AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

虐待は世代を超える。(2)

2015-02-23 01:30:50 | 今そこにあるメディアのリスク







中学、高校の教育自体に多くの問題があるとも思います。陰湿な虐めをしたり、虐められたり教師達の能力が今一つ 子供達を理解していない。「金八先生」やってたら先生方も倒れてしまうでしょう。そのくらい教育は「疲弊」しているのです。日本の教育もアメリカ同様、新自由主義と言う資本主義の権化みたいな自由競争により、崩壊させられたと言っても過言ではありません。中学、高校と置き去りにされた子供達が英語や数学、国語の基礎すら理解しないままにAO入試に受かり、本当は受かるはずもない大学に入ってくるのです。アメリカの大学は、優秀な学生と駄目な学生と極端です。日本はおしなべて、優秀、中間、駄目とおりましたが、今は中間がおりません。政府の教育施策ではなく、昨年亡くなられた東大名誉教授 宇澤先生の「社会的共通資本」に基ずいて考え直すべき時と思います。江戸末期は、既に江戸文化が円熟した頃です。街にも田舎にも、「読み書き」を教える寺子屋があったのです。本の貸し出しもありました。男女共に学べたのです。これは英国や米国よりも進んだ教育でした。当時 日本を訪れた外国人達は「無償の微笑み」を称える日本人と言っております。我々年寄りがすべき事は未だ未だあります。教鞭に立つ事で気になる事は、若者達を教える内容よりも、段々と自分の立場を諦めていく事を感じることです。特に良く発言も質問もする女の子達が段々とやる気がなくなっていくのを感じた時です。「人を思う心」を育てていけば、きっと「無償の微笑み」が戻ってくるかも知れません。そういう若い人材を育てることが、今の日本では必要な事です。そうすれば虐待の世代連鎖もなくなるでしょう。

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