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コロナ共存の広告表現の近未来観

AIの自動運転からエディターの壁と可能性(3)

2017-02-13 19:24:59 | メディアの一向一揆





IBMのWatsonが制作した初めての試みはこの映画の話題性となることでしょう。Morgan(モーガン)と名づけられた少女型ヒューマノイドが、その人間離れした力で運命に反抗するストーリーです。彼女は、ある科学者が悪意に満ちた攻撃を受けたことに腹を立てる。そんな彼女を終了させるかどうかを決めるために、「企業問題処理係」(ケイト・マーラ)が呼ばれるというストーリーです。



思えば2001年 「AI」と言う映画がありました。原案はスタンリー・キューブリック監督でしたが、スチーブン・スピルバーグが監督したものです。興行的には失敗作でした。
それから16年、実際に人型ロボットが世に出ている今、この映画を観る方々はどう思うのか?
人間は人間に近くなりすぎるヒューマノイドを気持ち悪いと感じるそうです。これを「不気味の谷」と言います。
映画の全ての情報を読み込み、それを編集していく作業に於いてやはりエディターが抽出する必要があった事は未だホッとさせる事でしょう。但し業界用語である「あら編」をしてくれる事は
膨大なシーンの中からトレイラーを作る上で非常に時間とコストを削減出来ます。
先日アップしたIBM Watsonの編集したものと比較して、実際のトレイラーをご覧頂いた感想は如何なものでしょうか?
個人的な私感ですが、Watosonの編集と編集者と比較しても、カットがルーズである事。トレイラー上でのインパクトはやはり専門の編集者には敵いません。でも将来的に何処まで学んでいくかでしょう。学びが多くなればそのクオリティも上がります。ホーキンス博士が仰るように、「これ以上人工知能を開発すると人類は滅びる」と警鐘を鳴らしています。今は亡き 東京コピーライターズクラブの会長でもあった近藤朔さんは、「クリエーターなど甚だしい、クリエーターとはキリストの事であり、クリエーターらしからぬ者達が多くなっている。」とCR全局員にむけて苦言を呈した事を思い出しました。
クリエーティブの領域まで入り込む事は、将棋くらいでやめた方が宜しいかと思うのは私だけでしょうか?そして我々人間はクリエーターと呼ばれるように研鑽するしかないのです。

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