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8月23日(金)から9月1日(日)迄の10日間、六本木の国立新美術館で開催。
昨年は8月29日に、上野・東京都美術館へ出向いた。 早い1年だ。
他の目立ったイベントがなかったので、大変、空いていて、じっくり鑑賞出来た。
我が師匠は、所属社中の先生方のご指導で12年連続入賞入選で、一昨年、『読売書法会会友』に認定された。 今年も4回目の受賞となる調和体部門『秀逸』賞を頂いたが、本人は、まだまだの様子。 難しいかな部門と調和体部門で各2回の『秀逸』賞の受賞は、立派。 かなと漢字の混合体で、伝統の漢字や仮名の大家はおられるが、調和体の大家は、まだいないし、双方に卓越した技能と双方を調和させられないと良い作品には届かず、大変難しい仕上がりの作品になる。 更に、上を目指し気持ちは萎えていない。
『調和体』という呼称は、読売で使用、毎日は『近代詩文書』という呼び方をしていて、不統一。 作品の展示方法にも工夫が求められそうだ。 漢字、仮名、調和体、篆刻の4種類の作品が、バラバラ展示で、単品の絶対美を楽しむのは結構だが、何が素晴らしいのか、どこがどう違うのか、どちらが己の好みに合うか等々、といった視点で楽しむ方が大方のファンに合いそうだが。
傍で見ていて、よく頑張って、練習をしていると感心する。 毎日毎日、練習をし、夜中の2時3時に起きて稽古をしていることも、まゝある。 私がテン・ホールズ・ハーモニカで先輩やプロをオタクと揶揄するが、似た様な光景だ。
従って、オタク連中が、どれ程の練習、稽古を積んでいるかは、見ていて、そりゃ、生半可ではない。 その世界で秀でる人は、多くの場合、努力の人でもある。 とは言え、努力のみでは如何ともし難い人間社会の縮図、言い様によれば、ビジネス・政治の世界で、必ずしも、書芸術の真髄を追求するだけの世界とも言い切れない。
今回の書法展をみても、参加応募者の減少の中、女性受賞者が少なく男性偏重ではないだろうか。 毎年続く伝統の書展で、多くの下位受賞の女性の中から、上位受賞者の出現が少ないのは、やや不可解だし、この時代、可笑しくはないだろうか? 圧倒的に女性書道家が多いにも拘わらず、可笑しな現象が起きている訳だ。 本物を引き上げる目利きが少ない、或いは、政治的配慮が強過ぎる男社会としか言い様がないのが現状だろう。
また、会員数の多い大手書道会や社中からの受賞者が片寄ることに配慮し、中堅社中にも光を当てると仰るが、本物志向ではないことを告白している様なものだ。
今回の我が師匠の作品も、なかなか品の良い作品に仕上がっていて、他の多くの調和体作品とは一線を画しており、眼力のある審査員がいるので救われる。 人柄が出ていて、ハッタリをかませる大会場向きじゃないですが。 大師匠は、いつもの様になかなか素晴らしい魅力的な線質の作品を仕上げているが、先述の様に目利きが居ないのが残念だが、いずれ光が当たることを願っている。
過去の栄光だけにすがり、その後のお手入れが疎かな長老の作品は願い下げで、その意味でも、玉石混交の書道展との印象もあり、必ずしも本物の文化芸術を競う場ではなく、恰も企業が張り合うビジネスの場の如くに変質してしまっている感が強い。
書道会に限った話ではなく、多くの世界・社会・組織で似たことが起きている、今の日本社会を垣間見る思いだ。
ゆったりと、作品の比較で展示コーナーを行ったり来たり、本当に楽しい3時間余りだった。
あと、アポなしで、向かい側にある政策大学院大学K内教授を訪ねた。