今や、スポーツの世界では当り前になってきている。
W杯で競い合っているラグビーの世界は、人類の将来を具現しているかの様に見える。
改めて「日本人」って何だろうと考えさせられる。 国・地域、国籍、言語、文化、社会・政治体制、宗教等々を超えて「One Team」を構成・編成し、「メンバー相互に信頼し合い、考え方や情報を共有し、繋がり」勝利を目指す、なんて素晴らしく、清々しくも心温まる世界ではないか。 文字通り、「What a wonderful world !」だ。
その昔、南から北からの渡来人、或いは、朝鮮半島との交流等の中で、今の『日本人』があり、この小さな島国で「日本」を形成してきたと想像出来る。
ならば、今の『日本人』は、未来に向けて、更に、変化を続けていると考えたい。
その意味で、ラグビー日本代表は、“『日本人』だけで編成し、戦うべき”との声が聞こえるが、今や、何を馬鹿なことを仰るかと問いたい。 それこそ、体躯、顔かたち、肌の色、髪の色等々の「見た目の無意識の差別」が、頭から離れない前近世型、錆びた脳の持ち主の考えること。
ラグビーは、大英帝国の歴史の中から生まれたらしいが、人類の更なる未来を示唆している様にも感じられる。
そんなことで、イングランド、スコットランド、ウェルズ、アイルランド(イギリスの北アイルランドとの合同チーム)と、国家毎とは異なるチーム編成である点、興味深い。
「見掛け」とか「慣習や偏見、過去の枠組み」から解放された、新しい時代の扉を開けつゝあるかの如く見えるが。
スポーツだけの、或いは、ラグビーだけの特殊世界の話か? 妄想か?