の湿地でたくさん咲いているガマを見つけましたが、カメラを持っていなかったので、
出直して撮りに行きました。
カラスウリ(4枚) ↓
ガマを撮った帰り道にJRの線路際でカラスウリの蕾を見て、暗くなってから咲いたものを撮りに行きます。
夜に開いた花の撮影は、三脚を据えて、懐中電灯で照らしてリモコン・シャッターにて撮っています。
フリークライミング ↓
カラスウリ撮影の帰り道、クライミングジムを外から覗いて撮りました。
自分がその気になって壁に向き合った場合、これは相当難しいのではないかと思いましたね。
ISS(国際宇宙ステーション)の航跡 ↓
生憎の曇り空でしたが、雲の隙間を移動する姿を捕捉できました。
カラスウリの花がもう咲いたのですね。
こちらではまだだいぶさきだとおもいます。
今日もとても蒸し暑いです。
カラスウリはこれまでに何度か見に行っていますが、やっと蕾が上がって来ていました。
満を持して咲いて来たという感じでした。
湿度が高くて洗濯物が乾きにくく、部屋が狭くて閉口しています。
ヤマユリがこちらでは咲かないので、自然の状態の中で咲くところをぜひ見たいものです。
オニユリは色が強すぎて、猛暑の中では見るのが辛く感じることが有りますね。
クライミング施設を使って試登をしたことすらないのですが、トレーニングしている人たちは楽しそうでした。
夜空に浮かぶ白き妖精 (縄)
・白うさぎガマの穂綿にくるまれと
小学校の国語読本 (縄)
クライミングジム、安全ロープがなくても練習良いのかな!?
(障害・保険の対象・注意義務)
カラスウリは宵闇の中で咲き出し、朝、辺りが明るくなるころに花を萎れさせます。
まことに夢の妖精のような花ですね。
ガマの穂綿にくるまると兎がもとの白兎になる話も歌も懐かしい、昔々の子供のころのことでしたね。
ジムでのクライミングは下に厚いマットを敷いてやっていますが、確かに一番上から落下したら相当な衝撃が膝に来そうです。
ですので、小生も見ていてそのことが心配になっていました。
早くも7月半ばとなりました。例年だと、そろそろ北アルプスに行こうかという予定を立てる頃ですが、今年の梅雨はよく降りますね。四国ではこの梅雨は例年になくよく降りましたので、早明浦ダムはもちろん、香川のため池も満水のようです。
おかげで水やりはずいぶん楽をしているし、花たちも生き生きとしてますが、そろそろ陽射しが恋しいです。
オニユリ、うちの庭でもこの前から咲き始めましたが、これはムカゴを落とすので、増え過ぎです。同じくムカゴで増えるシュウカイドウも、あちこちの鉢から芽が出てきて、ありがたみがなくなりました。
菜園の方は今年はいかがですか?
こちらはこの前まで、2日か3日に一度実家の畑に行くとキュウリが十数本も採れて、誰に上げようかと贅沢な悩みでした。そのキュウリも一段落し、これからはナスやオクラがたくさん採れそうですよ。
今年の梅雨はニュースによると確かに四国地方と日本海側に偏って降るようですね。
ところであの早明浦ダムの響きも懐かしいですが、猛暑を控えたこの時季に満水とは嬉しいことですね。
たしかに雨が多いと水遣りについては楽をできますね、それと直後の草引きも地面が柔らかいので抜きやすいです。
庭で作っている野菜ですが、農薬を施していないのでトマトとナスはカメムシその他の虫に入られて全滅です。
ナスについては枝を切り詰めてて、秋ナスとりのモードにしました。トマトは大玉の株は皆引き抜いて、その場所は整地、消毒しているところです。
来年はもう少し早や植えして虫が出る前に収穫を終了するようにしようと考えています。
枝豆が終わったので、トウモロコシの出来具合に期待しています。里芋は只今分球の真っ最中ですね。
キュウリとシシトウは植えた数が少なくて、多くを望めません。
まだ結論は出していないのですが、青春18きっぷを購入した上で遠出を目論みもしましたが、この暑さですのでそれもやめようかと考え始めています。
以前この時季の登山で雨飾山にて二年連続で暑熱ダウンに追い込まれたことが有るのです。