AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

視聴率と録画率のタイムライン(3)

2015-09-29 21:26:12 | 今そこにあるメディアのリスク



























NHKがテレビ局を開設して62年 民放局では日本テレビがまず開局しました。
街頭テレビでプロレスや相撲に野球を中継してました。もちろん番組放送にはクライアントがついています。日本で一番初めに作られたCMが前回アップさせて頂きました「服部セイコーのCM」 です。
ラジオからテレビへ。テレビは一家団欒で観るものとなりました。
当時、米国からの番組吹き替え物 「逃亡者」「ララミー牧場」「コンバット」など全盛期でもありました。米国からのテレビ番組から当時のテレビ局は多くを学びましたし、似たような番組作りもありました。私の秘密(わたしのひみつ)は、日本のクイズ番組。NHK総合テレビで放送され、1959年に放送番組として初めて第7回菊池寛賞を受賞しました。
アメリカの人気番組『I've Got a Secret』の日本版として制作されました。他にも巨泉さんで視聴率を稼ぎ出した「クイズ ダービー」も「Celebrity Sweepstakes」を模しておりました。
但しこちらは巨泉さんの進行の巧さで長寿番組でしたが、本家米国では早く終わってます。さすが巨泉さんです。テレビ創世記では、多くの番組が米国の番組をベースに作られたのです。
一から企画書を作る上で失敗は許されませんからね。視聴率最優先そんな時代でした。そんな中で「夢で会いましょう」「シャボン玉ホリデー」 などの歌番組、TBSの名作「私は貝になりたい」元陸軍中尉・加藤哲太郎の手記「狂える戦犯死刑囚」の遺言部分をもとに、橋本忍の脚本で制作されたテレビドラマです。ストーリーは橋本忍の創作で、架空の物語である。当時は全て生録りです。えらい緊張感が流れていたと思います。
そして翌年1959年 テレビ放送が始まった事で、映画製作者の葛藤を描いた「マンモスタワー」後のテレビ ドラマはTBSと言われる礎となりました。そして日曜劇場となっていったのです。(一部 私は貝になりたい。マンモスタワー Wikipediaで引用させて頂きました。)
この後数十年に渡り視聴率全盛時代となったのです。
米国からのヒットテレビ番組 特に逃亡者最終回は「君の名は」同様に、風呂屋が空になったほどの人気でした。日本での最終話の視聴率は、前編が24.5%、後編(最終回)が31.8%であった。(wikipedia 逃亡者より引用させていただきました。)
子供心に学校でも話題になっておりました。この時期に 「私は貝になりたい」「マンモスタワー」が作られている事がどれだけ、この国のメディアの質が高かったことを裏付けております。

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