今年最後の買い物になりました。
31日19:00閉店間際に、廃棄されかねないポインセチアを来年用に購入。
「持って行け、泥棒」価格で、大盤振る舞い。 無料で、というのも気が引けるのでお代は払っておきました、気持ち程度。
気持ちの落ち着く良い買い物でした。
来年11月末には、素晴らしいポインセチアに仕上げたい。 新型コロナも収まっていることを願う。
しかし、思わず笑ってしまったが、ポインセチア栽培家ではありません。 ハーモニカ同様、ちょっとした病気みたいなもの。
今年最後の買い物になりました。
31日19:00閉店間際に、廃棄されかねないポインセチアを来年用に購入。
「持って行け、泥棒」価格で、大盤振る舞い。 無料で、というのも気が引けるのでお代は払っておきました、気持ち程度。
気持ちの落ち着く良い買い物でした。
来年11月末には、素晴らしいポインセチアに仕上げたい。 新型コロナも収まっていることを願う。
しかし、思わず笑ってしまったが、ポインセチア栽培家ではありません。 ハーモニカ同様、ちょっとした病気みたいなもの。
コロナ禍の1年は、幸か不幸か、ほゞテン・ホールズ・ハーモニカの自宅練習のみに明け暮れた。 来年、どうなるか分からないが、同様な過ごし方はないだろう、という意味では、キャリア・アップに繋がる大事な1年間だった様に思う。
殊に、無理のないベンドへの進化に伴いポジション奏法へ。 1st position から離れて変化を求められる自信は、このハーモニカの特徴を生かす意味でも大きい。 その自覚が、更なる高みへと繋がるのを感じている。 大きなステップ・アップだった。
惜しむらくは、①「Michelangelo」原曲と②「Caccini の Ave Maria」寺井尚子アドリブ・ソロの耳コピ、採譜が進捗しなかったこと。 ①は、A見先生編曲版とは別に、M田先生Originalもトライしたい。 ②は、O竹先生から頂戴した譜面をベースに、寺井氏の1分間程のアドリブ・フレーズを取り込みたい。
いずれも大好きな楽曲故、難しくはなさそうだと確信。
来たる新年、早目に仕上げて、演奏に繋げられる様に頑張りたい、というのが来年の目標。
29日年末の晩、昼間の番組とは違い、なかなか良質な番組だった。 NHK21:00 からの1時間番組、京都千年蔵・歴史発掘ミステリー。
仏教の声(昌)明<しょうみょう>発祥の寺と言われる大原・勝林院。 三千院から直ぐ近くの由緒ある寺で、この放送までは、観光客・人影の少ない寺だったらしい。 声明は、日本音楽のルーツとも言われるとか。
中でも、声明の詳細な譜面は、大変興味深かった。
譜面があるものゝ、口承、耳コピーで伝承されている由。 微妙な節回しは、得も言えず、心に染みる。 やっぱり、日本人かな。 ただ、22:00からのTV朝日の2時間特番「天空のヒマラヤ部族 決死の密着取材150日間」(私の好きな友寄ディレクターの秘境取材)を視ていたら、現地チベット仏教のお坊さんのあげるお経の節回しが似ている印象を受けたが、只の気のせいか。
昔のことを考えれば、書き物に頼れない口伝えは当り前。 とすれば、只今、悪戦苦闘中の彼女の「Ave Maria」のアドリブを真似ることも、あながち無理な話でもなさそうだ。 出来る筈、と気を持ち直した。 良いアドバイスを頂いたと思う。
イギリス・ロンドンから、午後到着の便で羽田に。 制服を着替え、抗原検査とその陰性の結果を受けて、渦中にある為、会社手配のタクシーで20:00頃帰宅。
26日に出掛け、現地ホテルでは、いろいろとハプニングもあった模様。
何度も出掛けている海外空港ではあったが、なかなか経験の出来ない体験だった様だ。 追々、聞かせて貰おう。
明日から3日間、謂わば、自宅隔離、1日元日にはPCR検査の予定だったが、国交省・会社から「必要なし」との通知とか。 その後、東に向いてアメリカ・シカゴ往復の予定らしい。
