足掛け3年に亙るコロナ禍、地域の大切なお祭り「有楽こども曳山祭り」は中止が続き、今年も、開催見送りとなってしまった。
写真の様な台車で町内を引き回す「川崎版唐津くんち」で、山車を曳くのは地域の子供達とかつて町内で育ち、曳いた、今や立派な大人となった方々の子供達。 移転してきた当時の「久敬社塾」寮生が故郷を偲び「唐津くんち」の一番曳山「赤獅子」を模して手造りし台車に乗せて、機会ある毎に町内を曳き回り、その内に、子供達にも曳ける様にと改良を加え、町内会と融和する様になり、冒頭の様な名称になったお祭りである。
近代日本の幕開け、明治の初め、旧唐津藩主・小笠原家が創立し、今年で144年になる当時の藩校「久敬社」は、若者教育に力を注いできた。 佐賀県唐津市出身者を中心に首都圏に通う男子学生の寮が「久敬社塾」で、明治19年に千代田区番町の旧小笠原邸屋敷の一角に生まれ、100年以上の歴史を持つ。 その後、移転を重ね、昭和41年に我が街に引っ越して来て、50年以上が経過、昨年からは、女子学生の入寮もOKとなった。 ほゞ、40室満室状態らしい。 テニスコートもある広い立派な寮で、地域の小・中学生に勉強を教える優秀な学生も多く、まさに学習の「久敬社塾」とも読めそうだが、列記とした「学生寮」で、何やらの団体事務所でもない。
「久敬社」が大学創設の道を選んでいたら、「西の同志社」「東の久敬社」も頷ける。
今日は、その山車の組立て、解体の実地確認作業だった。 コロナ禍、中止が続き、学生が卒業して行くと、ノウハウが引き継がれない為、先輩諸氏も交え確認作業を実施、来年以降に備えようとの試み。
快晴に恵まれ幸いだった。
で、差入れは、入寮生数、女子学生を考慮、未成年者も選挙権ありゆえ、飲み方も多様なウィスキーとし学習塾じゃないが、選んだラベルは「Teachers」1,800ml。 日本酒??ワイン??清涼飲料水??和・洋菓子??
良き伝統を紡いで欲しい。 (序乍ら、集合写真、前列中央の赤シャツ・赤パンツ男が筆者)