Retrospective...

イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

アルファスッドの思い出(1)

2005-01-28 | くるま。
イタリアの自動車会社アルファロメオ。
かつては高級車メーカーでしたが、戦後、実用車を作る国営メーカーに転身、
以来、フィアット傘下に置かれた現在でも、
乗る人のこころを熱くする
素晴らしいサルーンやGTを次々と生み出し続けています。

かくいう僕も、アルファが大好きで、免許を取る前から
「いつかゼッタイにジュリアスーパーを買うぞ」と心に決めていたほどでした。

でも学生の身分に、当時新車だったアルファ75はあまりに高価で、
古いアルファもとても買えませんでした。

そんな時、僕は1台のアルファと出会ったのです。1993年の、秋のことでした。
それが、アルファスッド
ある自動車屋の片隅で、捨てられる寸前でした。
アルファが、まったく想像と違うものではありましたが、手に入ったのです。
車検代だけで!

1960年代、イタリアは南北格差が激しく、国はその対策として
国営の自動車企業、アルファロメオの工場を南イタリアに建設しました。
そこで製造されたクルマがアルファスッドだったのです。
イタリア語で南=スッド。直訳すれば「アルファの南」です。

アルファスッドはアルファロメオ初のFF(前輪駆動)でしたが、
アルファは決して手を抜きませんでした。
エンジンは水平対向水冷4気筒を低く低くノーズに押し込め低重心化を図り、
素晴らしいハンドリングを得るためバネ下の重さを軽くしようと
通常タイヤのそばにつくフロントブレーキはなんとボディ中央に位置。

ジウジアーロにデザインが委ねられたボディは、小さいながらも驚くほどの
広さと荷室の容量を誇りました。当時、シトロエンGSと並んで、
小型実用車の最高傑作とまで言われたクルマだったのです。

ところが、アルファスッドは後のアルファの斜陽を呼び、
「アルファの信用を失墜させた」と言われる、張本人だと言われています。

問題は、あまりにも品質が悪かった、ということでした。
俗に「ひとびとが働かない」とされる南イタリアにあったからなのか、
政府の思いとは裏腹に生産は遅々として進まず、また品質が悪いという印象は
結局最後まで払拭できませんでした。

こんなアルファスッド、いくつか、逸話があるそうです。
「工場に取材訪問に行くと、昼間から工員が酒を飲んでいた」
「工場の片隅にあるボディ原材料のスチールパネルが、すでに錆びていた」
「出荷状態で車内がゴミだらけだった」
などなど、信じられないことばかり。
日本のカーグラフィック誌も、デビュー当時のスッドを輸入したのですが、
3ヶ月で窓の周囲すべてが錆びて、窓が落ちかかったとか...

まあ、モノの取付が適当だったり、錆が非道かったのはスッドにとどまらない
昔のイタ車の欠点なのかもしれませんが。

僕のスッド1.5も、錆さびでした。
ボンネットの先には指が入る大穴。
エンジンルーム内、ウォッシャータンク
(プラの固形ではなくて、ちょっと丈夫なビニールの袋だった!)の
基部などは完全に「崩落」して、ボンネットを閉めると固形の錆が落下。
それ以外にも、
ただでさえ動きが渋いのに、回転部分が折れて役に立たない
ウインドウレギュレータ(手で開ける窓のレバー)。
表面の保護層がはげて、カスカスの前後バンパー。
何度直しても走行中に開いてしまう、ドアキャッチ。
とほほ。

でも、こんなスッドですが、素晴らしい面もありました。それは、また次回にて...(^^

>>ちなみに、今やアルファの屋台骨・アルファ147、
そしてその前身のアルファ145の大祖先はこのスッドです。
ちなみに、145の初期モデルは、
スッド-アルファ33から受け継いだ伝統の水平対向エンジンでした。
いやはや、スッド系も立派になりました(しみじみ
コメント (16)
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