CAという職業柄、疲れに加え、時差の関係で睡眠不足等もあり、風邪や発熱も時折りあった。 体力、抵抗力が落ちて、コロナ感染リスクも大ゆえ、体調管理には十分過ぎる程の注意が必要だろう。 因みに、乗客は30名程で日本在住、日本語ペラペラで英語は不得意気?の外国人?等とか。
国の垣根が低くなり、更に、なくなって、ヒト・モノ激動化の進む中での逆風コロナ禍、何とも過酷な仕事、誠にご苦労様。
ほゞ1年間に亘り、グダグダと同じ様なセリフでストレスの溜まる生活を強いられて来た。
パソコンが日常生活に溶け込んでおり、また、一人でも楽しめる趣味を持つので、幸い耐えられる。 家内も、「書」と共に半世紀ゆえ、まだ、救われる。
子供達も、定職で忙しくしていて、結構なことだ。
故に、この時期、例年なら熱の入らないTV番組など当てにもせず、年末の買い出しにあちらこちらへと出回る。
ところが、今年は、特にこのコロナ禍、大人しく自宅等でジーっとしているところだが、TV番組のつまらなさと言ったら何を考えているのかTV各局。
一部の関係者を除き、多くは何も考えていないのだろうが、例年同様、つまらなく、くだらなく、いい加減な番組を相変わらず制作し続けている。
コロナなんて、どこ吹く風で、ぬくぬくとしている様子ありありだが、こういう「Stay home」時こそ、楽しく、面白く、多少意義のある番組を、力一杯制作して貰いたいものだったが。
コロナ禍だからこそ、TV局の奮起を促したいが。
1人で、生を授かり、暫しこの世にわらじを脱ぐことになった訳ではない。
また、死ぬ時を己で始末し、見届けられる訳にも行かない。
通常は、見守る両親を笑顔にしつゝ生を受け、見守る子供達を悲しませながら逝くものだろう。
その意味で、人生の入口・出口共、一人で入り、一人で出て行くものだが、人生の過程にある段階では、通常、人はたった一人で生きている訳ではない。 両親や子供達家族、更に、多くの他人との関わり合いの中で生きているのであり、世話することも、世話になることも多々あり、まさに、共助だ。
ならば、その関わり合いにそこそこ浸かったら良いとも考えるところだ。
出口に向かって、断捨離し、さっぱりとさせることもなく、寧ろ、関わりを残しておく方が、より自然で人間的だと思う様になったもの。 厄介になるね、と素直に言いたい。
人生って、そんなに綺麗ですっきりした、絵に描いた様なものなんだろうか。
政治の話題をテーマにすると、よく言われるフレーズ。
特に、若い学生やサラリーマンからも聞かされる言葉だが、昭和の時代を過ぎ、平成生まれの方々も、いい歳になり社会を背負って立つ年頃。
にも拘らず、このフレーズは、今以って生きながらえている。 若者たちは、一体どこで、そんな教育を受けて来たのだろうか。
相も変わらず、「民は依らしむべし、知らしむべからず」を身に付けてしまっている。 「そこに自分の考えはあるか」との音楽評論家・故吉田秀和氏の問い掛けが、常に思い起こされる。 今から、ざっと40年程前、老いて尚名声を欲しいまゝにし来日、巨匠・ホロビッツの演奏を「骨董品」として酷評したもので、伝説の演奏者の演奏に盲目的に酔う聴衆に疑問を投げ掛けたセリフ。
日本の為政者にとっては、好都合で、若者が民主主義・自由・制度改革等を掲げて活発に社会活動の旗を高く掲げる東アジアや東南アジアの某国の動きや北欧の某国の様に、政治が日常で語られるのは、鬱陶しいのだろう。
若い人々が、前総理の言動をどの様に見ているのか、その声も聞こえて来ないが。
それにしても、K大学の「意識の高い?」学生達が「No Youth No Japan」(若者なくして、日本の将来はないの意)活動を始めていて注目されているが、本当に日本社会を変革させる当り前の力になって欲しいものだが。
長女は、今朝、6:00のバスで羽田へ向かった。
29日(火)午後、英国・ロンドンから帰国で、空港でのコロナ検査があり、晩、帰宅予定。 コロナ渦中、まさに真っ只中へ飛び込んでいった。
