AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

広告が消えた日(1)

2015-02-18 00:07:13 | 諸先輩の言霊



丁度 ある大手薬品会社の創立記念日の為の新聞15段 (全面広告)のデザインとコピー打ち合わせでバタバタとしていた頃でした。昭和天皇の崩御の号外とニュースを聞き、当時営業で4社のクライアントの新聞、雑誌、ラジオ媒体、クリエーティブ担当の滅茶苦茶な仕事量でした。これは各クライアントの宣伝部等連絡を取り合わなければ、、、。でもデザイン事務所に行くのが先決でした。あの日は、後で阪神淡路大震災で神戸を訪れた時の「色のない世界」そう。「東京から色が消えた日」でもありました。
号外が配られ、銀座も各店々が半旗をかざしていました。あそこまで色彩のない東京を感じた事はなかったです。其れだけ日本国民としては、悲しい日でもありました。私は911にもNYで遭遇しました。毎日 テレビニュースで犠牲になった多くの消防士の葬儀を中継していましたが、あの時の銀座とは違いました。午後 プロダクションから社に出社しますと、全員が忙しく電話をしていました。XDayからの報道規制は出来上がっておりましたが、新聞そして雑誌は出稿を何処までずらせるか?特に広告対向もありますから!新聞、雑誌局との鬩ぎ合いでした。あの時の色彩のない銀座は今も思い出すと、広告が消えた色彩のない日本でした。

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