AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

座りの良い言の葉(2)

2012-11-07 02:52:49 | 言の葉の輪転機



開高建さんのサントリーオールド1979年のコピー。
跳びながら一歩ずつ歩く。
火でありながら灰を生まない。
時間を失うことで時間を見出す。
死して生き、花にして種子。
酔わせつつ醒めさせる。
傑作の資格。
この一瓶。
そして、成人の日に出稿された山口瞳さんの新聞広告も楽しみだった。






戦後 アメリカに追いつけ、追い越せで経済発展を告げた日本だが、広告表現も振り返ってみると独自の表現の世界を開拓したのかも知れない。
ダーバンにしても、オールドにしてもそこには商品特性など詳しくいっていない。市川崑監督の映像美と大原麗子さんの演技そして糸井さんの名コピー「すこし愛して、 ながーく愛して」3つが醸し出す表現はもはや広告ではない。
これを「非説得の説得コミュニケーション」と言った方がおられるが
これはもしかしたら?「非説得の錯覚コミュニケーション」だと思う。
自分が恰もアランドロンになれる。自分のカミさんが大原麗子になる。
それだけ、研ぎすまされた言の葉の境地に経っていたと思う。
考えて観れば、アメリカの商品は単純である。ハンバーガーしかり、
ツーリストバッグしかり全て「誰でも間違いなく伝わる表現」である。日本はそこから
感性の高い表現を求めていった。広告にハイブローな映像、言葉を持ってきた。「わからない人はわからなくても良い」と言うか「判らないとは言えない。巧さ」
それが昭和のCM文化を築いたのだと思う。なかには、デフォルメしすぎて全くわからないのも多くあった。コンセプトもなにもない。そこには単に目立てば良い。カタカナ言葉を第一線に仕立てたのは良くも悪くもブティックと呼ばれた方々だったと思う。


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