JETRO主催の掲題講演会に、溜池まで行ってきました。
ベネズエラの知人、Mr.Matthias Schultz と連絡を取っているが、思う様に行かない。
時折、ニュースになるベネズエラの現況が気掛かりで、昔のご縁でもって、講演会に顔を出した。
定員150名は、第一線のビジネスマン中心。
現在の政治的、経済的、社会的危機につき、ラテンアメリカ研究の第一人者・S口氏の話を1時間半に亘り伺い、あと質疑応答。
法やルールを無視するチャベス大統領亡き後のマドゥロ大統領の独裁政治、1,000%にも達する超々インフレ、貧困率82%、治安の最悪化、銃・麻薬の蔓延等。
実体験があるので、お話は良く理解出来るが、1,000%のハイパーインフレ、貧困率82%等、なかなか我々日本人には実感が湧かない。
Mr.Schultz は無事で、元気なのか?
1989年から5年余りに亘り、メキシコから3か月に一度、コロンビアと抱き合わせで、出張したもので思い出深い国の一つ。
シモン・ボリバー国際空港から標高約1,300mの首都カラカスまで、高速道路を一気に2・30分駆け上がる様は、忘れられない。
途中、山肌にへばり付く貧しい人々の赤茶けた日干し煉瓦の家屋を横目に見ながらである。
タクシーは、フロアの錆穴から地面が見える様なボロ車。
着いたホテルは、マリオットで、別世界。
今から振り返れば、比べものにならない位、いい時代で、寧ろ、コロンビアの方が内戦状態、銃・麻薬の氾濫で怖かった。
カラカス市内に入ると、空港や港周辺で目立つ黒人系住民はめっきり減る。
暑い低地は黒人系、涼しい高地は白人系。
中南米諸国は、大体、このパターン。(但し、除くブラジル?)
当時も、正直言って、薄気味悪く、怖い街の印象が強い。
世界最大の原油埋蔵量を誇るも、それが為に混乱を招く産油国の一つ。
今や、カラカスは世界で最も危険な都市であり、ベネズエラは最も危険な国となってしまった。
余談:日本に連れて帰りたいような美人がウヨウヨしている点では、コロンビアに負けない。
日本では、数少ない美人がチヤホヤされるが、かの国々では、美人は普通、当り前。
その意味では、日本を含め東アジアの男子は、世界で最も不幸な連中と言えなくもなく。
で、今日の講演を聞いても、知人訪問は早くて数年後?、健康寿命中に行けるか否か。