往路は30名程の乗客で、復路はコロナ変異種問題で日本への入国拒否発令で客数不明とか。
先日は、20日(日)早朝に自宅を出て、23日(水)にインド・デリー・インディラガンジー国際空港から夜行便で早朝帰宅。
今日は、中2日の休みで英国・ロンドン・ヒースロー国際空港へ向かったが、身体を壊さないことを願う。 寒暖差、時差、揺れる機内での立ち仕事等CAは、国内での9:00-17:00のデスク業務とは異質。
コロナで振り回された1年だった為、殊に、機材や乗務員・予備員の配置の難しさは尋常ではなかっただろう。 海運会社の場合は、1ヶ月1週間単位で動く様なものだが、航空会社の場合は、1日1時間単位とスピードの違いで目まぐるしい。
無感染で風邪をひかずに無事に帰宅する様に。
次女は次女で、医師として、これまたコロナ禍リスクの大きい最前線で超多忙な毎日を送っているが、家族が元気で支えているのも大きい。
今日は、13:00から16:00まで、久し振りにTV国会中継に釘付けだった。
コロナ禍だとはいえ、マスクを外しての国会審議の方がいい。 顔の表情は、コミュニケーションにとって、極めて大切な要素になる筈で、マスクが心の内を隠せてしまう気がするが。
政治家の家系に生まれ育ち、総理大臣を務める様な2世3世議員は、一般庶民とは「常識」の中身が違うのか。 多くの国民・一般社会人の考える「常識」というものが通じもしないし、理解をしようともしないのだろうか。 ガバナンスの効いていない組織・後援会事務所など、時代錯誤のナンセンス。 一体いつの時代を生きていた前総理? あれだけ、国会で「大見得を切って来た」にも拘わらず、です。 とても、国民と共に歩めるとは思えないし、国民の代表としても失格でしょうね。 その意味では、議員資格はないと言えるので、議員辞職を迫るべきですね。
謝罪や責任を口にするが、目に見える形での政治責任の取り方も、国民の考える形とは異なる様だ。 もともと、国会発言に誤りがあったので訂正させて下さいと、ご本人からの申し出だった筈だが、何を、どの発言を、どの様に訂正するのか全く不明。 説明責任を果たしたとうそぶく。 更には、ぬけぬけと次回選挙に立候補すると迄宣言。 無論、根性の座り方、厚顔無恥の度合いは、大凡人の私などとはモノが違う、矢張り超一級か。
政治の世界も「ニュー・ノーマル」が促進されるべきだし、日本学術会議改革同様、ゼロ・ベースで大改革、現総理ブレーン竹中先生に「規制改革」「構造改革」のご指導を頂いた方が良さそうだ。 また、以前から再三再四伝えられる様に世界ジェンダーギャップ調査でも上から100ヶ国以下の散々な結果だ。 主な原因は、言わずもがな、日本政界での男女格差。 携帯値下げも悪くはないが、これの解消の方が、深刻だ。 前世紀の遺物みたいな御仁はお引き取り願おう。
それにしても、2人の野党女性質疑者は、なかなか鋭く迫っていましたね。 概して、男性は、だらしない。
多くの一般人の疑念は晴れないので、きっと、再告発、検察審査会行きだろう。
東京地検の不起訴処分を受けて、前総理の会見があった。
道義的責任に対して口頭で詫びた。 いつものパターンだ。 痛くも痒くもない。 75日も経てば、そんなことがあったなぁ、と忘れてしまうもの。
政治責任なんて、これぽっちも考えていない。 口先だけで陳謝の言葉を述べるのみ。
口先でなら、何度でも、何とでも言える、軽いものだ。
最も大切なことは、「行動」であり、政治責任の取り方が問われるが、議員を続けることで、責任を果たして行きたい、と、これまた、お決まりの分かった様な分からない様な、殊勝な顔つきでの良くある定番の説明。
火器を持たない戦闘の世界に生きる政治家ですよ。 昔の長州侍ならば、潔く切腹モノですか。
国民の多く、誰が見ても依然疑問の残る奇異な会見での説明、明日の国会内、公の場での野党議員も絡む質疑応答を改めて視てみたい。
いずれにせよ、国民の納得は得られていないので、明日を経て、改めて、検察審査会の場へ移るでしょうね。